5.sideリラン
──コンコン
「はーい、どうぞー」
扉を小さく叩く音に、私は返事をして入室を促す。引き戸を開けて入って来たのは、私の想い人。その青い瞳にベッドの上で上体を起こした私を映すと安心したように表情を緩めるのを見て、私の気分はグングンと上がっていった。いつ見ても素敵です。癒されます。大好きです。
「起きていたのか。身体は大丈夫なのか?」
「うん、全然平気ぃ」
「そうか」
僅かに口角が上がったのを視認し、一気に私のポジティブパロメーターが突き抜けた。彼が笑った! 十歳の時の笑顔も最高だったけど、美形さが増した今の笑顔も一級品! もう国宝ものだよ! この国の重鎮たちは何をしているの! その笑顔、心のシャッターに収めました。データ消去は不可能です。
「うわ、スゲー。アヴィストが笑ったよ…レアじゃん」
「……なんでお前がここにいるんだ。サネルガ」
人間国宝間違いなしの想い人の笑顔を見られて有頂天になりムフムフとにやけている私に構わず、アヴィストは椅子に腰掛けて膝に頬杖をついている青年に向かって不機嫌そうに問う。そんな彼の態度に怒ることもせず、サネルガさんはカラリと笑って答える。
「なんでって、そりゃお前、俺がリランちゃんを見てるからだろ」
その答えに、アヴィストの眉間にシワが寄り、それを見て私は苦笑した。
私とアヴィストが最悪な形で再会してから、二週間が過ぎた。今私がいる部屋は王宮内にある特別医療室の一つ。あの後すぐに運ばれた私は、国内トップの医療魔術士によって治療され、一週間目を覚ますことなく眠り続け、意識を取り戻した後も身体の傷と乱れに乱れた魔力の回復を待つために、ここで寝泊まりさせてもらっている。さすがは王族お抱えの医療魔術士。的確な治療をしてもらったおかげで、今では上体を起こして人と会話するくらいには回復した。もう感謝でいっぱいです、頭が上がりません。もともと上がらなかったけれど。それでもまだ気を抜くと意識が飛んじゃうこともあって、一度それでベッドから落ちて痣を作って物凄く迷惑を掛けてしまったため(特にアヴィストに)、今ではサネルガさんが私の付き人のような感じで傍にいてくれる。たった一回の出来事なのに申し訳ございません。お手間を掛けさせます。それを言ったら、サネルガさんは「仕事が楽になってラッキーだったよ。ありがとう!」と輝かんばかりの笑顔を見せてくれた。いいのか、それで。魔術士団の副団長さんと聞きましたよ?
一方、私のことを見てくれるのがサネルガさんだってことを知ったアヴィストはというと。
「なんでお前なんだよ…」
「しょうがないだろうー? 上からの命令だ」
「別に他の奴でもいいだろうに……よりにもよって、こいつを当てるとか…」
「酷えな、オイ」
こんな感じである。どうにも気に入らないらしく、こうして顔を合わせれば軽く言い合いみたいになる。でも仲良しなんだよなー、これが。あのアヴィストが軽口を言える相手がいるってのはいい変化だ。村じゃ頼りにされるか(特に女子に)、はたまた難癖付けられるか(主に男子に)のどちらかだったから、対等に渡り合える仲良しさんがいるところを見られて、幼馴染みとしては微笑ましい限りです。良かった良かった。ちゃんと友好関係を築けているじゃないか。
「こんな奴にリランを預けるなんて気が気じゃない。真面目な奴に即刻代われ」
「無茶言うな! 俺に上官に逆らう勇気なんかねえよ。お前が言え」
「言った。取り合ってもらえなかった。だからお前が自分から降りると言え」
「言ったのかよ! 凄えな! だが降りん!」
「お前……」
アヴィストが苛ついている。村じゃ見られなかった感情だ。初めて見る。私はなるべく空気となって事の成り行きを微笑ましげに見守る。だってアヴィストの新鮮な言動が見られるから。私が割って入って、ぶち壊しちゃうのはもったいない。だから開きたくなる口を必死で縫い付けて、気を引き締めていないと崩れる表情筋を必死で保って、二人のやり取りを傍観ないし観劇する。この一週間で身に付けた技です。
「俺がこの役を降りないっつうのは上官からの命令でもあるけどな。俺があの時助けたんだから、責任持って役目を全うするためってのもある。それに…」
サネルガさんが、アヴィストを真っ直ぐ見て真っ直ぐ言う。
「お前にとって大事な存在だからな。俺が面倒を見る」
「……は!?」
思わず声が出て、慌てて口を両手で押さえる。空気の一員になって二人の邪魔をしないように……というか、アヴィストが仲のいい人と喋っているのを見たかったために黙っていたけれど、サネルガさんのとんでもないひと言に驚かされた。
誰が誰にとってどんな存在だって!? ちょっと嬉しい言葉が聞こえてきた気がするけれど、これは聞き間違えか!? 頭だけじゃなくて、とうとう耳まで幻聴を聞くまでにおかしくなったのか!?
恐らく赤くなっているであろう顔をそのままに、私は目の前の二人の顔を交互に見つめる。お願いだ、どういう意味か説明してくれ。
そんな私を見て、アヴィストはなんでもないようにきょとんとした表情をしていて。本当に不思議そうに目をパチクリさせて。
「どうしたんだ? 大事な幼馴染みなんだから、心配するのは当たり前だろう?」
……………おっしゃる通りです。何一つとして間違っておりません。期待してすみません。勘違いしてゴメンナサイ。
一瞬舞い上がって言葉のハリセンに叩かれたが、地には落ちていない。飛ぶ高度が下がっただけ。“好きな人”ではなかったけれど、“大事な”幼馴染みだと言ってくれたから良しとする。なので叩き落されてはいません。ええそうです、私の頭は単純です。サネルガさんの気の毒そうな視線が突き刺さるけれど、それも気にしない。
「アヴィスト…お前、酷いな…」
「は? なんでそうなる」
「リランちゃんが可哀想だ…」
大丈夫ですよ、サネルガさん。そんなにガックリと肩を落とさないで、首部を垂れないで。本気で意味が分からないという顔をするアヴィストに、私は苦笑する。この人は鈍いのだ。その原因を作ったのは他でもないこの私なのだから、こういう状況になることは覚悟の上。私の恋路は前途多難なのだ。良く言えば遣り甲斐……落とし甲斐(?)のある恋なのだ。根気強くやっていくしかない。
私よりショックを受けているらしいサネルガさんが未だにそこから上がって来ないので、私は空気になることを辞めてアヴィストに問い掛ける。
「それで、アヴィストは私に何か用があったの?」
「ああ…………いや、ただ顔を見に来ただけだ。もう仕事もないし、帰るだけだから」
「そっか。お勤めご苦労様です、英雄様」
「…………それやめろ」
恭しく頭を下げる私を、苦虫を嚙み潰したような顔でアヴィストが言葉を引き出す。えへへー、と阿保丸出しの顔で笑う私をそれ以上咎めることはせず、彼はしょうがないなという意味の溜め息を一つ吐いてベッドの傍まで来ると、私のボサボサな髪を撫でる。それが嬉しくて、この顔の表情筋は更に緩さを増した。
「ったく……お前は変わらないな」
「そお?」
「ああ…変わってない。安心する」
「馬鹿なままだって?」
「違っ……そういう意味じゃなくてだな」
「あはは、分かってるって」
「…そういうところも、変わってない」
ひと通り撫でて満足したのか、アヴィストは最後にポンポンと私の頭を叩くと「じゃあ、また明日な」と言って部屋を出て行った。扉の閉まる音がして彼の気配が遠ざかるのが確認できると、深い溜め息が漏れる音が部屋に落ちる。その出所は、もちろんサネルガさんである。幸せ逃げちゃうよ?
「あんたら、ただの幼馴染みか? 空気がもうそれじゃん」
「幼馴染みですよー。彼にとってはね」
「ふーん、じゃあ君にとっては?」
「初恋の相手で片思いの相手で幼馴染みです」
「辛いねえー…」
「いやー、まあ、アヴィストをあんなにしたの私ですからねえ。何も言えません」
彼の鈍感さの理由を軽くカミングアウトした私の言葉に目の前の青年は「ん?」と食い付き身を乗り出してきたので、私は私とアヴィストの過去を掻い摘んで話した。その結果、更に憐みの籠った眼差しを向けられることになるとは想定外だった。酷いなぁ、聞いてきたのはそっちじゃないですか。
それから他愛もない話を幾つかして、そういえば、と一つ疑問に思っていたことを思い出す。今はサネルガさんと二人きり。聞くにはもってこいの機会だ。
「そうそう、サネルガさん。ずっと疑問に思っていたんですけど、あの時なんで私が乗っ取られてるってことに気づいたんですか?」
「ん? まあ、ひと言で言うなら勘だな」
「勘、ですか? それだけ?」
「うーむ……あとは、ちょっとばかし似たような状況に遭遇したことがあるから、かな」
眉尻を下げて苦笑するサネルガさん。何やら好奇心を擽られる言い方に、そのエピソードを聞かせてくれないかとちょっとだけ期待する。私の思いが通じたのか、人がいい彼は思い出話を語ってくれた。
曰く、学生時代にとある男子に恋をした女子生徒がいたが、相手は既に恋人がいた。嫉妬に駆られた彼女は、ある高魔術書の中から一つの魔術を盗み出し、彼の恋人に乗り移ってケンカ別れをさせようと試みた。
「……ま、その初期段階で不審に思った俺が問い詰めて、その女子は泣きながら白状したってところかな。乗っ取った人格と乗っ取られた人格が拒絶反応を起こしていたから気づくのが早かったってのと、術者の力量が足りなかったってのでバレたんだがな」
「へぇー凄いですね、サネルガさん! 名探偵じゃないですか! なるほど~、それで私の時も見破ってくれたんですね」
改めて「ありがとうございます」とお礼を言えば、困ったような表情をして「最初は分からなかったんだがな」と申し訳なさそうに言う。それは当然、あれが初対面だったのだから判らなくて当たり前だろう。アヴィストの反応だけで見破るなんて、本当に凄いや。
感動の拍手を送ると、やめてくれと照れ出す。なんか反応が可愛いなぁ。彼の方が年上なのだけど。
少しの間だけ癒されて話が一旦落ち着いたところで、私はそろそろかなと思って本題を切り出した。
「それで、サネルガさん。いつですかね?」
「ん? ………なんのことかな」
「嫌だなあ、誤魔化さなくていいんですよ。解ってますから」
「………」
「サネルガさん」
押し黙ってしまった彼の名前を呼ぶ。視線は合わない。でもその表情が晴れやかしくないことは充分に見て取れる。優しい人なんだな、と思った。そう思って、それもそうか、とも思った。だって私を助けてくれた。私の身体を使って多くの人を殺した“それ”──魔女だったかな?──を私の中から追い出し、私自身は殺さずに、牢に繋ぐこともせずに治療を受けさせ療養という形でこの場所に置いてもらっている。それも二週間もの間。
アヴィストの知り合いだからと言っても、私は世間では“人殺し”の罪人だ。たとえ私は罪を犯していなかったとしても、“私の身体”でたくさんの血を流させたことに変わりはない。そんな重罪人を二週間にも渡ってなんの罰も科さずに療養させるなんて、国にとっては大問題。サネルガさんは監視役だと私は推測している。きっとそれは間違っていない。ただの小娘に付けるなら一般の魔術士でも騎士でも良かったのだろうけれど、生憎私は“ただの小娘”ではない。魔女に操られていたとされる正体不明の不審者だ。魔女の影響を受けていたとしたら並みの団員たちでは歯が立たないと判断したのだろう。副団長という高い位を授かるほどの実力を持った魔術士が付かなければならないと思って、サネルガさんを私に付かせた。そのことは、頭の悪い私でも分かる。当事者だからね。違和感に気づいてしまえば考えつく。
だから、私はこの人が罪悪感を持たないように、この人が言いたいことを先に言う。
「私は、いつ処刑されるのですか?」
私の言葉を聞いて、ハッとなって顔を向けてくる。その瞳にはなんとも言い表しがたい感情が渦巻いている。そして辛そうにギュッと顔を顰めると、押し殺した声で呟く。
「……知ってたのか」
「はい。もちろん、解っていましたよ。……だって私は“人殺し”ですから」
「っ! でも、それは…!」
「どんな理由があろうとも、私は魔女を止められなかった。私の身体を使うことを許してしまった。たくさんの人が殺されていくのを、村や街が壊されていくのを、見ていることしかできなかった。それも立派な同罪でしょう?」
そう言ってニッコリと笑えば、サネルガさんは顔を歪めた。何故だろう、笑顔を失敗した感触はないんだけれど。それに私は事実を言っただけ。
「君は…………」
何かを言い掛けて言葉に詰まり、そのまま口を結んだ。一度目を閉じて俯いてしまい、その表情は確認できない。だけど何か覚悟を決めたのか、顔を上げた青年の表情は、アヴィストと言葉を交わしていた時のような気軽さはなく真剣そのものだった。
「処刑の日程は王がお決めになる。それについて、君には一週間後に王と謁見してもらうことになった」
そうですか、と答えればサネルガさんは私の目をじっと見つめてきた。まるで私の言葉の裏側を探っているように感じるそれは、何も見つけられないと判ると、瞬きをして溜め息を一つ吐き身体の力を抜く。そしてまた私の顔を見る。今度はただ視線をくれるだけ。
「…何かして欲しいことはあるか?」
「そうですね。では、私の質問に答えていただきたいです」
「……答えられる範囲で良ければ」
態度と声色が慎重になった。別に上層部の秘密とか王宮の隠し通路とかを訊く訳じゃないから、そんなに構えなくても大丈夫ですよー。…まあ、信用ならないとは思いますが。
私が訊きたいことは、私にとって重要なことですから。
「謁見のこと、アヴィストはもう知っていますか?」
「……知っている」
「まあ、うん、そうですよね。アヴィストのあの態度はそういう感じだったからなぁ……」
私の「何か用?」のくだりでちょっと言葉に詰まったし。聞きたいことはあるけれど、聞いていいのかどうか迷っているって態度だったし。私が何も聞いていなかったら不安にさせてしまうと考えたんだろうなぁ。実際聞いてなかったのだけれど。
「…あのアヴィストの態度で分かるのか……」
ボソリと呟く声を拾い、はたと気づいた。サネルガさんとの話の途中だった。
「あ……と、失礼しました。では、もう一つだけ。──彼は、謁見に立ち会いますか?」
「いや、あいつは立ち会わない。いくら国を救った英雄だったとしても、重役でもない一介の騎士に過ぎないからな」
なるほど。アヴィストは英雄とはいえ、平民上がりのただの騎士。さすがに王様の前に並ぶことはできないか。知っている人がいないところに一人で行くのは心細いけれど。しかもこの国のトップの方の前に行くのはそれ相応の勇気がいる。緊張で失態を起こし兼ねない…想像できてしまうことの悲しさよ。後で脳内シミュレーションしておこう。
「あいつに立ち会ってもらいたいか?」
私の気持ちを考えてくれたのだろう。サネルガさんがとても魅力的な提案をしてくれる。アヴィストがいれば勇気なんてこれでもかというくらい湧いてくるだろう。私が何かやらかしても恐らくフォローしてくれる。国王様の前だろうが魔王の前だろうが、怖さも緊張もどこかに吹っ飛ぶ気がする。
でも。
「いいえ。むしろ会話を聞かれないくらい遠ざけていただけると嬉しいです」
ニッコリと、笑って返す。私の返答が意外だったのか、サネルガさんは目を瞬いた後、慎重な顔つきになる。
「何…? 聞かれるとヤバいことでもあるの」
「うーん…アヴィストにとってはそうかもしれません。彼、なんか過保護というか…村にいた時より心配性になったというか…? 一日が終わるたびに私のところに来るし、体調とか気分とか聞いてくるし…」
「まあ…そりゃそうだろ……」
「体調面に関してはもう大丈夫なんですけどねぇ……でも、ま、心配されるのも悪くない!」
好きな人に心配されるとか、なんて贅沢! しかも、あのアヴィストさんですよ、奥さん。惚れる。悶える。お惚れ死ぬ。アヴィストに殺されるのも悪くない…。
「おーい、戻って来ーい。アヴィストに聞かれるとヤバいことって何?」
「はっ! そうでした! すみません! えっと、それはですね」
居住まいを正して、サネルガさんと視線を合わせる。サネルガさんは少しビクッとしたようだけど、それは怯えから来るものじゃないと分かるから、傷つきはしない。その証拠に、私がこれから話そうとする内容に耳を傾けてくれている。
ホントに、いい人だな。
「王様に、私からある提案をさせていただきたいのです」
「提案…?」
「はい、サネルガさんには言っちゃいますね。危険な提案じゃないってことを知ってもらいたいので、偉い方々と相談していただいても構いません」
「…その内容は?」
「その前に、一つ約束してください。アヴィストには決して言わないと」
これだけは、守ってもらわないと。後でちょっとややこしくなるからね。
「……………分かった、約束しよう」
私が約束をしないと提案の内容を口にしないと解ったのか、少しの沈黙の後に承諾してくれた。その言葉に、口角が上がる。
「ありがとうございます、サネルガさん。では、提案の内容をお教えしますね」
これは、私の賭け。私の終わり方は変えられないとしても、そこに辿り着くまでの道のりは自分が決めたい。自分で納得のいく終わり方をしたい。そのために、この提案をする。
後日、私の提案は許された。