24. 取引
サラの魔法は子守唄のようだった。
ゆったりと揺り篭を揺らす様な優しく温かい魔力に包まれて、ソフィアは白い意識の海を漂っていた。
(これは、お母様?)
優しい女性の声で紡がれるメロディに、ソフィアの胸がジワリと熱くなる。その唄に合わせるように、低い男性の声が重なる。
(……ああ。お父様)
きっとこれは、胎児の時の記憶だとソフィアは思った。
ソフィアの肉体は、ガイアードの一撃により機能を停止していた。ダンジョン内で失われた命は、しばらく魂のまま彷徨い、ダンジョンに取り込まれて消滅する。ソフィアの魂もそうなるはずであった。
それを繋ぎとめていたものがある。
(ああ。私の腕。お兄様と繋がってるんだわ)
魂になったことで、唐突にソフィアは兄との初めての邂逅を思い出した。あの時のような、恐怖や絶望感は感じなかった。それよりも、兄と繋がっていたことが嬉しかった。腕を通して流れてくる、兄の気持ちが嬉しかった。
『……。この子達を守ってあげてね』
記憶の中の母の声が聞こえる。誰かに話しかけているようだった。
『ああ』
父ではない別の男性の声がした。
(ああ……!)
ソフィアの胸が一気に熱くなる。
『愛してる』
『愛してる』
記憶の中の両親が、呼びかけている。温かい。温かい記憶。
(私、こんなに幸せだったんだわ)
ソフィアの頬を、一粒の涙が伝った。
「ソフィア様ぁ!」
「……キト……?」
ソフィアはゆっくりと目を開けた。モフモフの兎が、胸の上で泣いている。
「ソフィア様! 良かったぁ。良かったぁ」
「ふふ。キトったら、酷い顔」
「ふわああああん!」
ソフィアはキトを抱いたまま、上半身を起こした。その肩をそっと支える者がいる。
「ソフィア」
「お兄様」
ソフィアはにっこりと微笑んだ。兄がいつもバツが悪そうにしていた理由を思い出したことは、黙っておこう。
「お兄様。夢の中で、お母様とお父様の声を聴いたわ。私達のこと『愛してる』って」
「『愛してる』?」
「うん」
ソフィアはキトを横に降ろすと、ヒューの首に腕を回した。
「お兄様。愛してる」
「愛してる、とは何だ? よく、分からない」
そう言いながら、ヒューはソフィアの背中に腕を回し、ギュッと抱きしめ返した。ふふ、とソフィアは笑った。それで十分だった。
ヒューの肩越しに、ガイアードとシェリルの姿が見えた。他の者の姿は無かった。
「カイト達は……?」
「帰った。とんでもない置き土産を置いて、な」
ソフィアの問いに、ガイアードが苦い顔で答えた。
「『聖女の揺り篭』」
時は、サラが魔法を唱えた直後まで遡る。
サラの回復魔法により、ガイアードは正気を取り戻した。サラの祈りは肉体だけでなく、精神にまで効果を及ぼしたようだ。
古代龍の尻尾に捕らわれたまま、ガイアードは傷が癒えたヒューを見て安心し、そのヒューが腕に抱える者を見て愕然とした。ガイアードは自分が『勇者』諸共、ソフィアまで刺したことを悟った。
「ソフィア……!」
ソフィアは、死んでいた。
ヒューが必死で蘇生を試みているが効果がない様だ。無理もない。ガイアードの剣は、生命の『核』の様な物を傷付け、そこから命を奪い続けるのだ。それは、呪いにも似ていた。只の蘇生魔法で蘇るほど、生ぬるい剣ではない。
「ソフィア……! ヒュー!」
「大丈夫よ」
後悔に押しつぶされそうになっていたガイアードの耳に、少女の声が届いた。
少女は『勇者』の手当てを終えたところだった。
「なっ……!? 勇者が生きているだと?」
ガイアードは息をのんだ。ガイアードの剣は勇者の心臓を貫いたはずだった。実際、カイトは自己修復と回復魔法で傷を塞ごうと試みたが効果が無く、本来ならばあのまま苦しみながら死んでいただろう。
しかし、今は安らかに寝息を立てて床に転がっている。
サラが使った『聖女の揺り篭』は、特級回復魔法である『聖女の祝福』をアレンジしたものだ。『聖女の祝福』には肉体の治癒と解呪の効果がある。ガイアードの剣は普通の解呪では効果がないはずだが、聖女の魔法には特殊効果があったのだろう。
「大丈夫よ。ガイアード。ソフィアも治すわ」
『聖女』は、優しく『魔族』に微笑んだ。その笑みは、とても10代の少女のものとは思えなかった。
「待て。サラ」
肩を掴まれ、聖女が足を止める。
「リューク?」
「ガイアードと取引をする」
「え? でも、ソフィアが」
「取引をする時間はある。サラ。これは必要なことだ」
リュークの瞳孔は縦に伸びている。サラは一刻も早くソフィアを助けたかったが、サラの肩を掴むリュークの腕はビクともしない。
「リューク……!」
リュークを見上げたサラを、ユーティスとパルマが窘める。
「サラ。今回だけだと、約束したはずだ」
「サラさん。おじさんを信じて」
グッ、とサラは言葉に詰まった。そのサラに優しく微笑んで「大丈夫だ」とリュークは頷いた。サラは小さく頷き返し、パルマ達の元へ戻った。
「取引、と言ったか。早く言え」
ガイアードはリュークを睨んだ。
「以下の条件を呑んでもらう。対価は『魔王』を初め、ここにいる全員および、魔王の国に居る『魔族』達を見逃そう」
「……条件を言え」
リュークが提示した条件は以下の5つである。
①全員の脱出を見逃すこと
②魔王の国に監視役としてジークを置くこと
③魔王の国から魔族を出さないこと
④新たな魔族を発生させないこと
⑤今後、勇者と聖女に手を出さないこと
「貴様! 調子に乗るなよ!」
「悪いが、俺は商人なんでな」
ガイアードが吼えたが、リュークは涼しい顔だ。
到底、受け入れられない条件であった。
しかし、受けなければソフィアだけではなく、ここに居る全員が死に、魔王軍も全滅させられるだろう。この古代龍は黒龍だ。『魔』を滅ぼすことは出来ないとはいえ、物理的に全てを破壊することは可能なのだ。そしてそれを止められる者は、誰もいない。
ガイアードの誇りが、屈することを拒んでいた。「断る」と言いかけて、ふと、ガイアードはユーティスと目が合った。
ガイアードの脳裏に、罵られながらも聖女を守るためにシールドを張り続けた少年の姿が過る。
「………………少年よ」
ガイアードは、グッと腹に力を入れた。
「お前の気高さ、見習おう」
「……何?」
ガイアードはリュークの目を見据えた。
「黒龍よ、貴様の条件を全てのもう。ただし、俺の権限で出来る範囲で、だ。『魔王』が目覚めれば俺の力では抑えられん」
リュークが、ふっ、と笑った。
「分かった。今は、それでいいだろう。全力で当たるには、お互い準備不足だ」
「全くだ」
ガイアードも力を抜いて、ふんっ、と笑った。
「……我、ガイアード・アーサー・アルバトロスと」
「リューク・マリア・フリードの名において、契約する」
「我、ジーク・フリードが証人である。約束を違えた場合、それ相応の制裁を加える」
こうして、サラ達はソフィアを癒した後、ジークを残しダンジョンから脱出したのだった。
「そう。私達は、サーラちゃんに救われたのね」
ガイアードから話を聞き、ソフィアがポツリと呟いた。
その後、外への侵略を封じられた魔王軍は、根本的な体質改善を図り、軍事力の強化に努めることとなる。
ガイアードはレダコート国の方角を見つめ、拳を握りしめた。
(『魔王』が覚醒するまでの辛抱だ。この借りは必ず返す。覚えていろ。『勇者』ども……!)
一方、シラクの町に戻ったサラ達は、『紅の鹿』やリーン達に囲まれていた。サラ達が無事に戻ったことを受け、ダンジョンに残っていたボブとライラも地上に戻ってきた。
「良く、頑張ったね」
パルマから報告を受けたリーンが、真っ先に声をかけ頭を撫でたのはユーティスであった。ユーティスはグッと涙を堪えた。
今回の事件は、カイトが無理な『勇者の力』を使ったことが引き金であった。
今後の予防として、リーンはカイトの魔力を封じることを提案した。驚いたことに、カイトは大人しく従った。カイトは、自分の振る舞いがソフィアを傷付けたことを気に病んでいたのだ。
「カイトしゃま……」
5歳くらいの姿にされたリリーが、カイトの決断に戸惑いを見せていた。
「リリー。僕、魔物を倒せれば、全部解決するって思ってた」
ソフィアと同じく、カイトは自分のせいでリリー達の様な犠牲者が出ていたことを知り、心が揺れ始めていた。後悔までは出来ていない。が、自分がいかに独りであったかに気付き、カイトの心に『恐怖』が芽生え始めていた。
「僕、何も知らなかった。僕、きっと、色々間違えてるんだ」
自分以外の存在にも心があることを、カイトは意識する様になった。
「リリー。ごめんなさい。皆も、ごめんなさい……!」
カイトは生まれて初めて頭を下げた。
今回のことは、カイトが大きく成長する事件となった。
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さて、プレ冒険者編(←勝手に名付けた)が終わりました!
次回からは卒業したサラが冒険者として成長していく話になります。
新キャラや久々のあの子も登場予定です。




