32:桜水の出陣
「ただいま戻りました」
さりげなく別行動を行い、私は図書館への帰還を果たしました。
しかし、出迎えてくれるはずの存在はどこにもいません。
「…赤城」
「桜哉さん。実体化しているのは珍しいですね」
…出迎えてくれたのは、これまた珍しい人物。
それに加えて、私と話すのも———ですが。
この人、譲さんと水さん以外では、日常会話を行う気がないらしい。
必要最低限。私とは絶対に口を利かないはずの彼が話しかけてくること自体珍しい。
それが舞園桜哉。本土の舞台劇場跡で地縛霊をやっていた男。
今は譲さんと契約を行い、自分を連れ出す代わりに、彼の護衛を引き受けている聞いた。
…もう一人の、護衛の方から。
「舞園さん。何かありました?」
「…」
「やっぱり話してくれませんか」
「…」
どうやら、先程は名前を呼んだだけらしい。
本当に会話をする気がないらしいな、この人。
「あ〜!時雨ちゃん!おかえりなさい」
「水さん。ただいま戻りました。ところで、彼は?」
「ああ…それはね。あの子、風呂に入りたそうにしていたから…」
この先は聞かずともわかる。
風呂に入るな。シャワーにしろ。
それでも風呂に入りたい。
けれど、譲さんも、彼の性質をそのまま持つ記憶がないあれも筋金入りの機械音痴だ。
生前も仕事用パソコンや通信端末をよく壊していたらしいし、あれは図書館の備品を破壊し続けている。
高濃度魔力を持つ人間には、よくある現象だそうだ。
そして、この図書館は無駄にハイテク。
設備は最新鋭のものばかり。
…風呂はボタン一つで操作する代物だったりするのだ。
「あちゃー…水さんも桜哉さんも、機械の操作さっぱりでしょ」
「お風呂は水を淹れて、ガス釜で湧かして…手順ぐらいはちゃんと知っているよ。ねえ、桜哉君?」
「…ガスというのはさっぱりだし、薪がないのが気になるが、手順は間違っていないな。現代人の水が言うのなら確かだろう」
「今はその課程を全てボタン一つでできるのは、ご存じで?」
「そんなの最新鋭のおうちだけ。うちは違うはずだよ。ね、桜哉君?」
「ああ。そんな奇術みたいな真似ができるわけがない。そんな簡単なら、薪割りはいらない」
「お二人は何時代でお風呂の歴史が止まっているんです?」
やはりこの人たちに留守番はハードルが高かったらしい。
機械音痴に、大正生まれの地縛霊、そして現代生まれだが知識が古びている浮遊霊。
三人寄っても文殊の知恵に至らず。むしろ大事故を起こしたようです。
「で、彼は?」
「我慢できずに水浴びをしちゃったら、案の定溺れて風邪を引いちゃって」
「おばか…」
水風呂に入る彼も、それを止められなかった二人も何をしているんだ。
風邪に関しては、看護師だった水さんがいるから安心だろうけど、守護霊としての責務は果たせていない。
「しかし、なんでお風呂にこだわるのでしょうか…」
「彼自身が好きみたい。でも、私が契約しているのは譲君であって、あれではないからね」
「譲もお風呂好きだった。紅葉によく連れて行ってもらっていたからな。勿論俺も水と同様だ。肉体は守るが、精神は嫌だ。話したくもない」
お説教の途中なのに、気がつけば譲さんの趣味の話になってしまう。
本当にこの二人は譲さんのことが好きすぎる。
最も、それは「保護者」的な意味合いが強いけれど。
「…とりあえず、私は報告と看病でこちらに残ろうと思います。次は、お二人の方が動きやすい場所のようですし…私ではもう一つの側面に触れられませんから」
「ああ。時雨ちゃんは「見えない人」だったね。桜哉君、出番だよ!」
「…しかし、その常夜都市「ミドガル」というのは、幽霊が住まう都市であるのに、何故か色街として栄えているんだよな、水。俺は…」
「気持ちはわかるけれど、そういう目的で行く訳でもじゃないでしょう?」
「…水以外の女性は無理だ。穢らわしい」
なぜ私を睨みながら言うんですかね…。
まあ、この人が筋金入りの女性恐怖症…それどころでは済んでいない対人恐怖症なのは把握しているので気にしてはいませんが、名指しをされたような感覚で少々むかつきます。
「原作で語られていた話によると、ミドガルに潜んでいる存在は「夢魔」。女性の方なのでサキュバスといえば馴染みのある呼び名になりますね」
「それはそれは…桜哉君、引っかからないようにね」
「…絶対に殺す」
「と、いうわけでうちの桜哉君とかなり相性がいいね!」
「殺したいほど嫌いなタイプなのだが。まるで俺がそういうのが好きなように聞こえるぞ、水。やめてくれ」
「ごめんごめん。今回は対話じゃなくて討伐が目的。見守る立場であるのなら私たちで相手をすることはないだろうけど…」
「物語の規定から逸れている可能性があるのか。流石鴇宮。俺が嫌がることしかしてこない…」
「とにかく「ない」とは断言できないからね。そういうとき、明確に手加減抜きで相手ができる桜哉君の存在は大きいよ。もしものときはみじん切りでいいからね!」
「ああ。そうさせて貰う」
にこやかに何物騒なことを話しているんだろうか。この地縛霊と浮遊霊は。
「それにね、桜哉君は無駄に顔面がいいんだから、そういうことしたくないのなら私から絶対に離れないこと!絡まれるよ!」
「ああ。でも、水には」
「婚約者のことなら気にしないで。殺された時点で破棄されてるいようなものだし」
「…恩に着るよ」
「うんうん。友達で相棒、同じ志を持つ仲間なんだから。ちゃんと頼ってね!」
私をそっちのけで、二人の世界に入る姿を遠くから眺める。
最近ずっとこれだ
影、薄かったりするのだろうか。
「あの〜…お二人とも。イチャイチャするのは勝手なのですが」
「「イチャイチャしてない」」
「というか、イチャイチャってなんだ、水」
「私もわかんない。最近の若い子は不思議な言葉を使うよね。あ、時雨ちゃん。あの子は寝室だから、ピニャ君と一緒だよ〜」
「わかりました。では、後のことはお任せしますね」
「任されました!」
「…ぷいっ」
安心感のある送り出しと、いつも通り無反応な送り出しを背に私は誰よりもこの物語の行く末を心配している彼の元に向かいます。
今回のことを、報告するために。
・・
時雨ちゃんを送り出した後、私と桜哉君は身支度を整えていく。
整える、と言っても、やることと言えば「依り代」である刀を持ち出す程度。
衣服はあれにお願いされて、いつでも「戦闘モード」のものにしている。
…流石に譲君お気に入りの二番弟子ちゃんに何かあるのは私としても申し訳ないから、言うとおりにしたのだけど。
こういうことを見込んで、だったんだろうなぁ。
本当に、心配性だ。記憶を失っても、本質はあまり変わらないのかもしれない。
私たちはかつて地縛霊と浮遊霊だった。
愛する者に殺された不幸な人間。それが私たちを示すのにちょうどいい言葉。
次の任務地は、私たちにとって都合がいい場所でもある。
桜哉君はもちろんだが、私もそういう「自分の死因」に関わった出来事には興味が持てないから。
「桜哉君、こういう時ぐらいちゃんとお返事したら?」
「やだ。譲と水以外口も聞きたくない」
「いつもこうなんだから」
桜哉君は羽織を、私はベレー帽を。
譲君から贈られたプレゼントをしっかり身につける。
「そういえば、あの子に会うのも久しぶりかも」
「あの子って?」
「霧雨永羽ちゃん。記憶にないだろうけど、私、あの子にも何度か会ったことがあるから」
「そういえば、看護師をしていたんだったな」
「そうそう。大社附属病院ね。譲君に出会った場所」
かつて看護師だった私。
譲君が十一歳の時、寿退職をして別れて…そのまま幸せな結婚生活を送ると信じていた時代もあった。
けれど、あの日…悪霊に取り憑かれていたとは言え婚約者に首を絞められ、私は殺された。
何もかも、不幸な事故だった。
唯一幸運な事があるとするならば、未練を抱えて浮遊霊をしていた私を———十二歳の、その悪霊を追っていた譲君に拾って貰ったことぐらいだ。
「そういえば、桜哉君は友江一咲ちゃんと縁があるんだよね」
「正確には、あの女の曾祖母にな。俺はあいつの曾祖母が属していた劇団とライバル関係にあった劇団に属していたから」
「へぇ」
「まさか玄との間に子を授かっていたとは」
「曾祖父さんとも面識があるんだ。名前呼びしているあたり、親しいと見受ける…!」
「色々あってな。本当、玄が父親になれたなんてびっくりだよ」
「そこまで驚くことなの?」
「ああ。玄がそんな紫苑にベタ惚れだったのは関わりがそこまで深くない俺でも気がつくレベルだったから。あの鴇宮を射止められたのは「鴇宮の人格」を知らなければ、友人として喜ぶべきことだと思えるよ」
…相当、鴇宮さんのことを嫌っているらしい。
まあ、事情があったとは言え、彼女に対人恐怖症の原因を作られているようだから、あまり多くは言わないけれど。
「何よりも玄は身体が凄く弱かったから。下世話だと思うが、子供を作れる身体には見えなかったんだ」
「そこまで?譲君ぐらい?」
「たとえるなら、十一歳の譲がそのまま大人になった感じだ」
その話を聞くと、友江一咲ちゃんが産まれているのは割と奇跡に近い産物だったりするのかもしれないなぁ。
まあ、彼女の話はこれ以上やめておこう。
「でも、なんで玄が…」
「?」
「いや、なんでもない。いいか、水。俺は鴇宮の子孫を助ける真似はしない。それは宣言しておく」
「玄さんの、友達の子孫でも?」
「…」
返事をしてくれないまま、彼は先に進んでしまう。
困ったな。変な暴走はしないで貰えると助かるのだけれども…でもまあ、桜哉君だから大丈夫なはず。
なんだかんだで甘いところは、譲君にそっくりだから。
「水」
「なにかな?」
「頑張ろうな」
「うん」
「それから、未練解消は期待するな」
私たち幽霊は未練がなくなれば成仏ができる。
私の未練は、私を殺した悪霊を消し去ることだったから…いつでも成仏はできる。
譲君の未練解消は近いし、時雨ちゃんも伝えるべき事を伝えられたらいつでも成仏ができる。
問題は、彼だ。
「対人恐怖症の俺が真っ当な恋愛をして成仏なんて、無理な話だ」
「だよねぇ。いい人、そろそろ見つけたいところだよね」
「…」
「どうしたの?」
「…なんでもない」
不思議な反応をする彼と二人で一緒に、物語の世界に踏み入れる。
そして私たちは、彼女たちを見守るために、彼女たちのお伽噺の一ページを共に歩くことになる日はもう、そう遠くはない。




