#26「ハルと忘れていた陰」
"消虚"。殴った相手の体に自らのマナを流し込める特異体質である、正宗だけが扱える特技。他者のマナ、すなわち異物を流し込まれた敵の体内マナ操作には異常が発生し、その者は固有魔法の発動と制御を無効化されてしまう。
自然法則を無視した無茶苦茶な戦い方をする勇真に対する、最善の対抗策と言って良いだろう。
だが。
「へっ…………なっ!?」
「うん、良いパンチだねッ!! だが僕の防御力の方が上だッ!!」
『DEF:220』。正宗に再びの絶望を与える、無機質なデジタル表示。
唯一の勝ち筋は、机上の空論に終わった。
飛びかかった正宗が勢いを失って地面に着地し、接近した二人が見つめ合う奇妙な時間が流れた。天井に大穴が空いた廃屋に日光が差し込み、向かい合う2人の顔を照らす。
防御力で"消虚"を受け止めた一者の顔は明るく。
「なん、で……?」
もう一者の額には、汗が滴り。
それが地面へと落ちた、その刹那。
(って、やべえ──!!)
正宗は開始した。もう間に合わない回避行動を。
「それじゃ、次は僕のターンだッ!!」
後ろに跳ぼうとした正宗へと、それよりも早く勇真が距離を詰め、銀の剣を強く握りしめて後ろに引く。
その刃には、目をつむりたくなるほど眩しい虹色の光が宿り。
「"エンド・ロール"ッ!!!」
斬り上げた剣から放たれる虹色の閃光が、正宗の胸をジャージもろとも斬り裂いた。
「…………ッ……!!」
力の抜けた体が空に舞う。胸から溢れる血飛沫と踊りながら、正宗の体は着地し、鋭く激しい痛みと共にゴミのように転がっていく。180度転がるたびに、意識が闇に消えそうになる。
満身創痍のその身は、最後に勇真の方を向いて停止した。
「よしッ!! 勝負あったねッ!!」
「…………」
自分に剣を向けられながらそう言われても、正宗は何も言い返さなかった。言い返す余裕など、もう無かった。
(……殴った感覚で、なんとなく分かった。"消虚"が、聞いてない……俺のマナは、流し込む前に……壁みたいなものに、弾かれた)
肌触りから、政宗はなんとなく検討をつけていた。
世界の自然法則を書き換えるほどの力を持つ固有魔法を長時間発動しても、勇真の体にはなんの影響も無い。それほどまでに体内マナが莫大かつ濃密なのだ。濃密なマナに溢れすぎて、正宗が外から体内へマナを流しこめる余地が無いのだ──と。
殺害厳禁の模擬戦ゆえ、勇真は急所を避けて右胸と右腕を浅く斬ったらしい。だが溢れる血が止まらない。無線のノイズ混じりに聞こえてくる幼い少女の自分を呼ぶ声が、本物なのか幻聴なのかも定かではない。
動けない。
負けた。
浅井正宗は、2年Fクラスのリーダーは、ここに完膚なきまでに敗北したのだった。
敗戦の少年と、少年の勝利を信じていた紅の少女。
そして、もう1人。
「"ビースト"ッ!!」
孤軍奮闘する、黒髪の少年がいた。
渡会ハルは、小さな廃ビルの屋上で詠唱した。直後、黒い猫のような耳と尻尾、そしてアメジストのように紫に煌めく、長い鉤爪が姿を現す。
「良い加減その技も飽きた。別のは無いのか?」
彼と向き合う男──朧木鉄砕は、そう言いながら拳を構えた。隙のないその姿はさながら、凄腕の空手家の如きオーラを放っている。
「はああああああッ!!」
ハルは人間離れした脚力でコンクリートの地面を蹴ると、鉄砕の頭上ですれ違いざまに長い爪を振りかざした。その爪の先に灯ったマナは飛ぶ斬撃と化し、鉄砕へと襲いかかる。
だがそれに対して鉄砕は、自らの生身の拳を振り上げた。
「……"砕"ッ!!」
鋭い声と、空気が裂かれる音。鉄砕の放ったアッパーは、ハルの爪の一撃に接触した途端、それを跡形もなく消し飛ばした。
「まあ、俺が言えた話ではないがッ!」
鉄砕は、空中から着地せんとするハルの方へ一気に距離を詰めた。
「しまっ……!」
ハルは着地と同時に鉄砕に間近に迫られ、思わず顔の前に両腕を交差させ、防御の構えを取ってしまった。
「"砕"ッ!!」
そこへ再び、ダッシュの勢いを乗せた鉄砕の右の拳が突き刺さる。
バキッ…!
「っ、あ゛あぁ……ッ!?」
一瞬で"まずい"と分かる音。直後に襲ってくる激痛。言葉にならない声を上げながら、ハルは体を吹き飛ばされ。
「がはっ!?」
そのまま、屋上の入り口のドアに叩きつけられ、乾いた空気を口から吐き出した。
だが壁に衝突した背中以上に、前に出していた右腕の骨の方が激しく痛む。
「俺の固有魔法で強化した拳は、接触したもの全てを"砕く"。何とぶつかり合っても俺が勝つ。それでもまだ続けるか?」
自負する通り、鉄砕の生身の両手には、傷一つついていない。この戦いが始まってからずっと、彼は両の拳のみでハルを圧倒していた。
(どうりで遠距離技も効かないわけか……これが、Aクラスの"エース"……っ)
一対一、しかも片腕折られた状態では突破口が見えないが、あいにくハルに手を貸すものはいない。皆、途中ではぐれてしまったからだ。さらに通信機も落としてしまった。これでは──。
「……諦めない。みんなも、浅井くんも、どこかで頑張ってるんだ……変わるって、決めたんだ……!」
頭の中に浮かびかけた諦めの言葉を、ハルは飲み込んだ。まだ戦える。
『だから決めたんだよ。橘先生がくれたものを、橘先生の願いを守るために、俺は変わるって。正義を貫いて、みんなを助けて、今よりもっと強くなるって』
『お前に何があったかは知らねえけど……お前、少なくともまだくたばる気は無えんだろ? だったら、もうちょい踏ん張ってみねえか?』
「浅井くんは、僕が変われるって信じてくれた……だから諦めない!」
ジャージの上着を脱ぎ捨てると、ハルは決意と共に敵を強く睨んだ。
「ほう……頑張る、か」
一方。ハルの言葉に感心を示すように、鉄砕はそう言った。
「無理だろ。お前達には」
「……ッ!?」
嘲笑うのではなく、しかしハルのことを微塵も信じていないという冷たい真顔で、鉄砕はそう言った。
「自分がいるクラスを思い出してみろ。落ちこぼれFクラス……まともに努力もしてこなかった連中が集まる掃き溜めじゃないか。そんな連中が頑張る? 変わる? 冗談だろう?」
「な……あなたに何が分かるんだッ!? 僕らだって、今日まで頑張ってきて──」
これは作戦か? こちらの逆上を狙っているのか? いや、あちらが実力で優位な以上、そんな必要は無いはずだ──怒りと混乱に包まれながら、ハルは言い返した。
「分かるさ。大方、大きな大会があるからといって舞い上がり、ここ1,2週間前から急にやる気を出し始めたんだろう? Fクラスがまともに実習をするところなど見たことが無かったが、ここ暫くの間だけは姿を見かけたからな」
ここ最近になり、急にFクラスがやる気を出し始めた──それは事実だった。
「違う……違うッ!!」
だがハルは知っていた。それは彼の言う、ミーハーのような感情でそうなったわけではないと。皆、変わりたいと強く願うようになり、本気で努力していたのだと。そう伝えるように、ハルは鋭い鉤爪を再び振りかざした。
「違わないッ!!」
「ぶっ!?」
しかし、それよりも鉄砕の右足の蹴り上げが早く、ハルの腹に突き刺さった。幸い拳以外に"砕く"能力は無いようだが、みぞおちに入った蹴りは、彼の動きを止めるには十分だった。
「教えてやる。お前達のそれは"頑張り"じゃない」
そう告げると、鉄砕は上の体操服を脱ぎ、投げ捨てた。
「!!」
痛みに顔をしかめながらも、ハルは目を丸くした。
筋骨隆々の上半身は右側ほとんどに痛々しい赤い火傷痕があり、左肩から左胸にかけては、鎌で斬られたような深い傷跡があったからだ。
「Aクラスは……俺の親友達は1年の頃から、血の滲む努力を重ねてきた!! 俺もそうだ!! 試験で最高の点を取り、実習で懸命に戦って互いを研鑽し……その痛みと悔しさの果てが、このAという記号なんだっ!! 遊んでいても入れるFクラス如きが努力を語るなど、虫唾が走るんだよッ!!」
朧木鉄砕は、真面目な人間である。親友の万丈勇真をはじめ、ほとんどのクラスメイトがそう述べるだろう。彼自身も懸命に努力し、また仲間たちが必死に自らを磨き上げる様も隣で見てきた。
故に、今まで微塵もやる気を見せなかったFクラスの面々が躍進している今の状況が、彼にはどうにも許せなかった。高校生活を魔法に捧げた我々と、やる気すら見せなかった彼らが、何故同じ土俵にいるのか──と。
それは彼にとって、彼や友人達の誇りを傷つけられているに等しかった。
「だから、まずは貴様を潰す」
話は終わったとでも言うように、鉄砕は再び拳を構えた。
(まずいっ──)
再び、あの無敵の拳が来る。避けなければ。そう思っても、ダメージを受けすぎたハルの体はうまく動かなかった。
「教えてやる。お前はクズだ。同時にお前の周囲にいる人間も、今まで周囲にいた人間も、全て等しく努力を怠ったクズどもだ!」
「……ッ!!」
ハルの脳裏に、"彼女"が浮かんだ。
『ほらっ、もう泣かないの! ……なーくーなーっ!!』
いつも自分を殴ってきて、いつも自分に怒鳴りつけて。
『……はい。ありがと。守ってくれて』
そしていつも自分に微笑みかけてくれた、幼馴染が。
奴は、クズと言ったのか?
彼女のことまで?
「消えろッ! "砕"ッ!!」
黙れ。
「……なっ!? 止め、られて……!?」
消えるのはお前だ。
「がっ!? ぐ、がああああああっ!? 腕、が……!?」
ほら、みしみしみし。ぎちぎちぎち。ばきっ。楽しいな、渡会ハル。
蘆名ウタを傷つけた日からずっと感じていた、自分の本質。邪気。
「が……ぐぁっ…………」
はけ口を見つけたじゃないか。
こんな奴、殺してしまえ。




