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#2「せんせーと優しい少年」

『君は悪い子なのではなく、正しさに迷って──』


 正しさに迷っているのではないですか?


 きっと、そう言おうとしていたのだろう。彼女は。


「……チッ」


 苛立ちながら、正宗はコンクリートの上を一人歩いていた。だが、苛立ちの矛先は桜キリカ一人ではなかった。


「……何考えてんだ俺は。良い奴ほど馬鹿を見る。そうだろ」


 この世の幸と不幸は、釣り合っていない。


 昨晩も見かけた。ある外科医が重症の子供を必死に手術し救おうとしたが、力及ばず死なせてしまい──そして、親に逆恨みされて刺し殺された、というニュースを。


 真摯な努力が報われるとは限らない。正直ものは馬鹿を見る。良い奴から死んでいく。


 それが真理。正宗はそう思っている。




『次のニュースです。人権を無視した人体実験を行っていた魔法研究機関への突入作戦で、魔法官の女性一名が命を──』




 かつて自分が直面した"あれ"も、そういう経験のひとつだ。


 なのに彼の両手は、ふと気がつくと、小さな善行を成してしまっているのだ。


「……ままならねェな」


 いつになく疲れた顔で、正宗は俯きながらため息をつき。


 ガアアアンッ!!!


「!?」


 突如聞こえた、学校のフェンスを突き破る大きな音に驚いて、目を見開き辺りを見回した。


「あっちか……!?」


 遠くの方で、砂煙が上がっているのが見えた。正宗は迷わず、そちらへ駆け出していく。


「きゃああああああっ!!」


「何だ!?」


 体育倉庫の先、学校の裏庭から聞こえた甲高い悲鳴に反応し、正宗はさらに走る速度を上げた。


 そして、見た。


「…………んだよ、コイツは!?」


 大きなカマキリを。


 それも、20センチとか30センチとかの話ではなく、3メートルはゆうに超えた黒いカマキリを。


「うわあああああああっ!?」


「た、助……助け…………」


 次の体育の準備をしていたのだろう。居合わせたのは、体操服姿の女子生徒二人。


 片方はカマキリの鋭い前足に腕を貫かれて引きまわされ、血まみれの絶望した表情で正宗の方を見つめ。


 もう片方はケガこそないが、完全に怯え切って膝から崩れ落ちていた。


「こんな……こんな奴、自然の生き物なわけ……なんなんだ……!?」


 常に凛として何事にも動じない正宗でさえ、その赤い両目にぎろりと睨みつけられ、思わず足が震えて鳥肌立ってしまった。


 この学校は、魔法の専門学校だ。逆に言えば、魔法のカリキュラムがある以外、日本の他の高校と何も変わらない。


 同じ食文化。同じ放課後の過ごし方。そして、同じような人間社会と、美しい自然の景色。それが彼らのリアルだ。


 だから、いかにこの世界が魔法の介入した世界であろうと、こんな化け物を正宗は見たことがなかったし、実在するとも思っていなかった。


 だが、今ここにいるのだ。


「…………って、考えてる場合じゃねえな!!」


 だからもう、考えはしなかった。すぐに自分を奮い立たせ、正宗はカマキリに向かって走り出す。


「……!」


「きゃっ」


 カマキリの方も、敵が臨戦体制に入ったのだとすぐに察知し、前足に刺さった女子生徒を投げ捨てて正宗と向き合い、右前足を振り上げた。


「っと……喧嘩なら慣れてんだよ!」


 正宗は焦る素振りすらなくそれを横にかわすと、右腕をカマキリの頭目掛けて構えた。


「シュトナ!!」


 銃の引き金を引いてカラクリが動き、弾が発射されるように。


 その詠唱と同時に、正宗の体をめぐる力が右腕の先に集中し、凝縮されて紫の光となり、そして銃弾のごとく高速で発射された。


 魔法使いが最初に覚える魔法。血液と同様に全身の血管を巡る物質"マナ"を1箇所に集中させ、エネルギーの塊に変えて放つ。集めて撃つ、そんな簡単な魔法である。


 しかしその威力は、ドッジボールを時速150キロで投げつけるのに匹敵する。まともに食らえばケガどころか、骨すら簡単に砕ける立派な攻撃魔法なのだ。


 故に原則として、学生がこの魔法を使用して良いのは、この魔法高校の敷地内のみとされている。


「当たれ……!!」


 そんな初級魔法シュトナは、正宗の祈りが届いたのか、カマキリの頭に難なくクリーンヒットした。爆発と共に煙が辺りを覆う。


「よし……なっ!?」


 だが駄目だ。まともに食らえば顔が潰れるはずが、煙が晴れた先にいたカマキリは五体満足かつ無傷。まるで、正宗の魔法など屁でもないと言うかのようだ。


「〜〜〜〜!!」


「くそっ、ならこれでッ!!」


 急に機敏になったカマキリに怯みもせず、正宗は追撃を加えようと駆け出した。そして再び右腕にマナを集中させ、今度は放出せずにそのまま拳を握る。


「遅ェ!!」


 カマキリが振り下ろした腕をかいくぐり、正宗は叫びながら、その顔面にパンチを叩き込んだ。拳に来た反動から、正宗は急所をまっすぐ殴れたことを確信する。


 マナを腕にまとってのパンチ。これもシュトナ同様、魔法使いの技能の中では基礎中の基礎。しかし、高エネルギーの粒子をまとった拳は岩をも砕く威力となる。


「…………何……!?」


 だが、マナをまとって攻撃ができるのなら。


「表面が熱い……コイツもマナを使ってんのか……!?」


 それを防御に転用することもまた、可能である。


 びくともしない黒い巨体。マナ特有の熱をカマキリの表面に感じた正宗は、すぐに拳を引いて一歩下がった。


「〜〜!!」


「なっ……ぐあっ!!」


 だが間に合わない。カマキリの左腕が横薙ぎの一撃を放ち、避け損ねた正宗の腹を掠めて、真っ赤な鮮血を吹き出させた。


 臓器までは届かなかったものの、皮どころか肉まで裂く一撃。鋭い痛みに顔をしかめながら、正宗はよろめき後退した。


(やべえ、誰かに助けを……あ? クソッ、スマホが無え! 落としたのか!?)


 気が遠くなりそうな痛みの中、思考する。だがポケットの中を確認し、正宗は血の気が引くのを感じた。


 なら、誰か来てくれるか──否。校舎からはだいぶ離れてしまった。騒ぎを聞いた教師達が動き出してはいるだろうが、すぐここに辿り着けるとは限らない。


 ならば、走って校舎に戻り助けを──


(……って)


 否。


「ゆき! ゆき!!」


「…………っ……」


 今正宗がここを脱すれば、次にカマキリに狙われるのは、身動きのできないあの少女達。


「〜〜〜!!!」


 鳴き声を上げるカマキリを前に。


「に、逃げてッ!! こ、ここにいたら、あなたまでっ……!!」


 傷ついた女子生徒を抱えるもう一人の生徒は、涙ぐみながら政宗に呼びかける。正宗が逃げれば自分達がどうなるか、分かっていながら。


「……ど、どうして逃げないんですか!? あんな化け物に、勇気を出して立ちたかったって……どうせ死んじゃうのに!!」


 それでもその場を離れず、彼女たちの前に立ってカマキリを見据える政宗に、女子生徒は叫ぶ。


「……確かに、俺じゃコイツに勝てないのかもしれない。この勇気は水泡に帰すのかもしれない。善行が報われるのなんて、御伽話の中だけの話なのかもしれない」


 頭ではわかっている。このまま戦えば、自分は殺されるのだろうと。


「だけどそれは、俺がここで人の心を捨てて良い理由には、ならねェんだよッ!!!」


 それでもその馬鹿で無駄な正義感を、正宗は捨てたくないと思ってしまった。


「〜〜〜〜ッ!!!」


 カマキリが無慈悲に迫り、右腕を上げた。避けるわけにはいかない。だが、手負いの正宗にはもう手立てが無い。


「クソッ……例え、無駄だとしても!!!」


 最後に足掻くように、正宗は叫んだ。






「無駄ではないのですよ」


 白い花のような髪が、ふわりと揺れて。


「…………!!」


 とんがり帽の魔法使いが、正宗の前に立っていた。


「時間を稼いでくれてありがとう、正宗くん。まあ遅れてしまったのは、君のせいなのですけど」


 後で甘いものを奢っていただきますよ──桜キリカは念を押すように、正宗をチラリと見た。


「〜〜〜〜!!」


 正宗達を守るには、あまりにも小さく頼りない背中。そんな彼女に、黒い巨大カマキリは再び鋭い刃を振り下ろす。


「……ふむ。目に入った人間を無差別に襲うのですね」


「危ねえ!!」


 キリカの帽子目掛けて下ろされる、ギロチンの如き刃。これから起こる惨状を予期し、正宗は思わず目を閉じた。


 そして、無惨に砕け散る。


「〜〜〜〜ッ!!??」


「甘いのですよ。誰が作った魔法生物か知りませんが、明らかに違法かつ危険……討伐させて頂くのです」


 とんがり帽の表面にヒットしたカマキリの腕が、目では追いきれないキリカの反撃によって、粉々に。


「何を、したんだ……!?」


 呆気に取られる正宗の向こうで、カマキリの方も信じられないといった様子で、おののくように数歩後退した。


「正宗くん。君は正義や善行が、理不尽な現実の前では、時に無意味だと思っているようなのですけど」


 カマキリに距離を詰めながら、キリカは背中で語りかける。


「助けてもらった人は嬉しいのです。生徒の善行を見た先生は誇らしいのです。孤独な時に声をかけてもらった人は、希望を見出すのです」


 正宗よりもずっと年下で、本来ならばその言葉は、子供のそれっぽい綺麗事にしか聞こえないはずなのに。


 妙に、正宗の胸に響いてきた。


「例えその希望が、最後に折れてしまったのだとしても。誰かの慈しみの花が、心無い人に踏み躙られてしまったとしても」


 キリカは両手を前に掲げる。彼女の体内のマナがそこに集まり、眩しい白に輝く。


「紫じゃ、ない……!?」


 正宗は驚き、呟く。


 体外に放出されるマナは、ふつう紫色に輝いている。だがその濃度が濃いほど、それは白く輝いていき、炎よりも熱い熱を帯びていく。夜空に輝く一等星のように。


「何度踏み躙られたとしても、誰かの心に植えた優しさという花の美しさは、絶対に変わりはしないのですよ」


 そして白い輝きは、その形を変えていく。細長い棒に、動物の尻尾のような膨らみ。


 そう。キリカが右手で掴んだそれは、箒のような形をしていた。


「だから、優しさを捨てないで。今まで頑張ってきた自分を誇って。いつだって、人は変われます。それが先生からきみ達への、最初の教えです……ッ!!」


 言い放ちながら、キリカは光る箒を振り上げた。


 その軌道が描く輝きは、星の海に似ていた。


「"鯨座ノ流星(ケートゥス・ミラ)"ッ!!!」


 カマキリ目掛けて強く振り下ろした箒は、白い光の激流となって敵の黒い巨体を飲み込み。


 ドオオオオォォォォォォッ!!!


「がっ……けほっ、ごほっ……!?」


 隕石が横長に通り過ぎたかのような、凄まじい質量のレーザーが、周囲に激しく砂埃を舞わせた。


 咳き込みながら煙を払い、その奥を見据えた正宗は。


「………………すげえ……!!」


「ふう。一件落着なのです」


 カマキリなど木っ端微塵に消し飛んだと分かるほどの、巨大なクレーターをその目に見た。






「女子生徒の怪我は……はい、もう元気なのですね。分かりました。よろしくお願いします、なのです」


 30分後、近隣の大きな病院にて。二人の生徒が無事だと分かると、キリカは通話を切り、スマホをカバンにしまった。


「ふう……」


「おい、ほら」


「!?」


 息をついた途端、男の声と、何かが投げつけられる音がした。慌てて振り向き、キリカは自分に飛んできた小さなアルミ缶をキャッチする。


「いちごミルク……って、正宗くん!」


「甘いもんっつってたろ。めんどいからこれで我慢しろ」


 それを投げた人物は、浅井正宗であった。


「お腹は大丈夫なのですか!?」


「おう、ここの医者すげえよ。切れた肉もほぼくっついちまった」


「だ、だけど駄目なのです、ちゃんとベッドで療養していないと──」


「なあ、先生」


 心配するキリカをよそに、正宗は真剣な眼差しを向けて話しかける。


「俺は昔、大切な恩人を死なせたんだ。正義の味方ぶるには、俺はあまりに無力だった。俺の善意は、その人を救ってやれなかった。それでも俺は、自分は正しいと思っていいのか?」


 彼はもう、子供を見てはいなかった。


 代わりに、恩師に教えを仰ぐ──そんな表情をしていた。


「……ええ」


 だからキリカもまっすぐ正宗に微笑みを向けた。


「優しさは誰にも消せません。今日のあなたの善意が、確かに誰かの心に響き、誰かを幸せにしていくのです。人の真心だけは、誰も否定できないし、しなくていいのですよ」


「…………そっか」


 その答えを聞き、正宗は安心したような、あるいは救われたような喜びのため息をつく。


「んじゃ、そろそろ帰るわ」


「そうですね。油断せずしっかり療養、なのです」


「それもあるし、今日の授業の復習をしねえと」


「復習……?」


「だってそうだろ?」


 歩きながら、正宗はふと振り返り。


「キリカ先生の授業に、ちゃんとついていけるようにさ」


「…………!!」


「へっ」


 今日一番の満面の笑みを浮かべる少女に、正宗はやれやれと、再びため息をつくのだった。

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