2. 12歳の夜会
レダコート国において、成人は15歳を迎える年からとされている。
だが、その前に大きな節目がある。それが、社交界デビューを果たす12歳だ。
これは貴族だけに限った事ではなく、王都だけでも3つある『学園』に入学できるようになるのもこの歳からであった。
また、学園に通わない者にとっても、冒険者見習いとしてギルドに所属したり、大人と同等の条件で働けるようになるのも12歳からであり、全てのレダコート国民にとって、『12歳』とは子供が家を飛び出し社会へと羽ばたく重要な意味を持つ歳であった。
そして今夜、全貴族が待ち望んだ一大イベントが王城で催される。
第一王子ユーティスの12歳の誕生祭である。
年頃の娘がいる貴族は元より、該当する娘のいない家でも親戚あるいは平民から養子をとり、この日のために英才教育を施していた。
第一王子の目に留まれば、王妃になるのも夢ではないのだ。
今宵のパーティは、貴族達の戦場なのである。
そんな中、シェード家だけは様子が違っていた。
ゴルドは娘達を王家に嫁がせるのは反対だった。現国王の側室となったゴルドの末の妹が、苦労の末に早世したのを彼は許せていなかったのだ。それだけに、2年前にユーティスがサラを訪ねて来たと聞いた時は、家じゅうに塩をまいた。どういう意味があるのかは分からなかったが、テスから『縁を切りたいなら塩をまくのが一番です』と言われたからだ。『鬼』の先祖の言い伝えなのだという。まき過ぎて、一時王都から塩が消えたくらいだ。
とは言ったものの、王家から直々にパーティへの招待状が届いてしまったからには、行かないという選択肢はない。そして行くからには、サラに惨めな思いをさせる訳にはいかず、サラの社交界デビューを最高のものにしてみせる、と、親馬鹿全開でゴルドはこのミッションに挑んでいた。
「お父様。支度が整いましたわ」
「……ぼふっ」
書斎のドアをノックして現れた娘の姿に、無表情のままゴルドは吹いた。
衝撃的な愛らしさだった。
髪の色に合わせるか、瞳の色に合わせるか1カ月間悩みに悩んで濃紺のドレスを選んだ。10代の令嬢達が多く集まる場では、桃色のドレスでは埋もれてしまうと考えたからだ。12歳の娘に濃紺のドレスは地味すぎるのでは、とも考えたが、そこは職人達の腕の見せ所である。職人達はサラの可愛らしさに感動し、何着も試作品を用意してきた。その中から「これだ!」とゴルドが選んだのが、目の前で娘が恥ずかしそうに着ている肩の大きく開いたドレスである。
夜空に浮かぶ星空の様にピンクパールを散りばめたそのドレスは、色の白いサラの肌に良く似合っていた。
薄桃色の髪は高く結い上げ、所々にピンクパールを縫い付けた濃紺のリボンで飾ってある。細いうなじには、ピンクパールのネックレスが上品に華を添えていた。
装飾品は胸元に添えたピンクの薔薇とピンクパールだけというシンプルさが、かえって素体の良さを際立たせている。
「もらった……!」
ぐっ、と小さくゴルドは拳を握りしめた。
サラは「少し露出が多いのでは?」と苦情を言うつもりでいたのだが、既にやり遂げた感のある父と、父の後ろで涙を拭う執事のハインツと、シズの遺影をサラに向けているテスを見て、空気を読まざるを得なかった。
「おや、可愛いね」
「お兄様!」
サラの後ろから、背の高い青年が現れた。ゴルドの長男であり、シェード家の跡取りであるアイザックである。
「今日はよろしくお願いします。お兄様」
「任せておいて。完璧なエスコートをしてみせるよ」
アイザックはキラリと微笑んだ。ゴルドとほぼ同じ顔にも係わらず、ミントの香りが漂ってきそうな、得も言われぬ爽やかさである。ノルンの邸宅で初めて紹介された時から、サラはこの兄を気に入っていた。サラも微笑み返した。
まだ日の高い内から、パーティの参加者達が続々と王城へと集まってきた。
参加者は一度、爵位ごとに控室に案内され、家名が呼ばれるのを待った。身分の低い者から家名を呼ばれ、玉座から遠い場所へと順番に案内されていく。今夜のパーティは大混雑が予想されるため、参加者は各家から3名までと制限がかけられていたものの、それでもかなりの人数となっていた。
王都に夜のとばりが降り始めたころ、ようやく大広間の5分の4ほどが埋まった。
ここから後は、伯爵、侯爵、公爵家と続き、最後が王家となる。
「トライス伯爵家。カスタム伯爵家。ロマニー伯爵家……」
順番に、伯爵家の名が呼ばれ、豪華な衣装に身を包んだ令嬢たちが一族の貴公子にエスコートされながら入場していく。
大貴族の登場に、大広間のボルテージは高まっていく。今宵のパーティは、王子を狙う令嬢だけのものではない。国中の令嬢達が集まるパーティというのは、そうそうある訳ではなく、これは独身の貴公子達にとってもまたとないチャンスなのだ。そして、王子を諦めた令嬢達にとっても、高貴な貴公子達と知り合える絶好の機会なのである。
今ここは、王子の誕生祭という名目の狩猟場と化していた。
今年で20歳になるアイザックも例外ではなかった。本人は渋っていたが、可愛い娘のデビューに命を燃やす父の熱意に負けて、参加することになったのだ。
そして、やるからには全力を注ぐのがシェード家である。
「……シェード伯爵家」
伯爵家の中でも最も有力とされる大貴族の名が読み上げられ、会場のボルテージは最高潮に達すると思われた。が、広場に足を踏み入れた三人を見て、人々は水を打った様に静まり返った。
優雅に一礼する当主のゴルド。端正なマスクに渋さと知性、大貴族の威厳が備わる美丈夫だ。奥様方からため息がこぼれる。
その後ろに続くアイザック。ゴルドを若くし、優雅さと華やかさを加えた色男だ。爽やかな笑みをたっぷりと観衆に見せつけた後、ゆっくりと一礼する。くらり、と令嬢達がよろめいた。
そして、そのアイザックにエスコートされるサラ。華やかな色のドレスが多い中、異例ともいえる濃紺のドレスを着こなし、父と兄の後に続く初々しい美少女。
三人の姿は、あたかも姫とそれを護る騎士の様であった。
姫はやや緊張した面持ちで会場を見回していたが、突然、華が咲いたように顔を輝かせて微笑んだ。
その笑みは、ほとんどの貴公子の胸を射抜き、ほぼ全ての令嬢に『敵だ』と認識された。
そんな娘の笑みを見て、再びゴルドが「……もらった!」と呟き、「私も負けられませんね」とアイザックは再び3割増しの『ええ顔』で微笑んだ。
その後、侯爵家が呼ばれ、公爵家が入場し、最後に王家が登場したところで、会場は再び静まり返った。原因はもちろん、第一王子ユーティスである。2年前より20センチほど背が伸び、美貌に磨きがかかった自信あふれる王子の姿は、この世に舞い降りた太陽神の様であった。
(やっぱり、ゲームよりずっと格好良くなってる……!)
サラはポカンと口を開けたまま、思わず見とれてしまっていた。そんなサラに気が付いて、ユーティスは鮮やかに微笑むと、優雅に一礼した。きゃあ、と会場から黄色い歓声が上がる。ユーティスは他の方向にも礼を繰り返し、会場中が黄色い歓声に包まれた。
ちなみに、パルマは公爵家のところで登場した。あちこちで令嬢達から華やいだ声が上がっており、中々の人気であった。サラは幼馴染の登場に、思わず手を振ってしまって兄から肩を掴まれたが、パルマはにっこり笑って手を振り返してくれた。周囲の令嬢達からサラが睨まれたことは言うまでもない。
最後に国王が登場し、挨拶をしたところで宴が始まった。
父と兄に一言断ると、サラは真っ先に広場の中央、子爵家が多く集まる一角へと向かった。
既に兄は色とりどりの花々に囲まれて身動きが取れなくなっており、父は父を慕う若い貴族達や奥方様に行く手を阻まれてしまった。
サラも幾人もの上位貴族の貴公子からダンスのお誘いを受けたが、笑顔一つで断りつつ、足早に貴族達の間をすり抜けていった。
伯爵家トップのご令嬢が、供もつけずに宴の序盤から下位貴族の中に飛び込んでくるなど、有り得ないことである。下位の貴族から上位貴族へ声を掛けることは不敬とされているため、子爵家以下の貴族達は呆然とサラの動向を見つめることしか出来なかった。
「ロイ!」
サラは群衆の中でも一際異彩を放つ、黒髪の美青年の名を呼んだ。
「ご無沙汰をいたしております。サラ様」
ロイは艶っぽい笑みで応えた。
「ロイ! 会いたかった!」
サラは脇目も振らずロイの元へ駆け寄ると、その胸に飛び込んだ。ざわめきが周囲に広がるが、当の本人は気付いていない。
サラはこの広間に入ってきた際、真っ先にロイの姿を探した。アグロスを葬った後、一度も会わないまま別れてしまったため、この2年間、ずっと、ずっと心配していたのだ。
本来ならば、ロイはこの日、異国の暗殺者として囚われる運命だった。そのロイが、立派な貴族の衣装を着て、誰よりも輝いて、微笑んでいた。
サラの胸は感動で満ちていた。
「皆様が注目していますよ? サラ様」
「あっ!」
耳元でロイに囁かれて、我に返った。サラはパッと身を離すと、たおやかに微笑んで、誤魔化すようにエドワードに向き直った。内心では心臓が激しく高鳴っている。
「お久しぶりです。エドワード・ビトレール子爵およびロイ様」
「先日は大変お世話になっておきながら、何も言わずに帰ってしまい大変失礼をいたしました。息子共々、貴方様には深く、深く感謝申し上げます」
エドワードは少し目を潤ませながら、サラに一礼した。エドワードもずっと、サラに礼が言えていないことを気にしていたのだろう。
「お気になさらないでください。エドワード卿。理由は存じ上げております。こうして、またお会いすることが出来て嬉しく思います」
危うくサラももらい泣きするところだった。エドワードはすっかり顔色が良く、見違えるほど男前になっていた。助けられて良かった、とサラは改めて思った。
「サラ・フィナ・シェード様……サラ様とお呼びしても?」
「もちろんです」
「サラ様、こちらにおりますのは、私の娘でありロイの妹であるシャルロットでございます」
「!? シ、シャ、シャルロット・ビトレールでございます!」
急に話を振られて、シャルロットは動揺していた。誰よりも美しい兄に自然に抱き着いた、誰よりも愛らしい高貴なご令嬢。絵画の様な二人の姿が目に焼き付いて、頭がショートしていたのだ。
「お話はグラン様から聞いています。私と同い年だそうですね? 仲良くしてくださいね」
「はははははい!」
サラに間近でにっこりと笑みを向けられて、シャルロットは確信した。
(お父様といい、お兄様といい、私の血は美男美女に弱すぎです! 『面食い』です!)
顔を真っ赤にして頭を縦にする妹に苦笑しながら、ロイはサラを見つめた。
最後に見たサラは、大切な人を失った悲しみに打ちひしがれていた。一日たりとも、あの光景を忘れたことはない。2年ぶりに見るサラは、美しかった。紺色のドレスと化粧のせいもあり、ずいぶんと大人びて見える。
見た目の年齢と精神年齢がほぼ釣り合っているロイであったが、今日のサラには少し胸の奥がうずいてしまった。胸の中の精霊達が応援している気がする。
「サラ様」
思わず、声を掛けてしまった。上位貴族の方向から、見知った顔がいくつか近づいてくるのが見える。この機会を逃せば、きっと後悔する。
「私と、踊っていただけますか?」
言った後で、断られたらどうしよう、と恐怖で手が震えてきた。見た目こそ百戦錬磨の貴公子だが、今宵はロイにとっても社交界デビューなのだ。
サラは一瞬きょとんと固まったが、直ぐに赤面し、そしてとびきりの笑顔になった。
「喜んで! ロイ様」
サラの小さな手が重なると、ロイの震えはピタリと治まった。
二人は手を取りながら、ダンスをするために開かれた空間へと進み出た。
広場中の視線が、二人に注がれていた。
お互いに人前で踊るのは初めての経験であり、少しぎこちなさはあったが、それすらも愛おしく思えてしまうほど、二人の舞いは美しかった。
「ロイ」
「ん?」
「ますます綺麗になったね!」
「ははは! それは俺の台詞だよ」
2年越しに、二人は手を取り笑い合った。何処かに残っていた心のつかえが、ふわっと消えていくのをサラは感じていた。
曲が終わって一礼すると、すっ、と横から手を差し伸べる者がいた。ユーティスである。
更に大広間のざわめきが広がった。
この会場で最も華のある美少年と美青年が、可憐な伯爵令嬢を奪い合っているのである。しかも一人は今日の主役である第一王子、もう一人はただの子爵家の庶子だ。
ゴシップ好きの貴族達の熱い視線が、三人に注がれた。
「いつまでサラの手を握っているつもりだ」
「これは、失礼をいたしました。ユーティス王子。……サラ様がお放しにならないので」
「え!? あ、ごめんなさい!」
指摘されて、サラはロイの手を握りしめていたままだったことに気が付いた。慌てて手を離す。その手を、ぱっと取る者がいた。
「何やってるんですか? 曲始まってますよ? さ、二人はほっといて、サラさん踊りましょうか」
「「「あ」」」
パルマだった。ポカンと口を開けたままのサラと踊り始めたついでに、パルマは一つ、爆弾を投下した。
「あ! ティアナさん! 王子が踊る相手を探してるみたいですよ!」
近くで王子を見つめていた公爵令嬢の目がギラリと光った。
「なっ!? パルマ、貴様っ」
「ユーティス様! 私が、お相手して差し上げますわっ!」
ティアナは瞬間移動かと疑いたくなるような素早さで、ユーティスの手をつかみ取った。
「くっ! ……ティアナ、1曲だけだぞ」
ユーティスはこの血縁の幼馴染が苦手だった。苦手だが、嫌いではなかった。
「10曲くらい、よろしくてよ!?」
「よろしくない」
ユーティスは優雅に苦笑した。
「何やかんや、仲いいんですよね。あの二人」
パルマが朗らかに笑っている。
「ユーティス……様とティアナ様?」
「ええ。ティアナ様、昔は気難しいところがあったんですが、最近はお母様と上手くいっているようで、よく城に遊びにくるんです」
「……そう、ですか」
「サラさんのおかげですよ?」
「え?」
「あなたが始めたことだ、って、前、言ったの覚えてます?」
それは、アグロスの地下から逃げた先の洞窟の中でのことだ。もちろん、覚えている。
「あの時は、厳しいことを言ってすみませんでした。でも、あなたが始めたことで、きっと色んなことが変わったんです。悪いことあったでしょう。だけどああして、いい風に変わったことも沢山ある。僕も、あなたが居なければ、ただの弱いパルマのままでした。ありがとうございます」
パルマが穏やかに微笑んだ。感謝したいのは、サラの方だ。パルマの叱責があったから、逃げない覚悟が出来たのだ。
「パルマ……いつも、ありがとう」
「はは! 何か困ったことがあったら、頼ってくださいね。 修行の成果を見て欲しいんで!」
「……うん!」
パルマのエスコートは、とても優しい。周りのことを気遣って動いているのがよく分かった。先ほども、ユーティスとロイの険悪な雰囲気を察して、パルマらしく軽やかに助けてくれた。パルマは地味なのではなく、わざとフォロー役に徹しているのだ、とサラは思った。……当の本人はそんなつもりはなく、『脱・地味ポジション』を狙って努力しているのだが。
曲が終わって笑顔で一礼すると、パルマはサラの手を取ってユーティスの元へ案内した。
「シェード家のサラ様ね? 私は公爵家のティアナよ。本当はあと20曲くらいユーティス様と踊って差し上げたいのですけど、他の方とも踊らないといけないので譲って差し上げますわ!」
感謝なさって、とティアナは胸を張った。普通の令嬢ならば、ティアナの威圧的な態度に恐縮するか反目するかのどちらかであろうが、サラは『ティアナがティアナのまま、ユーティスと仲良くしている』ことに、涙が込み上げてくるほど喜びを感じていた。
「お気遣い感謝いたします。ティアナ様」
潤んだ目で、サラはティアナを見つめ一礼した。ゲームでのサラは、貴族としての常識のないままこの夜会に参加し、非常識な振る舞いでティアナから目をつけられてしまう。しかし、この2年間ノルンで父と兄の指導の下、令嬢修行に励んだサラは『可憐で優雅な伯爵令嬢』としての印象をティアナに与えることに成功していた。
「サラ様! 私のライバルに認定して差し上げますわ!」
「……はい?」
「では、また。ごきげんよう」
ティアナは満面の笑みでパルマの腕をとって去っていった。パルマが苦笑しながら手を振っていた。
「え? あの……」
「気にするな。あれは『お友達になってくださいませ』という意味だ。……珍しいな」
真後ろから声を掛けられて、はっ、とサラは振り返った。すぐ近くに、ユーティスの煌めくような美貌があった。思ったより近かったこともあり、サラは赤面してしまう。ロイは孫、パルマは友の様に感じているサラだったが、ユーティスの位置づけがよく分からないのだ。無駄に、ドキドキしてしまう。
「さあ、邪魔者はいなくなった。私と、踊っていただけますね? サラ」
「……はい。喜んで。ユーティス様」
赤い顔と潤んだ瞳のまま、サラはユーティスの差し出した手に、ゆっくりと細い指を重ねた。
その時だった。
けたたましく窓ガラスが割れる音と、令嬢たちの悲鳴が上がった。そして……
「危ない!」
「ユーティス!?」
天井に吊るされた巨大なシャンデリアが、二人の上に落下した。
ブックマーク、評価、感想、誤字報告、ありがとうございます!
励みになってます。
思ったより夜会が長くなってしまい、更新が遅くなりました! 申し訳ありません。
「異世界・恋愛」のジャンルに登録しておきながら、「恋愛要素、足りなくない??」と今頃気が付き、青ざめております。だって、苦手なんですもん!(泣)
でも、頑張ります。拙い文章ですが、これからもお付き合いいただけると幸いです。




