52. 揺り篭を出る者
アグロスに意識を喰われ、ロイの意識は消滅しようとしていた。
従属の魔法で結ばれた二人の意識は溶け合い、様々な色が混ざり合う広大な海の様な空間でロイは小さな筏に乗っていた。最初は大きな船だった。波に揺れる内に船は見る見る小さくなり、筏になり、最後は小さな揺り篭になった。
揺り篭は抵抗する間もなく、波に飲まれるはずであった。
しかし、揺り篭が沈むことはなかった。闇の精霊達がロイを護っていた。
どれほど光に満ちた場所でも、生き物がいる限り、闇はそこにある。光が消えることがあっても、闇は消えることはない。闇は必ずあるのだ。……体の中に。
精霊は小さな子供の様な姿をしていた。ずっとロイを癒し、守ってくれていた存在。
初めてロイは精霊達の姿を意識した。
(ずっとここにいたのに、気付かなくてごめん)
意識の中で胸を押さえ謝るロイに、精霊たちは「いいよ」と答えた。その声は可愛くて、ロイは思わず笑ってしまう。
ロイの肉体は、膨大な魔力を取り込み続けていた。
リュークが咆哮している。リュークの翼の隙間から、サラとパルマが叫んでいるのが見えた。
だが、目の前で起こっていることが、遠い世界のことのように思えた。
揺り篭は気持ちいい。
もう、我慢する必要もない。心の拠り所だった父はもういない。サラも、パルマも、シズも、リュークも、リーンも、所詮は赤の他人だ。自分がこのまま消えても、赤の他人のことなど、すぐに忘れてくれるだろう。
そう思うと、生きていることが馬鹿らしくなった。
ロイには、抵抗する気力がなかった。
このまま、アグロスの意識に飲まれ、心地よい精霊の揺り篭で、眠っていたい。
「ロイ」
はっと、ロイは目を覚ました。
今、確かに声が聞こえた。小さな、小さな声。でも、それは自分が一番聞きたいと願った人の声。
(何処? 何で? どうして?)
揺り篭が大きく揺れる。
(探したい。一目見たい。触れたい。抱きしめたい)
ロイは声の主を確かめたかった。しかし、アグロスに支配された体は言うことをきかない。
(俺の体なのに。俺の、体なのに‼)
ロイは体を横にし、手を付いて上半身を起こした。精霊達が、「行かないで」と叫んでいる。
「ロイ」
再び、あの声が聞こえた。
(ああ、そこにいる……!)
ごめんね、とロイは精霊に言った。
(ここは気持ち良かったけど、ここにはいられない。俺を呼んでいる人がいる)
ロイは近くの精霊に口付けした。
(俺は、行く。でも、お前たちを忘れたりしない……!)
ロイは揺り篭の縁に手をかけた。体内の精霊が呼応する。
「ふうううううう! 何だ!?」
急にロイの意識が抵抗し始めたことに、アグロスは驚愕した。アグロスには、あの小さな声は聞こえてはいなかった。
長年かけて、丁寧に傷付けてきたロイの心。屈辱にまみれ、絶望を味わい、負の感情に取り込まれ、完全に消したつもりだった。
「この……! 大人しくしろ、『化け物』がっ‼」
「ロイは、化け物じゃない。ロイは……私の子だ!」
昔の呼び方でロイを罵るアグロスに、小さな掠れた、しかし凛とした声が反応した。
アグロスが振り返る。
その目に、二人のエルフに支えられながら、こちらを凝視する男の姿が映った。
「貴様ぁ! ふぅざぁけぇるぅなああああああ……!」
アグロスは激怒した。
男に向かって、『何か』が襲い掛かる。エルフの結界がそれを防いだ。
「ロイ、目を覚ましなさい……!」
男の血を吐くような叫びに、アグロスの中の、ロイが立ち上がった。
「『父上!』」
鏡が砕ける様な音と共に、ロイを縛る封魔と従属の魔法が弾けた。
ロイは、揺り篭から飛び出した。
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