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第2話

「おう、坊主。師匠はいるかい?」


 そう言いながらにっかりと笑った口元がすでに酒臭い。


 突然訪ねてきた豪奢な軍服に身を包んだ大柄なひげ面の男はアシュリー卿という。


 歳格好は四十歳すぎくらいだろうか。顔の半分が豊かな黒い髭で覆われているのでコニーは正確な年齢を知らない。


 詳しい身分は聞いていないけれど、王宮の偉い人らしい。いつも酔っている印象しかない。


「フィリップならもうじき帰ってくるよ。あれ? お供の人がいつもの人と違う?」


 そう尋ねると、アシュリーは大口を開けて笑った。大きな手でコニーの頭を撫でて黒髪を滅茶苦茶にかきまわす。


「坊主は相変わらず目ざといな。あいつはちょっと腹こわしちまってな。馬車に置いてきた」


 この家はローレンシア王国にほど近い国境にある村の更に外れに建っている。馬車はここまで通れないのでおそらく村に置いてきたのだろう。


 アシュリーの背後で眉間に深々と皺を刻んだ金髪の青年は二十代そこそこに見えた。


 細面で真面目そうな貴族のお坊ちゃま……かな。アシュリー卿とは真逆だ。


 こんな上司じゃさぞかし苦労してるんだろうな、とコニーは同情した。


「じゃあ、師匠が帰ってくるまで待たせてもらうぜ」


 そう言ってコニーが答える前に手近な椅子に勢いよく腰掛ける。椅子が男の重さに悲鳴を上げたような気がしたが、コニーは聞かなかったことにした。


「お茶でいいかな。酒は今切らしててフィリップが買いに行ってるんだ」


 そう答えたらアシュリーは驚いた顔をした。


「お前、弟子のくせに師匠を使いっ走りにするとは大物だな」


「あのね、使いっ走りっていうのは、自分の用事を人にさせることだよ。自分の酒を自分で買いに行くの当然でしょ。あと、僕は弟子じゃない」


 コニーは今年十三歳になるが、見かけは十歳そこそこだ。立場はこの家の居候。断じて弟子ではない。


 大陸中に名前を轟かせる大魔法使いフィリップ。見かけは二十歳代にしか見えない。ただ、五十年以上前から記録にその名前があることから、魔法の力で不老不死になっていると噂されている。


 女癖が悪くて酒癖も悪い。そして、弟子を取らないことで有名だ。




「なんだ、酒臭いと思ったら来ていたのか、酔っ払いオヤジ」


 前触れなく扉が開いて、赤い髪の男が長身をかがめながら入ってきた。


 さっき出かけるとき整えたはずの服の襟や合わせが乱れているのはまた女たちと騒いでいたんだろう、とコニーは察しをつけた。


「おう。邪魔してるぜ。酒臭いのはお互い様だな。酔っ払い魔法使い」


 背後にいた従者が気色ばむのを手で制してアシュリーは笑う。


 フィリップは端整な顔にものすごく不機嫌そうな表情を浮かべた。


「また面倒事を持ってきたんじゃないんだろうな」


「うんにゃ、たいしたことじゃねぇさ。こいつの星見をしてほしいんだ」


 アシュリーはそう言って親指で背後の男を指し示す。フィリップは興味を失ったように二人に背を向ける。


「見る必要はない。必要とするほうがおかしい」


 コニーは奇妙に思った。フィリップは怠け者で面倒事を嫌うが、依頼された仕事は愚痴をこぼしながらもちゃんとする。


 初めての客ならまだしも、常連のアシュリーの依頼を断るのは珍しい。


「つまりは私の星見をする自信がないということで構わないのか?」


 今まで言葉を発しなかった男が問いかけてきた。


 あーコレは確かに面倒事だ。コニーは客人の前にお茶のカップを並べながら確信した。


 どうやらこの男、そこそこの地位がある人で、魔法使いに反感を持っているらしい。それで、自分の目で確かめに来たってあたりだろうか。


 フィリップは星見、つまり占術を得意としている。けれど、最初から疑ってかかっている人間を占うのは面倒なんだろう。


「星見というのは単なる助言だ。助言を聞くつもりがない人間には必要ない。時間の無駄だ」


「何だと?」


「まあまあ、落ち着きなさい。フィリップの言うことももっともだ」


 アシュリーがそう言って、椅子から立ちあがる。フィリップも背が高いが身幅もあるアシュリーは威圧感がある。


「だが、オレの顔に免じて、重ねて頼む。星見をしてくれないか?」


 フィリップはわざとらしく特大の溜め息をつくと、占いに使う星見盤を手に取った。


「……わかったよ。おい、チビすけ、例のアレを用意しといてくれ」


 うわー。機嫌悪そう。けどまあ最悪、あのおっさんがいるから止めてくれるよな?


 コニーはそう思いながらも台所に向かった。




『あなたの父親はあの有名な魔法使い、フィリップ様よ』


 酒場で歌手をしていたコニーの母はそう言って亡くなった。一人になったコニーは、フィリップに会うためにこの村に来た。


 どうして一度も会いに来てくれなかったのか。それならこちらから会いに行ってやる。養育費をたんまりぶんどって母さんの墓前に供えてやる。そう思っていたのだけれど。


 フィリップの方は身に覚えがない、と認めようとはしなかった。


 けれど、嫌がらせ半分で命じられたドラゴンへの餌やりをコニーがやりとげると、出ていけとは言わなくなった。


 それをいいことにコニーは養育費をきっちり払ってもらうまではこの家に居座るつもりでいる。ついでにフィリップのだらしない生活習慣をたたき直すのが当面の目標だ。


 養育費を払ってくれるまでは長生きしてもらわなくてはならないのだから。




「偉い人を怒らせて成敗されるのは困るんだよなー。養育費まだもらってないし」


 そう呟いたところで、隣の部屋から怒号が聞こえてきた。


 コニーはこっそり様子を窺った。先ほどの若い従者が声を荒げている。


「野心とはどういう意味だ。私は野心など持っていない。民のために……」


「誰かのためにと言うのはやめたほうがいい。あなたに野心がないのなら、覚悟がないのと同じだ」


 フィリップの星見は相手の痛いところを突くので、相手はたいてい怒る。


 コニーはフィリップに歩み寄った。


「とりあえず、今あなたに足りないのはコレだ」


 フィリップはそう言ってコニーが差し出した皿を突き出した。


「え?」


 皿の上に置かれたシンプルな焼き菓子を見て、相手は怒りを忘れて眼を瞠る。


「なんだこれは?」


「おお。食べれば運気が上がる魔法のケーキだ。噂には聞いていたが」


 隣にいたアシュリーがにやにやしながら言う。


「これは運がいい。坊主、オレにも一つもらえるか?」


「はいはい。ちゃんと切ってあるよ」


 運気が上がるってなんだよ。素人が焼いた単なるエルダーフラワーのケーキなんだけど。何でそんな噂になってるんだ。


 コニーが来客用に焼いている飾りっ気のないパウンドケーキ。普段はほとんどフィリップの酒の肴になっている。


 疑わしい目でじろじろと観察したあと、従者はケーキを口にした。そして勢いよくすべて完食した。そして、お茶を一口飲むと、さっきの怒りはどこに行ったのかというほど穏やかに息を吐いた。


「……私に足りないものがわかった気がする」


 え? もう怒ってないの? コニーが驚いていると、彼は深々と頭を下げた。


「確かに私は今まで周りに流されるままだった。やらねばならないことはわかっているのに、決められなかった。……余裕も覚悟も足りないということか」


 そう言うとさっさと出て行った。アシュリーは行儀悪く二切れ目を口に押し込んでから、じゃあな、と立ち去った。


「……何だったのあれ?」


 そう言うと、残ったケーキを口に運んでいたフィリップがにやりと笑う。


「いやー、星見の結果で怒りまくる相手に、お前の作ったケーキ食わせると機嫌直るんだよな。マジで魔法のケーキだわー」


「はあ? 魔法のって詐欺じゃんか。素人が普通に焼いた普通の菓子だぞ」


 っていうかまず依頼者を怒らせるなよ。


 コニーが呆れていると、フィリップは最後の一切れをコニーの前に差し出した。


「旨いもの食って機嫌が悪くなる奴はいないからな。魔法で食っていけなくなったら、お前のケーキを売り歩くか。将来の国王怒らせたから干されるかもな」


 コニーは驚いて口に突っ込まれたケーキを思わず飲み込んだ。


「はあ?」


「お前、肖像画とかで見たことないのか。あれはこの国の第二王子様だぞ」


 肖像画なんてあちこち盛ってるから意識してなかった。


「そうなの? そういえば第一王子と第二王子って超仲悪いんじゃなかった?」


 王都にいた頃に噂で聞いたことがある。第一王子と第二王子はそれぞれの支持派閥が対立をあおっているせいで滅茶苦茶仲が悪いらしい。さっさと国王陛下も王太子を指名してしまえばいいのに、と大人たちが話していた。


「第一王子は出来が良すぎる弟を警戒してて、揚げ足を取って謀叛の疑いをかけたり、刺客を差し向けたりしてるから、アシュリーが間に挟まって迷惑してるらしい」


「あのおっさん、そんなにえらい人なの?」


 王子同士のもめ事に挟まるってどんな人なんだ。


「ああ、あの酔っ払いは王弟だ」


「え?……って、待った。さっき、さらっととんでもないこと言わなかったか?」


 第二王子を将来の国王って言った。ってことは第一王子は国王になれないってこと?


 野心の話は、あの人に兄を押しのける気があるかと問いかけていたのか? 


「第一王子は嫉妬深く小狡いだけの小物だ。第二王子は真面目で優秀だが兄を押しのけるだけの気概が足りない」


「……それで占ったら第二王子が国王になっていたの?」


「いいや、星見はしていない。ヤツが自分の意思で決めるべきだからな。だから野心がないと煽った。そもそもあの酔っ払いは魔法使いのお墨付きが欲しくてここに来たのだろうが、それでは自信のないことの裏付けになって逆効果だ」


 王弟のアシュリーはおそらく第二王子支持寄りなんだろう。だから、王位を望むようけしかけるつもりで星見を依頼したのかもしれない。


 第二王子は周りが言うほどには兄のことを嫌っていないのかもしれない。いつかわかり合えると願っていたのか。それは美徳に思えるけれど事態を長引かせて悪化させることにもなる。彼の意思が見えないから、次期国王の指名ができないのかも。


 上の人が判断を遅らせると迷惑するのは下々なんだよな……。


 コニーは酒場の下働きをしていた頃にいろんな人々の愚痴を耳にしていた。


「今は周辺の国との外交でゴタゴタ続きだからな。決断力のない王では務まらない」


 この国は比較的平穏らしいけれど、周辺には領地拡大を狙っている国や国内に火種を抱えている国がいくつもある。アシュリーがフィリップに依頼してくるのもそうした判断の指標を求めての内容が多かった。


 あれ? けどフィリップはあの第二王子が王になると断言していたけど……それは本人に言わなかったってこと? 一応占ったんじゃないの? 知ってて煽ったんじゃないか。


 コニーの疑念に気づいたらしいフィリップはにやりと人の悪い笑みを浮かべる。


「……あの王子には星見は必要ない。太陽自身が星の動きなどに動じるものではないからな。だから覚悟次第だと申し上げただけさ」


 フィリップはそう言ってから椅子に座ろうとした。さっきまでアシュリーの巨体の重さに耐えていた椅子の足が断末魔のような音を立ててバラバラに折れた。


 そのまま床に尻餅をつく形になったフィリップは、あの野郎、と唸った。


「痛ったた……来るたびに何か壊してくれるな……」


「あーあ。とりあえず請求書作っておくよ」


 コニーは手を差し伸べて立ちあがるのを手伝った。


 久しぶりにフィリップが真面目っぽい仕事をしたオチがこれかと思うと、笑いがこみ上げてきた。


「まあ、万一あんたの仕事がなくなったらしょうがないから僕がケーキの行商でもやって養ってやるよ。仮にも親父だし」


 フィリップは違うんだけどなあ、と言いながらも何やら楽しそうに笑った。 

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