20:穏やかな心音と共に
目が覚めると、頭が凄く柔らかかった。
宿の枕はこんなに柔らかな物だっただろうか。
いいや、どちらかと言えば固かった。
家の枕?いや、それもここまで柔らかくはなかった。
この世にこんなに柔らかな感触を持つ枕なんてあっただろうか。
こんなにも柔らかくて、暖かくて、ふわふわで、むにむにで、心音が聞こえるような。
「…」
恐る恐る、二つの山を作る枕に手を伸ばす。
それを思いっきり掴むと、その持ち主に反応があった。
「ひゃうっ!?」
「お、おぱ!おぱぱぱぱぱ!?」
「何その鳴き声」
「おぱぁ!」
「驚きすぎて語彙力がなくなっているよ、アリア…」
「おぱっ!」
何度も確認するように、彼女の胸を揉む。
こんなに柔らかい感触があるの?毎日触れるの?
なにこれほしい!
「そんなに好きなら、あまり強く掴まないで貰えると…優しく扱いなさいってお母さんも言っていたでしょう?」
「さりげなく私の胸に手を伸ばさないでくれるかしら」
「先に胸を揉んだのはアリアだよ。私だけお預けなんて、不平等だと思うな…」
ノワの手が私の胸に伸びてくる。
さわさわと探るように触れるそれは、私の胸に触れた瞬間。
何かを探すように強めにあてがわれた。
「え、え…?アリア今十五歳だよね?」
「そうだけど、何が言いたいのかしら」
「かなりまな板だよ。これ!むしろ壁!」
「うるさいわね!」
頭に一発入れると、ノワの頭に小さなこぶが出てくる。
「いてて…とてもじゃないけれど、十五歳の女の子がしていい体つきじゃないと思う」
「成長には個人差があるのよ。今から貴方みたいに大きくなるかもしれないわ…!」
「いや、ここまで大きくなると苦労するよ。人の視線とか、肩こりとか、なんかもう色々嫌になる」
「なに自慢?」
「無い者には自慢に聞こえると思うけど、私からしたらそっちが欲しいぐらい。今度さ、一週間ぐらい意識交換魔法で互いに入れ替わってみようよ。私の苦労は知るべき」
「変なことしそうだから絶対にしないわよ…」
「それは残念」
本当に残念そうにしているあたり、入れ替わりたいのは本当のようだ。
その目的がどうなのかはわからないけれど。
「まあ、貴方が苦労をしているのは理解しておくから。あのローブもそういう理由?」
「あ、気がついていた?」
「嫌でも気がつくわよ。あんなぶかぶかのローブ。手も出ていないような服なんだから」
食事をするとき、手を上手く出せずに汚さないだろうかとか。
どこかに引っかかったりしないだろうかとか。
気になる部分が多すぎるのだ。
「私としてはきちんと体格にあったローブを着たいけれど、それだと「ここ」が目立つから」
「視線を逸らしたい。その為だけに、あの不便そうな服を着ているの?」
「うん。それほどまでに嫌なんだよ。周囲から変な目で見られるのはね」
「大変なのね」
「そうそう。あ、アリアは変な目で見ていいよ」
「許可されても見ないわよ」
なんだか、少しこの茶番に安心している自分がいる。
短い間だったし、不信感を抱くことの方が多かったけれど、彼女との会話は割と日常的なものになっていたようだ。
それに、昨日は慌ただしくて、普段の日常とはかけ離れていたから。
「そういえば、昨日は」
「ああ、色々あったけれど問題なく解決しているよ。アリアは神父を倒した後、疲れて倒れちゃったんだ」
「…倒したということは」
「ストレートに言っていいのなら、君は神父を殺した」
「っ…」
「仕方のないことだよ。あいつは討つべき悪だった。理由はそれだけで十分さ」
「でも、私は」
人を殺した。その事実はやはり胸にのしかかる。
覚えていない分、尚更だ。
「気に病むなとは言わないけれど、こんなことでいちいち落ち込んでいたら旅は続けられない。世界を救うためなんだ。これからも命の奪い合いは絶対に起こる」
「…」
「それでも嫌だというのなら、私が君の前に立ち塞がる敵の命を全て奪い尽くそう」
「それじゃあ私は、貴方だけに殺しの業を背負わせることになるじゃない」
「うん。君が望むなら私はその業を背負うよ。生きるための殺しだ。私はなんとも思わないし、やらなきゃ死ぬのはこっちだからね」
一瞬、冷えた空気が周囲を包んだ気がした。
その凍てついた空気はどこかで感じたことがある。
それは体だけでなく、心でもなんとなく覚えていて、一瞬で嫌悪感を示してしまう。
ノワが生み出す冷気は…味わいたくはない。
彼女が冷気を出したことなんて一度もないはずなのに、不思議な感覚だ。
「…確かに生きるために必要なことね。でも、貴方に一人には背負わせないわよ。私は勇者。世界を救う大義があるのだもの。その道を阻む者はきちんと切るわ」
「その時が来たら、また誰かの首に聖剣を向けられるかい?」
「それはまだ、わからない」
できれば殺したくない。
甘いことを言っている自覚はあるけれど、いきなり今までの認識は変えられない。
誰かを殺して成り立つ世界で生きていた訳ではないのだ。
誰かの言葉を借りるのなら、私は今まで普通の女の子だった。
こんな世界に唐突に放り込まれて、聖剣を渡されて「じゃあ今から命の奪い合いをしてきてください」と言われても、できるわけがない。
「慣れたくはないし、できる限り命は奪いたくない。それでも命を奪わないといけない状況になったら…きちんと覚悟を決めるつもりではいるわ」
それが今、私に出せる最適解と言っていいだろう。
ノワも思うところはあるようだが、納得はしてくれたようでこれ以上この話を広げることはなかった。
「あのさ、アリア」
「まだ何か?」
「そういえば、伝えるのを忘れていたなって思ってさ」
私を抱きしめていたらしいノワの腕に、力が込められる。
さらに彼女の胸に顔を押しつけられ、少しだけ呼吸が苦しくなる。
「ちょっ、なにを」
「昨日の君は戦いの後、意識を失ったんだ」
「え」
「昨日は大丈夫か心配で、回復魔法をかけ続けていた」
「そう、なの」
「…元気になってよかったよ、アリア」
一晩、回復魔法をかけ続けるなんて大変だっただろう。
寝落ちするまで、かけてくれていたのかな。
「…ありがとう。貴方だって、疲れていただろうに」
「いいんだよ。これぐらい。だって私は君のパーティーに属する仲間なんだから」
安心する声音で「まだ疲れているのなら眠るといい。今日はゆっくりしよう」と声をかけてくる。
本当は起きないといけないとわかっているのに。
体に残る疲労が、眠気が「もう少し」と私に訴えかけてくるのだ。
「じゃあ、少しだけ」
「うん」
胸に顔を埋め、ノワの小さな心音を聞きながら、再び眠りの世界へ誘われる。
夢は見なかったけれど、実家にいたときよりも快眠できたことは、誰にも言うつもりはない。