6.sideアヴィスト
今日は、リランが国王と謁見する日。これによりリランの処遇が決まる。
国を震撼させた“魔女”による大量虐殺事件。その重要参考人として、リランは保護という名の下に王宮に捕らわれた。リランも身体を乗っ取られ意思に反して殺戮行為をさせられた、“魔女”の被害者であるというのに、大部分の人はそうは思わない。中身は違っても外見が“リラン”であることで、彼女が“魔女”だと言えてしまうのだ。そうなれば、国はリランを殺すだろう。悪道を働いた“魔女”として彼女を処刑し、国民に安心を齎すために。
そんなのは絶対に嫌だ。冤罪で彼女が殺されるのは許せない。なんとしてでも阻止しなければ。
そう思って、謁見の場に同行させてもらおうとしたのに、一も二もなく拒否された。他の誰でもなく、リラン本人に。何故だ。サネルガとかリラン以外の人に断られたのなら食って掛かれるのに、本人に必要ないと拒絶されてしまえば粘ろうにも粘れない。それどころか謁見の間からも離れさせるように、剣術の鍛錬でもしていろと言われる始末。そんなの集中できる訳がないだろう。何故だ。
リランの考えていることが全く分からない。最悪、その場で殺されるかもしれないのに。謁見終了と共に牢獄に繋がれるかもしれないのに。何故。
扉の向こうへ消える前に見せた、彼女の表情が、少しの恐怖も感じていないあの笑った顔が、頭から離れない。
リランは何を考えているのだろう…。
その答えは、その日のうちに判明した。
「ということで、“魔女”討伐のために協力してくれることになった」
「リランです。よろしくお願いします」
王宮の敷地内の訓練場に、騎士団と魔術士団の面々が集められた。団員たちの前に立つ二人のうちの一人であるサネルガが、隣の人物を紹介する。紹介された彼女は、団員たちに向かって挨拶をする。ペコリと下げられる、くすんだ薄桃色の頭。動作に合わせてサラリと流れる長い髪を見ながら、俺の思考は一瞬固まった。再起動したのは春を表す色の瞳と視線が絡んだ時だった。
「なっ…、何を言っているんだお前は!?」
「アヴィスト」
事を理解して思わず怒鳴った俺をサネルガが制する。しかしそんなものに構っている暇はない。
俺はリランに詰め寄った。
「お前、どうして…っ!」
「だって、“魔女”を倒すんでしょ?」
「それはそうだが……でも、なんでお前が…」
「この国の一大事なんだから、協力しなきゃ」
自分の顔が歪むのを感じる。わざと答えをずらされているように思える。
「下がれアヴィスト」
団長が俺の腕を掴んで後ろに引く。その強さに数歩後退するも、視線はリランから外さない。あっちも俺から目を逸らさない。真っ直ぐ見つめてくる。
「………遊びじゃないんだ」
「解ってるよ、そんなこと」
「……危険なんだよ」
「知ってる」
「じゃあ、なんで…っ!」
情けない声が出た。何を言ってもリランは淡々と返してくる。こっちの気持ちが伝わっていない気がして、だんだん苛立ってくる。なんで、解ってくれないんだ。
「なんで? そんなの、決まってるじゃない」
彼女の声色が、変わった。そのことに、無意識に息を飲む。
「私が一番、“魔女”のことを知っているからだよ」
その言葉に、その場にいる全員が沈黙した。時間が止まってしまっているみたいに、誰一人として言葉を発するどころか些細な身動きすらしない。…いや、しないのではない、できないのだ。みんな彼女の空気に呑まれている。
「ここにいる誰よりも、私は“あれ”を知っている。長いこと一緒にいたからね。どんな性格をしているのか、どんな魔法を使うのか、どんな殺し方をするのか。ずっと近くで見てきた。“あれ”が何に興奮して、何に喜んで、何に怒って、何を見下すのか。魔法の発動のさせ方、操り方、少ない魔力で如何に最大限の威力を発揮させられるのか。何を壊して、何を奪って、何を消して、何を殺すのか。即死のさせ方、苦痛の与え方、甚振って殺す方法。全部、記憶しているよ。残虐な行為も、死んだ人の表情も、助けを求めた人の声も……人を殺す感触も」
そう言って、リランは自分の掌をじっと見る。
明かされた事実に誰も反応できない。想像を遥かに超えた情報に言葉を奪われた。目の前にいる、子どもと大人の狭間にいる少女が経験したものの壮絶さに、ゴクリと唾を飲むしかできない。
「だから、協力するの。誰よりも長く一緒にいて、誰よりも詳しく“魔女”を知っているから」
そう言って向けられた瞳には、何か言い知れぬ光が潜んでいる気がした。
「まあ、そういうことなので、協力させてください。この中には何かしらの被害に遭われた方たちもいると思うので、言ってやりたいことは多々あると思いますが、それは“あれ”を倒してからにしていただけると助かります」
困ったように笑って、リランはもう一度頭を下げる。俺は、その姿に自分の眉間が僅かに寄るのを感じた。
何かが、違う。
俺の知っているリランと、村にいた時のリランと、何かが違うと無意識下で俺に訴えかけてくる。目の前にいるのは、紛れもなく俺の幼馴染みのリランのはずなのに。
違和感を拭い切れないまま、彼女と俺たちの顔合わせは終わった。
「私を“魔女”だと思って攻撃してきてください」
訓練初日、国の精鋭たちを前にして彼女は言い放った。
その言葉の意味を理解できずに初めは呆然としていた騎士や魔術士たちだったが、やがてその意味を飲み込むと怒りを見せ始めた。リランの言葉は、国を守るトップとしてのプライドを傷つけるも同然で、彼らの反応は予想できるものであった。いくらリランでも、さすがにそれくらいは解っていただろう。その証拠に、自分よりも遥かに屈強そうな体格の男たちから怒鳴られても怯える様子はない。その顔から、笑顔を絶やすこともない。
ある程度、彼らの罵倒を受けると、リランは徐に口を開く。
「大丈夫です、私、そんなに柔じゃないですから。バンバン斬って撃ってしちゃってください」
「ああ!? 何言ってんだお前!?」
「俺たちを馬鹿にしてんのか!?」
「女一人に寄って集って攻撃しろなんて、騎士として誇りを捨てるもんじゃねえか! ふざけんなよ!」
再び罵倒の嵐が起こる。何故リランは彼らを煽るような発言をするんだ? 俺は他の騎士や魔術士たちとは違うことに考えを巡らせていた。
「ふざけんな、はこっちのセリフです。女一人って言いますけど、“あれ”も一人の女ですよ。ただ化け物染みた力を持っているだけで。あの時みなさん寄って集って攻撃してたじゃないですか。それから、騎士の誇り? そんなプライドは“魔女”の前では無意味ですよ」
正論だ。全てリランの言う通り。何も言い返せない。
彼らもそう思ったのか、気まずげに視線を逸らす者や大きく舌打ちをする者など、様々な反応を見せる。
「良いですか、あっちは殺すことしか考えていないんです。目的を達成するために殺戮を繰り返す。そこに慈悲なんてものはない、命乞いをしたところで助けてくれる訳がない。泣いて縋って…そんな姿を見せれば、逆に喜ばせるだけ。“あれ”に人間性を求めてはいけません。殺すか殺されるか、ただ、それだけです」
心に直接訴えかけるように、愚図る子どもに言い聞かせるように、いつになく強い口調で話すリラン。その瞳がそっと伏せられるのを見て、俺は胸の中にくすぶった感情が芽生えるのを感じた。それが何かを考える前に、リランが再び口を開く。
「生きたいなら、全力で殺しなさい」
たった十八歳の少女から出たとは思えないほど、その言葉には迫力があった。ピリピリとした緊張感がその場の空気を支配し、屈強な男たちはその外見に反して誰一人として言葉を発することはできなかった。そして、俺も、リランのその姿に何も言うことはできなかった。
「遅いです! それじゃすぐに殺されますよ!」
リランとの戦闘訓練が始まってから、十日が経った。訓練が開始され始めた頃はあまり気の乗らなかった騎士や魔術士たちだったが、彼女の強さにだんだんとその意識を変えていった。
そう、リランは強かった。大の大人の男が三人で掛かっても、全ての攻撃を躱し、的確な反撃をしてくる。体格差なんて関係ない。その小柄な身体のどこにそんな力があるのかと疑ってしまうほど、大柄な騎士を放り投げた時は驚いた。それは俺だけでなく、今まで彼女を見下していた者たちも同様で、気の引き締まった表情にしてしまうほどであった。今はもう、みんな真剣に訓練に取り組んでいる。
「距離を考えてください! 近づきすぎると腕が吹き飛びます!」
振り下げられた剣を、魔術の風を纏わせた片腕で防御しそのまま外側へと滑らせ躱したリランは、剣を持つその腕に掌を当て押し出す。恐らくそこを吹き飛ばされると言いたいのだろう。相手の騎士は顔を青白くさせながらも素直に頷く。リランはそれを視界の隅に入れつつ、次から次へと繰り出される攻撃に対処していく。その姿は、戦士だった。
リランと騎士たちの戦うところを見ながら、俺は胸に蟠るモヤモヤとしたものを感じていた。リランが戦っていることに未だに違和感を覚える。戦闘慣れしているその姿に、不快感が募る。
「……彼女、強いな」
隣に立つサネルガが、声を抑えて呟く。それに「…ああ」とだけ答える。俺の返事に不機嫌さが乗っているのを感じ取ったのか、サネルガは苦笑する。まあ無理もない、と言って言葉を続ける。
「…あの子、元は村に住んでいたんだろう? それも比較的穏やかなところに。そんな場所で生活してりゃ、普通はあんなに強くはない。しかも女の子だ。お前の話を聞けば戦いとは無縁の、どこにでもいる普通の女の子だったはずだ」
チラリと俺を見る。その視線に、俺は何も答えない。それでも奴は話し続ける。
「それが、どうしてだろうな。血生臭いことに関係のないはずの子が、戦いを生業としている男たちにも勝るほど戦闘に慣れている。剣筋も、魔力の流れも、全て見えているように動ける。その動きに無駄が一切ない。それは毎日訓練して、やっと身に付けられるものだろうに、つい最近まで村の一員として生きていた子がたった数年でものにしてしまうなんてさ」
何が言いたいのかと、奴に視線を投げ掛ける。サネルガはリランを見ていた。
「この数年間、よっぽどのことがあったんだろうな。お前たちの故郷が襲われて、魔女に身体を乗っ取られて、お前に再会するまでの間に、技が身に染みついてしまうほどの経験をしてきたんだろう。それが望んだことじゃなくても」
望まぬこと。そうだ、彼女は俺のように自らの意志で血塗られた道を選んだのではなく、無理矢理その道へ引き込まれたのだ。俺が感じているこの不快感は、きっとそこに理由がある。望まぬ者に、望まぬことをさせているこの状況が、何とも言えぬ感情を抱かせるのだ。
リランは、好きでこの道に来たんじゃない。魔女に連れて来られたのだ。魔女に解放された今、全てが元通りになるとは言えないが血で固められた道から降りて元の道へと戻ることができるのに、彼女はそれをしない。それどころかもっと深いところまで進もうとしている。怖くはないのか。恐ろしくはないのか。血を流すことが、相手を殺すことが………自分が死ぬかもしれないことが。常に死と隣り合わせの世界に身を置くことに恐怖を感じないのだろうか。分からない。リランの気持ちが、分からない…。
「アヴィスト?」
名前を呼ばれ、ハッと我に返る。いつの間にか思考にどっぷりと浸かっていたようだ。声のした方へ視線を向けると、先ほどまで自分の思考を掻き混ぜる原因となった張本人が、一つ春を瞬かせた。
「どうしたの? ぼーっとするなんて、らしくない」
「あ、ああ…」
「変なの。なんか悪い物でも食べたんじゃないの」
あはは、と軽快に笑う姿は普通の少女だった。鍛え上げられた体躯の男たちを相手に戦っていたとは到底思えない。俺の知っている、村で一緒に過ごしたリランだった。そのことに、無意識にホッと息を吐いた。
「やあ、リランちゃん。訓練ご苦労様」
「あ、サネルガさん! お疲れ様です」
「いやー、リランちゃん強いねぇ、あいつらがまるで歯が立たない。騎士の名折れだね、あれは」
「そんなことないですよ! みなさんお強いです。さすが王宮に仕える誇り高き騎士団の方々です。彼らに守られている国民は、鼻高々ですよー」
「はっはっはっ! その誇り高き騎士団をあっという間に地に倒してしまうリランちゃんは、どうなんだい?」
「サネルガ!」
リランとサネルガの弾む会話を聞いていた俺は、奴の言葉に引っ掛かり思わず制する声を放つ。ついでに睨みつけると、奴は肩を竦めて「悪い」と片手を上げた。全く悪いと思っていないと詰りたいが、あれでも本当に悪いと思っているのを知っているから、何も言えない。苛立つ気持ちを収めてくれたのは、リランだった。ポンポンと軽く俺の腕を叩いて、気の高ぶりを宥めるように「まあまあ」と言う。
「私の力は魔女の真似ですから。乗っ取られていろいろやらかしてくれたことは許せないですけど、この戦闘力は感謝しますね。おかげでみなさんの力になれていますので」
「役に立つって気持ちいいですね」なんて朗らかに言われてしまうと、こちらの調子が狂う。どれだけ心配しているのか全く理解しようとしていない。だけど、そう言って怒ってもきっとリランには通じないだろう。逆に疲れるだけだ。はぁ…と一つ溜め息を吐く。
「……体調は大丈夫なのか?」
「うん? 全然大丈夫だよ?」
きょとんとした顔で首を傾げられる。つい先日まで寝込んでいたというのに、そんな様子は感じられなかった。幼い頃の村中を駆けずり回っていた時の彼女ならまだしも、魔女から切り離された時の身体は薄く心許なかった。しかも大量に吐血までしていたのだ。そう簡単に元に戻るはずはない。一体どういう原理なのだろうか。
俺の訝しんでいる様子を感じ取ったようで、リランはドンと胸を叩いて偉そうにふんぞり返って言う。
「本当に大丈夫だって! 美味しいご飯もいっぱい食べられてるし、ふっかふかのお布団で寝られてるし。それに魔力でいろいろ補っているし。万全万全!」
「……ちょっと待て。今、頭に引っ掛かる言葉が出てきた気がするぞ?」
「えぇ? そんなことないよぉ」
「魔力で…、なんだって?」
「いやぁ~………あっはははは」
明らかに視線を横にずらして誤魔化そうとするリラン。
「リラン?」
「そ、それよりも! アヴィストは訓練しなくていいの? 今なら相手してあげられるよ!」
ちょっと問い質そうとすると、慌てて話題を転換させてきた。その顔には“これ以上何も聞いてくれるな”と書いてある。言いたいことは山ほどあったが、しつこく聞いても恐らくのらりくらりと躱されるだろうから、フラストレーションが溜まる一方だと解ったので言葉を飲み込む。だが納得はしていない。
「しなくていい。今日はもう休め。あんなに大勢を相手にして、疲れただろう?」
「ん? うーん? そうかな? もう一戦くらいできそうな気がする」
「やめろ。お願いだから休んでくれ」
チラリと背後の訓練場へと視線を流した彼女を見て、本気でやりかねないと感じた俺は、両肩を掴んで止めた。後方の訓練場でも、今まで扱かれてへばった騎士や魔術士たちが俺たちの会話を聞いて、ブンブンと首を横に振っている。彼らももう気力が残ってないらしい。一人だけ、俺の隣で腹を抱えて大笑いしている奴がいるが、それは無視した。
「そっかぁ…アヴィストが言うならしょうがない。今日はもう休もうかな。本当はもうちょっとレベルを上げておきたいところだけど…続きはまた明日にでもできるし、いっか!」
何か不吉な言葉が聞こえたような気がしたが、一人で納得の表情をしたリランは休むことに決めたようだ。何はともあれ、休んでくれるというならひと安心だ。
今日の訓練相手と軽く挨拶を交わしたリランを、部屋まで送っていこうとすると、何故かやんわりと断られた。それどころか、サネルガと話したいと言う。
「俺? まぁリランちゃんがいいなら、俺も別に断る理由もないし、全然いいぜ。一応、保護責任者だしな」
「ありがとうございますー、サネルガさん」
「という訳で、アヴィスト! お疲れさん!」
「また明日ねー」
しゅたっ!と片手を上げて去って行くリランとサネルガ。状況の理解に頭が追いつかないまま置き去りにされた俺は、二人に何も言えずに固まっていた。まるで最初から決められた台詞と展開だとでもいうようなテンポの良さに、ただただ困惑していた。リランもサネルガも、他者に対してフレンドリーに振る舞えるところがあるが、それでも疑問に思った。いつの間に二人はあんなに仲良くなったんだ?
それからというもの、リランはサネルガと一緒にいることが多くなった。まぁ、サネルガはリランの保護責任者兼監視役だし、リランも事件の重要参考人だから一人で城内を出歩くことは禁止されているから、不自然でもなんでもないのだが。ふとした時に並んで歩く二人の姿を見るたびに、会話に花を咲かせて笑い合う二人を見るたびに、胸の内になんとも言い難い気持ちが湧いて出る。それがなんなのか解らないまま、何日も過ごしていた。
俺は、もっと早くにこの気持ちに気づくべきだった。あんなことになる前に、解っておくべきだった。
リランと再会した時に覚えた後悔を、二度と繰り返さないと誓っていたはずなのに。自分の愚かさに、再び打ちのめされる日が来るなんて、この時の俺は知る由もなかった。