6:賑やかで騒がしい「あり得ない食事」
息を整え、落ち着きを取り戻した後。
私達は宿の隣にある食堂で晩御飯を頂いていた。
大衆向けの食堂というのは私としては初体験。
野宿も何もかも前世を含めて初めてなのだ。
ノワが席までエスコートをしてくれ、注文までこなしてくれる。
注文する品は事前に相談をしている。
路銀を節約するために、できるだけ安くて、腹を満足に満たせるものを選んで貰った。
食事が来るまで、時間が少し空くらしい。
店員さんが去って二人きり。周囲の声を背に、私はやっと食堂の中をのんびり眺めることができるようになった。
「わぁ…」
「どうしたのアリア。キョロキョロして。それじゃあまるでお上りさんだ」
「べ、別になんでもないわよ。それになによお上りさんって」
「都会に出てきた田舎者のことさ」
「私の家は農耕都市にあるわ。王都からもかなり離れている田舎だから「お上りさん」というのは、間違っていないわよ」
「間違っていないのならいいけどさぁ…」
「…なによ。何か言いたいことがあるのならはっきり言いなさい」
「もしかしなくても、こういう大衆食堂って初めて?」
「…」
「答えてほしいなぁ?はっきり言った報酬が欲しいなぁ…?」
「…初めてよ」
「お嬢様だし、仕方ないのかもねぇ」
お嬢様、と言われて二重の意味で反応をしてしまう。
アリアと永羽の意識が、その言葉に反応してしまうのだ。
前世の私も自覚はないけれど、魔法使いさんの話だとそれなりに裕福な家の娘だったみたいだし…。
今だって、貴族…確か侯爵家の娘。
そして両方とも、地域や国の行政に関わる家をしている。
「こういう一般市民向けの食堂に訪れる機会なんて、一度もなかったもの…。仕方ないのよ」
「じゃあさ、じゃあさ。アリアは向かいのドレスコードがあるようなレストランの方が…」
「そうね。テーブルマナーを求められるような場所ね」
「げぇ…ご飯ぐらい自由に食べたくない?」
「別に。それさえ守れば後は変わらないわよ?」
「普通の人はテーブルマナーを徹底してやるわけじゃないから…作法に集中して味を楽しめないんだよなぁ」
「覚えたら楽しめるわよ?貴方も覚えたら?」
「三日で忘れる自身があるね」
「もう少し覚えておきなさいよ。あ、ノワ。食事が来たわよ」
「おうおう。お待ちかねの晩餐だぁ」
安い時点で察してはいたが…食事は結構簡素。
目の前に置かれたのは少しだけ堅いパンに、具が少ないシチューと野菜が少々。
貴族のアリアとしては物足りない食事だけれど、永羽としては「食べられれば味はどうでもいい」感覚。
…病院食は全然味がないし、なんなら私のご飯は点滴みたいなものだった。
記憶を取り戻してから私はずっと、食事を楽しみにしている。
食べられない時間を知っているから。
咀嚼して何かを食べることが楽しいと、心から思えている。
「いただきます」
「いただきます」
パンを手づかみ。固いパンを力任せに一口大にちぎり、シチューに沈めて程よい固さにして咀嚼する。
…周囲の食べ方を真似てみたけれど、意外といい感じ。
確かにこれならそのまま食べるより美味しく食べれそう。
「ねえ、アリア」
「何かしら」
「シチューにパンをつける行為って、マナー違反とか言わないの?」
「そうね。公式ならマナー違反よ。けれどここで貴方は「お硬いレストラン」で求められるようなマナーを求められると思う?」
「求められないね」
「そう。求められないわ。郷に入っては郷に従え。ここで過ごす人たちが「こうして食べたほうが美味しい」と思える食べ方なのは、貴方も見てわかるでしょう?美味しく食べられるならそれに倣うべきよ」
「そうだね。でも驚いた。貴族令嬢のアリアが自らマナー違反をするだなんて。ご両親が見たら驚くんじゃない?」
「驚かないと思うわよ。私の両親、こういうの大好きだから」
パンを小皿に置いて、食事を一時中断。
思い返すのは今のお父さんとお母さんのこと。
二人は学者をしている。それぞれ民俗学と地理学。
新しいものが大好き。出かけるのが大好き。
それ以上に娘が大好きな二人は、幼い私を連れて色々なところへ連れて行ってくれた。
そんな二人も一応は貴族。
この食べ方を二人の前で行えば、貴族としてのマナーは問われるだろう。
けれど、きっと笑って許してくれると思うのだ。
私に甘いからとか、そういうことではない。
新しいことに触れることは悪いことではないと。自分が知らない誰かの生活を知るのは大切な事だと…そう言ってくれる気がするのだ。
「そっか。アリアはご両親のこと大好き?」
「大好きよ。愛しているわ」
「もう一回、囁くように」
「今日、貴方だけ野宿に変更されたくなければ今のうちに前言撤回をしておきなさい」
「それは勘弁。前言撤回で」
「賢明な判断でよろしい。しかしねぇ…ふざけるのも大概にしておきなさいよ」
「それは忠告?」
「そうね。忠告よ。これ以上ふざけた真似をするのなら、貴方がいかに優秀な人材であろうとも、容赦なく追放してあげるわ」
「まだそれ言ってるの?」
「貴方が出ていくまで何度でも」
「そりゃないよ」
「手始めに…その食べ方をやめなさい」
ちなみにだが、今のノワは椅子の上で三角座りをしている状態だ。
その状態でパンをまるかじり。
時々シチュー皿に直接口をつけて、飲み物のようにそれを口に流す。
とてもじゃないが、マナー云々の前にみっともないのだ。
「ここではマナーは求められないはず」
「最低限のものは求められるに決まっているでしょう?」
「それに、私の食べ方のどこが悪いと」
「全部よ」
「…パンのまるかじりは?」
「百歩譲ってセーフにしてあげるから、とりあえず足を床につけなさい…」
「はーい」
返事だけはちゃんとしている。けれど直す気配はない。
ここは公共の場だ。昼間のノワのように大衆の視線を集める真似なんて、私はしたくはない。
「…」
「なに?え、隣に移動してきてなんなの?え、アリア顔近いって」
「じー…」
「な、なんで直視するの?うわ、めっちゃ肌がきめ細かい。可愛い…」
「じぃー…」
「ど、どうしたのアリア。そんなに顔を見られると、照れるというか」
「貴方…」
「う、うん」
「耳、聞こえていないわけではないわよね?」
「聞こえてるけど!?」
「だって、いつまで経っても足を直そうとしないから…。耳が聞こえていないのかと思ったの」
「…」
ノワは若干落ち込みつつ、やっと床へ足をつけてくれる
「やればできるじゃない」
「…私、今アリアに何だと思われてる?」
「手のかかる子」
「なぁ…」
「事実でしょう?賢者としての役割をこなす前に、一般常識から身につけてもらえないかしら」
「断る」
「なぜ!?」
「どうせ覚えても、三日で忘れるからさ」
「貴方どうやって首席卒業したのよ…」
「カンニング」
「不正で完成した賢者だったの!?」
「師匠が、大義の為ならカンニングは行うべきだって。それがバレないようにする妨害工作も忘れずに…」
「本当に貴方の師匠は頭のネジが飛んでいるわね。で、何?貴方の大義って?そこまでして何がしたいの?」
「まずは勇者パーティーに所属する…かな?」
「…なによそれ。他にもあるってこと」
「あるよ」
今度は彼女が顔を近づける番。
整った顔にかかる黒の線。
そんな細い髪から覗く鋭い目は、どこか「奥」を見られているような気がして、視線をそらしたくなるが…。
「目をそらさないで」
「あぅ…」
「私の大義は、君を救うこと」
「へ…」
「私は大義の為なら何だってする。先にそれだけは宣言しておく。君のその戯言は私の耳にも心にも届くことはない」
「…どういうことよ。なんで、私達。あの日が初対面で」
「まだ詳しくは話せない。けれど私は「君」のことを知っているよ。アリア」
ノワは先に立ち上がり、私の分と自分の分の食器を片手に席を離れる。
「あ、今日は帰らないよ。私にはやることが増えた。魔力操作の話はまた今度ね」
「…それも、大義のため?」
「さあ、どうだろうね」
そう告げた彼女は、フラフラと距離を取り…先に食堂を後にする。
私はその場で呆然と、彼女の後ろ姿を眺めることしかできなかった。