#54「せんせーと繋いだ手」
あの時、「これは死ぬな」と思った。
「…………なンでだ」
だから目を覚ました後、ヴォイドが初めにつぶやいた言葉は、それだった。
あの時、キリカの光弾に身体中を撃ち抜かれたはずなのに、何故生きているのか、と。
「金髪の彼女に治してもらった。即死に至る致命傷は、一発も無かったらしい。運が良かったな」
その答えを、隣に座る男が明かした。
「シルバー……」
「起き抜けで悪いが、力を貸せ。桜キリカを救うには、俺達の力も必要だ」
「へっ。冗談だろ」
寝転がり、空を見上げながらヴォイドは笑う。冗談だとしたらつまらないし、本気で言っているなら理解不能だ。
救うなどと抜かしているその女こそ、オレサマの、オレサマ達のターゲットだったじゃないか──。
「なるほどな。情に流されやがったか」
「違う。すべきことを果たしているんだ」
数十メートル先の、規格外の化物を止めんとする乱戦の中に、自分の仲間2人が混じっているのを見つけながら、ヴォイドはシルバーと問答した。
「ははっ、すべきことだァ? オレサマにはそんなもん無ェ。弔いすらロクにできなかった、無能な姉だからな。もう、全部どうでも良いンだよ」
救えなかった。だからせめて、何もかも壊して、誰も救われない結末にしたかった。妹だけがバッドエンドを迎えるだなんて、あまりにも可哀想だったから。なのにそれすら叶わないなんて、お笑い種だ。
「勝手に過去にするな。お前の弔いはまだ、終わっていない」
「あァ……?」
怪訝な目でシルバーを見つめた。何もしてやれないし、何もできない自分に、これ以上何を、と。
「俺もお前と同じだった。橘先生が殺され、忘れられていくのが我慢ならなかった。だから間違っているこの世界を、裁こうとした」
だけど──シルバーは続けた。
「それは違った。それでは次の悲劇を、また新たな"俺達"を生み出すだけだ」
だから。
「壊すんじゃない、守るんだ。もう、誰も悲しまないように」
正宗と言葉を交わした末に、シルバーは気付いていた。
橘希織花は、殺されたのではない。
かけがえのないものを、命を賭してまで守り抜いたのだと。
それが、彼女の正義だったのだと。
「……クハハッ! おい、今更ヒーローごっこをするつもりかよ?」
「ああ、"今更"だ。だけど、まだ"手遅れ"じゃないだろ」
今更為そうとするそれは、ただの自己満足なのかもしれないけれど。
何かを変えられるかもしれないのなら。
「俺達は"L.A.S.T"だ。悲劇はもう、俺達で最後にするんだろ」
「!」
「時間が無い。待っているぞ、ヴォイド」
そうして、シルバーは歩き出した。自らの罪深い命を、賭すべき場所へと。
「………………チッ」
そうして静寂と、ばつの悪い気持ちだけが、彼女の心の底に残っていた。
しまった。庇うのが遅れた。
「天使!!」
正宗にできたことは、そうして無意味な叫びを上げることだけだった。
「…………ッ……」
地面に倒れた天使は、キリカの光弾に貫かれた右脚を押さえ、苦しげな声を上げた。
「チタン! 安全なとこに連れてけ!」
「はい……!」
天使の"癒天使"は、自分自身を治せない。チタンは彼女を抱え、保護と手当のために足早にその場を離れた。
「……駄目よ……私がいないと、みんなの傷が……!」
「誰も死なせずに帰るんでしょう。あなただってその1人です」
今もどくどくと血が滴っている彼女の足は、放置して良いものではなかった。だが、チタンとて戦場を離れたかったわけではない。
「……ディーヴァさん」
振り返った先で、彼女はまだ戦っていたから。
「盲信にして忠実。百戦錬磨の権化たる騎士どもは、姫の号令と共に仇なす者を喰らわん──!」
本のページを開き、ディーヴァは素早く詠唱した。直後、キリカと自分と繋ぐ小範囲にのみ展開した結界に、黒い騎士が姿を表し、その巨大な剣でキリカを襲う。
「殲滅」
だが、時間稼ぎにもならなかった。キリカが右手を向けると、高速の光弾が騎士の頭を貫き、騎士は即座に灰となって消えていく。最初に正宗達が戦った時よりも、はるかに脆弱だった。
「ごめん、もうマナが……!」
それは、彼女の体内マナの減少に伴って起きる弱体化であり。
「"ビースト"ッ! くそっ、駄目か……!」
共に戦うハルもまた、マナ不足によって獣の姿が失われ、人間の身体能力に一対の鉤爪が生えただけの状態と化していた。
キリカに疲労の気配は無い。天使の回復にも頼れなくなった。このままでは、先に限界が来るのは、確実にこちらだ。
その前にやらなければ。未だにまともに近づくことも出来ていないが、それでも光弾光線の雨をかいくぐり、彼女に届かせなければ。
(何とかできるのは多分、俺の"消虚"だけだ……!)
魔法の無効化。それだけが、彼女を止められる可能性のある希望だった。
「先生! 帰って来てください! きゃっ……!」
そのために、焚火は、そして正宗達は呼びかけ続けた。攻撃に傷つけられ、吹き飛ばされ、何度地を舐めようと、また立ち上がって。
「先生ェ!!」
死の寸前で光線をかわし続け、息を切らし、痛いほどの心臓の拍動を堪えながら、正宗は叫ぶ。痛みなどどうでも良い。1番怖いのは、目の前のここまで来て、彼女を失うことだから。
「先せ…………なっ!?」
「殲滅」
ダメだ。さっきのあの隙が、何度叫んでも生まれない。さっき届いた言葉が、今はどうしても彼女の胸に届かない。
あの仮想人格とやらが、奥底で眠っている桜キリカに声が届かないよう、なにか仕掛けているのか──頭を撃ち抜かんと飛来してきた光線を寸前で回避しながら、正宗は憶測し。
(……関係ねえ! 届くまで叫んでやる!)
正宗は、死が飛び交う戦場を、前へ前へと走り。
「帰って来い!! "キリカ"ッ!!」
叫んだ。
「……あ……うっ!?」
キリカは小さな声を漏らしながら、右手でその頭を押さえた。まるで、その内側で暴れる何かと戦うように。
「……! 名前だ!!」
正宗は言った。
届くのかもしれない。それは彼女にとって、最も大切な文字列だから。
「一緒に生きるんだろ!! キリカ!!」
「ぐっ……排除ッ!」
正体不明の頭痛を堪えながら、キリカはその左手を正宗に向けた。あの男に、とどめを刺さなければ、と。
「"紅の迷い子"!!」
「! 照準……失敗」
その視界を遮ったのは、突如として巻き起こった、赤い竜巻だった。炎が両者の間に飛び込み、目眩しとなって狙いを狂わせたのだ。
「キリカ先生!! 大好きですっ!! だから、消えないでっ!!」
消えさせない。死なせない。今の自分がいるのは彼女のおかげなのに、自分は彼女を守れないなんて、そんな結末には絶対にさせない。そうして焚火は、命の火を燃やし続けた。
「っ、あああっ……!」
押さえ込まれた深層意識が、呼び起こされる。"キリカ"、その3文字で。桜キリカが始まったきっかけの名前であり、桜キリカを始めてくれた、大切な"あのひと"の名前。何よりも、彼女の魂に届いて、その手を掴み、闇の中から引き上げる名前。
そして、炎の中から飛び出す者がいた。
残りのマナ全てを費やして、闇を切り裂く両手の鉤爪に、紫煌の光を灯しながら。
「僕に変われると言ってくれた、あなたのために……キリカ先生!!」
ハルは光線を掻い潜り、駆け抜けていく。
「ぐっ!?」
だが、残り10メートルかという所で、彼の右足は避けきれなかった光線に撃ち抜かれた。途端にスピードが落ち、地面を転がり、その拍子になけなしのマナで作った鉤爪も無残に消えていく。
それでいい。作戦通りだ。
「正宗!!」
ハルは叫んだ。望みを託して。
「!」
「うおおおおおおッ!!」
キリカは目を丸くした。
横だ。正面から飛び出したハルを囮に、正宗は横から迂回し、奇襲を仕掛けてきた。キリカが反応し、攻撃を仕掛けんとするその間に、疾走して距離を詰めていく。あと6メートル、いや5メートル──。
「破壊ッ!」
(クソ……間に合わねえ!)
絶好の機会。だが、キリカの反応と反撃の方が速かった。あと数歩で彼女に手が届くと言うところで、正宗に無数の光線が迫る。左右双方からの死の光。回避不可能の、即死。
「"変銀自在"ッ!!」
そのはずだった。
「シルバー……!?」
正宗の背後から駆けてきたシルバーによって、左右に展開された、銀色の巨大な盾。それが、光線から正宗を守っていた。
「行け、正宗!! 先生の忘形見を取り戻せッ!!」
「……分かったッ!」
止まっている暇などない。意図を問うている暇などない。仇のように憎んでいたキリカの救出に、手を貸してくれたこと。信じるには十分すぎる。
「キリカぁぁ!!」
彼女がもう、目の前にいる。一歩。二歩。三歩。届く。届く、届く、届かせてみせる──!!
「……武具魔法"ホワイトブレード"を展開!」
「くっ……!?」
キリカが詠唱し、一瞬にしてその両手で握った白い剣は、2メートル近い刀身を誇っていた。ダメだ。自分の腕と比べるまでもない。ダメだ、斬られ──
「"零次元"」
「……!?」
キリカが初めて、驚愕と共に汗を垂らした。
消えた。最も早急に対処しなければならないあの男が、眼前から──!
「上……!?」
なんだ、あの黒い穴は。瞬間移動──!?
「……対処、不能」
「はあああああああッ!!! "消虚"ッ!!!」
正宗の拳が。かつては人を傷つけるだけだった、その拳が。
今、小さな少女を救い出すために、彼女の手を確かに掴んだ。
「……ようやく気が変わったか?」
「うるせェ。うぜェんだよ……自分でも意味がわからねェ、埒外の衝動的行動だ」
呪われた光の翼が、少女の身から砕けて消えていくのを見届けながら、シルバーは言葉を交わした。隣に歩み寄って来た、素直じゃない彼女と。
そして、目を覚ました幼女は。
「…………まさ、むね」
「おう。起きんのが遅ぇんだよ」
「えへへ。ごめんなさいなのです。あと、ありがとう」
煌めく光の残滓が邪魔で、辺りは何も見えないけれど、それでも彼に抱かれている感覚と、心地の良い温もりは感じていた。だからキリカは、笑ってそう言った。
終わった。本当に全て、終わったのだ。自分は、生きてここへ帰って来れたのだ、と。
「ねえ、正宗……」
光の粒子はやがて空へと消えて行き、視界が鮮明になる。そして、キリカは見た。
「……まさ、むね?」
「………………くそっ」
彼が、血を吐いているのを。
「あ……あぁ……正宗ぇ!!!」
浅井政宗の左胸が──心臓が、抉り取られて失われているのを。
知ったのだ。彼が今、死んだということを。




