3:一枚目の壁画
「へえ。これ勇者伝説の一幕だったんだ」
「むしろなんだと思ってたの?」
「神話の類いかと」
言われてみれば、確かに…そういう絵に見えなくもないかな…。
勇者伝説を描いた壁画という前提知識がなければ、何かの神話の一幕と考えるのも無理はない。
「私、そういうのは全然なんだよ」
「学校では教えてくれなかったの?お父様たちが「義務教育」と言っていたのだけれど…」
「確かに授業自体はあったよ。でも、ただの読み聞かせ授業だから」
「つまりは、それをBGMとして聞き流し」
「の夢の中へとしゃれ込んでいたわけさ」
「…なんか想像つく」
教室の中。日当たりのいい場所でいびきをかいてエミリーを怒らせている彼女は想像に容易い。
…それは普通、あり得ないもののはずなのだけれど、彼女らしさを感じさせる不思議な光景だ。
「だろうね。それでいて、私は仕様上やっぱり記憶が抜け落ちる」
「…病気、治っていないの?」
「そういうわけじゃないんだ。魂の方にかわからないけど、名残が残っているだけ。大丈夫かどうかわからないけれど、想像しているものより酷くはないから」
「それならいいけれど…」
「けどこの性質がなぁ!前にみたいに病気だって割り切れているわけじゃないから…本当に複雑!」
一咲ちゃんもノワも忘れん坊らしい。声音からかなりの苦労をしているのを感じさせられる。
それもそうか。忘れん坊でなければ、今頃枷は解除されて、私に伝えたいことを伝えられるのだから。
忘れん坊なのを気にしている彼女からしたら、歯がゆい現状だと思う。
「まあ私の一身上の都合は置いておいて…アリアはなんでこれが勇者伝説の壁画だってわかったの?」
「この世界では馴染みのある壁画の一つだから…と、言ったところでピンとこないわよね」
「流石アリア。私のこと、理解しちゃってるね!」
「自慢げに言わない」
わかっていると言ったって、それは前世での話。
それでも私は友江一咲という女の子の全てを知るわけではない。
今までどう生きてきたとか、何を考えているのか…私が死んだ後の生活も、何もかも…彼女に聞くことはできていない。
———聞くのが、怖いから。
…そんな心の内なんて今はどうでもいいか。聞かれてもいないことだし。
今は壁画の話を彼女にしなければ。
「…ウェクリアで説明した女神の話、覚えている?」
「多少は。確か勇者に神託を与えたのは、シルフェリードっていう空の女神だったよね」
「ええ。その女神があの壁画に描かれているわ。ちなみにだけど、女神は九つの羽を持っていると言われているから」
「だからあの羽ね。羽の枚数で格が決まっていたり?」
「そうね。正確には別の理由で羽の枚数が決まっているのだけれど、それこそ神話の話だから、今回は省略しておくわ。」
「うっ、気になる引きをされた…」
「一気に詰め込みすぎると、頭がパンクしちゃうでしょう?」
「それもそうかも…」
「だから、今は必要なことだけ」
この世界の神々の羽は格を示しているわけではない。
その神が犯した罪の数が、重さが羽という指数になっているようだ。
これはお父様が保管していた「葬られた神話」に記述されていた話だ。一般的に周知されていることではないだろう。
されていたら、勇者という存在も女神という存在も、悪いものに受け取られていないとおかしい。
鳩燕先生…一咲ちゃんの曾お婆ちゃんはどういう意図でそんな設定を設けたのだろうか。
そこまでは、流石にわからないや。
「そういえば気になるんだけど、アリア的にはあの壁画はどう思うの?」
「どう、とは?」
「いやぁ、実際に神託を受けた訳じゃん?あんな感じだったの?」
あんな感じというのは、女神が目の前に現れて、神託と勇者としての力を、光を授けてくれる光景だろうか。
…あれは本当に理想としか言いようがない光景だ。
「現実的なことを言うと、いきなり全身が光り出したわ」
「…身体が発光したの?魔法とか関係なしに?」
「ええ。唐突にね」
「こう、後光的な?」
「いいえ、全身がピカーって」
「言葉のまま!?」
「…ええ」
あれは私が光を纏っていた訳ではない。私自身が発光していたらしい。
見ていた両親が、国から派遣された人にそう伝えていたから。
「ちなみに、不躾じゃなければお聞きしたいのですがー…ご両親の反応は?」
「両親は叫び声を上げて気絶したわ」
「だろうね。しかし、この壁画とは大違いなんだね。なんかキモいや」
「そうね。自分でも気持ち悪いなと思ったわ。あの壁画らしい「神聖なひととき」というものはどこにもなかったのだから」
「むしろギャグに片足どころか」
「全身突っ込んでるわよ。蛍光塗料でも浴びさせられたのかと思ったし…」
授かり方は、大衆が夢見た光景でも、神々しいものでもなく…ストレートに気持ち悪いなと思わせる光景だけれど。
「さて、話もここで切り上げて、そろそろ上がりましょうか」
「そうだね。もう十分浸かっていると思うし、これ以上はのぼせてしまいそうだ」
二人して湯船からあがり、持ってきていたタオルで軽く水気を拭ってから更衣室へと立ち入る。
それから素早く着替えを済ませ、外に出ようとすると…。
「ちょいまち、アリア。その状態で出て行くの?」
「もう準備は終えているわよ?問題ないと思うけれど」
「髪、まだ濡れているよ。こっちにおいで」
「へ?」
ノワに手を引かれ、後ろから抱き留められる。
そのまま彼女は水の滴る金糸を指で軽く触れながら、杖を笑顔で構えた。
その瞬間、杖の先端から風が吹き出した。
「わふううううううううううううううう!」
「風魔法。そよかぜ版。ドライヤー代わり」
「にゃんで〜!」
「夏乃先生からもよく言われていたでしょ?髪は濡れたままにするな。きちんと乾かせって」
なんでそんなどうでも良さそうな事だけ覚えているの!?
そんなことは忘れていてもいいと思うけれど!
「今は濡れたまま寝ちゃう訳じゃないけれど、そのままでいると風邪を引いちゃうから」
「うん…」
「髪が濡れたまま外を出歩くのは、貴族のトレンドだったりする?」
「そんなみっともないこと…あ」
「そう。身なりを整えなきゃ。みっともないって思われるよ」
髪がある程度乾いたことを、指先で触れながらノワは小さく笑う。
「それにアリアは勇者なんだから。外に出ても恥ずかしくないよう、いつでも格好いいようにしておかないと」
「そうね。勇者たるもの、それじゃあ恥ずかしいわね」
「うん」
「ありがとう、ノワ」
チョキ
「いいって、勇者パーティーの一員なんだ。アリアを支えるのも私の仕事さ」
チョキ、チョキ
「…さりげなく私の髪をバレない程度にはさみで切って、保存袋に入れているのは頂けないわね?」
「ありゃバレた?勇者の力って魔法で解明できるか気になってサンプリングをね」
「気になるのはわかるし、私としても調べられるものならいつでも材料は提供するから、せめて口頭で許可を取って貰わないと困る!というか怖い!」
「めんごめんご」
「…適当な謝り方。反省してなさそう。次やったら追放。絶対追放!意地でも追放!」
「うぇぇ!?」
少しだけ、ノワに感謝した自分を後悔したいぐらい。
けれど、本心をいうならば…。
ありがとう一咲ちゃん。少しは自分の振る舞いをきちんとしないといけないなって理解できたよ
でも、実験材料は許可を取ってから採取してね…?
言ってくれたら、これぐらい普通にあげるから…。
ふんわり乾いた髪を揺らした後、私たちは浴場を後にする。
それからしばらく過ごす宿をおさえ、食事を終えた後。
前回と同じように、教会へと向かっていった。




