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1-1 

 魔法陣の記号には意味があるの、そう母は言った。

「これが炎、それを逆さにして水、水のシンボルに横線を引いて土、さらにそれを反して風」

 そう言いながら、彼女は魔法陣から目を離さずにクレヨンで一切の淀みなく記号を書き足していく。母の肩の後ろから、アルジエルは魔法陣を目に焼き付けるように見つめていた。

 1時間前、今日こそは一人で魔法陣を組み上げよう、そう息巻いてアルジエルは物置小屋と化していた()()()に籠った。教本を見ながら大きな紙に円と記号を描き上げる。これでよし。教本通りに出来上がった魔法陣を眺め、アルジエルは満足そうにうなずく。しかし、いざ魔法陣に魔力を込めても、うんともすんとも言わなかった。

 クレヨンだからだめなのか、いや前は母もクレヨンで描いている。では記号が間違っているのか、教本と見比べてみても違いはない。それから何度も試行錯誤を繰り返すが、1時間もしないうちにアルジエルは母の書斎を訪れていた。

 母・ロマーヌ・プリエは魔術の盛んなフロンクの国でも指折りの魔術師だった。国内最高峰との呼び声高い王立魔術学院を主席で卒業し、現在は大学で教鞭を取りながら近代魔術を研究している。そんな彼女にとって、6歳児が描く魔法陣の手直しなど造作もない。今日は休日ということもあり読書に勤しんでいたが、一人娘の泣きべそに微笑みで返してくれた。


「これで完成よ」

 古代ルーン語で精霊は我らとともにありの言葉を書き終え、母は手を払って立ち上がる。

「アルの魔法陣は、このシンボルの位置が間違っていたのよ。これではうまくいかないわね」

「え、うわあ、ほんとだ。はあ、」

 アルジエルは自分の手にあるもう一枚の紙と見比べて、やっと違いに気づいた。

 この紙切れは、つい先刻アルジエルが描き上げた魔法陣だ。ただ残念なことに、魔法が発動しないので魔法陣とは呼べない、ただの落書きの描かれた紙切れである。

 まだまだ母のような魔術師になるのは程遠いなと、しみじみ思う。

「でも偉いわよ、ちゃんと魔法陣の意味を理解して描いてるのが分かるわ」

 母に優しく言われ、沈んていた心がパッと明るくなった。

「そうでしょ。ちゃんと勉強したんだから」

「じゃあ、何で魔法を発動させるのに魔法陣を描く必要があるのかな?」

 母はいたずらっ子のような笑みをアルジエルに向けた。試されている、そう思うと、急に背中に力が入る。しかし、アルジエルは慌てない。一呼吸置いて、冷静に答える。

「魔法の発動には必ずしも魔法陣は必要ない」

 そう断言するが、母の表情は変わらない。まだ不十分だ。今までに何度も読み返して暗記した魔術教本を思い出し、答えを続ける。

「魔法陣は魔術黎明期に発明されたもので、魔力を流すだけで魔術を使えるようにしたもの。現代魔術では魔法陣は使わなくても魔術が使えるけれど、魔法陣を描くことで術式の発動原理を学ぶことができるため、現代でも魔法陣が利用される」

 よくできました、と母は優しく微笑んでアルジエルの頭をそっとなでる。

「3,000年前、人が魔術を使うようになってすぐの頃はまだ魔力の調整が難しい時代だった。そこで、ただ魔力を流すだけの魔法陣が重宝されていたわ。それから」

「それから呪文を唱える詠唱魔術が発達したのが500年前。これが近代魔術の特徴で、現代では複雑な魔術も解析されて詠唱が短縮されているのよね」

 母の台詞を奪って言うと、また母は優しく微笑んだ。髪の毛をくしゃくしゃと撫でられて、きれいなストレートヘアが台無しだ。

「さあ、まだ魔法陣を描いただけよ。魔術は発動させないと意味がないわ」

 小さく頷き、アルジエルは魔法陣の前に座る。母は魔法陣の中心にコインを置き、娘の邪魔にならないよう後ろに下がった。

 大きく息を吸って、吐く。いつものルーティンをして、指先に魔力を集中させる。魔法陣に触れると、わずかに魔法陣が明かりを放つ。よし、発動する。さらに魔力を流すと、明かりも増していく。でも、まだ足りない。腹にも足にも力を入れ、全神経を指先に集中させていく。

 すると、中央のコインがカタカタと音を立て始める。小刻みに揺れ、だんだんと大きく跳ねる。

 そして、浮いた。

 重力から解放されたコインはふらふらと宙を昇り続ける。アルジエルの目の高さで上昇は止まったが、ゆっくりと回転を続けている。

 美しい、まるでダンスのよう、とアルジエルは素直にそう思った。

 もっと見たい、浮かせたい、高く上げたい。そう思ってさらに魔力を込めるが、限界だった。ふっと魔法陣の明かりが消え、コインは地面に叩きつけられる。アルジエルも息が上がっており、汗が滝のように首筋を伝っていく。集中していて気が付かなかったが、どうやら魔力を使い過ぎたらしい。

「お疲れ様。上出来よ」

 背中を撫でながら微笑んでくれる母の方へ振り返るが、かすれた声しか出てこないのが恥ずかしい。とにかく笑顔で頷いているが、きっと気持ちは伝わっているだろう。

「本当に、よくできたわ。さすが私の子ね」

 アルジエルは誇らしげに笑みを浮かべたが、それが精いっぱいだった。全身の力が抜ける。居眠りに近い甘美な感覚に逆らえず、アルジエルは瞼を閉じた。


「やっぱりあなたは私の子ね」

 夢の中で、母の言葉がよみがえってくる。「母」とは言っても、今日魔術を教えてくれたロマーヌじゃない。実母だ

 ロマーヌのことを「母」と呼んでいるが、実のところロマーヌとの間に血のつながりはない。

 アルジエルは王都の郊外にわずかな領地を持つ底辺貴族の両親の元に生まれ、そして間もなく家が没落した。父が悪あがきで色々と商売事に手を出したがどれも失敗に終わったことで多額の負債を抱え、食器や本を家ごと売り払ってもまだ借金が残ってしまったという。世界的に長く続く寒冷化によって税収を得られず爵位を手放す貴族は、この時代は少なくなかったらしい。

 しかし、困ったのが生後間もないアルジエルのことだ。このままでは不自由な暮らしどころか、不幸な末路を辿る可能性もある。娘にそんな未来を強いるくらいならと、まだ幼かったアルジエルは養子に出されたのだ。そんな彼女を引き取ったのが、遠い親戚のロマーヌ・プリエだった。子供は育ててみたい、しかし男と縁を持ちたくない。そんな彼女にとって、遠縁を辿ってきた両親の話はまさに僥倖だったそうだ。

 それ以来、アルジエルはずっと、ロマーヌをお母さんと呼んで育ってきた。

 その事実を知ったのが一昨年の夏、実の両親がプリエ家を訪ねてきた時のことだった。借金の返済の目途が立ったからもし赦してくれるなら戻ってきてほしいと言ってきたのだ。義母のロマーヌはこの展開を知っていたのか、何も言わずにただ座っていた。もうすぐ6歳になるなら自分で決めろ、そういうことだろう。あるいは、諦めていたのかもしれない。

 両親に聞かされた話に、アルジエルは怒りや悲しみは湧いてこなかった。むしろ普段感じる違和感が晴れるようで、すっきりしたというのが本音である。

 しかし、戻りたいとは思わなかった。

 どうするか聞かれて、このままでいいと答えた。実の両親の家には戻らず、ロマーヌの家に残るを選択した。両親はその答えを聞き、驚嘆しつつも少し頷いていた。年に1回の食事会と言う名の面会の約束をして、二人は帰っていった。


「やっぱりあなたは私の子ね」

 今年の初め頃の食事会のとき、母に言われた言葉だった。

 きらいなアスパラを避けて食べていたところを見られ、本当に恥ずかしかったが、実の母にこっそりと言われて少し笑みがこぼれた。家ではロマーヌに甘やかされて食卓に上がらないが、慣れないレストラン、見たことのない料理で気が付かなかった。気づいてそっと避けていると、見つかって笑われると思ったが、その顔は優しい笑みだった。


「アルジエル、アルジエル?」

 夢の中とは違う声で名前を呼ばれ目を覚ますと、心配する母・ロマーヌの顔が真上にあった。膝枕とは幼いと思えたが、今は素直に嬉しく思う。

「よかった。ちょっと魔力量が多すぎたわね。私がちゃんとストップかければよかった」

「そんなことない」

 まだだるい上半身を起こし、母と視線を合わせる。

「来年からは魔術学校に通うんだから、これくらいはできないと」

 そういうと、母は苦笑する。

「初等部ではこんな魔術習わないわよ」

「でも、お母さんはできたんでしょ、だったら私も」

 そこまで言って、母の悲しそうな表情に口を紡ぐ。

 なぜ悲しそうな顔をしているのか分からなかったが、もうこれ以上何も言えなかった。

 そうね、と小さく呟き、母はそっと立ち上がる。

「また練習しましょうね。さあ、ご飯にしましょう。お腹すいたでしょう」

「うん、空いた」

 お通夜の後のような顔を止め、アルジエルも伸びをして立ち上がる。閉め切っていた扉を開けると、夕陽が目を直撃して眩しい。

「あら」

 蝶がひらひらと開けた戸から蝶が飛び出ていく。どこから来たのだろう。

「どうしたの?」

 蝶を目で追っていると、直立不動の娘を案じて母に肩をゆすられる。びくっと震えると、母もびっくりしていた。

「何でもないよ、夕飯何?」

 そう言って、蝶とは反対方向の家に向かっていった。

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