7:青羽根の万年筆
気持ちをアリアに切り替えて、私たちは教会から宿屋の道のりを歩いて行く。
日差しがとてつもなく強い。直射日光を浴びているだけで気分が悪くなる。
「まさか、本当に具合が悪かったとは…」
「自覚していなかったの?」
「うん。暑さを自覚したら一気にだるくなった…」
ノワの具合が悪いのはおそらく出身地の影響だ。
確か、本の中でノワは出身国が違うことが語られていた。
正確な出身はオヴィロ帝国。
その最北端に存在する氷山エルターの山頂に存在する少数民族と言われていた。
寒さには強いが、暑さにはめっぽう弱いのも頷ける出身だ。
「ローブ、脱ぐ?」
「ううん。脱がない。その代わりローブのフードを頭に…」
「いいけど、逆に暑くない?」
「直射日光を浴びるよりはマシかな」
「わかった。きつかったらすぐに言ってね」
「んー…」
少しだけ背伸びをして、彼女の頭にフードをかけてあげる。
黒くて厚手のローブは少しだけ熱を帯びている。それでも直射日光を浴びるよりは多少はマシなのかもしれない。
けれど、流石にこれは熱中症の危険もある。
早めに宿屋へ連れて行かないと、ノワが倒れてしまう。
「教会が妙に涼しかった影響かな。エアコンとかないのに、どういう原理?」
「それこそ魔法よ。魔道具は知っている?」
「こっちのものは馴染みがないね。触れる機会がなかった」
つまり前世ではあるというわけか。それなら話は早い。
魔道具は前世でもここでも仕組みは同じ。
魔法陣を書き込むことで、魔力を持たない人でも魔法の力を扱えるようになるらしい。
私たちがよく使う魔道具と言えばランタンになるのだろうか。
本来ならば毎回蝋燭に火をつけないといけないそれは、着火部分に「火を灯す魔法陣」を書き込むことで、いつでも灯るランタンになる。
魔法陣の起動や停止も指先一つ。誰もが簡単に魔法が扱えるのだ。
「向こうと仕組みは同じよ。違う部分はない」
「ふむ。じゃあ作れるかな、冷却装置…」
「作れるの?」
「まあね。でも、魔法陣を書き込むものが小さいと魔法陣が上手く書き込めないんだよね。いい感じに持ち運べる冷却装置に心当たりはない?」
「そうね…スメイラワースにあるのも、エアコンほどの大きさだし…とてもじゃないけれど、持ち運びは難しいと思う」
「えぇ…」
「ローブ内を適温に保てるよう、ローブに何らかの魔法陣を書き込んだ方が早くないかしら?」
「洗えば落ちる…」
何度も書き込むとかだるくない?と言いたげな顔を私に向けてくる。
魔道具は便利だけれど決定的な弱点が一つ存在する。
魔道具にする道具に書き込む魔法陣。
それを描くために使用するインクは水に溶ける仕様上「水のある場所では使用できない」らしい。
「それに、布に書くのは適していないんだよ」
「書けるのに?」
「ペン先が引っかかって、超書きにくい」
「筆記具だけはこの世界基準なのね…。なんか魔法のスラスラ書けるペンとかがあるかと思った」
「そういう魔法の道具はないんだよ」
魔法で洗剤を出している気配があったし、筆記具も書きやすいように前世のものを出していると思っていたが…その点はきちんとこの世界に合わせているのだろうか。
「この世界の基準に会わせているの?」
「いや。前の世界基準だよ」
「え?」
「鈴海でも同様の製法なんだ。だから、昔からずっと師匠が与えてくれた万年筆を愛用しているね」
そう言ってノワが差し出してくれたのは青い軸の万年筆。
金色で縁取られ、クリップを始め、様々なところに羽があしらわれている。
「普通のペン型ではないのね」
「うん。なんなら、これが一番書きやすいんだよ。先端細くて、魔法陣の中に沢山魔法術式を書き込めるから」
「ああ…なるほど。でも、なんで椎名さんの贈答品なの?いいものだとは思うけど…貴方の趣味ではないわよね?」
「そうだけど…せっかくの機会だ。魔法使いに関する話を少ししようか」
「それは嬉しいけれど…体調的な意味で語って大丈夫?」
「話していたら、多少は気が紛れるからね。付き合ってよ」
「わかったわ」
能力者が住まう世界に生きていても、魔法使いというのは誰もが一度は憧れる存在だ。
お伽噺に出てくる存在。奇跡を起こして、お伽噺の主人公を導く存在に———。
残念ながら私は能力者だけど魔法使いではない。
魔法使いというのは前世でもそうだったが、この世界でも情報が多く出回っていない。
話して貰えるのは、嬉しい。
貴方の世界を知れるのは、嬉しい。
「魔法使いの師弟関係は、なかなか結ばれないものなんだ」
「どうして?」
「魔法使いの数だけ魔法が存在しているし、それぞれ得意なことが違う。誰かに教え請う前に、自分の道を探した方が上達が早いものなんだ」
「でも、椎名さんは少なくとも二人の弟子を取っているのよね?」
時雨さんは一咲ちゃんのことを二番弟子と呼んでいるし、一番弟子がいるはずだ。
「うん。一番弟子は野々原陽雪。結界魔法をはじめとした防御やサポートが得意な魔法使い」
「へぇ…じゃあ、貴方も含めて皆、その系統の魔法が得意なの?」
「ううん。師匠は攻撃魔法ばっかりだし、私はどれもバランスよく使えるけど、一番得意なのは回復と支援魔法なんだ」
「皆バラバラだけど、ちゃんと学べてる?」
「うん。師匠もちゃんとその系統の魔法は使えるからね。学べることは多いよ。ただ…」
「ただ?」
「魔法っていうのは万能だし、不可能はないと言われている。けれど使用者の精神状態とか心の持ちようで「使えない魔法」っていうのが存在するんだ」
「貴方も使えない魔法があるの?」
「少しはね。実のところお化けとかが嫌いだから、幽霊を使役する魔法はどうしても使えないよ…」
そういえば、一咲ちゃんはいつも夜になると震えて布団の中に入り込んでいたっけ。
それをする理由を話してはくれなかったから、一体何をしているのかと考えていたけれど、まさかお化けが怖かったとは…彼女の意外な一面をこんなところで知ることになるとは。
「他に例を出すと、陽雪さんは攻撃魔法の一切が使用できないんだ。陽雪さんは「誰も傷つけたくない」って心持ちみたいだから、当然と言えば当然だね」
「へぇ…じゃあ、椎名さんは?」
「あ、師匠の弱点知りたい?」
「ちょっと気になる」
鈴海一の魔法使い。そう呼ばれた魔法使いの弱点。
言ってしまえば、世界最高峰にいる魔法使いにも弱点がある。
凄く気になる。別に勝負を挑むとかそういうわけじゃないけれど…。
あの人にも、できない事ってなんだろう。そんな純粋な好奇心。
「師匠は浄化魔法が使えないんだよ」
「浄化魔法って?」
「まあ、呪いとかそういう類いのものを取り除く魔法。おかげで私は浄化魔法が使えないままここまで来てしまったよ」
「貴方にも使えないのね」
「見る機会がなかったからね。教えて貰えたら、使えるようにはなれるけど…この世界にいる聖女とか神官とかと比較したら、威力は弱いだろうね」
この世界にも悪魔が存在する影響で呪いという物は存在しているので、浄化魔法を覚えている存在は少なくはない。
けれど基本は教会関係者が覚えていることが多い。まさか威力も向こうが上だとは。
一咲ちゃんみたいな凄腕魔法使いが「上」と断言するのだから。
ミリアはどうなのだろうか。回復魔法は使えるようだから、魔法適性はあるようだが…。
今度、会えたら聞いてみようか。
「でも、なんで使えないの?」
「師匠曰く「僕の存在事態がこの世界にとっての呪いみたいなものだから、それを消し去る魔法が使えないのかも」とのことです。まあ、紅葉さんがいたし、不便に思っている気配はなかったね」
「…変なの」
「言えてるね。まあ、そんなこんなで、得意分野は分かれているし、使えない魔法もあるけれど、私たち二人は師匠にしっかり鍛えられたというわけです」
「うんうん」
「で、一応ですね…鈴海の魔法使いには弟子に杖や万年筆を贈る風習があるんですよ。万年筆は弟子入りの時に貰った」
「魔法陣を書いたり、覚えた魔法の記録に使う為?」
「そうそう」
まず弟子入り記念に師匠の魔力を込めた白金で作成した万年筆を贈られるらしい。
クリップ部分の羽は基礎カリキュラム修了記念。
詰め替えインクからコンバーターに変更して貰ったのが卒業記念。
最後に装飾と特製インクと専用の手帳を受け取って、一人前の弟子として認められるらしい。
「これは師匠に弟子入りしてからずっと大事にしたもので、本来なら私の家の仏壇に置かれていると思わしき代物。パーツ変更をしたのは、死後だけどね」
「…生々しい」
「そりゃあね。一緒に燃やせないし…ここに持ってこられた事が奇跡みたいなものさ」
物質に込められた思念が云々かんぬんと彼女は独り言を呟いた後、私にその万年筆を手渡す。
ついでにインク壺も手渡された。なぜ。
「インクと一緒に持っていてよ。魔法使いが握って魔力を込めない限り、それはただの筆記具だから。記録を取るのに便利。それに加えて、インクは無限に湧く」
「で、でも大事な物なんじゃ」
「私、細かい作業が苦手だから魔法陣とかできるだけ書きたくない」
「おぅ…」
「万年筆も持つ分には大事なものだけど、試験の時以外使わないし。てか使わなかったし」
「いい物なんだからもう少し使ってあげてよ…」
「うん。だから君に預ける。君は色々と記録を取っているし、万年筆だって最初は難しいだろうけど、君なら使いこなせるだろうから」
だから持っていて、と…押しつけられるそれを私はどうやら受け取らないといけないらしい。
まあ、持っていて損ではないし、持っておこうかな。
「じゃあ、少し借りるね」
「うん。壊れるまで沢山使ってあげてね」
「流石にそんなことはしないから!」
万年筆とインク壺を鞄の中にある貴重品袋の中に入れる。
「大事に使うから」
「うん。君なら大丈夫だって信じているよ」
「でも、万年筆まで贈られているんだね。貴方、一人前———」
「ううん。まだ一人前じゃない。師匠には認められていないよ」
「へ…?」
そこでノワ自身、限界が来たらしい。
それ以降の返事は魘された声しか帰ってこなかった。
宿屋に到着した私はふらふら状態のノワを支えつつ部屋の中に立ち入る。
少しだけ涼しいこの部屋でしばらく寝ていたら、彼女の体調も改善するだろう。
後は冷たい水と、軽い食事ぐらいだろうか。
水は宿屋で用意して貰うとして、食事は流石に買い出す必要がある。
彼女を寝かせたらもう一度街へ、市場に出てみよう。
そう心に決めながら、彼女をベッドへ横たわらせた。




