43. 嵐は突然に
入札は明日に迫っていた。
最終的な入札参加者は、『鬼』、『梟』、『他国の王族(?)』の3人に絞られていた。
2日前、武器屋でさんざん盛り上がった後、まだ時間があるからと、リーンは知り合いに会うため旅に出た。
リュークも「仕入れたい物がある」と、店を空けて何処かへ消えた。
二人がいないなら武器屋に行く用事もないので、サラは午前中はパン屋と食堂のバイトをし、午後はシズと屋敷で過ごすことにしていた。
ロイの元にも行った。
転移魔法を覚えてから数回は、アマネに付き合ってもらった。シズは忙しいのか、サラの元を離れることが多かったからだ。アマネとサラは奴隷商人の屋敷まで転移すると、奴隷商人が接客している頃合いを見計らって、地下通路から侵入した。直接ロイの牢屋まで転移することも考えたが、奴隷商人の配下の者がロイに付いていた場合、サラとアマネでは太刀打ちできない恐れがあった。また、サラの不慣れな転移では誤って奴隷商人の張った結界に触れる可能性があったため、二人は少し離れたところから侵入することにしたのだ。
アマネは完全に姿を隠し、辺りを警戒してくれた。幸い、一度も地下通路に人の気配があったことはなかった。
こうして、サラはロイとの短い交流を重ねた。
武器屋でシズに転移が出来ることがバレてからは、シズと共に来るようになった。シズは転移魔法が苦手であり、サラも自分自身しか転移できなかったため、馬車で市場まで移動し、そこから歩いて奴隷商人の屋敷まで移動した。
シズはロイの前では姿を隠さなかった。その方が、小さな主が喜ぶと思ったからだ。
「サラ様、今日もロイ様のところに行かれますか?」
紅茶とクッキーを準備しながら、シズがサラに尋ねた。
「もちろん! 明日が入札でしょ? あぁ、ドキドキする!」
シズの入れる紅茶は美味しい。温かな香りが部屋に広がる。
「大丈夫かなあ?」
「そうですね…………他国の方がどれくらいの値を付けてくるかが問題ですね」
「もし、駄目だったらどうしよう」
紅茶のカップに口をつけながら、不安そうにサラがシズを見上げた。
「いっそ、奪っちゃいましょうか? サラ様のためなら、私、やってしまいます」
「駄目だよっ!? 奴隷は所有物だから、盗んだら窃盗罪なんでしょ? 重罪だって聞いたよ?」
「冗談です。サラ様」
慌てるサラを見て、シズは柔らかく笑った。
「あ、でも違法奴隷なら罪には問われないのか」
「違法奴隷? サラ様、ロイ様は……あら?」
シズは何かを言いかけたが、何かに気付き、耳に手を当てて黙り込んだ。おそらく、テレパシーの様なもので、上司からの指示を聞いているのだろう。その顔が、見る見ると曇っていく。
「アマネ、シユウ!」
シズが鋭く叫んだ。何事かと、二人はクッキーに伸ばした手を止めた。
「急いで、私をロイ様のところに飛ばしてください!」
「ロイがどうしたの!?」
シズの只ならぬ様子に、サラの鼓動が早くなった。
「サラ様、ロイ様が他国の者に売られることが決まったそうです」
「何で!? 入札は明日でしょう!?」
サラはシズの腕に縋りついた。
「どういうことなの!?」
「それが……」
シズが言うには、先ほどテスの元へ奴隷商人が現れ、オークションを中止にすることを伝えて来たらしい。
理由を尋ねるテスに、奴隷商人は
「最近、立て続けに脱落者が出ましてね? おかしいでしょう? まるで呪われたみたいじゃないですか。このまま呪われた商品を売るのも、商人としてはどうかと思いまして。とはいえ、手元に置いておくのも恐ろしいので、他国に売ってしまおうと思ったわけですよ」
と、悪びれもせず言ったそうだ。
当然テスは食い下がったが、既に売買が成立したこと、今回の話を一方的に破談にした詫びに、別の奴隷を無償で提供することなどを奴隷商人は説明した。むろん、それで丸め込まれるテスではなかったが、『梟』と裏で協力していたことを突かれ、黙るしかなかった。入札者同士で手を組むことは、禁止事項にあたる。テスとパルマは直接面識はないため、誤魔化すことは容易かったが、奴隷商人は「これ以上食い下がるなら『梟』と『鬼』を繋いだ者を暴く」と、薄笑いを浮かべて脅してきたらしい。
奴隷商人の言う「『梟』と『鬼』を繋いだ者」とは、すなわちサラとシズを意味しており、テスは引き下がるほかなかった。
もちろん、他国に売られた後でも裏から手を回せば何とでもなる、という打算もあったのだが。
「そんな……!」
サラは血の気が引いた。そんなサラの肩を、シズは優しく抱きしめた。
「大丈夫ですよ、サラ様。私が、様子を見てきます。まだ屋敷にいるはずですから、ロイ様に希望を捨てないように伝えてきます」
「だ……駄目!」
サラはシズの手を振り払った。顔が青い。
「駄目なの! 他国に売られたら、ロイはひどい目にあうの! 駄目、駄目、絶対駄目‼」
サラの脳裏には、他国に売られ、洗脳され、暗殺者となるロイの未来が浮かんでいた。何としても避けたかった未来。もう少しで変えられるはずだったのに……!
「ロイ……!」
「サラ様!?」
突然、目の前で消えた主に、シズは困惑した。
「シユウ、テス様に連絡を! アマネは、私をサラ様の元に!」
「「はっ!」」
(どうか、どうか早まらないで下さい……!)
祈りながら、シズはアマネと共に転移した。
「サラ様……!」
サラは、幸い奴隷商人の屋敷に侵入する前だった。地下通路へ続く壊れた壁の前で、小さくうずくまっていた。
(良かった!)
シズはサラに駆け寄ると、小さな体を大きな胸に抱き寄せた。
「サラ様。サラ様に何かあったらどうしようかと……!」
「シズ……。私、どうしたらいいの? ここまで来たけど、どうしていいか分からないの。ロイがひどい目に会うって、分かってるのに、助けられないの。どうしたらいいの?」
「サラ様……」
小さな体が震えている。いつかの、月が綺麗な夜の、泣いている主を思い出した。
(この方は、いつも誰かの幸せのために一生懸命で。……震えていらっしゃる)
月下の誓いが、胸を熱くする。
「サラ様、ロイ様に会いましょう。会って、何があっても必ず助けるから待っていてと、伝えましょう? 信じるべき約束があれば、人は強くなれるものです」
「シズ」
紺色の潤んだ瞳が、シズを見上げている。ああ、愛おしい。
「シズ様!」
「アマネ。リューク様とリーン様を探して」
「ですが……!」
「大丈夫です。テス様の話では、奴隷商人は今頃レダス…パルマ様のところに行っていて、しばらく留守のはずですから。ロイ様に会ったら、すぐに戻ります。これは、命令です」
「…………はい」
しぶしぶと、苦い顔をしながらアマネが消えた。
「行きましょう。サラ様。急がないと」
「……うん! ありがとう、シズ!」
シズは小さな穴に身をねじ込むと、隠遁の術で姿を消した。シズに続いて穴から這い出てきたサラを立ち上がらせ、スカートに付いた土を払ってやる。
「シズ、どこ?」
「ここです」
サラの手を取ると、ギュッと握り返してきた。
(……っく! 可愛すぎます!)
シズは静かに身悶えた。
(今頃、テス様は怒っているでしょうね)
テスには先ほど、勝手に動くな、と指令を受けたばかりだ。
昔から、シズがお転婆をするたびに、鬼の様に叱られた。ゴルドが憧れの旦那様なら、テスは怖いお父さんだ。
(ロイ様に会って、話をするだけなら危険はないはず)
カツーン、カツーン とサラの足音だけが響く。いつもより速足だ。
(私が転移魔法を使えれば良かったのに)
ぎりっと、シズは下唇を噛んだ。
魔法には、向き不向きがある。
シズは転移魔法が使えない訳ではなかった。ただ、一般的な転移魔法が『術者自身、あるいは術者自身と直接触れている者を何処か別の場所に転移する』という、ある意味広範囲なものであるのに対し、シズの魔法は極局所的であった。シズがよく口にする「消す」というやつである。触れたものを、触れた部分だけ何処かに消す。それがシズの転移魔法だった。
サラが転移魔法で武器屋に現れた時はひどく衝撃を受けた。自分の使えない魔法を、守るべき主がさらりと使えてしまったのだから。これではお守りすることが出来ない、と、シズはひどく落ち込んだ。
今も、転移の使える主を、自分のせいで走らせてしまっている。
それはとても、情けないことに思えた。
「おや、最近騒がしいと思ったら、小さなネズミが入り込んでいますね?」
「「!」」
考え事をしていたせいで、シズは反応が遅れた。目の前に、パルマのところに行っているはずの奴隷商人が立っていた。
サラは足を止め、悲鳴をこらえている。
奴隷商人がサラに手を伸ばした。全身が総毛立つほどの悪寒が走った。
「アグ・ロス」
「させません!」
シズは奴隷商人とサラの間に体をねじ込ませ、サラを突き飛ばした。
刹那。
「‼」
「いやああああああああああ!」
シズの全身の細胞一つ一つが雷に打たれた様な衝撃が襲った。細胞中の魔力が、奴隷商人の魔力に激しく反発しているように感じられた。
あまりの激痛に、シズは声も出せぬまま倒れた。サラの悲鳴が頭に響く。
「シズ! シズ!」
「もう一匹いたとは。ふふ。中々上手に隠れていましたね。素晴らしい」
奴隷商人は歪に笑いながら、シズにしがみつくサラを右手に、シズを左手に抱えた。
「放して! シズに何したの!?」
「ご安心を。ちょうどあの半魔の代わりになる奴隷を探していたんです」
「何、言ってるの……?」
サラはサーッと血の気が引くのを感じた。そんなサラを見て、奴隷商人はくふ、くふ、と笑った。
「さあ、あの半魔に会いに来たのでしょう? 連れて行って差し上げますよ」
そして、奴隷商人アグロスは転移した。
ロイが待つ、牢の中へと。
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