57. シズ
「テス! 『鬼』に取り押さえるよう指示しろ! 出来るだけ、死なせるな!」
「はっ!」
アグロスの奴隷達が一斉に狂いだしたあの日。
ゴルドからの指示を受けたテスは、一部の『鬼』をシェード家に残し、自らはアグロスの屋敷へと転移した。
最もアグロスの奴隷が集中している場所、それは買い手がつく前の奴隷達が暮らす、あの屋敷に他ならなかったからだ。
幸い、奴隷達は鎖に繋がれているか、檻の中に入れられており、テスを見て暴れだしはしたものの、人に危害を加えられる状況ではなかった。
念のために眠りの香を焚いて屋敷を出ようとしたテスの感覚に、何かが引っ掛かった。
「……シズか……?」
昨日、アグロスがオークションを取りやめたことを伝えた後、サラとシズの行方が分からなくなっていた。シユウが、ロイの元へ行ったと言っていた。テスはその時、心配などしておらず、命令に従わないシズを「帰ってきたら、吊るす」と思っていた程度だった。
しかし、何時間経っても二人は帰ってこなかった。
転移を試みたが、強力な結界の中にいるのか二人の元へ飛ぶことは出来なかった。
夜になり、シェード家を騎士団が取り囲んでも、テスはどこか楽観視していた。
信じていたのだ。シズの力と心を。
真っ直ぐで、一途で、不器用で、思い込みが激しい娘。
サラの護衛に付けたのは、そんな性格のシズならば何があってもサラを守るだろう、と思ったからだ。テスの思惑は的中した。シズは寝る間を惜しんでサラを守った。
シズは昔から、妄想の激しい娘だった。
昔、一度だけ「父さま」と呼ばれたことがある。シズが12歳の時だ。文字通り『鬼教官』であったテスの事を、そのように呼ぶ者はいない。どんな妄想をしていたかは不明だが、呼んでしまった後、シズは己の失態に気付き、顔を赤らめて手当たり次第に周りの物を破壊した。大目玉を喰らって泣いていたのが昨日の事のようだ。
大人になってからはそういう事もなくなり、シズの妄想癖は無くなったかと思われた。
しかし、2年もの間、サラを影から見守る内に『ゴルド様の娘』から『ゴルド様と私の娘』に昇格させていた。サラの話をするシズは、母親の様な目をしていた。決して結ばれることのない相手を愛した哀れな娘。妄想の中だけでも幸せならそれで良い、とテスは思った。自分の事を「父さま」と呼んだシズの事を、テスも娘のように思うようになっていた。
テスは、油断していた。
母親ならば、娘に危険な真似はさせないだろう。
アグロスはしばらく『梟』の所へ行っているはずだ。
万が一遭遇しても、シズの戦闘力なら遅れをとることはないだろう。
それは、『鬼』の長としてあるまじき失態であった。
アグロスは『魔族』だった。
『梟』や『鬼』ですら気が付かないほど、巧妙に正体を隠し、街に溶け込んでいた男。
……気付くのが遅すぎた。
「シズ」
気配を辿り、行きついた先は、ロイが捕らえられていた牢の更に奥の、小さな隠し部屋だった。
テスは光魔法で部屋を照らした。
シズが、居た。
髪は乱れ、血にまみれ、仰向けに捨てられていた。
シズは力を使い果たしたのか、虫の息だった。テスは一目で、シズが封魔の術がかかった状態で無理やり魔力を絞り出したことを理解した。かつて自分が教えたことだった。シズは魔力どころか、生命力が尽きかけていた。
「シズ……!」
テスはシズを抱き上げた。
シズは小さく速い呼吸を繰り返していた。「シズ」と、もう一度呼びかけると、シズはうっすらと目を開けた。
「父さま……」
ぐうっ、とテスは唸った。
「……シズ、旦那様の元へ行くぞ」
そう言うと、シズは嬉しそうに目を細めた。
弱り切った体での転移は危険だ。空間を通る際、魔力や体力を奪われるからだ。それでもテスはシズを運んだ。……時間がないことが、分かってしまった。
「シズ!?」
ゴルドは執務室で『鬼』達に指示を出していた手を止め、二人に駆け寄った。『鬼』達も近づこうとしたが、テスが視線でそれを止めた。
ゴルドはテスからシズを受け取ると、抱きかかえたままソファーに座った。
「シズ! 私だ、聞こえるか!?」
シズの耳元で呼びかける。
「ゴルド……様?」
シズの瞼がピクリ、と動いた。ゴルドの顔に笑みが浮かんだ。
「そうだ。私が見えるか? 近くで見たがっていただろう? 見るといい」
「ゴルド様……の……かお」
シズは残された僅かな気力を振り絞って、目を開いた。涙がポロリとこぼれた。
「ああ……すてき……すぎ」
「ははは。相変わらずだな。お前は」
ゴルドは優しく、シズを抱きしめた。ゴルドにとっても、シズは娘の様なものだった。家臣でありながら、よく懐いて、慕ってくれた、可愛い娘だった。立場上、彼女の愛に応えることは出来なかった。
「シズ、何か望みはあるか? 頑張った褒美だ。何でも聞いてやる」
ゴルドは今、「妻にして」と言われたら「分かった」と言ってやるつもりだった。「キスをして」と言われれば、無言で唇を重ねるつもりだった。
「……抱きしめて」
「そんなことで」
いいのか、と言いかけて、ゴルドは言葉に詰まった。
「サラ様を」
はっと顔を上げ、ゴルドはシズの瞳を覗いた。
「サラ様を……抱きしめてあげてくださ…………」
「……!」
ゴルドは、湧き上がる感情を言葉にすることが出来なかった。代わりに、シズの乾いた唇に唇を重ねた。一瞬だけの、熱い抱擁。
シズは目を閉じ、笑っていた。幸せそうに。夢を、叶えて。
シズが、死んだ。
いつもありがとうございます。今度ともよろしくお願いいたします!
シズちゃ~ん(涙)




