1.sideリラン/sideアヴィスト
私には、幼馴染みがいる。
親同士が親友で、家が隣同士だったこともあり、小さな頃からずっと一緒だった。野原で遊び回った時も、おやつを食べた時も、お昼寝した時も、ずっと一緒だった。いつも一緒にいる私たちを、村のみんなは「お似合いだね。大きくなったら結婚するのかい」と微笑ましげに見ていた。きっと冗談混じりで言ったものだと思うけれど、村人たちの言葉が私は嬉しかった。私は幼馴染みの彼のことが大好きだったから。子どもながらに、結婚するなら彼がいいなと思っていた。ただ、村人の言葉を聞いても彼は何も反応していなかったから、私はこの想いを心の奥に仕舞って、言葉にはしなかった。
ちょっと苦しくて辛かったけれど、それでも私は傍を離れなかった。秘めた思いを誤魔化すために、彼と一緒にいろんなことをして遊んだ。正確には、少々強引に付き合わせた。もともと物静かで、表に出にくい彼の感情を引き出したくて、事あるごとに引っ張り回したのだ。
一番印象に残っているのは、探検と称して村のはずれの森に潜りに行った時だ。子どもだけで入ってはダメだと言われていたけれど、人間ダメって言われるほどやってみたくなるもので、「危ないよ」と渋る彼に「大丈夫だ」と言い張って、その腕を掴んで森の中へ飛び込んだ。案の定、魔物に遭遇して跳び掛かられた時はめちゃくちゃビックリした。驚いて焦って、私の我が儘に巻き込まれた彼を守らなくちゃとそれだけを考えて、無我夢中でよく覚えてないけれど気がついたら男の人に助けられていた。安心感からだばだばと涙を流したのは三人だけの秘密にしてもらった。それから、その時の男の人のところへ頻繁に訪れるようになった彼に付いて行くこともした。物知りなその人の話を食い入るように聴く彼の横で、私は開始一分も経たずに夢の世界へ旅立っていたけれど。容赦なく引っ叩かれた頭の痛みはいい思い出だ。
できるだけ彼と一緒にいたかった。気持ちを伝えないと決めたとしても、彼を好きでいることは止めないつもりだった。
一緒にいればいるほど、彼に向かう気持ちは大きくなる一方だった。
「リラン、俺、王都に行くよ」
「……え?」
彼がそう言ったのは、十歳の夏のことだった。その日は、村の夏祭りが行われた日で、私は彼と一緒に屋台を回ったり催し物を観たりして楽しんでいた。私を固まらせるには充分な衝撃を持つ発言は、村の広場に組まれた組み木に点火された炎が猛々しく燃え上がり、その周りで好き勝手に踊る村人たちの様子を、屋台で買った串焼きを食べながら見ていた時に聞かされた。祭りのフィナーレだった。
歳を重ねるごとに眉目秀麗になっていく彼に、村娘たちはこぞって色めき立った。何かと彼の隣を独占している私のことを良く思っていないことは丸分かりで、たびたび嫌がらせをしてくる女子がいたが、適当に躱しておいた。
しかし彼は途轍もなく鈍い人で、私への嫌がらせのことはおろか、自分に向けられる彼女たちの好意に応えることも気づくこともなかった。「付き合ってほしい」と言われれば「どこに?」という典型的な返事をし、「好きです」と言われれば「ありがとう」のひと言で終わらせるというちょっとおかしな彼だが、それでも羽振りはいい。たとえこの受け答えが私のせいで生み出されたものだとしても。私が彼を連れ回す時にいつも「付き合って!」と言っていたために定着した「どこに?」であり、彼が助けてくれた時に抱き付きながらお礼の代わりとして「大好きだぁ!」と叫ぶ私を落ち着かせ、それを言えば笑顔になってくれる言葉として染み付いた「ありがとう」であったとしても。それでも、「ちょっと天然だけど、優しくて素敵な方」として彼の人気はますます高まるばかりであった。
そんな彼の特技は、剣術だった。
「王都に行って騎士になる」
「騎士……」
剣術と魔術が共存しているこの国には、王宮に仕える騎士団と魔術士団が存在している。所属する団員は高い技術と能力を有しており、この国随一の精鋭たちと言われている。どちらも剣術士・魔術士にとって憧れる最高峰の組織であった。剣術を学ぶ者、魔術を学ぶ者が一度は夢見る場所。一度は目標とする場所。努力を重ね、チャンスを掴み、実力を認められたほんのひと握りの者だけが辿り着ける、狭き門の先。挫折に負けず、苦しくても辛くても諦めず、いつか必ずと高い志を持ち続けた者だけが許される、誇り高き国一の組織。
彼も、そんな憧れる者たちの一人だった。
彼は村の中でも屈指の剣術の腕を持っていて、騎士団に入団できるのではと噂されていた。……だから。
「なれるよ! アヴィストなら騎士になれる。私が保証するよ!」
胸を叩いて、そう言った。こう返すのに少しの間があったのは、大目に見てほしい。
彼はちょっと驚いた顔をした後に、はにかんで「ありがとう」とお礼を言ってくれた。嬉しかった。
嬉しかったから、彼の夢を応援したいと思ったから、自分の胸がチクリと痛んだことには気づかないフリをした。
彼の邪魔をしたくない。だけど王都に行ってしまったら会えなくなる。付いて行きたい。でも彼の足を引っ張りたくない。寂しいという気持ちと応援したいという気持ちが綯い交ぜになって、凄く苦しかった。どんな試練だと思った。
「好き」と言えたらどんなにいいか。「行かないで」と言えたらどんなにいいか。
喉まで出掛かったその二つの言葉を飲み込んで、私は精いっぱいの笑顔で「頑張って」と、彼の背中を思いっ切り叩いた。いい音が鳴った。彼が咽たことはご愛敬だ。ごめんね。
その後、すぐに彼は村を出て王都へ行った。まだやっと二桁の年齢に達したばかりだったのに、剣術の師匠──森で助けてくれた男の人が紹介する場所だからと彼の両親は二つ返事で許可した。まさか即決されるとは思わなくて、試しに私も両親に言ってみたら「お前は無理だ。やめておけ」と真剣な顔で即決された。悲しかった。
旅立つ日、最低でも月に一回は手紙をくれるようにと言いつけて送り出した。剣術の師匠が知り合いのところまで送り届けてくれるとのことで、道中の安全は保証付きだ。だけど、だんだんと小さくなっていく彼の後ろ姿を見て、遣る瀬無い気持ちを抱いたのに気づかないフリをするのは無理だった。
真面目な彼は、私の言いつけた通り手紙をくれた。月一だけど、それが嬉しくて私も村の様子や最近あった出来事、修行頑張ってという手紙を送り返す。これほど文通が楽しいだなんて思ったのはこの時だけで、きっと相手が彼だからだろう。文章は短いけれど、彼の字で書かれている手紙は私の一生の宝だ。家宝にしてもいい。墓場まで持っていくつもりである。
彼と会えないのは寂しいけれど、手紙から毎日頑張っていることが伝わってくるから、それはそれで嬉しい。恐らく村にいた頃よりも強くなっているのだろう。剣術の腕は上がっているはずだ。騎士団に入団したら帰省してくるかな? そしたら何か作ってあげよう。料理は苦手だけど、お母さんに習って彼の好物を振る舞おう。
彼が村を出てから五年後のこと。彼は十五歳という史上最年少の記録で騎士団へ入団した。その知らせはすぐに村中へ広がり、村人たちは歓喜に沸いた。彼の両親は知り合い、近所の人、そして村長からも祝福されて、照れながらも喜んでいた。もちろん、私も大いに喜んだ。自分のことのように嬉しかった。手紙に何回も「おめでとう」と書いた。彼の夢が叶ったのだと、ずっと憧れていた場所に行くことができたのだと思った。同時に、自分の想いを伝えなくて良かったと、そう思った。
そう、思ったのだ。あの時までは。
魔物の異常発生により騎士団が駆り出され、その中に彼がいて。想定以上の魔物の数と勢いにより騎士団が危機的状況に陥った時、彼の機転で形勢逆転し魔物を全滅させ。彼が英雄と呼ばれるようになったことを知った直後。
私たちの村が、地図から消えた。
十六歳の、冬のことだった。
あの日……彼が村を旅立ったあの日。彼に会った、最後の日。この心に秘めていた想いを伝えておけば良かったと、強く後悔した。こんなことになるなら、隠さずに伝えておけば良かった。
好きだったと。大好きだったと。小さな頃から、ずっと、貴方のことを好いていたと。
“それ”を視界に入れた瞬間に、彼の顔が脳裏に浮かんだ。最後に会った、十歳の彼。今はどんな姿になっているのだろう。背はどれくらい伸びたのだろうか。好青年になってご令嬢方に囲まれているのだろうか……嫌だな想像だけで心がモヤモヤする。王都でどんな生活をしているのだろう。もう一度会いたかったな。最後に、一度だけ。貴方に。
目尻から一筋の涙が流れるのを感じた後、私の意識は暗闇に飲み込まれた。
***
俺には、幼馴染みがいた。生まれた時から一緒にいた、同い年の幼馴染みが。
何をするにしても、いつも楽しそうで。ニコニコしていたかと思えば急に怒り出したり、泣いていたと思ったら笑い出したり、表情がコロコロ変わって見ていて飽きなかった。感情を表に出すのが苦手な俺を気味悪がることをしなければ、むしろいろいろと連れ回してくれた。彼女と過ごしているうちにだんだんと感情も表現できるようになり、村人たちから話し掛けられるようになった。もう感謝しかない。
そんな俺の唯一の特技は、剣術だった。剣術を始めたきっかけは、実は彼女が関係していたりする。一緒に森で遊んでいた時、魔物に襲われた。小さい魔物だったけど、当時の俺たちは突然現れたそれに驚いて逃げるのが遅れた。そのせいで、彼女が俺を庇って怪我をした。たまたま通り掛かった男によって助かったけど、その日のことは俺にショックを与えた。女の子に庇われたことよりも彼女が怪我をしたことの方が衝撃は強く、俺が弱いせいで怪我を負わせてしまったのだと思い、強くなれるように、彼女に怪我をさせないようにと剣術を始めた。恐らく彼女は俺が剣術を始めた理由を知らない。あの時負った傷も、勲章だとか言って笑っていたから。
とにかく、俺は剣術にのめり込んだ。あの日助けてくれた男──師匠に頼み込んで剣術を教わった。極めていくうちに強くなることに面白さを感じ、いつしか騎士団に憧れるようになった。そして、王都へ行き、騎士団に入団することが俺の目標となった。
十歳の夏祭り、俺は幼馴染みに自分の夢を話した。彼女は何かと俺のことを応援してくれるし、それが俺の糧にもなっていたから、まだ親にも言っていない目標を彼女に話した。初めは呆然とした様子でいたが、ギュッと拳を握って身を乗り出しながら「なれるよ! アヴィストなら騎士になれる。私が保証する!」と言ってくれた。その急な変わり様に驚いたが、それはこれまでも同じようなことが何度もあったから変に思うこともなかった。ただ彼女が応援してくれることを純粋に嬉しく思い、お礼を言った。何故か彼女が応援してくれるとやる気が出るから、不思議だ。彼女はニコニコと笑っていた。いつもと変わらない笑顔だと、そう思った。
だから、気づかなかった。その笑顔の裏で、本当は何を思っていたのか。何を感じていたのか。ずっと一緒にいたのだから、気づくべきだった。
俺は、何も気づかないまま王都へ行った。
王都に着いてから師匠に紹介してもらったところで修行した。正直辛かった。月に一回のペースで故郷に手紙を送り、元気にやっていることを伝える。そうするとあの幼馴染みから村の近況と励ましの返事が来る。それを読んで気合いを入れ直すことを繰り返した。思えば、彼女は俺の支えとなっていたのだ。
それから五年の月日を経て、俺は試験をパスして騎士団に入団した。そのことも手紙に書いて送ったら、彼女は自分のことのように喜んでくれた。何度も「おめでとう」と書いてあって、正直照れ臭かった。落ち着いたら、休暇を取って一度故郷に帰ろうと予定を立てていたが、なかなか都合がつかなかった。
「なぁ、お前が天才くん?」
「は?」
騎士団に入って暫くして、王宮の敷地内にある食堂で食事を摂っていると、同じ年頃と見られる一人の少年に話し掛けられた。奴は名をサネルガと言った。
「お前のこと、魔術士の間でも有名だぜ。有能な天才騎士が入ったってな」
「なんだソレ……つか、お前魔術士?」
「おう、そうだとも! よろしくな!」
ニッと白い歯を見せてそいつは笑った。その屈託のない笑顔に、内心ホッとした。騎士団に入ってからというもの、周りから向けられる視線の殆どが嫉妬を含むものであったため、どこか居心地が悪かった。敵意が含まれていない顔を向けられて無意識のうちに身体の力を抜いてしまうほど、気を張り詰めていたようだ。
サネルガは俺より二歳年上だった。年が近いこともあって、俺と奴はよく話すようになった。魔術士の先輩にこき使われて大変だとか侍女の誰が可愛いだとか、そういう他愛のない話をした。大人ばかりの騎士団での訓練で息の詰まるような生活を送る中で、奴といる時間はちょうどいい息抜きとなっていた。まあ、くだらなさ過ぎる話をするのがたまにキズだが。
そんな中、珍しく真剣な顔をして話してきたことがあった。
「なぁアヴィスト、知っているか?」
「何を?」
「魔女の話」
「……魔女?」
なんでも、強力な魔力を持ち、高度な魔術を巧みに操る女の魔術使いがこの国にいるらしい。しかもその強さは、王宮お抱えの魔術士団の団員でも歯が立たないと噂されるくらいのお墨付き。ただし、その魔女はもう何十年も前の話だという。
「その魔女がなんだ? 昔の話なんだろう?」
「それが、そうでもないらしいんだ」
サネルガの言葉に眉を顰める。どういうことだ?
「上が話しているのを耳にしたんだが」
「盗み聞きか」
「そうとも言う。で、その話によると、どうも最近現れるそうだ」
「…どこに」
「さあ?」
「おい」
「だってそこまでは話してくれないんだぜ。ケチだよな」
唇を尖らせる奴を見て、思わず溜め息を零す。でも、魔女か…。魔術士団の団員と同等…もしくはそれ以上の力を持っているとすると、少々厄介かもしれない。目の前で愚痴っているこいつも含めた魔術士団の魔術士は、個人差はあるものの一人一人が強い。魔術のスペシャリストたちだ。彼らと同等ならば世間一般で生活している人々の比ではない。何か問題を起こされれば対処するのに骨が折れる。何も起こさなければいいが、こいつの上の者が話に挙げたところを聞くと、もう既に…。
「…事件か?」
「いや、そこまでは分からん。だが…」
「サネルガ! 団長から集合命令だ!」
突然、横から奴の言葉が遮られた。サネルガは返事をすると席から立ち上がる。何か言い掛けていたことに少し気を引かれるが、呼びに来た者の雰囲気が切迫していたので仕方がない。そう思っていたが、奴は律義にコッソリと続きを残していった。真剣味を帯びた瞳をして。
「魔女は既に、三か所に現れたことが分かっているそうだ」
サネルガから魔女の話を聞いてから四か月後。騎士団に入ってから一年が経った十六歳の初冬のこと。騎士団での生活にも慣れ、そろそろ休暇を取って村へ帰ろうかと予定を立てていた矢先に、魔物の異常発生の知らせが入った。
「アヴィスト! 出動命令だ! 行くぞ!」
俺が騎士団に入団してから、最も重要で過酷な任務だった。何度も死を覚悟した。それでもなんとか魔物を全滅させ、生き残ることができた。
王都に帰ると俺は英雄と称えられた。俺の機転のおかげだと言われたが、複雑な思いだった。俺は英雄なんかじゃない、そう団長に伝えてみるも謙遜するなと笑って背中をバシバシ叩いてきた。このクソハゲ親父め。俺は主張を信じてもらえなかったことに機嫌を損ね、半ばやけくそで英雄呼びを黙殺していたら、国王直々に呼び出され英雄の称号を与えられてしまった。まさか国王公認の称号として英雄にされるとは思いもしなかった俺は、断ることなど到底できまいと青い顔をしながらも称号を受け取った。授与されるその場で国王の側に仕える者たちの中に、白い歯と頭皮を光らせて立っていたハゲ団長に怒鳴りつけたい衝動に駆られたが、なんとか抑えた。
この時の俺は、思いもしなかったんだ。
英雄という称号を承ったその日から、たった数日しか経たないうちに。
俺の故郷が、見るも無残な廃村と化すなんて、誰が予想できただろう。
壊された家々。抉られた農地。血の海に沈む村人。
伽藍洞な瞳で空を見上げながら息絶えた者。腹を引き裂かれ中身をぶちまけた者。身体の一部が欠けた者。あまりにも酷い惨状に吐き気を覚えるが、俺の視線は倒れ伏す村人の顔を彷徨う。村にいた時に世話になった人。幼い頃に何回も一緒に遊んだ友人。知っている顔が幾つもあったが、俺の頭に浮かぶ顔はどれにも当てはまらない。
地面にできた血の水溜まりで自身の靴や裾が汚れるのも気にせず、俺は自分の家へと向かって走った。家は潰れていた。瓦礫の山と化した建物の下に、血飛沫の跡と折り重なって倒れる両親の姿が見えた。一瞬、何も考えられなくなったが、ふと隣の家を見る。外壁の一部は形が残っていたが、屋根が失われていた。足を引き摺るようにしながらゆっくり歩き、家の中を覗く。そこには、胴体をすっぱりと分割された男女の死体が残されていた。俺は家に上がり、女の顔を確認する。
女は、彼女──リランの母親だった。
俺は女の顔を確認すると同時に、内心ホッとした。すぐに不謹慎だと思い苦い顔をしたが、死体がリランではなかったことに安心してしまった自分がいることに嘘は吐けなかった。息絶えた二人の前で目を閉じて、暫くの間祈りを捧げる。
その後、壊された家の中を探しても他の死体どころか血痕すら見当たらず、血臭と瓦礫の山で埋もれた村中を見て回ってもリランの姿は見つからなかった。きっと村が魔物に襲われた時はどこかに出掛けていたのだろうと無理やり納得し、騒めく胸を気にしつつも、王都へと帰還した。
何故、もっとよく探さなかったのか。俺が、そのことを後悔するのは、それから二年後のことだった。