#28「正宗と見出す活路」
「先生……!?」
凛としたその背中に、正宗は声をかけた。
「ごめんなさい。先生がここに入ってきちゃいけないのは分かっています。ただ……ほっとけなかったのです。正宗くんのことも、渡会くんのことも」
実際助かったと、正宗は思った。今も額から血を垂らしている自分の体に、ハルの一撃がクリーンヒットしていたらどうなっていたか、喧嘩慣れしている彼には簡単に予測できたから。
「……」
そして、助けられてしまった、とも思った。自分を守ってくれた、その小さな背中を見ていると、16年で背丈だけ大きくなった自分がどうもちっぽけに思えてならなかった。
「……幸せを教えてやるとか、豪語したばっかなのにな」
悔しかった。
「さて……Aクラスの龍川さんとは違うタイプの変身ですね。肉体変化というよりは、本体の周囲に着ぐるみのようにまとう形……それで正宗くんの"消虚"が効かないのですか」
だったら──キリカは息を荒げるハルに向け、両手を伸ばした。
「"天秤座ノ流星"!」
その詠唱の直後、キリカとハルの間に、実体のない大きな金の天秤が、ホログラムのように現れた。そして二つの皿が、二人それぞれの目の前で震えている。
「先生、何する気だよ……?」
「これは、"釣り合いの取れた対価を差し出す"ことで、望む事象を引き起こす魔法なのです……先生は"この魔法の発動中、嘘をつかないこと"を対価に、"渡会くんも本心で話すこと"を約束させるのです」
その言葉と同時に、天秤のきしみが止まり、ピタリと水平に固まった。
「渡会くん。きみは何か隠していることが……いえ、"今まで忘れていたこと"があるのですよね?」
キリカの問いかけに対して、真っ黒な獣人ハルは動きを止めた。まるで彼女が、彼の精神を支配したかのように。
「どういうことだよ、先生?」
「あれから、先生の方で渡会くんのことをいろいろ調べたのです。警察の方にツテがありますので……渡会くんは中学の初め頃に魔法の才能が開花し、不良と闘いお友達を守る日々を過ごした。そして中学の終わり頃、その子を誤って傷つけてしまったことをキッカケに、魔法を使うことが怖くなった。きみはそう教えてくれましたね」
それは特訓の最中のある日、ハルが正宗やキリカ達に打ち明けていたことだった。ハルが泣き虫な子供だったことと、ウタという幼馴染にそのたび助けられていたこと。中学の時、魔法で逆にウタを守っていたが、最後には自らの手で傷つけてしまったこと。
「そう言ってたけど……それがどうしたんだよ? 俺と同じ、ただ不良とケンカしてただけだろ」
「その前なのです。その前から渡会くんは、戦っていたのです。というより、一方的な暴行だったようなのですけど」
「? さっきから、何の話を──」
いまいち話が見えて来ず、聞き返した正宗の声を遮ったのは。
「……うん。小さい頃の僕は、人を傷付けてばかりいた」
「!?」
黒い獣のガワの中から聞こえてくる、ハルの静かな声だった。
「人を殴るのが好きだった。叩いて泣かせるのが気持ち良かった。僕はそういう子供だったんだ」
ハルは語る。キリカの制約によって吐き出される、真実の言葉。
「だ……だってお前、ガキの頃は泣き虫で泣いてばかりいたって……あれは嘘だったのか!?」
「嘘じゃないよ。"僕にとっては"本当だった……そうだと思い込んでた」
「……?」
正宗は訳がわからないという表情でハルを見つめる。一方でキリカは、全てを悟っているかのように神妙な面持ちでいた。
「小学生の時、親の手違いで、僕のかばんにカッターナイフが入ってしまってたことがあった。そのかばんを持って公園で遊んでいた時、同級生に意地悪をされた僕は、カッとなってそのカッターを取り出して……その子達の、首を裂いた」
「……!」
正宗は目を丸くした。全てが予想外だった。あのおどおどとしていたハルが、猫耳を付けるなどという可愛げにあふれた固有魔法を使う彼が。まるで悪魔の所業ではないか、と。
「誰も死にはしなかったけど、一歩間違えれば全員殺してしまう所だった。そして僕はその時、一瞬だけ思っちゃったんだ……"殺せなくて残念だった"、って」
「何を……」
「ワケわかんないよね。その直後、僕は自分が怖くなった。だから全部忘れることにした。生まれ持った残虐な性格を胸の奥に押し込めて、もっと弱い、誰も傷つけない自分になった」
でも──ハルはそう言葉を続けた。
「中学の時、不良に絡まれたのがきっかけで、魔法であいつらと戦うようになって……全力で戦うその経験が、眠っていた僕の残虐性をまた呼び覚ました。最後には見境が無くなって、ある不良を殺そうとした。それを止めようとしたウタを……僕は攻撃して、入院させてしまった」
そして──それすらも再び忘却して、都合の良い記憶に書き換えて、今日まで生きてきたのだと、ハルは言葉を終わらせた。
「僕は、生まれた時からおかしかったんだ。今だってAクラスの彼を殺そうとしてしまった……この衝動を押さえ込むことなんて、きっと出来ないんだ。だから……浅井くん達への恩を返すために、この戦いに勝って……それが終わったら、この学校、辞めるよ」
「な……お前、こんな時に何言ってんだ!」
「本気だよ。だって僕は……こんな僕は、生きてちゃいけないんだから」
ハルにそう言われて、正宗は言葉に詰まってしまった。
反論が浮かばない。自分のように後天的に不良になったのではなく、生まれた時から既に心に悪を飼っている者。そんな哀れな命にかける言葉など、すぐには見つからなかった。
「そんなこと、言わないで欲しいのです。きみはまだ間に合います」
代わりに言葉を紡いだのは、彼らの教師だった。
「渡会くんが過去に傷つけた人たち……怪我の程度は大小ありますが、幸い亡くなった人は一人もいないようです。それなら、取り返しがつかないことなどないのです。まだやり直せるのですよ」
「そんなこと……まだ幼い先生に何が分かるんですか!? 今はまだでも、この先いつ誰かを殺してしまうかだって──」
「先生はもう、一人殺してしまったのです」
静寂。
「…………!?」
そして、正宗がその言葉の意味を理解するのには、数秒の時を要した。
殺した……殺した?
「先生のせいで、死んでしまった人がいます……その人は先生の恩師でした。会いたいと願っても、償いたいと願ってももう遅いのです……だから、まだ間に合うきみには、後悔してほしくないのですよ」
「なん……で……」
語りかける彼女の背中を見ながら、正宗はそんな言葉をこぼした。
大切な人を殺した? それが本当なら、なぜ。なぜ彼女は、この歳でこんなにも重荷を背負っている? なぜそんなものを背負って、あんな風に平気な顔をしている? なぜその重荷を、少しでも自分達に分けてくれない?
彼女は捻くれていた自分の人生を変えてくれたのに、自分は小さな彼女に何もしてやれず、なぜここにいる?
全ての疑念と無念とが錯綜した彼の心象風景は、上手く言葉にできるものではなかった。
「ッ……それでも!! どんなに取り繕うとしたって、僕は結局、こうやって暴れることしかできないッ!!」
数秒間の静かさを破壊したのは、ハルのそんな嘆きの叫びだった。
同時に、黒い巨大な獣が前足を地に付ける。明らかに臨戦体制に入った。
「先生──」
「正宗くん。先生が渡会くんを倒すこともできますが……本気を出さざるを得ません。そうしたら、彼を激しく傷つけてしまいます。先生として、それはあまりしたくないのです」
困惑を隠しきれない正宗とは裏腹に、キリカは異様に冷静だった。
「ですから、お願いします。きみが渡会くんを止めてください。先生からの特別課題なのですっ」
そして、振り返ってそう言った彼女の顔には、いつも通りの微笑みがあって。
「……ああ。お前がそう言うなら、やってみせる」
それを見て、今自分がすべきことは一つだと、正宗は思った。
分からないことだらけだけど。自分はちっぽけだけど。
せめて、彼女が望むことくらいはやってやりたい。
「だけど、どうすんだ? 俺の"消虚"は通用しねえし……そもそも、もうマナがほとんど……」
「ちゅっ」
「え…………どわああああああああっ!?」
突然の接吻。手の甲に晴れた柔らかい感触に、正宗は度肝を抜かれた。
「騒がしいのです。手や頬のキスくらい、海外じゃよくあることなのです」
「お、おまっ、んなこと言ってる場合じゃねえだろ!! だから、俺のマナがもう尽き……て……?」
尽きて、いない。正宗は体に違和感を覚えた。
否。違和感というよりこれは──回復?
「天使さんのように傷は癒せませんが……きみに合うように調整した先生のマナを、そちらに送ってあげたのです」
「あ、ありがてえけど……だからってどうするよ?」
「正宗くんの技は、通用してないのではなく、渡会くんにまで届いていないだけです。つまり、ぶっ刺して届かせちゃえば良いのですよ」
「届か、せる……?」
きっと彼女なりのヒントだ。正宗は今までの戦いから、その答えを探した。黒い巨大な魔法生物、ショッピングモールの強盗、気圧使いの田辺、勇者こと万丈勇真──勇者の、剣?
「……そうかッ!!」
閃いた正宗を見て、キリカもふっと満足げに笑った。




