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#46「チタンと敵のいない場所」

 体育館の床一面に出来た霜は、咲き誇る白い花畑のようだった。そして、その真ん中に立つ黒衣の少年──チタンの姿は、焚火の目には、心臓すらも凍てつかせる死神のように見えた。まるで目の前の光景が、あの世の入り口を描いた幻想的な絵画のようだ。


 否。これがただの絵画ならば、どれほど良かったか。


「っ……!」


 焚火が咄嗟に跳び退いた場所に、チタンの手元から真っ白なガスが放たれた。そのコンマ数秒後、そこは白い花畑の一部となった。


 高速冷凍。範囲が広い分、ガトリングよりもむしろタチが悪い。


「"紅の迷い子"!」


 焚火はライターに火をつけ、火の玉を上空高くに打ち上げた。そこから拡散させ、急降下させることで、チタンの上空から奇襲を仕掛ける。


「無駄ですよ。こちらの方が速い」


「っ……!」


 だが、チタンの言葉通り、火の玉は彼に到達する前に、彼が上空へ放った冷凍ガスに打ち負けた。まさしく、彼女の天敵であった。


「だったら、これでどうかしら?」


 意識外──背後から忍び寄った天使は、チタンに右腕を向けた。


 火炎が通用しなくとも、他にも攻撃方法はある、と。


「"シュト──」


「そこ、危ないですよ」


 チタンが体を左にずらすと、天使はまっすぐ向かい合った。


 先ほど彼が炎を凍らせた時、空中に形成された氷のつぶてと。


「!?」


 そしてそれは、爆弾のように粉々に弾け飛んだ。そして、切り裂く。


「きゃっ!?」


 天使の白い手と、その首筋の肌を。


「天使さん!!」


「特殊な化学反応による、時間差爆発です。ああ、自爆は期待しない方がいいですよ。軌道は計算してますから」


 語りながら、チタンはガスボンベの傍に付いている小さなスイッチを切り替えた。


「あなた達には、これが良さそうですね」


 チタンの持つホースから、再び絶対零度のガスが放たれる。そして空中一面に出来上がったのは、またしても大量の氷のつぶてだった。


「っ、うう……」


「天使さんッ……!」


 爆散する氷、割れたガラスのように降り注ぐその破片。


「っ、くっ…………!」


「紫織!!」


 天使に覆い被さってその凶刃から庇った焚火の背中に、小さな氷は何十何百と突き刺さった。制服を破って表皮を裂き、ちくちくと嫌な痛みが背中じゅうに走り、焚火の額には苦痛の汗が滴った。


「お馬鹿っ、無茶をして……"癒天使"!」


 傷口が浅いのが幸いだった。青い光に包まれた焚火の背中の怪我は、少しずつだが着実に回復していく。


「ッ……あはは、すみません」


 そう言って、焚火は苦笑いをして見せた。


 やせ我慢のような、自分の身など少しも案じていないようなそれが、むしろ天使を不安にさせた。


 同時に、彼女を奮い立たせた。親友にこれほど体を張らせて、自分は──と。


「……美しくないわね。女の子を傷つけるものじゃないと、親に教わらなかったのかしら?」


 焚火を座らせ、前に歩み出ながら、天使はチタンに強く言葉をぶつけた。


「へえ。魔法使いの癖に、一丁前に女の子扱いされたいんですか?」


「魔法使いは関係ないでしょう? 私は美しくて、あなたの行いは美しくないの。そこに魔法の──」


「説教垂れるなよ、卑怯な魔法使いが」


「……?」


 卑怯? 唐突なその形容詞が引っかかる天使をよそに、チタンはその拳をかすかに震わせた。


「だから魔法使いは嫌いなんだ。生まれつき、たまたま才能に恵まれてただけで、努力なんかしてないくせに」


「何を……」


「教わらなかったかって? 教わりませんでしたよ、何も! 父も母も、魔法が使える兄や姉のことばっかり……あいつらはちょっと呪文を唱えるだけで頭を撫でられるのに、僕は何十回100点を取ったって、褒められたことがなかった!!」


「……!」


 チタンの瞳には、氷を溶かすような"熱"が宿っていた。


「負けたくなかった……だから、大学まで行ってみせた!! なのに今度は、努力もしない癖に僕を妬む卑怯な魔法使い達がそこにいた……精神操作の魔法使いが、僕の論文を自分のだと皆に認識させて、剽窃だと追放されたのは僕の方だ!! 卑怯者が!! 卑怯者が卑怯者が卑怯者が卑怯者が!!」


 無理やり叫んだせいで、美しい中性的な声は痛々しくしわがれていた。血を吐きながら叫んでいるかのようだった。それは、憎しみの表れだった。


「だから、いらないんですよ。魔法なんて、運良く手に入れただけの力は。そんなものを振りかざす奴らがいるから、才能の無い人の懸命な努力が認められないんだ。卑怯なんだ。あいつら、皆死んじゃえば良いんだ」


「……はあ」


 全てを聞き終えて、天使がまず溢したのは、ひとつのため息だった。


「それで? あなたのそれと私達に、何の関係があるの? キリカ先生が、殺されるほどのことをしたの? 紫織が、傷つかなければならない理由があるの?」


「話、聞いてませんでした? 僕ら、魔法が使えない人々が苦しめられているんですよ。あなた達の存在そのものに。まあ、分からないでしょうね……才能だけで簡単に生きていける、あなた達には」


「……!」


 天使の中で、何かの袋の緒が切れるような感じがした。


 顔を伏せたまま、彼女はゆっくりと立ち上がり、チタンの方へと歩き出した。


「本当に馬鹿なんですね」


 チタンは容赦なく、ホースから真っ白なガスを放った。空気がたちまち凍りつき、青白い花は花弁の刃を散らせる。


 それが天使の顔を引き裂く。腕を、足を切り裂く。ぽたぽたと血が滴り、足元で赤い雪になる。


「……!?」


 それでも止まらない彼女の姿に、チタンは思わず息を呑んだ。


「……苦しくなさそうに見える? 楽に見える? 痛いわよ。すごく、ね」


 分からない。この女は何をしている? 傷を負うのが怖くないのか? 自分が今、ガスを放出したら死にかねないというのに、怖くないのか?


 混乱するチタンの思考をよそに、天使は歩みを進め続けた。


「何を……非合理すぎる。さっさと治せば良いでしょう」


「"癒天使"は、私自身を治せないのよ」


「ッ!?」


 ならば、なぜ──


「才能だけとか、楽な人生とか……あなたに何が分かるの!? 紫織が"マーリン杯"で、みんなの分もボロボロになって戦ったことも……先生が、どんな思いで私達に手紙を残したのかも……何も知らないくせに!」


 天使のその言葉は、ショート寸前のチタンの思考回路に深く突き刺さった。


「あなた、ただ弱いだけなのよ! 体がじゃない、心が! 認められないからって、関係の無い人を逆恨みして……あげく、あなたは罪もない、私の親友を傷つけた!! 最低よ……あなたを虐げてきたソイツらと、今のあなたは同じじゃない!!」


「……!」


「魔法使いは神じゃないのよ! だから苦しむ! 悩む! あなたと同じ人間なの! それを分かりなさい!」


 違う。僕は間違ってない。間違ってるのは、アイツらだ。アイツらが、アイツらが僕を虐げたから──


 ──アイツらって、誰だっけ。どんな顔で、どんな名前だっけ。思い出せない。


 なら、この憎しみはどこへぶつければ良い?


「……っ、僕は……僕はッ!!」


 もう良い。コイツにぶつけてしまえば良い。


「天使さん!! 避けて!!」


「…………」


 コイツは魔法使いだ。悪い奴は、殺したって良いんだ。






『あー、だからもう一々テスト見せないでよ。こっちは忙しいのよ。あんたは頑張んなくていい人なの。あんたどうせ、頑張っても魔法できないでしょ」


『パクリぃ〜? 教授は俺がオリジナルだっつってたろ? 良いか? 魔法が使えないお前は、俺らが道具として使って良いやつなの。お前は黙って下向いてりゃいいの〜っ』






「…………あ。同じだ」


 チタンがつぶやいたその直後、彼まで数メートルのところへ近づいた天使目掛けて、ガスボンベから死の吹雪が放たれた。


 直後、貫いた。


「…………なっ!?」


「えへへ……ようやく、目を離してくれましたね。私の炎から」


 "紅の迷い子"──焚火が灯した火矢は、視界が狭まっていたチタンの背後から、彼の背中のガスボンベを貫いた。


 穴から急激に漏れ出した冷凍ガスは、その場に大量の氷のつぶてを生み出した。それは、チタンが唯一軌道予測をしていない、想定外関数(イレギュラー)であった。


 それが、死の刃となって弾けた。


「がっ……!?」


 そして、引き裂いた。今度は、チタンの背中を。


(──しまった)


 ダメージにふらつく彼の視界に入ってきたのは、ひとつの拳。


「歯ぁ食いしばりなさい。うちの教えじゃ鉄拳制裁が基本よ」


 その拳は、あの不良少年のそれには遠く及ばない威力で。


 それでもそこには、確かな彼女の想いがあった。






 目を開けて、そこにあった光景が、不思議でならなかった。


「………………何を、してるんですか」


「決まってるでしょ。あなたのそれを治してるの」


 まさか。まさか、敗北し気を失った自分が、目を覚ましたら、敵である彼女の治療を受けていようとは。


 うつ伏せに寝かされたチタンの背中に、天使はそっと両手をかざした。焚火と同様、ほんの少しずつだが、着実に傷が癒えていく。


 よく見ると、やはり天使自身の傷は治ってはいなかった。包帯を巻いて、応急処置をしているだけだ。休みたいところだろうに、なおさら自分を治す意味が、チタンには分からなかった。


「甘いんですね。僕、あなた達を殺そうとしたんですよ」


「甘い? 優しいって言うのよ。私は神の子。優しくて強くて気高いの」


「…………」


 真顔になった。唐突にそんなことを言われては、チタンは真顔になるしかなかった。


「……ふふっ」


「ちょっと! 何笑ってるのよ!?」


「だって、自己評価が高すぎて……そっか。こんな魔法使いもいるんだ」


 なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた──チタンはため息に近い笑いを浮かべながら、体育館の天井を見上げた。


「そうなんです。天使さん、面白い人ですよね」


「なっ……紫織! 面白いこと言ってるつもりはないのだけど!?」


 ご機嫌斜めになった天使をよそに、焚火はチタンの元へと一歩近づいて座り込んだ。


「こういう、優しい人もいるんです。私も色々な目に遭ってきたけど……こういう人達に、大好きな先生に出会えたから、こうしてここにいます。だからチタンくんにも、他人を恨む道より、自分が幸せになれる道を探して欲しいです…………えっ、と、偉そうに言ってすみません……」


 再び、チタンは呆気に取られた。ちょっと自信がなさそうに語るこの人が、さっきあれほど強く勇敢だった、あの炎の魔女と同一人物だなんて。


 人には色々な一面があるものだなと、チタンは思った。


「……上っ面しか、見えてなかった」


「? チタンくん?」


 きょとんとして首をかしげる焚火の目を、チタンは真っ直ぐに見た。


「お願いがあるんです。ディーヴァさん……僕の仲間の、綺麗な女の人……虫の良い話なのは分かってます。でも、殺さないであげてください」


「チタンくん……」


「あの人だけは違ったんです。あの人は、僕を僕として見てくれて……僕の夢を、まっすぐ見てくれてたから。だから、死んで欲しくない」


 チタンは、魔法が無い世界になったらどうしたいの──彼女にとっては、ただの日常会話だったのだろう。だけどチタンにとって、他ならぬ自分を見てくれる彼女と交わす言葉、その一つ一つが嬉しかったから。


「そっか……心配しないでください、殺しません。皆さんも、私達の仲間も、誰も死なせませんから」


 焚火は胸に手を当て、目を閉じた。


(ですよね。浅井くん)


 そして、願った。全てが平和で幸せに終われることを。


「そうだ。一緒に、探しに行きましょう」

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