#47「ハルと紫雲の中の暗殺者」
「ここは……」
渡会ハルが飛ばされたのは、廃校内の大きな広間だった。しゃがみ込むように着地し、即座に周囲を見回す。
廃校の丁度真ん中、2階に作られたその広間は東西二つの校舎を繋ぐ、渡り廊下を兼任していた。そこには壊れかけのソファや、足のない沢山のパイプ椅子、大きなホワイトボード。ざっと見るだけでも、過去ここで行われてきた、さまざまな営みが目に浮かぶ。
「ッ!!」
突然の振動。びくりと、ハルの体は震え上がった。
「…………って、スマホか」
あれから、ビビリも治ったと思ってたんだけどな──内心思いながら、ハルは制服のポケットから、自分のスマホを取り出した。
よくもまあ、あの戦いの中で落としも失くしもしなかったものである。そんな、文字通り"携帯"の使命を全うした彼のスマホには、一見の通知が来ていた。
『無視すんな〜〜っ!』
よく見ると、数時間前から通知が溜まり続けているようだった。病院の窓に止まった可愛らしい鳥の写真だとか、病院食への愚痴だとか、もうすぐ退院できるのでデートが云々だとかが、つらつらと。今日はずっと緊急事態だったので、全く気付かなかった。
差出人は共通して、"蘆名ウタ"。待ち受け画面にも写っている、桃色の髪の少女。彼に友情も、絶望も、愛も、希望も、全部を与えてくれた少女。
「……ふっ」
なんだが、死角から突然殴られたみたいだと、ハルは思った。そうだ──キリカや自分達は今窮地にいるが、ここや山倉高校の外では、いつも通りの日常が営まれているのだ。
だから守るべきは、Fクラスの仲間だけではない。ウタを、街の人々を、敵の手から守り抜かなければ──決意に肩を支えられるようにして、ハルは笑みと共に立ち上がった。
「ずいぶん楽しそうだね〜?」
「!!」
悪寒。今度は、勘違いや拍子抜けするような何かではない。
「ディーヴァ……」
「覚えててくれたんだ。"歌姫"って意味なの、素敵でしょ」
広間の電灯に、ほのかな明かりがともる。廊下から音を立てて歩いて来たディーヴァのドレス姿は、その光に照らされて明らかとなり──
「……けほっ、こほっ……」
その顔には、随分と疲れが溜まっていて。
「! 血がっ……」
「あー、これ? やだもー、可愛くないなぁ」
突如口から垂れた血を、黒い手袋で拭いながら、ディーヴァは言った。
「ただでさえ、初めての街単位での結界展開だってのに……こっちでタイマンもしろってさー。人遣い荒すぎだよね、ヴォイドったら」
「だったら、そこをどいてください。あなたと戦いたいわけじゃないんです、僕は先生を──」
「だめ。あの子にはここで死んでもらうよ。うちらの結成初のお仕事でトチれないでしょ」
軽い口調の中でも、彼女の瞳はまっすぐにハルを捉えて離さない。その奥に宿る紫の火は、退くつもりなど毛頭無いと主張して譲らない。
「そんな……そんなに魔法が嫌いなんですか? あなただって、魔法使いなのに……」
ここまま戦えば、自分も彼女もただでは済まないと、ハルには分かっていた。だから、そう言った。
「うん、あたしは魔法使いだよ。奇怪な力で周りの人を傷付ける、醜い化け物。だから、この世から魔法を無くして、あたしみたいな化け物が生まれなくする」
彼は分かっていなかった。戦えば、その身がただでは済まないことなど、彼女は承知の上なのだと。
「体保たないから、すぐ終わらせてもらうね」
そう言って、彼女は手元の真っ赤な本のページを開いた。
「紡がれるのは、暗殺者として育てられた少女の物語。親の顔は覚えていない。人の愛は知らない。痛みも苦しみも、何も感じない、血の気もない人形みたいな少女」
"脚本"を唱えるディーヴァの身が、黒い光に包まれていく。虚構と現実の境界が、曖昧になっていく。
そして。
「!」
瞬きの間に、ディーヴァは変貌していた。黒い包帯を全身に巻いただけの、極めて薄着の姿へと。だがその立ち姿には、情欲を沸かせるような低俗な魅力は無く、むしろそこにはヴィーナス像のような、神秘的な美しさだけがあった。
「うん、この役が良い。なんの怖さも、躊躇も無い」
そして、その神々しいとまで言える立ち姿とは裏腹に、ディーヴァの瞳には、一筋の光もなかった。遮断したのだ。そういう"役"を、今、彼女は"演じて"いるのだ。
「……"ビースト"」
そして、その光なき瞳に見つめられた今、平和的な解決手段などもうないことを、ハルは理解した。
詠唱と同時に、体に絡みつくように黒い外套がそこに現れ、黒いマフラーが口元の危険な牙を覆い隠す。闇の海に飛び込んだかのような2人の衣装のカラーは、ドレスコードでもあるかのように良く似ていた。
「かっこいいね。でも可哀想。君も素敵な化け物なんだ」
「……?」
彼女は、儚げに微笑んでそう言った。憐憫のような、同情のような──少なくとも、ハルには察し得ないほど複雑な感情を抱えて。
そして、自分の脇腹の包帯の隙間に、そっと右手の指を入れ。
「始めよっか」
「ッ!?」
囁きながら、瞬き一つの間に、3歩の距離を詰めた。
神速たる彼女の右手には、首筋を切り裂けそうな鋭さのナイフが忍び込んでいた。
つまり──もう、始まっている。
「くっ……!!」
それを悟ったハルは、ようやく躊躇を捨て、思考を説得から戦闘に切り替えた。そして一瞬で後ろに飛び退きながら、両手の先に鋭い紫の鉤爪を生やした。
「速いねー、さっきもだったけど」
獲物を逃した右手のナイフを不満げにいじりながら、ディーヴァは言った。
「同じ変身の魔法でも、僕は人外の獣に変身していますから。あなたよりも速いですよ」
首元のスカーフを直しながら、ハルは答える。事実として、四足獣の脚力をその身に宿す"ビースト"中の彼の速度は、俊敏な暗殺者に変身したディーヴァよりも──否、この戦いに参戦している全ての魔法使いの中でも、最も素早いのだ。
「そっかー。確かに勝てないかも……あたしがただの変身能力者だったらっ」
その意味深な言葉をよそに、ハルはディーヴァの横を回り込むように駆け出した。向こうが何を企んでいようと、この場においては速度というアドバンテージを活かさない手はない、と。
そして、動く様子を見せない彼女目掛けて、鋭い爪を差し伸ばしながら、ジャンプとともに飛び込んだ。
「!?」
瞬間。大きな影が、彼を覆った。
「──少女は、罠の名手でもあった」
「くっ……!」
ディーヴァがそう唱えた直後、ハルの真上の天井が抜け落ち、彼を襲ったのだ。とっさに体を回転させ、紫に煌めく鉤爪を高速で掻き回し、コンクリートの天井を粉々に砕いてみせた。
だが、"その次"が到底間に合わない。
「敵が"やれる"と強引に突き出したその手ほど、御しやすいものは無いのだった……はあッ!」
「がっ!?」
いくら神速を誇る獣だろうと、空中で無理な動きをしては、その勢いも台無し。大きすぎる隙を見せたハルの顔面に、回し蹴りという手痛い観劇料が課せられた。
「どう? 結界魔法"参加型劇場"。ただの変身じゃないよ。空間全部があたしの脚本通りなの」
「っ……」
しまった、とハルは転がりながら思った。敵を見誤り、どこか油断していた。間違いなく、敵の方が格上だ。
(Aクラスの勇者の人と同じ……いや、少し違う)
万丈勇真の固有魔法は、妄想を反映させて自分をRPGの主人公と化し、また自身が触れたものにも、その影響を与える能力。
(だけどこの人は、触る必要もない。自分の戯曲で世界を塗り潰す。そして塗り潰した世界では、彼女の筋書きが全部実現する)
つまりこの領域において、彼女は無敵である可能性すらあった。
(逃げる……のは無理だ。結界は市内全域に貼られてるって言うし、僕が逃げれば他の皆が危ない)
Aクラスとの戦いで、自分の未熟さに仲間を巻き込んだばかりの渡会ハルにとって、まさしくその選択肢は論外であった。
衝撃で体が痛むが、それだけだ。足さえ満足に動くなら戦える。罠が待ち受けていようと、切り裂いて一撃叩き込んでみせる。そうしてその身を奮い立たせ、ハルは再び飛び出した。
「……!?」
そのつもりでいた。
「少女の刃は、徐々に獲物を追い詰める。恐怖と痛みが獲物の足を鈍らせた。どろり、どろりと、まるで地面と溶け合うように、死へと沈みゆくように、足はしだいに重くなる」
彼女が謳う通り、ハルの足はいつの間にか、とろけて床と融合しかけていた。痛みは無い。だけど、足に神経が通っている気もしない。全く動いてくれない。
「何でもアリかっ……!」
「そう。じゃあね」
頷くと、ディーヴァは両手の指に挟んだナイフをまっすぐに投げつけた。足を取られたまま、回避などしようもない。
引っ掻く。切羽詰まった表情と共に、ハルは鉤爪でナイフを引っ掻いて弾き飛ばした。でなければ待つのは致命傷だ。鉤爪が無ければ今頃──と思うと、ますますハルは生きた心地がしなかった。
「そうやって、前をしのぐのが精一杯でしょ?」
「! 糸──」
直後、ハルは見た。ディーヴァの指から、暗殺者が扱うイメージのある、ピアノ線のような糸が伸
がっ
「……ッ!!」
思考を遮るように、激しい衝撃と痛みが、ハルの後頭部を襲った。
まずいと、本能的にわかった。「ピー」と、眩暈がする時のあの甲高い音が脳内になり続けているのだ。この身が無事なはずがない。
そう思いながらも、そして前に倒れ込みながらも、ハルはなんとか周囲を見て状況を確認した。机だ。暗殺者を演じるディーヴァは、その指に忍ばせたピアノ線をくくりつけた机を、引っ張ってハルの頭にぶつけてみせたのだ。
要は、ここは彼女が書き留めた能力が発動され、彼女が書き留めた事象が発生する、絶対無敵の空間──ハルはようやく、目の前の敵の恐ろしさを知った。
「どう? 降参するならこの辺にしといてあげるよ。相手がヴォイドやシルバーじゃなくて、あたしで良かったねっ♪」
だから、思った。思って、ハルは口を開いた。
「どう、して……こんな力……世界を救うぐらい、簡単な魔法なのに」
強い。強すぎる魔法だ。だからこそ、必然的にハルは思った。
こんなに強い魔法を持つ者が、何故この世から魔法を消そうとしているのか、と。単に、自分だけが魔法を使えるようにして、他者を虐げようとする支配欲なのかもしれない。だが目の前の彼女は、どうしてもそんな三流の悪人には見えなかった。
「……ううん。救えやしないよ」
「……!」
そして、顔を上げて彼女の表情を見た時、ハルの考えは確信に近いものとなった。
「あたしは、いちゃいけない化け物なんだから」
彼女が、初めて見せたのだ。
過去を悼むような、寂しげな顔を。




