新たな意味を持つスウィング
それはサヤが脳をメスで切り開いているときに、ふとこんな想いが浮かんだからだ。
「今まで自分は宇宙のギタリストと名乗っていたが、宇宙ロケットを飛ばしたことないよな」なぜかそう思ったが、なぜかはわからない。なんだか自分が子供の遊びを思いついてそれで遊ぼうとしたけど、結局止めにした。そんな気分だった。しかしこの宇宙ロケットについて調べてみるとちょっとした発見があった。
確かに自分が宇宙ロケットそのものの開発は出来ないが、宇宙ロケットと全く同じ構造と仕組みを学べるイベントがあるのを知った。その会社は、宇宙ロケットの開発を進めている企業で、彼女は昔高校生の頃に、その社長が高校の卒業講演に来たことを思い出した。それでもし体調が良ければ、と彼女はそのイベントにエントリーしようとした。八月にそのイベントがあった。
しかしそれは一年後の八月だった。そのイベントの時期はもう過ぎていたし、何よりリハビリにたくさん時間がかかったのだ。
まずサヤは自分の名前が書けなかった。単純な文章「今日は、カレーを食べました」
今、という漢字でさえ上手くかけない。それは認めたくないが、ひどく年老いたか、あるいは子供よりもさらに幼くなったかのように彼女は感じた。
それは彼女以外の、この病院にいる患者全てがそうだった。膝の手術をした患者が歩く姿、サヤと同じ脳系の病気を発症し、手術し、喋る練習をする患者、その他たくさんの患者が、かつては得意だったこと、生命力を取り戻そうとしている姿に胸を打たれた。悔しくて流した涙を拭い去り、またリハビリに臨んだ。すぐに回復したわけではない。薬を投与すれば、治癒できるわけではない。ただまずは体力を戻し、経過を見て、退院することを考えた。
サヤはすれ違った看護師から話しかけられた。彼女は、サヤがギタリストだと知っていた。その声をかけられ、自分がパジャマのボタンを掛け違え、左右違う靴下を履いていると指摘されたとき、とんでもなく恥ずかしくなった。しかし自分の音楽をよく聴いていると教えてもらった。都合の悪いことは忘れるようにした。自分の音楽がまだ誰かに必要とされているのだと彼女は自分を信じるようになった。
退院したあと、仲間のミュージシャンたちやスタッフに会いに行った。リハビリのために、適切な、必要なアドバイスをくれる同じギタリストの方に会いに行った。今度こそ、正しい方法を学習させなければ、手術の意味はないと彼女は言った。
治療の成果が出たかはステージに立つまで、スタジオに入り、ギターに触れなければわからない。彼女のギターは、以前のものとは違って見えた。ずっしりと重くて、過去の感覚が染みついていた。いったいどんな音を自分が出せるだろうかと手に持つたびに思った。しかしまだ触ることすらしなかった。なんだか怖かったし、もうそこから新たな意味を持つスウィングを出せられないかもしれない不安という亡霊が漂っていた。
だから彼女は、その亡霊を一つ一つ解消したかった。ギターの練習もしたが、誰からもまた音楽をできる喜びを共有しようと誘われた。彼らは待ち続けてくれると話してくれた。