その2
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村を出てから数時間経つと、当たり前だが段々日が暮れてきた。
「まじで?」
「だからあしたがいいんじゃない? っていった」
どうやら精霊はハイリッシュに明日の早朝に出発しようと言っていたらしい。
「どうする?」
「うーん……今日はこの辺りで寝るかぁ」
適当だったが、ユージーンは黙って頷いた。森も山もない街道のど真ん中という条件だったが、まぁなんとかなるだろうという気持ちだった。
「なぁ、ユージーンは肉食える人?」
「エルフではないからな」
じゃあいいな。と、ハイリッシュが笑う。
なんだろう。カバンから干し肉でも出てくるのだろうか。
カバン一つで冒険しているらしいハイリッシュが何をするのだろうと見ていれば、ヒュウウウウウと何か降ってくる音がした。
――ドスン。
「こんくらい、くえるだろ?」
「…………あ、あぁ」
ユージーンより大きな二頭身の精霊が、大鷲を片手に降ってきた。
これは、なんだ。何が起こっている。
そんな気持ちを手放そうかどうか迷っているユージーンに、緑色のボディが眩しい風の精霊はずずいっと大鷲を勧めてくる。どうにか受け取ると、今度はささっと体を払う。思い返して気づいたが、あれは精霊なりに身だしなみを整えていたようだ。
「はーちゃん」
「おー、でっかい鳥だな!」
いそいそと恋する乙女のようにハイリッシュに声をかけた精霊が、満面の笑みの少年に頬を染める。
「が、がんばったよ」
「すごいでしょー」
「おいしそうでしょー」
「ごちそうだねー」
パッと綻んだ精霊の笑みにつられるよう、ポポポンと大きな精霊の周りに小さな精霊が現れた。
大きな風の精霊は、もっと褒めてほしいぞとばかり、ぷにっとした体をモジモジさせる。ハイリッシュは気にしたふうもなく「すごいすごい」と手放しに褒めた。精霊がさらにテンションを上げれば、その周りにまた沢山の精霊がポポポンッと現れた。
「おいこら」
「……なんだ?」
あの偉そうな精霊が、大鷲を持つユージーンの前に浮かんでいた。
「とりくらいさばけるだろ」
「まぁ、一応」
やっとけ。と、一言呟くと、精霊はぱぱっと薪を組んだ。木も無い場所で、とも思ったが属性の分からない精霊がなにをしていようと、ユージーンに分かることなど無い。
「おまえのそのせいかくがわざわいしたのにな」
「うるさい」
分からないことをそんなもんかと受け入れる性格を揶揄され、ユージーンは多少反抗的にブチブチと大鷲の羽をむしっていく。
日が落ちる頃には、夕餉の支度が出来ていた。
「あぁ~食った食った」
満足だと言わんばかり、ハイリッシュはポンポンとお腹を叩いて寝転んだ。
「おいしかったー?」
「ああ、美味かった」
ハイリッシュがニコニコ笑えば、精霊の幸福度がぐんと上がった。
「お前のそれは、体質か?」
「なにが?」
精霊に好かれる体質と言えばいいのだろうか。
人を駄目にするかのように世話を焼く精霊たちを見ていると、何が彼らをそうさせるのか気になってくる。
「昔からなのか?」
「んー……、ガキの頃にこいつに会ってからかなぁ?」
こいつ、というのはあのプリズムカラーの精霊だった。
「名前は無いのか?」
「精霊は名前を付けると死んじゃうんだと」
「なぜ?」
「ことしてしきべつされると、ぶんりしてしまう」
「なるほど」
一つの思念を共有できないということは、通常受けている恩恵も返上してしまうということなのだろう。
「せいれいはー」
「せいれいだからー」
「せいれいだー」
きゃっきゃとはしゃぎながら言う精霊の言葉はよく分からなかったけれど、所属しているものから離れれば生きていけないというところは、ユージーンにはなんとなく自分に似ているように思えた。
「んじゃ、料理してもらったから、あとは俺がやるよ。ユージーンは風呂にでも入ってな」
「風呂?」
この街道のど真ん中に風呂?
流石に何を言っているんだと言おうとしたが、その前にしゃっと土の精霊が現れ風呂釜を作り、ジャッと水の精霊が水を張り、ぐわっと火の精霊が温めてお湯にした。
「気持ちいいぞー」
なんてハイリッシュは笑っているが、それどころではない。
精霊は好いた人を堕落させる天才なのか。なんてぼんやり見ていると「はよはいれや」とあのプリズムカラーの精霊に言われてしまった。どうしようか迷ったけれど、断った方がリスクが高いと判断し、ユージーンは言われるままに服を脱いで湯船につかる。
「凄い傷だな」
「元々は騎士団にいたからな」
「凄いな」
凄い、だろうか。
称賛するハイリッシュは、純粋に騎士という存在を尊敬しているようだった。憧憬ともいえる褒め言葉にくすぐったい気持ちになる。バシャバシャと湯を掬って顔を洗ってごまかすも、久しぶりの手放しの好意はユージーンの身に染みた。
「俺も強くなりてぇなー」
「……十分じゃないか?」
手の止まるハイリッシュをシャシャッとフォローする精霊たちを見ていれば、これ以上は不要だと思わずにはいられなかった。
風呂から上がったユージーンは、先に夜の見張りをすると申し出た。
ハイリッシュは「それじゃあ頼むわ」と快諾し、さっさと風呂に入ると風と火の精霊に髪を乾かされ、そのまま地面に転がってすっかり寝入ってしまった。流石にベッドはないのか、カバンの中に入れていたマント出して包まっている。規則正しい寝息が聞こえ始めると、さっきまで姦しかった精霊たちは気づけばいなくなっていた。
ただ一匹を除いて。
「おい」
「……なんだ」
まさか声をかけてくるとは思わず、ユージーンは身構えた。
お互いハイリッシュが寝ているので大声は出さない。ホウホウと遠くから鳥の鳴き声が聞こえ、満点の星空に浮かぶ月が辺りを照らす。
「おまえ、はーちゃんのことをいうつもりか?」
「誰にだ」
「おまえのこきょうのごしゅじんさまだよ」
まぶたも無く、口角も変わらない精霊に見つめられると、笑っているような顔が恐ろしく見えてくる。ユージーンは彼の言った事をしばし考えてみたが、黙って首を振った。
「俺にはもう主人などいない」
「むこうはかえってくるのをまってるぞ」
「そうだとしても、だ」
意思疎通のできる精霊は、こんなにもやっかいなものなのか。
全てを見通した存在に希望をちらつかせられれば、意思の弱い人間などひとたまりもない。ユージーンとて残してきた心は確かにあった。だが、ここでやり直すと決めた以上、最低でも数年は冒険者として生きていくつもりだった。
「はめられたてめぇがわるいがな」
「よく知ってるな」
ユージーンの故郷は遠く、この周りで暮らしているローカル精霊なら知るはずもない。やはり彼は精霊でも特別なのだろう。個性を埋没されなければ存命できないと言っていたが、はたしてこの精霊にも当てはまっているのだろうか。
「おれたちがしょうげんしてやるぞ」
「その子のことを黙っているのと引き換えにか?」
精霊は「そうだ」と言った。
そんなに大事なのかと、ユージーンは感心する。精霊という生き物はもっと感情の無い生き物だと思っていた。
「なにをしてくれなくても、俺は言わない」
「……しんようできるか」
そう言いつつも、精霊はユージーンの心までは読めないようで。
「いったらころす」
「分かった」
その程度の脅しだけ囁くと、ふぃとハイリッシュの側で消えたのだった。
もともとユージーンは公爵家の三男としてこの世に生を受けた。
アインライトは「初めての光」の名の通り、人類が初めて建国した法治国家で、その公爵家であるユージーンの生家は、貴族とはいっても武人の血の方が濃くあった。
家を継ぐものであれど騎士であれ。
そんな家訓のある彼の家であったから、ユージーンもまた疑問に思うこともなく騎士になった。そして彼はとても強かった。
アインライトに比肩する者無し。
それほどユージーンは強く、地位があり、器量も良かった。
彼に騎士を辞めさせたのは、隣国との小競り合いから戻り、結婚相手を求めた時だった。
ユージーンは両親の勧めるままに、とある伯爵家の次女と婚約した。けれど、彼女の姉が問題だった。
次女が誉れ高い「比肩の騎士」に嫁ぐのを面白く思わなかったらしい彼女の姉は、婚約者の次女に会うために訪問したユージーンに襲われたと噂を流した。そうすると今度はどこからか、姉妹共々食い散らかした「夜の騎士」と囁かれるようになった。
勿論、事実無根だったために、ユージーンが弁明する前に、向こうの家から謝罪を受けた。後から考えれば、そこでいったん婚約を白紙にしてしまったのがいけなかった。
婚約は白紙に戻ったけれど、ユージーンも周りの人間も、その噂を笑っていた。何を隠そう彼は童貞だったのだ。騎士として研さんを積むことを至上としていた男が、どうして女性の扱いが上手いだろう。考えればわかるようなことなのに、婚約まで流れて災難だったなぁ、と。彼らはユージーンを労い、女はまだいると彼を励ました。
けれど、日を追うごとにユージーンの噂には尾ひれが付き、「八十七人の処女を切った男」だとか「会話をするだけで股を開く」だとか、段々と笑えないものになっていた。
ついには「王女殿下と寝た男」という浮名まで出てきて、ようやくユージーンは、この噂が好奇心ではなく悪意をもって流されているのだと気づいた。
気づいたけれど、遅かった。
結局、彼は騎士団を辞め、アインライトから出ていった。
悔しくないと言えば嘘だったが、日に日に仲間からの視線が好奇から侮蔑に変わっていくのを、これ以上見ていたくはなかった。
逃げた、と言われればそうだ。ユージーンは故郷から追われたようで、結局は自らの意思で捨てたのだ。騎士を捨て、この地に来て、路銀も尽き、冒険者になった。
もしかしたら、時間薬を経て故郷に戻るかもしれないと思う日もある。
だけど今はまだ、彼の傷ついた心は癒えていない。
結局、ハイリッシュは見張りを変わる時間に起きてこなかった。代わりに大鷲をくれたあの精霊がもう一度空から現れて、見張りを代わった。精霊は、ハイリッシュを起こさないよう、音も無く静かに降りてきたので、薪を眺めていたユージーンが気づくのに一拍かかった。
「……いいのか?」
「いい」
表情が固定された精霊は(もしかしたら彼らは人と話すためだけに、顔のようなものを形成しているのかもしれない)、たき火の世話をしながら夜が明けるまで見張りをした。
はじめ寝付けなかったユージーンがチラリと盗み見たときには、まるで人間のようにたき火の前に座っていたから、あまりの人間臭さに思わず吹き出しそうになった。
「はよねろ」
「ああ、悪かった」
ひとしきり肩を震わせてからユージーンは目を瞑った。野外であったのにも関わらず、そのまま朝までぐっすりと眠ってしまったことに、本人が一番驚いた。
「よく寝てたなー」
「……お前もな」
たっぷり寝たらしいハイリッシュがあっけらかんと言うものだから、ユージーンは怒る気にもなれず火の番をしていた精霊に「ありがとう」と言って、顏と体の繋ぎめの肩らしき部位を叩き労った。