44. 消える
奴隷商人が何か話している。
近くにいるはずなのに、声が遠い。
先ほどの衝撃で耳もやられているのだろう。
体が思うように動かない。
(せめて、サラ様だけでも……)
シズは焦る気持ちを抑え、自分の体と向き合った。奴隷商人が使った魔術は、封魔の術なのだろうか。魔力の流れが、上手く感じられない。
前にも一度だけ、同じような経験があった。
シズがゴルドに仕えるようになって半年ほどたった頃のことだ。
ゴルドに近づくため、シズはありとあらゆる隠遁系の術を、師匠であるテスも舌を巻くほどの勢いで身につけていた。
猪突猛進。
シズはいつも真っ直ぐだった。隠密としては欠点となる性格だったが、テスはシズに目をかけていた。
魔法には、向き不向きがある。
シズの性格だからこそ、使える術があることをテスは見抜いていたのだ。
テスはシズに封魔の術をかけた。
強制的に『何か』を体内に送り込み、体内の魔力を喰わせて封じるアグロスが使うものとは根本的な原理が異なる。テスの使う封魔は魔力を全身へ巡らせる『魔脈』の要所に魔法で出来た小さな針を打ち込み、一時的に魔力を使えなくするという安全なものだ。
修行の一環である。
テスはシズに、この状態で魔法を使ってみせよ、と指示した。
何日も、シズは苦しんだ。当然だ。かつて、この課題を攻略できた者はほとんどいない。
だが、テスは信じていた。
その性格故、『鬼』ならば誰しも使える転移や攻撃魔法を使えず、苦しんできた不器用な少女。簡単な治癒魔法ですら、直接手で触れないと使えない。シズは、魔術師としては落ちこぼれだった。しかし、隠遁の術や肉体強化、変化の術など、自らの肉体を操る術においては抜きんでた才能を見せた。
シズの魔法は、外に発散するものではない。常に体内を巡り、彼女自身を熱くするものなのだ。
だからこそ、テスはこの課題を与えた。不器用な彼女の、彼女だけの魔法を生み出すために。
(ああ、あの時はどうしたのでしたっけ……?)
朦朧としていた頭が、次第にクリアになっていく。
奴隷商人と、ロイと、サラの声が聞こえてくる。サラは泣いている様だった。
(サラ様、泣いてはいけません。私が、ロイ様をお助けしますから)
テスは厳しい父。
ゴルドは優しい旦那様。
サラは……
(私の、可愛い娘……!)
かつての修行の様に、シズは体内の全ての細胞から魔力を呼び起こした。魔脈を通らない、体中の細胞に普段眠っている魔力。肉体操作に秀でた、シズだけが呼び起こせる魔力。量は多くない。だが、十分だ。
シズは、囚われた体勢のままアグロスの顎に手をかけた。首を掴めればよかったのだけれど。
シズの性格と相性の良い、シズだけの魔法。
「消失」
「!!」
驚愕に目を見開くアグロスの顎から先が、消えた。
アグロスの手が、サラとシズから離れた。
何処から発せられているかも分からない叫び声が地下に響く。
シズは倒れざま、ロイの首輪と足首の鎖に手をかけ、再び「消失」と唱えた。シズの触れた部分だけ、そこに在ったものは消滅した。
ロイも目を見開く。鎖はともかく、首輪には奴隷を逃がさぬための強力な魔力が込められており、破壊不可能と聞かされていたからだ。
シズだけの魔法。
それは、魔力を圧縮し、針の様に鋭く、穿つ魔法。
圧倒的な防御壁さえ貫く、一途なシズの想いが形となった特殊魔法だった。
倒れ込むシズを受け止めようと手を伸ばしたロイの襟元を、シズは掴んだ。そして力を込めると、サラに向かって投げ飛ばした。勢いのせいで、受け身も取らず石畳に倒れ込む。
「シズ!」
ロイを受け止めながら、サラはシズへ手を伸ばした。
(……まだ、です!)
シズは気合だけで起き上がると、サラを睨んだ。目の前が紅くチカチカする。鼻血が出ているのが分かった。
「サラ様、ロイ様と転移を!!」
サラが、一人分しか転移できないことは知っている。だが、サラなら出来るとシズは信じていた。かつて、テスがシズを信じてくれたように。
「でも、シズが……!」
「私なら、大丈夫です」
シズはのた打ち回るアグロスの手首を掴んだ。手首が、消えた。
「さあ、早く! サラ様がいては、私も逃げられません!」
もう、とっくに体からひねり出した魔力も底をついている。シズは、魂を削っていた。
「わ、分かった! シズ、後で合流よ!」
「はい。必ず」
ロイを抱くサラの姿は、絵画の様でとても美しかった。
(……サラ様……)
二人の姿が消えた。やはり、サラは自慢の娘だ。
アグロスの残された手が、シズの髪を掴んだ。
(……ねぇ? ゴルドさ…………………………………………)
シズの意識は、そこで、消えた。
ブックマーク、評価、感想等いつもありがとうございます!
だいぶ佳境に入ってまいりました。
自分で書きながら、「ああ!シズちゃんがぁ!」となっております(笑




