122. 伝えたい想い
ヒューと右腕で繋がった時、本来であればソフィアも魔族になっていたのかもしれない。
だが、そうならなかったのは母の愛があったからだ。
ソフィアは生まれた瞬間、母により外からの魔を遮断する術をかけられていた。その術は17年経った今でも有効であり、ソフィアがドレインなどで意識的に吸引しない限り、他者の魔力が体内に入り込むことはない。そのため、ヒューと肉体で繋がっていても、ヒューが取り込んだ『魔』がソフィアに流れ込むことはなかった。
相手の感情を共有していたのは、ヒューの方だけだったのだ。
そのため、ソフィアは魔族に囲まれて育ったにも関わらず、清らかなエルフのままでいられた。
父や、兄や、レオナルド達の想いなど露知らず、自由に生きて、恋をして、小さな命を宿した。
(ごめんなさい。お父様)
父の身体は、ソフィアの腕の中で光の花となって消えた。
失って初めて、父の想いを知る。どれほど父に愛されていたのかを、思い知らされた。
トスカの家で何があったのか、記憶がない。きっと、ソフィアが蘇った瞬間に、父が最期の力をふり絞って消してくれたのだ。その力を使わなければ、父は死なずに済んだかもしれない。
逆に言えば、そうしてまでも消さねばならない程のことが、この身に起こったということだ。
だがそれは、父の命を引き換えにしなければならない程のことだったのだろうか。
(お父様……! 私は、どんな辛い記憶よりもお父様が生きている方が、ずっとずっと大事なのに……!)
「ソフィア! しっかりして! まだ戻れるから! 僕が、奇跡を起こすから!」
瓦礫の上に立ち、カイトが見上げている。
(ああ。カイト。あなたに、出会わなければよかった)
カイトは、愛しい。
その気持ちは、魔族になった今でも胸の奥に残っている。
だが、出会った喜びよりも、出会った後悔の方が今は大きい。
あれほど熱く燃えていた心が、今は氷の様に冷たく、全てが恨めしい。
これが魔族になるということか、とソフィアは自嘲した。
隣で自分の右手を握る兄は、もう、人ではない。
兄の姿をした、魔王だ。
魔界とこの世界を繋ぐためだけに生まれた、哀しい生き物。
魔界の扉が開ききれば、向こうから途轍もない『魔』がやってきて兄の身体に宿る、とソフィアは本能的に理解した。
それが何者なのかは分からないが、神のようなモノかもしれない、とソフィアは思う。
この感覚は、魔族となったことに加え、ヒューと繋がっているからこそ分かる類のものだ。
おそらく、ガイアードは知らなかったに違いない。
―――真の魔王とは、魔界の扉を開き、魔界の神の依り代となる者。
過去の魔王達は、全て失敗作だったに違いない。
勇者や聖女、大魔術師達に阻まれて、その領域まで辿り着けなかったのだ。
(ごめんなさい。お兄様。私のせいでこんなことに)
ヒューには、既に自我はない。
もう二度と、ソフィアに笑いかけることはないだろう。
(お兄様。今度は私が守るから。……お父様も、赤ちゃんも、守れなかった。でも、お兄様だけは、守るから……!)
そのためには、まず勇者を殺すしかない。
(ごめんなさい。カイト。魔界の扉が完全に開けば、この世界は終わるわ。きっとあなたは、無残な死に方をする)
ソフィアは、左手に魔力を込めた。金と黒が混じった魔力の塊が掌の上で渦を巻く。
(だからせめて、私の手で殺してあげる……!)
「死んでちょうだい! カイト!!」
ソフィアが魔力を放とうとした瞬間。
『止めろ! ソフィア!!』
父の声が脳裏に響き、ソフィアの目の前が真っ白になった。
◇◇◇◇
ソフィアは、真っ白な空間にぽつんと立っていた。
何もない。誰もいない。でも、温かで穏やかな空間。いつか、似たような感覚を味わったことがある。
(そうか。これは、聖女の力……?)
「ソフィア」
「!?」
不意に名を呼ばれて、ソフィアは振り返った。
先程まで誰もいなかった空間に、父と……赤ちゃんがいた。
大きな父の手に抱かれた赤ちゃんは、人と呼ぶにはあまりにも小さくて、不思議な感じがした。
「………………ああっ……!!」
ソフィアは、父の胸に飛び込み赤ん坊ごと抱きしめた。
「お父様! ……私のっ……赤ちゃん!!」
「ソフィア」
父の腕が、ソフィアを抱え込む。祖父の腕と母の胸に挟まれて、小さな赤子が「ふわあ」とあくびをした。その姿に、ソフィアの涙腺が一気に崩壊する。
「お父様! お父様の馬鹿! どうしてあんなことしたの!? お父様が死んだらっ……私っ……私……うああああああああ!」
父の大きな手に抱かれながら、ソフィアは泣いた。魔族に涙は流せないが、この空間は精神世界なのだろう。だからこそ、死んだはずの父と赤ん坊に会えたのだ。
「ソフィア。時間がない。よく聞きなさい」
父はそう言うと、ソフィアの頬に手を当て、視線を合わせた。
「ソフィア。ずっと、言わねばならないと思っていた。……お前の両親を殺したのは俺だ。この子を死なせたのも、俺のせいだ。俺は自分の幸せを願うあまり、全てを犠牲にしたのだ!」
父は、血を吐く様な声で告白する。いつも堂々と輝いていた強い父が見せる悲痛な姿に、ソフィアは震えた。
「………………違う!」
「ソフィア?」
「違う! お父様のせいじゃない! 私、知ってるもの。お父様は私の両親を愛してくれていたわ。お母様のお腹の中で、ちゃんと感じていたもの! 私のことも、ヒューのことも、レオナルドのことも、トスカのことも……この子のことも、お父様は愛してくれた! お父様は、誰よりも愛情深い人なのよ!」
ソフィアは精一杯の想いを籠めて父に呼びかける。
ガイアードがそうであったように、ソフィアにもずっと伝えたいことがあった。
父がずっと罪悪感に押しつぶされそうになっていたことに、ソフィアは気が付いていた。なのに、今まで何も言うことが出来なかった。強い父でありたいと、望んでいるのが分かっていたから。
父の身体は既に少しずつ散り始めている。
だからこれが、最初で最後のチャンス……!
「お父様は悪くない! きっと、誰も、悪くないの! 不幸なことが、ちょっとずつ積み重なって崩れただけなの。お父様、自分を責めないで? お父様が居たから、私もヒューも幸せだったの!」
父に伝えたい。誰が何を言おうと、自分はあなたに救われたのだと。
「この愚かな父を許すというのか?」
「許すも何も、初めから恨んでなどいないわ! 世界で一番、大好きよ!!」
ああ、と、思わずガイアードが嗚咽を漏らした。
「ソフィア。お前はまだ大丈夫だ……俺と、この子と、ヒューの分まで、人として生きてくれ!」
「もう、無理なの。私、魔族になったのよ?」
「大丈夫だ。お前の愛する者達を信じろ」
父と、赤ん坊の姿は次第に見えなくなっていく。
この空間は、サラがヒューに取り込まれたガイアードの想いを共有させるために生み出した、奇跡だ。
だが、もう時間切れだ。
「いや……お父様、消えないで」
「ソフィア。俺の、可愛い娘。安心しろ。この子は、俺が抱いていく。ふふ。初めてお前達を抱いた日を思い出すな……俺は、お前達がいて幸せだった。……ありがとう。ソフィア、ヒュー……」
「お父様あああ!」
穏やかな笑顔を残して、父と、赤ん坊の姿は消えた。
「私の方こそ、ありがとう。……お父様……っ!」
誰もいなくなった白い空間で、ソフィアは泣き崩れた。
◇◇◇◇
サラはまだヒューの心と繋がっている。
サラは、『魔』の海に呑み込まれそうになっていた。
ほんの少しだけ残っていたヒューの記憶も、見失ってしまった。
(ヒュー! お願い! 少しでいいの! 残っていて!)
サラは、必死でヒューの欠片を探した。
ガイアードの最期の想いを届けたい。
魔族になっても、あなたを守りたいと願うソフィアの愛を届けたい……!
(あ……!)
サラは、混沌の海で小さな小さな光を見つけた。
◇◇◇◇
サラの意識がヒューやソフィアと繋がっていた時間は、現実ではほんの一瞬だ。
カイトの目には何の変化も感じられなかった。何となく、サラの意識がカイトの開けた穴から二人の元に入り込んだことだけは感じられたが、中で起きていることは全く分からない。
だが、カイトは奇跡を信じていた。いや、奇跡は起こすものだと、カイトは本能的に知っている。そして、奇跡を起こせるのは聖女と……勇者だ。
「ソフィア。たとえ君が魔族でも、僕は君が好きだ……!」
勇者とは、『魔を否定する者』だ。
魔を滅ぼすことが、勇者の存在意義であり、そこに理由はない。
実際、カイトも2年前まではそれだけの存在だった。
だが、今は違う。
ソフィアを想う気持ちは本物だ。
『勇者』が『魔族』を愛している。これは、この世界が生まれてから初めてのことだ。
ーーーそれはすでに奇跡と呼べるのかもしれない。
カイトは再び剣を振り下ろした。
ありったけの魔力を籠めて、結界ごと魔王を切るために。
刹那。
パッと、ヒューとソフィアを守る結界が消えた。
カイトの振り下ろした剣は、吸い込まれるように右腕を根元から切り落とした。
……ソフィアの右腕を。
ブックマーク、評価、感想等ありがとうございます!
今日は温泉旅館で執筆しております。
贅沢耐性(?)が低めなので、すでに贅沢死しそうです(笑)。
さて、かなりゴールが近づいてまいりました!
200話以内で終われるかなあ……?
シリアスが続いているので、はやく番外編でアホなことを書きたいです!
最後までお付き合いいただけると幸いです!