黄昏が降る
局所性ジストニア。それが彼女の症状の名前であり、それは彼女をひどく不安にさせた。しかしサヤがここまで確信を持ったのは、一度だけではなかった。何度か病院で、その名前はあったし、その度に医師からは否定された。だが、徐々にその可能性が高まってきた。そしてやってくる確信のとき。彼女は落ち着いてその事態を受け止めた。幸福に感じる時間は減ってきていたが、それでも全てゼロではなかった。脳外科手術だ。とはいえ、リスクはあるし、手放しに喜んでいい話ではない。だから慎重に選択を進めなければいけない。辛い現実と向き合わなければいけない。それはさらに彼女の幸福な時間を削り取っていく。
しかしその時間が進むごとに、サヤの中にある迷いも確実に減っていった。
局所性ジストニア。ジストニアは、人の身体が意思とは関係なしに動いてしまう状態や無意識に筋肉がこわばってしまう状態を指していた。
全身のあらゆる筋肉にジストニアは発症し、その症状に基づいて、局所性、全身性ジストニアなどに分類されていた。ジストニアの症状は、手や足、首や体幹など様々な箇所に発症するが、その原因は脳からの指令にあった。つまり脳の病気だった。
その病気は音楽家が楽器を演奏するときに、指や手首が曲がったり、伸びたり、こわばったりする音楽家ジストニアと呼ばれていた。このような手に発症するジストニアは、何度も繰り返し同じ動作を長期間行い続けた結果、発症する。彼女に限らず、ギタリストの腕は、繊細なギターストローク、カッティングなども含め、反復訓練の練習の蓄積したその結果、発症がよくみられる。あらゆる楽器で発症するジストニアには、一般的にはボツリヌス毒素や内服治療が行われますが、効果は限定的で、改善は困難とされている。
今回サヤが受けた手術法は、視床に凝固巣を作成することで症状が劇的に改善する方法だった。手術による熱凝固や電気刺激、低侵襲なガンマナイフや収束超音波などあらゆる方法により、視床に凝固巣を形成することができる。病院側も最適な治療法を彼女に提供した。
しかしそこに至るまでが長かった。少なくとも、サヤにとってはあまりにも長い歳月のようだった。はじめに彼女がその病気を知ったとき、ジストニアではないかと疑った。演奏家などに見られる、脳の症状が指先の感覚を麻痺させる。彼女が読んだ多くの書籍には、それに類似する表現があり、自身の症状と一致していた。
ようやくサヤ自身が治療を決心したとき、指の酷使からの回復や、ストレスの軽減によるメンタルの安定、治療法を共に考え、実践する医術を探す必要となった。
彼女には選択肢は、二つあった。十年ほどかけて、リハビリ治療に専念する方法。もう一つは、手術する。サヤは迷わなかった。彼女は手術を決心し、これから自分が出演予定だったライブやレコーディングを延期すると発表し、活動を休止した。誰もが彼女を心配したし、手術の成功を願った。
その連絡を直接受けた私は、彼女の失った宇宙のギター(それは愛称だ)が、大気圏で粉々になった姿を今こうしてイメージしている。もちろんそうではない、ほんの少し先で出会う彼女の未来の姿も。
私や彼女の音楽が大好きだと言ってくれた人たちは、彼女と同じくらい途方に暮れ、その黄昏がいつか自分にも降りかかってくるのだろうかと考える。
けど、もし彼女がそのいくらかを取り戻せたら、その小さな炎を、誰かに分け与えられるなら、みんななんて言うだろう。その小さな炎の育み方を真剣に学ぼうとするはずだ。それは私もそうだった。だからこの話は、基本的に、誰の心にもある小さな炎が消えかけてしまったときに読んでほしい話だ。