番外編6 イッヒ ハイセ レオンハルト
「これが『S会』ノルン支部の新商品、『シュトーレン』だ」
「え? シュトーレン?」
王都レダの武器屋の一室で、目の前に出された砂糖の塊を前に、パルマは固まった。
リュークが箱から取り出したそれは、直径20センチ程のコッペパンの様な形をしていた。ナイフで薄く切り取ると、薄い生地の中にはギッシリとクルミやラム酒に付け込んだレーズンが入っており、パン全体を茶色い砂糖が覆っている。
「日持ちがするパンだ。ノルンのAランク冒険者から、ダンジョンや長旅でも美味いものが食べたいとリクエストがあったらしい。食後に一口かじるだけで『元気100倍』だそうだ」
「え!? かじるんですか? せっかく日持ちするのに? 唾液がついたら菌が繁殖するじゃないですか。どこの頭悪い冒険者ですか?」
「……ボブは良いやつだぞ」
「はいはい。それより、味見していいですか?」
「もちろんだ!」
リュークはキラキラと目を輝かせて、パルマが口に入れるのを待っている。リアクションを期待されても困るなぁ、と考えながら、パルマは『シュトーレン』の切れ端を放り込んだ。
「んん!」
パルマは目を見開いた。その反応に、リュークはガタンと立ち上がる。
「レッカー!」
パルマが叫んだ。
「これを食べし…………れっかぁ?」
リュークが拳を中途半端に掲げた状態で目をパチクリさせている。
「あ、いえ。お気になさらず。それより、おじさん。僕は今日はこの『シュトーレン』の感動を噛みしめたいので、修行をさぼってもいいでしょうか?」
リュークが中途半端だった拳を突き上げた。
「ふはははは! やはりパルマにはこの『シュトーレン』の素晴らしさが分かるようだな!? いいとも! 今日は修行をさぼりたまえ!」
「怖っ! なんでおじさん達、『S会』の新商品を食べるとそうなっちゃうんですか!? 何か悪い物入ってるんじゃないですか!? 怖っ!」
ふはははは、と何故か勝ち誇るリュークを置いて、『シュトーレン』を抱えたまま、パルマはリュークの部屋を後にした。
(『シュトーレン』、ねぇ……)
パルマはもう一口頬張る。この国では、白い砂糖は高級品だ。表面の砂糖が茶色いのは仕方ない。更に言うなれば、もう少しバターとラム酒が効いていて、しっとりした生地の方がパルマは好みだ。
武器屋に用意してもらった自室に戻る途中、歌声が聞こえた。リーンだ。古代エルフは木の上で足を延ばし、この世界には存在しない言葉で歌っている。意味は分からないが、始まりの聖女・マリエールが歌っていたのを覚えたそうだ。
パルマはレダスだった頃、何度がこの歌を聞いた。美しく、哀しい調べのその曲は鎮魂歌なのだという。きっと、リーンはシズのために歌っている。あるいは、アグロスに向けたものかもしれない。
今日はあの日から、ちょうど1年目だった。
リュークがパルマに『シュトーレン』を持ってきてくれたのも、何らかの気遣いだったのかもしれない。
(サラさんは、元気だろうか)
パルマは自室のベッドに寝転がりながら、薄桃色の髪の少女を思い浮かべた。
子守唄の様に、父の歌声がここまで聞こえてくる。悔しいが、父は歌が上手かった。
「………………」
(美しい子供達。あなた達の魂を、天使が空へと連れていく)
「………………」
(虹をつたう雨が、私たちに降り注ぐ)
「………………」
(ああ、私が鳥ならば、共に飛んでいけるのに)
「………………」
(ああ、美しい子供達。この歌が聞こえますか?)
「…………? …? ……? ……! …………」
(ケルト人の……? あれ? ケトルだっけ? まいっか! ケトル人の……)
「良くないわ!」
父の歌を翻訳していたパルマは、思わず声に出して突っ込んだ。
レダスの時は、父の歌の意味が全く分からなかった。でも、今のパルマには理解することが出来る。
(これは、フランス語だ。マリエールはフランス人だったんだな)
レダスは、パルマの前にも幾度となく転生を繰り返してきた。
人の時もあれば、虫や鳥や魚のこともあった。魔物として冒険者に倒されたこともある。けれど、この世界の人間として生を受けた場合は必ず、『レダスの記憶持ち』としてレダスの血脈の中に宿った。
ただ、長い転生の中で数回だけ、この世界ではない世界に転生したことがあった。
この世界は、『異界の扉』がほんの少し開いているのだと、かつて父から聞いたことがある。恐らく、魂の状態になったレダスはその扉を無意識のうちに通ってしまったのだろう。あるいは、女神セレナの気まぐれか。
「イッヒ ハイセ レオンハルト(私の名はレオンハルトだ)」
パルマの、前々前世はドイツの将校だった。第二次世界大戦でフランス軍と戦い、戦死した。フランス語に堪能なレオンハルトは、フランス軍の暗号解読を行う軍役についていた。
レダスの子孫以外で生まれた時は、『レダスの記憶』は目覚めることは無い。死んで、この世界の人間に生まれ変わった時、初めて異界で生きていたことを知るのだ。
そんなレダスだからこそ、分かることがある。
(サラさんは、異世界人だ)
『S会』の活動内容を知れば知るほど、その疑惑は確信に変わっていった。そして、今日の『シュトーレン』だ。これは、故郷ドイツではクリスマスの時期に食べられる、パンのような食べ物だ。母と祖母の作る『シュトーレン』を食べ比べするのが、幼いレオンハルトの楽しみだった。
レダスはいつの時代でも、異世界で得た知識をこの世界に持ち込むことはしなかった。特に、戦争関係の知識を利用することだけは、自分の中で強く禁じていた。銃一つで、この世界は変わってしまう。武器だけでなく、蒸気や電気などの発明も危険だと判断していた。
(まいったなあ。サラさん。遠慮がないや)
過去にも、数人、異世界人が転移、あるいは転生してきたことがあった。この世界が、レオンハルトの世界でいうところの18世紀から19世紀の『近世ヨーロッパ』に似ているのも、彼らの影響であろう。彼らの『発明』が世界に影響を及ぼす前に、消す。それが、レダスの使命でもあった。第二次世界大戦のような戦争だけは、起こさせるわけにはいかない。
だというのに、よりにもよって聖女が異世界人とは!
(ああ、美味しいな……)
パルマはもう一切れ、口に運んだ。
『S会』を知れば知るほど、サラを知れば知るほど、今までの自分の使命が馬鹿みたいに思えてきた。
戦争に繋がるものは、認める訳にはいかない。
けれど、このパンはどうだろう。『S会』の作り出す商品の数々は、人々の生活を豊かにし、笑顔を生み出している。これを奪う必要があるのだろうか。そんな権利が、自分にあるのだろうか。
パルマは葛藤していた。
「………………」
父の歌は続いている。後半に行くにつれ、歌詞がめちゃくちゃだ。うろ覚えなのだろう。
(何だよ、『オークの腹で猫踊る。ウエーイ』って)
パルマは苦笑した。父は、自由すぎる。
(そういえば、何故、自分は行く先々で『地味』と言われるのだろう)
ふと、パルマはそんなことを思った。
見た目は悪くない。家柄に至っては、ある意味で王家以上だ。頭もいい。運動神経も悪くないし、魔術師としての腕もかなりのものだ。
(これだけハイスペックなのに、何故、『地味』なんだ?)
そして、優秀であるが故に、気付いてしまった。
「性格かああああああ」
うわあああ、とパルマは枕に顔を埋めた。
「これは、まずい」
真面目なパルマは、とてつもない危機感に襲われていた。
キラキラと光を放つユーティスや父、サラの姿が脳裏を横切った。
ガバッと、パルマは身を起こした。
(何とかしなければ! このままでは、一生『地味』なまま埋もれてしまう!)
パルマはベッドがから飛び降りると、リュークの元へ走った。
「おじさん!」
ばんっ! と、リュークの部屋のドアを開け放った。
(一度だけ、動いてみよう!)
「『S会』の本拠地は、『ジムの家』でしたよね!?」
「な! なぜそれを……!」
「そういうのいいですから! 僕に紹介してください。新商品のアイディアがあるんです!」
パルマはニヤリと笑った。
そしてそれから3カ月後。
ノルンのシェード家の邸宅でくつろいでいたサラの元に、ジムから新商品が届いた。
謎の協力者と開発した自信作だと、手紙に書いてある。既に、王都では試作品が大人気だそうだ。
「こ、これは……!!」
シンプルだがセンスの良い箱の中に入っていたのは、薄い生地を何層にも重ねて焼き上げた、年輪の様な見た目のケーキだった。
「バ、バームクーヘン……????」
サラが絶句したことは、言うまでもない。
ブックマーク、評価、感想、誤字報告、いつもありがとうございます!
さて、予告通り地味なあの子の裏設定を登場させてみました。
文中に出てきた「レッカー」はドイツ語で「美味しい!」って意味だそうです。劣化ではないです。
さて、ようやく次回から第2章です! 頑張ります!




