47. 強襲
「よし!」
パルマとユーティスが出て行ってから、2時間ほど経っていた。
薄暗い洞窟で、サラは顔を上げた。
逃げないと決めた。
なら、前を向くだけだ。
「サラ、一気いきます!」
「……え?」
呆然とロイが見つめる中、サラは腰に片手を当て、魔石の溶液を一気に飲み干した。
「ぷはーっ! もう一杯!」
「サラ、落ち着こう」
「これ、美味しいの。いくらでも飲めるわ!」
「サラ」
ロイは再び魔石の粉を溶かし始めたサラの手を止めた。
「サラ、無理に元気になる必要はない」
愁いを帯びた秀麗な眼差しが、サラを捉えた。
「……ロイ……」
二人は至近距離で見つめ合った。やはり綺麗な子だと、ロイは改めて思った。
「……の、馬鹿」
「馬鹿!?」
ロイは本気でショックを受けた。よろっと、壁に手を付く。
「いい!? ロイ。悲しくても、苦しくても、イライラしてても、笑わないといけない時はあるの! 私にとって、今がその時なの! ほら、ロイもこれ飲んで笑って!」
「え……ああ」
サラの勢いに押されて、ロイはコップを受け取った。サラが美味しそうに飲んでいたこともあり、躊躇なく一気に飲み込んだ。
「!…………………………………………まずい」
言いようのないえぐみが体中に広がり、「うっ」とロイは口を手で覆った。
「ほら、笑って!」
「魔王か!」
どうやらロイの体質には合わなかったらしい。
パルマが残してくれた食糧を掻き込んで、普通の水で押し流し、ロイは何とか吐き気を抑えた。そして、ハアハアと肩で息をしながら顔を上げ、律義に微笑んだ。
「まずかった」
「ごめん!」
サラは素直に謝り、そして声を上げて笑った。
全てはロイを助けたい一心で始めたこととはいえ、当の本人はサラに翻弄され、意味も分からずここに居るはずだ。それにも関わらず、ロイは恨み言一つ言わずに、サラに付き合ってくれている。誰よりも、心細い想いをしているのは彼だという事を、すっかり忘れていた。
サラは両手で自分の頬を打った。
洞窟に「パァン!」といい音が響いた。ロイが青ざめる。ロイにとって「叩く」という行為はひどく屈辱的なものだった。
「自分を叩いちゃ駄目だ! 何故、叩く!?」
「気合を入れたのよ! ロイ、絶対あなたを守るわ!」
「守る……? あいつからか?」
「運命からよ!」
サラの瞳は力強く、光に満ちていた。
(しっかりして、サラ! 色々あり過ぎて混乱したけど、当初の目的を忘れないで!)
サラは自分に言い聞かせた。
「ロ……」
「しっ!」
突然、ロイの表情が険しくなり、唇に人差し指を当て、黙るように指示をした。
サラは息を止め、魔法で作った光を消すと、身を伏せて耳を澄ました。
足音がする。
「……騎士団……!?」
サラは、はっと息をのみ、ロイと顔を見合わせた。小声でロイに話しかける。
「騎士団だわ。鎧がぶつかる音がする。何人もいる」
「6人だ。……どうする?」
「まだ、敵かどうか分からない。パルマ達が間に合ったのかも。敵だとしても『絶対空間』に居れば、安全よ……丸見えみたいだけど」
「ああ。そうみたいだな」
足音が止まった。
「見つけたぞ! サラ・フィナ・シェード。アグロス氏殺害未遂と奴隷誘拐の罪で貴様を捕らえる! 抵抗すれば命はないぞ!」
敵だった。
音もなく、サラを背にロイが立ち上がった。
騎士団の中に魔術師もいるのだろう。煌々と光が洞窟内を照らしていた。その明かりが、ロイの艶めかしい姿態を浮かび上がらせる。
騎士達は思わず息を飲んだ。
粗末な貫頭衣を腰のあたりで紐で結んだだけのシンプルさが、かえってロイの白くしなやかな手足の美しさを強調していた。腰まで伸びた黒髪は緩やかにカーブし、意志の強そうな瞳と、紅い唇が中性的な美貌を妖しく彩っている。
これが本当に、ただの奴隷なのか……?
口には出さずとも、騎士達は一様にそんな疑問を抱いた。
「私が、伯爵令嬢と知っての狼藉ですか?」
「!」
騎士達はまたも息を飲んだ。
妖艶な奴隷の後ろから姿を見せたのが、小柄な、しかし圧倒的な存在感を放つ美少女だったからだ。鈴がリンッと鳴る様な、可憐だがよく通る声が洞窟内に反響する。濃紺の大きな瞳が真っ直ぐに騎士達を射抜いている。その姿には神々しささえ漂っていた。
とても、凶悪事件の犯人には見えなかった。
「ゲイル団長、どうします?」
1人の騎士が、先ほど見えを切った先頭の騎士に小声で声を掛けた。
「う、うむ。一先ず、捕らえろ。事情は詰所で聞く。サラ・フィナ・シェード……伯爵令嬢。ご同行願えますか?」
ゲイル、と呼ばれた男の脳裏に、昨夜遅く、血だらけで詰所へ駆け込んできた奴隷商人の姿が過った。左手首から下が完全に無くなり、青ざめた顔で「シェード家の者に襲われ、奴隷を奪われた」と言っていた。折しも、第一王子が行方不明という情報が入ってきた直後であったため疑いもせず捜索したものの、どう見ても目の前の奴隷と少女より、奴隷商人の方が訳ありに思えた。
「ユーティス様とパルマ様に、ここから動くなと言われています。それに、彼は無理やり奴隷商人に奴隷にされた身です。私も、シェード家も、無実です!」
サラは堂々と言い切った。とても、10歳の小娘とは思えなかった。
「サラ様……」
ゲイルが口を開いたその時、第三者の声が何処からともなく響いた。
「おやおや、もう様付けですか? 勇猛で知られた第3騎士団の団長ともあろう方が、あっという間に篭絡されるとは情けない」
「お前は……アグロス!?」
いつの間にか、騎士団の後ろにアグロスが立っていた。顎も、手首も揃っている。
「まあ、この短時間でこの者達を探し当てた腕は評価しますよ」
アグロスは歪に笑う。洞窟内の温度が、一気に下がった。
覚悟は決めていたはずなのに、ひいっ、とサラの喉から悲鳴が漏れ出た。サラを隠すように抱きしめるロイの鼓動も激しい。冷や汗が、止まらない。
ざざっと、騎士達がサラとロイを背にアグロスと距離を取り、一斉に剣を抜いた。長年の経験から、どちらが悪かを瞬時に察し行動を起こしたのだ。
「おや? 被害者の私に剣を向けるなんて。くくっ……面白い」
(悪? いや、こいつは『魔族』だ……!)
ゲイルの頬を汗が伝う。
(こんな化け物が、王都に潜んでいたのか……!?)
部下達もアグロスから漂う『何か』を感じ取っているはずだ。魔族に対峙したことがない若い団員が、恐怖と緊張からか早くも過呼吸を起こしかけている。
じりっ、と、ゲイルは右足に体重をかけた。剣を、これほど重いと感じたことはない。勝てるイメージが、全く湧かない。思わず、昨日この化け物に一矢報いた誰かに、敬意の念を抱いた。
アグロスが、ゆっくりと両手を上げる。シュルシュルと風を切るような音と共に、黒い『何か』が洞窟内を飛び交い始めた。
「騎士の皆さん! もっと下がって!」
少女の悲鳴が聞こえる。何人か下がったのを、ゲイルは気配で感じていた。
(それでいい。騎士ならば、最後まで守れ)
「ふんっ!」
ゲイルは『何か』に向かって剣を振るった。
『何か』はあざ笑うかのように飛び回る。いや、本当に笑っていた。おぞましさに、身の毛がよだつ。アグロスが舞う様に手を振ると、『何か』がゲイルの耳に触れた。ゾルッ、と嫌な音がした。
「ぐわぁ!」
「団長! 下がってください!」
部下の声が聞こえる。
(下がってどうするというのだ!)
ゲイルは剣を中段に構えると、楽しそうに舞うアグロスに飛び掛かった。
「駄目!」
ゲイルの腰に、何かが飛びついた。
「馬鹿がっ! 放せ!」
少女だった。
少女は転移を使ったのか、いつの間にかゲイルの腰にしがみついている。その小さな体を、『何か』が容赦なく襲う。薄桃色の髪が、見る見る短くなっていく。
「くっ、くそが!」
ゲイルは剣をアグロスに向かって投げ、両手でサラの体を覆った。二人に『何か』の塊が襲い掛かる。
「ウォーターフォール!」
「サラ、こっち!」
魔術師の放った水魔法が、『何か』の塊にぶつかり動きを止めた。その隙を衝いてロイがサラとゲイルを引っ張った。
「早くこっちへ!」
騎士の一人が『絶対空間』の中から手を伸ばした。ゲイルの腕を掴み、中へ引き入れる。
「ウォーターフォー……きゃあっ!」
『絶対空間』の外で魔法を放つ魔術師を、ロイは中へ押し込んだ。
「お前らもっ……!」
ゲイルは手を伸ばそうとした。が。
「な……!?」
目の前で、奴隷と少女は消えた。笑顔を残して。
その直後、無数の『何か』が騎士達を襲い、そして音もなく、消えた。
騎士達を残し、誰もいなくなった空間で、ゲイルは理解した。
第一王子が作った『絶対空間』が自分たちを守ったこと。
自分達を守るために少女達が『絶対空間』を捨て、転移したこと。
そして、アグロスが……あの『魔族』が二人を追ったことを。
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