22:愛した鳩と共に生きた燕
翌日
「…」
ぼんやりとした目で朝食のパンをちぎりつつ、一口大のそれを口に放り込む。
「もにょもにょ」
「…食べ方、みっともないわよ」
「だってこの食べ方が一番食べやすいし、馴染みがあるし、今更直せないって」
ふと、思い返す。
彼女だと認識したことで、この行動に理由を見つけることができる。
…病室でご飯を食べる時、一咲ちゃんはいつもこの食べ方だった。
常にベッドの上で過ごす生活だったし、忘れてしまう病に罹患していた彼女にとって無意識に出る「癖」というのは、忘れてしまった自分を知る手段。
癖を大事にする行動には、理解を示せるけれど…。
今はそうじゃない。ここはどこにでもありふれた食堂の中だ。
決して、病室の病床の上ではないのだ。
「追放」
「ぴしぃ…」
たった一言。それを告げれば、三角座りで朝食を食べていた彼女の姿勢はあっという間にまともなものになってくれた。
追放は便利なワードだけれど、こんな風に多様していいものなのだろうか…。
「やればできるじゃない」
「ごめんごめん。つい癖でさぁ」
癖でも、ノワとして暮らしているのならある程度は改善されるのではないだろうか。
ノワの父親は何をしていたのだろうか。マナーとか教えられない存在では、ないとは思うけれど…。
「貴方のお父様は、マナーを教えてくださらなかったの?」
「泣きながら教えていたよ?「ノワぁぁぁぁ…頼むから覚えてぇぇぇ…」って」
「…貴方が覚えなかっただけね」
「いやぁ。癖を優先しちゃって」
「…やっぱり追放かしら」
相手が一咲ちゃんだと分かっても、やることは変わりない。
本当は一緒にいたいけれど…これだけはちゃんとしなければならない役割なのだから。
自分の言い聞かせるように、目的を心の中で復唱する。
この旅は、私自身にとって楽しいものではある。
もう一度、一咲ちゃんと一緒にいられる時間だから。何よりも失いたくない私の幸福な時間。
けれど、これは…いつか必ず終わる旅路。
終わらせないといけない旅路なのだ。
しかし、この「追放」は一咲ちゃん側には不本意な代物。
彼女は私に追放されるのを拒んでいる。物語を始める為には、勇者パーティーからの追放が必要不可欠だというのに。
一咲ちゃんは誓約で話せないだけで、私が知らない何かを知っているのは確か。
もしかしたら、一咲ちゃんとこれからも一緒にいられる道を…私が死ななくていい未来を求めているのかな。
いや、そんなはずはない。
そうだったら嬉しい話だけれど、そんな美味い話が転がっているわけがない。
彼女も彼女で、鳩燕さんから物語を完結させる願いを託されている。
同様に「賢者ノワ」を始める役割があるのだから。
…彼女が何を考えているかわからないし、私に考えを伝えることも叶わない。
だから、今は「今まで通り」
彼女の目的が分かるまでは…私自身がやるべきだと思っていることを実行するだけだ。
「追放は辞めてよ。追放は。もういいってば」
「貴方を追放することが、全ての始まりだもの」
「…だから」
「貴方が目的を話せない今、私ができることは、私が正しいと思うことを実行するだけだから」
「…そっか。そうなるよね」
「うん。だから、受け入れてほしい」
「仕方ないね」
一応、今後の行動を表明しておく。
礼儀だと、思うから。
勿論、自分の本心を伝えるこの行為も…私は今の一咲ちゃんにできる礼儀だと思っている。
「…一応、言っておくとね」
「うん」
「私としては、始まらない方が都合良くなってしまった」
「…悔しいねぇ。今すぐにでも全てを話せたらいいのにって思うぐらい、悔しい」
「…パスコードのメモを忘れるから。なんで肝心な事をメモに取るのを忘れてるの?」
「それは言えているね…」
「もう、しないで。全部書き留めて、忘れないで」
「…うん」
「で、パスコードのヒントは分かっているんでしょう?早く教えて貰えると、私としては嬉しいんだけど」
「それは…恥ずかしい」
「恥ずかしいって」
「…違ったら、恥ずかしい」
…一咲ちゃんはパスコードのヒントを知っている。それは間違いはない。
ただ、彼女の記憶に信憑性が薄いのかな。
一咲ちゃんの病気や、パスコードの記録忘れから考えるに、彼女の症状はまだ残っている可能性が高い。
ただ単純に忘れっぽいだけの可能性も否定はしないが…とにかく、一咲ちゃんはパスコードのヒントもうろ覚えという前提で考えておこう。
「わかった。それから、パスコードを間違えるとどうなる?」
「パスコードの入力が不可になる。もう一つの条件…第三章を無事に超えないと誓約は果たされないから…」
「そこで死ぬ私に事情を話せなくなる。つまり、その前に貴方から詳しい事情を教えて貰うには…一回きりのチャンスをものにする必要がある。その認識で間違いは無い?」
「うん。間違いは無いよ」
「…なんでそんな大事な代物のメモを取り忘れるの?」
「あは…あはは…あはははは…」
「笑って誤魔化さない」
「本当にうっかりなんだ。わざと忘れたとかではないから…」
困ったように笑いながら、ノワは首元に触れる。
結構彼女の核心に触れるような話をしていた。誓約の枷に反応が出ているのだろうか。
大丈夫か不安げに見ていたら、その不安が彼女に伝わったのだろう。
首元から手を離しつつ、大丈夫だと言うように笑ってくれた。
「ところで、君は何も聞いていないの?私と君が何をすべきかって」
「聞こうとしたけれど、開示できない情報だって言われた。身内だったらって話していたけれど…知っていると言うことは」
「ああ。私も死んでから気づいたんだけどね、私の身内に鳩燕がいたんだ」
勢いよく机から立ち上がる程度には、驚くべき情報が投下された。
まさか、身内だなんて。世間は狭いものだ。
「でも、よくわからないんだよね」
「どうして?身内なのに、会ったことはないの?」
「私自身が覚えていないっていうのもあるけれど、多分、物心ついた後に、鳩燕と一度も会ったことがないんだ」
「遠い親戚か何かってこと?」
「前提として、私には叔父とか叔母とか、従兄弟とかそういう存在がいないの。全員が一人っ子。「この情報は必要だから」って記憶を定着させて貰った」
「どうしてそんなことを」
「私、生前って言うか死因になった病気が「記憶欠落症」だったんだよ。今も残滓程度に残っていて、忘れてしまうことが多いから…忘れたらいけなくても忘れてしまいそうな重要なことを忘れないようにして貰ったんだ」
記憶欠落賞…確か、鈴海で確認されている魔法使い特有の病だ。
よくて三日。悪くて数十秒で記憶が抜け落ち、最終的には生命維持の記憶を失い、死に至る病だ。
勿論、現代の医療技術で回復は見込めない。
「入院していたのもそういう理由だよ。君と同じ終末病棟にいたのも、そういうこと」
「…やっぱり、なんだ」
「うん。範囲は狭いし、女で、君を知っていて、魔法使い。気づいてくれて嬉しいよ」
ノワ自身から答えが明確に提示をされる。
彼女は間違いなく、一咲ちゃんだ。
「けれど、まだ名前は呼ばないで欲しい。誓約の関係なんだ。わかってほしい」
「…うん」
「それで、話を戻すけど…私の家系って皆一人っ子なんだよ」
「じゃあ、お母さんとかお父さんが「鳩燕」先生じゃないの?」
「両親はなんていうかさぁ…師匠から聞いた話になるんだけどね、両親は能力とか魔法を研究する人なんだ。両方、鈴海の能力研究所に所属しているよ」
「忙しそうとは思っていたけれど、立派なお仕事をしていたんだね」
「うん。私の印象としては厳しくてもちゃんと優しい人。でも家にある本は学術系の物しかなくて…お父さんもお母さんも「子供には大衆向けの小説を読ませるより、魔法関係の論文を読ませたい。鈴海では数少ない魔法使いの才能があるのなら尚更」とか言うようなトンチキ研究者なんだ」
「えぇ…」
「とてもじゃないけれど…「賢者ノワ」を書きそうな人たちとは思えないかな」
「じゃあ、お婆さんとお爺さん?」
「お婆ちゃんはないかな。活字苦手な人みたいだから。でもね」
「でも?」
「うちのお母さんに「賢者ノワ」を預けていたのは、お爺ちゃんなんだ。必ず必要になるからってね」
じゃあお爺ちゃんが、鳩燕…?
とてもじゃないけれど、あれは十代がターゲットの小説だ。
お爺ちゃんといえるような人が書いているのはなにか、その、イメージが…。
でも、そうなんだよね。一咲ちゃんのお爺さんが…。
「そうだったんだ。じゃあお爺さんが」
「違う違う。鳩燕はお爺ちゃんじゃないんだ」
一咲ちゃんの言い方から察するに、既に鳩燕の正体には辿り着いているらしい。
けれど、よくわからないって言ったばかりだよね。
「お爺ちゃんの名前。鳩波志郎って言うんだよね」
「鳩」
「そう。鳩。偶然とは言いがたい符号。そしてね、その近くに燕もいたんだ」
「じゃあ」
「曾祖母まで行くと、答えが提示された。曾お爺ちゃんの名前が鳩波玄。この人は病気で若くして亡くなったらしくてね、曾お婆ちゃんと一緒にお爺ちゃんを育てた人はまた別にいたんだ」
「その人が、燕?」
「いかにも。燕河蒼時。戦前は雑誌の編集記者で、戦後は文芸社の小説部門で編集をしていたって。で、その相方が曾お婆ちゃんだった」
一咲ちゃんの身内の中で、作家だった人はただ一人。
じゃあ、答えは…。
「答えはうちの曾お婆ちゃん…鳩波紫苑だったんだよ。驚いたよね。まさかこの世界が、百歳を超えたお婆ちゃんが書いているなんて誰も思わないじゃん」
祖父母のどちらかが鳩燕でもイメージが違うのに、さらに上を提示されるとは思っていなかった。
それに、私たちが触れていた時点で百歳を超えていたなんて…。
「凄いね、鳩燕さん…」
「うん。別名義だったけど、他にも子供が一度は読むような児童書まで執筆していた元戯曲作家。今風に言うなら、舞台脚本家になるのかな。得意ジャンルは冒険劇。この世界は彼女の十八番なんだよ」
とにかく、鳩燕さん…鳩波さんが親類の中にいたから、一咲ちゃんは私には提示されなかった「身内しか公開できない情報」を持っている。
そして、それを話せないように誓約で枷をつけられていると考えるべきかな。
「でも、それは話して大丈夫なの?」
「大丈夫。枷は反応してないし」
「それで判別するのはちょっと…罰とかあるんでしょう?」
「あれ手動。魔法って色々できるのに手動。ウケるよね?」
「全然笑えないよ。だって、罰が下るってことは貴方が痛い思いをしてるってことなんだから…」
「心配してくれてありがとう。でもね、これで師匠を呼び出せるから。便利だよ。師匠お人好しだから頼めば大体の我が儘は聞いてくれるし」
「そういう使い方はどうかと思う」
けれど、枷を通じて椎名さんはこの世界に干渉できる。
彼にはまだ聞きたいことがある。
私が持ってきた「この力」を含めて。
いつか枷を頼らない方法で会えたらいいのだけれど、流石に難しいよね。
「さて、そろそろ「ノワとアリア」として物語に戻ろう」
「そうだね。昨日の事後処理もあるけれど、その前に一ついい?」
「どうぞ」
「貴方は、何巻の内容まで知っているの?」
「最終巻の一つ前だから、八巻」
「そん、なに」
私が生きていた時には三巻。よくて四巻が発売されたぐらいだろう。
つまり、一咲ちゃんは私がいなくなった後も頑張って友江一咲としての一生を送っていたらしい。
「実は、申し訳ない話がありまして」
「な、なに…」
「私達が生きている間に、八巻まで出ていました」
「…続きがないって」
「元々、三巻まで出版社からお爺ちゃん宛に送られていたものを、お爺ちゃんが我が家へ郵送してくれていたんだ。今まで読んでいたあれはお爺ちゃんが郵送してくれた代物」
「うん」
「けれど、四巻以降の郵送はお爺ちゃんが入院して途切れちゃったんだ。あの時点で、私達は続きがあることを知らなかった。けれど、続きがある終わり方だったから…」
「貴方は、お母さんに続きを探してくるように頼んだ」
「ダメ元だったけどね…でも、まさか七巻まで出ているとは思わなくて…もう少し早く気づきたかったよ」
物語はあれで終わりでは無かった。
私が死んで、ノワが大号泣して終わったあの三巻から…ノワはまた歩き出してくれる。
よかった。彼女はまだ先に進める。
そのことが分かっただけでも、安心ができた。
「私が生きている間も、一冊だけ刊行したんだ。それが八巻。私が一番好きな巻。記憶に残る最後の話だからかもしれないけれどね」
「どんな話なの?」
「ノワが魔王直属部隊の隊長をしているベアリアルと戦う話。ベアリアルは姑息な手段を好まず、勝負事には正々堂々としている悪魔なんだ。見ていて気分がいい清々しい真剣勝負だったから…とても面白かったよ」
一咲ちゃんが嬉しそうに語るものだから、ついつい聞き入ってしまう。
こうして物語の話をしたのは、生前になる。久々の時間が楽しくて…肝心な事を聞き流してしまっているが。
「じゃあ、続きは…まだあるんだね」
「うん。ちなみに私達が知らないだけで、八巻以降もちゃんと続きがある。刊行はされていないだろうけど」
「どうしてわかるの?」
「八巻時点で、鳩燕の逝去が発表された。最終巻に相当する九巻は序盤の原稿だけ完成しているけれど、続きの構想メモも書きかけで最後がどうなるかも分からないまま…」
「…そう、なんだ」
「でも大丈夫。ここで必要なのは三巻までの知識だ。その先が分からずともどうにかなるよ」
そういったあと、気持ちを切り替えるように彼女はスープを一気に流し込んだ。
これ以上は「一咲」として話すつもりはないらしい。
それなら私もこれ以上は「永羽」として話すことはない。
ここから先はアリアとして、ノワとして振る舞わないといけない。
「さて、アリア。今日は何をしようか」
「…引き起こした事態の事後処理ね。それから、神父の動機。なぜあんなことをしたのか、知っておく必要があると思うの」
「だね。金に目が眩んだだけにしては、随分面倒が多い犯行だったし。真相は知っておくべきだ」
「ありがとう。じゃあ、準備を整えてから教会に行ってみましょう」
「了解」
朝食の食器を片付け、宿屋に戻って身支度を調える。
変化を終えた夜は通り過ぎ、眩しすぎる朝日を浴びながら、私たちの一日は始まっていった。