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46. 逃げない

 ぴちゃん。ぴちゃん。


 何処かで、雫が落ちる音がする。

(ここは、どこ……?)

 まだ、地下水路にいるのだろうか。ユーティスがロイに何か言っていたのは覚えているが、そこから後の記憶がない。

 頭が痛い。体が重い。激しい貧血の症状に似ていた。


「ん……シズ、お水……」

 口に出して、サラは一気に覚醒した。


「シズ!? シズはっ!?」

「サラさん、落ち着いて。急に起き上がるのは危険ですよ?」

 飛び起きそうになったサラの肩を抑えて、パルマは幼子に話しかける様に、ゆっくりと優しい口調で語りかけた。

 ロイとユーティスはよほど疲れていたのか、まだ眠っている。

「……パルマ……?」

「はい。地味なパルマです。サラさん、起きれます? ゆっくりでいいので」

 パルマはサラの首の後ろに手を添えると、ゆっくりと起こした。自分のローブを脱ぐと、丸めてサラの背と洞窟の壁の間に差し込む。「ありがとう」と、サラが小さな声で言った。

「これ、飲めますか?」

 パルマが差し出したのは、水の入ったコップだった。水が僅かに光っている。魔力を帯びているようだ。

「これ、何?」

「魔石をこれでもかと砕きに砕いて水に溶かしたものです。サラさん、魔石飲んだことないでしょ? 慣れないと飲みにくいし、体に吸収もされにくいので」

 魔力回復に、魔石が効果的なことは知っている。しかし、サラはまだ試したことがなかった。魔物や魔族から採れたものだと思うと、抵抗があったからだ。

「大丈夫ですよ。味は保証できませんけど、サラさんなら問題ないと思います」

 そう言うと、パルマは自ら少しだけ口に含んで飲み込んで見せた。「ね?」と目が言っている。

「うん」

 サラは恐る恐るコップに口をつけ、少量を飲み込んだ。

「あ……」

 サラは目を丸くすると、今度は一気に飲み干した。

 乾いた大地に水が染み込む様に、サラの魔脈に魔力が補充されていくのが分かった。頭痛がスーッと引いていく。

「美味しい!」

「そうですか? 良かった。魔石との属性が合わないと、とてもまずいし、効果も薄いんです。サラさんは、全属性に適性があるので大丈夫だと思ってました」

「まだある?」

「気に入ったんですね」

 ははは、とパルマは笑った。

「そんな顔されると甘やかしたくなっちゃいますけど、一度に取り込み過ぎると毒なんです。また、後であげますね?」

「パルマ」

「何ですか?」

「シズは、いないの?」

 サラの直球の質問に、パルマは一瞬言葉を失った。あえて触れないようにしていたのだが、やはり避けては通れなかったか。

「…………ここには、今、いません」

 パルマは、曖昧に答えた。嘘ではない。

「奴隷商人は? 追って来てないの?」

「はい。それは大丈夫です」

「本当!?」

 サラの顔がパッと輝いた。

「じゃあ、シズが倒したのね? シズは屋敷? ちゃんと手当してもらってる?」

「サラさん」

 身を乗り出して矢継ぎ早に問うサラの肩に、パルマは両手を置いた。しっかりと藍色の瞳を見つめる。

「奴隷商人は生きています。シズさんの安否は、分かりません」

「でもっ、追って来てないって」

「王子の魔法で外部からの魔力を遮断しているから、追ってこれないだけです。傷が深くて、治癒に時間がかかっているせいもあるでしょう」

「そんな……」

 サラは絶句した。

 これがパルマではなくユーティスなら、甘い言葉で誤魔化していたかもしれない。だが、避けて通るだけが正解だとは、パルマは思っていなかった。

 向かい合うべき時に、逃げていては駄目だ。

「サラさん。実は、色々と問題が起きています」

 昨夜からずっと、パルマは配下の『梟』と念話でやり取りをしていた。

「いや……聞きたくない」

「聞いてください」

 パルマは、耳を塞ごうとするサラの両手を掴んだ。それでも逃げ出そうとするサラを壁に押さえつけた。

「逃げないでください。あなたが、始めたことだ」

 パルマは優しい。しかし、『梟』の長として何百年も生きてきたレダスは、とても、厳しい男だった。

「シズさんがどうなったか、まだ分かりません。ですが、あなたが現実逃避をすればするだけ、シズさんの想いが無駄になると、肝に銘じてください」

「……う」

「現状を整理します。我々を追っているのは、奴隷商人だけではありません。奴隷商人の殺害容疑、および奴隷の窃盗、さらに、第一王子誘拐容疑で我々は王国騎士団からも追われています」

「騎士団……? どうして!?」

「どういうことだ、パルマ!」

 いつから目を覚ましていたのか、ユーティスが立ち上がっている。ロイも四つん這いになり、パルマを睨んでいる。今にも飛び掛かかりそうな体勢だ。パルマは自分がサラを襲っているような構図であることに気付き、パッと手を離した。

「すみません、サラさん」

「ううん。私こそ、ごめんなさい……私、逃げないから」

 上目遣いに、しかし、先ほどよりも光の籠った瞳でサラがパルマを見ている。「いい子ですね」とパルマは笑った。

「どういうことだ、パルマ」

 再び、ユーティスが尋ねた。視線が恐い。

「僕がサラさんといい雰囲気だったかどうかは別として、騎士団のことですね?」

「騎士団の事を話せ。……そっちは後で聞く」

 ユーティスはその場に腰を下ろした。ロイも警戒態勢を解いている。

「昨日、奴隷商人が帰った後、直ぐにサラさんの気配を追って転移して、そのまま逃走したので、王子の姿が消えたと城では騒ぎになっています」

「何故だ!? お前から『梟』を通して父上達には連絡がいっているだろう?」

「王は分かっていらっしゃいます。ですが、この間の公爵夫人誘拐事件がありましたからね。その上、奴隷商人が『シェード伯爵家の者に襲われた上に奴隷を盗まれた』と、ひどい怪我のまま騎士団の詰め所に駆け込んだそうなんです。反シェード伯爵家の貴族たちが、騒ぎ立ててるんですよ。シェード伯爵が、王子も誘拐したと」

「そんな……何でお父様まで!」

 サラの顔は真っ青だ。無理もない。今度は父親まで危険に晒されているのだから。

「一度戻ろう。パルマ」

 ユーティスは震えるサラの手を握った。

「ユーティス様」

「お父上の事は心配しないで、サラ。一度、王都に戻って貴族達を黙らせてくるから。この『絶対空間』はしばらく効果があるから、ここで待っていて」

 ユーティスは優しく、サラの指にキスをした。サラは、もう逃げなかった。

「私……ユーティス様まで巻き込んでしまって……ごめっ」

「しっ」

 ごめんなさい、と言いかけたサラの唇に、ユーティスは自分の人差し指を押し当てた。

「私が、好きでやっていることだ。どうか、謝らないで」

 目に涙を浮かべて、サラは頷いた。ユーティスはサラからそっと指を話すと、立ち上がった。

「急ごう。パルマ」

「はい」 

 パルマも立ち上がる。

「サラさん、父上やリュークおじさんも直ぐに戻ってくるはずです。皆揃ったら、シズさんと、ロイの魔法について考えましょう。今はまだ、戦力が足りない。魔石の粉と水筒は置いていくので、ゆっくり魔力を回復してください」

 サラは頷くと、よろよろと立ち上がった。

「じゃあ、王子、飛びますよ」

「待って!」

 サラは二人を呼び止めた。そして深々と頭を下げた。頭を下げることしか出来なかった。

「……二人とも、ありがとう……!」


 いや、もう一つだけ、今の自分でも出来ることがあった。


「いってらっしゃい‼」

 サラは、精一杯の笑顔で顔を上げた。

「……ああ、必ず戻る!」

 ユーティスが、白い歯を輝かせて笑った。

「行ってきます。ロイ、サラさんを頼んだよ」

 パルマも、いつもの優しい笑顔で手を振った。


 花の様な笑顔に見送られながら、少年達は転移した。


 二人を見届けた後、サラはふらりと倒れた。ロイが柔らかく受け止める。


 サラは笑顔のまま、泣いていた。


ブックマーク、評価、感想等、いつもありがとうございます!


題名、最初はパルマをイメージして「優しさと、厳しさと」にしようと思ったのですが、口が勝手に「心強さと」を付け加えてしまい、どこのストリートファイターだ、とツッコミが止まらなかったので止めました。元ネタ、分かりますか?

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