120. 魔界の扉
ソフィアが、魔族になった。
サラは目の前で起こった惨劇を止めることが出来なかった無力感に襲われていた。
カイトはソフィアが居た場所に手を突き、俯いて震えている。
サラは、カイトとソフィアがそんな関係になっていたとは、露ほども知らなかった。あれほど無邪気で、我が儘で、自分勝手だったカイトが、愛を育み父となっていたことに、純粋に驚きと感動を覚えた。それだけに、ソフィアの変化は胸に迫るものがある。
「……カイト」
何と声をかけてよいか分からない。ただ、名前を呼び共感してやることしか出来ない。
「……サラちゃん……僕、いつも何も知らないんだ。ソフィアは命より大事な人なのに……! ソフィア、僕はまだ、諦めない!!」
「! 待って、カイトっ!」
カイトはソフィアの気配を追って転移しようと顔を上げた。
サラが止めようと手を伸ばした、その時。
突然、大きな振動と共に天井が崩れ落ちた。
◇◇◇◇
時は少し遡る。
「おなかすいたー」
マールことチビエロドラゴンは腹を空かせて彷徨っていた。
マールは美少女達と噴水広場でキャッキャウフフした後、「ぼく、やることある」と一人で飛び立ったのだが、何のことはない。食事をしたかっただけである。
フラフラと飛び回りながら、手当たり次第に魔物を食べたものの、小さな魔物をいくら食べても空腹が満たされることはない。
マールはより上質な餌を求めて上空へと飛んだ。
魔王の結界を抜けたところで、ぐるりと辺りを見回した。
(おなか、すいた。やばい)
マールはグルグルと鳴る腹を押えて、きゅーん、と啼いた。
できれば水系の魔物で大きければ大きい程良い。
しかし、この砂漠の国でそんな都合のよい餌が見付かるはずなど……
「いた!」
マールは目を輝かせた。
遠くに、丸みを帯びた四足歩行のピンクの巨体が、のそりのそりと動いているのが見える。
「うまそう!」
マールは愛らしい顔いっぱいに歓喜の笑みを浮かべると、一気にリーンの張った結界(今はジークが維持している)を突き破り、城塞都市の北門を守る巨大な魔物の真上で止まった。
ベヒモスである。
何人かの巨人族と何千という人族がピンクのカバに群がっているが、全長1メートルほどの小さなドラゴンに気付く者はいない。
「ぼくの、獲物だぞ!」
けして人族はベヒモスを餌だと思って攻撃している訳ではないのだが、腹ペコのマールには狩猟風景に見えた。
「うがああああ!」
マールはせっかく見つけた御馳走を取られまいと、全身に魔力を漲らせ、身体を変化させた。小さな青龍の身体が一気に巨大化する。
「んなっ!? 何だ、ありゃあ!」
突然頭上に現れたベヒモスを遥かに超える巨大なドラゴンの姿に、巨人族のガッツは腰を抜かした。剛毅で知られる巨人族の戦士でさえ戦意を失うほどの、圧倒的な存在が上空を覆っている。
全長50メートルのベヒモス相手に苦戦しているというのに、その10倍はありそうなドラゴン……おそらく古代龍を相手に出来る訳がない。
「はは……こりゃ、詰みだわ」
ガッツは「あーあ」と呟いて、ドシン、と砂漠に寝転がった。主であり、友でもあるゼダと共に絶対里に帰る、と決めてきたはずなのに「もう、どうにでもなれ」という気分だった。
そう感じているのは、この男だけではない。
その場に居るほぼ全ての者が生存を諦め、ある者は膝を突き、またある者は呆然と空を見上げている。
だがそれは、人族だけではなかった。
魔物や魔族達もまた、突然現れた異次元の強者を前に愕然と空を見つめている。魔に対する感受性の弱い人族と違い、魔物達は敏感に古代龍と自分達の関係性を把握した。
古代龍は、聖なる生き物である。
自分達とは、異なる者。
絶対的な捕食者であり、自分達は餌なのだと。
……ベヒモスも、例外ではなかった。
ベヒモスは口にくわえた人族を丸飲みにすると、その場から転移するため魔力で身体を覆おうとした。
が。
ばくり。ごくん。
巨大なドラゴンの口が開いて閉じたかと思うと、ベヒモスの巨体が消えた。
「うおっ! 何だ!? ……………………は?」
何が起きたか理解できずに起き上がったガッツが見たのは、四つの足先だけになったベヒモスの残骸だった。
「「「………………ええええええええええええ!?」」」
戦場が、人族も魔族も入り乱れた驚愕の叫びに揺れた。
そんな下々の反応を気にも留めず、
「おいしかった! ぼく、おなかいっぱい! 残りはお前達食べていいぞ!」
と、マールは空高く舞い上がり、くるり、と一回転してチビサイズに戻った。
一口で喰い損なった足先は人族に分けてやることにし、マールはサラ達に合流しようと城を振り返った。
ちょうどその時。
ぞわっ、と嫌な感覚でウロコが逆立った。
二重の結界が張られた魔王城の様子は、外からは分からない。
だが、明らかに城の見た目が変わっていた。
城の最上階が崩れ落ち、城から生える様に巨大な扉が出現している。
両開きの扉は僅かに開き、内側から『魔』が漏れ出しているのがはっきりと確認できた。
「魔界の扉……!?」
マールは凛々しく顔を引き締め、扉へと向かって飛翔した。
◇◇◇◇
「あれは……魔界の扉!?」
野戦の主戦場となっている南門前で、パルマは驚愕に目を見開いた。
順調に魔王軍が数を減らし、戦も落ち着いてきたと一息ついた矢先のことだった。
「……サラさん……!」
無事でいてください、と、パルマは唇を噛みしめた。
◇◇◇◇
「! 今の、分かった? アルちゃん」
娘をお姫様抱っこしたまま階段を駆け上がりながら、リーンは顔をしかめた。
「ええ。お父様。魔界の扉が具現化した気配がしましたわ。真上ですわね」
アルシノエも父と同じ顔をしながら答える。
魔王の体内で魔界の扉が開くだけならば、魔王を封じるだけでも効果はある。
しかし、扉が外へと具現化するほどまでに成長した場合、物理的に扉を閉じる必要がでてくる。
一刻の猶予も許されない状況だ。
お尻はすっかり治ったのだが、(ここぞとばかりにお父様に甘えていたのに、とんだ邪魔が入ったもんだぜ! ……許すまじ)と、アルシノエはご立腹である。
「……ちっ。何やってんだよ、勇者と聖女は」
「まあまあ。サラちゃんは悪くないよ? それにしても、あの扉、既にちょっと開いてしまっているね。あっちから強い魔物が出てくる前に、魔王をどうにかするか、扉を締め切らないと」
よいしょ、と、リーンは階段の踊り場で娘を降ろした。
「さて、どうしよう」
腰と顎に手を添えて、珍しくリーンは真面目に考え込んでいる。
「んー、決めた! じゃあ、僕はまたジークと代わって外の結界の維持に努めるから、アルちゃんは扉を覆うように聖魔法の結界を張って、『魔』が溢れないように頑張ってくれる?」
「いいですけど……。 ジークおじ様は何なさるの?」
アルシノエの質問に、リーンはにっこりとほほ笑んだ。
「もちろん! 物理的に扉を押さえてもらうのだよ!」
◇◇◇◇
「聖女殿! しっかりいたせ! 聖女殿!」
「ん……」
ゾルターンの呼びかけに、サラは意識を取り戻した。天井が崩れた衝撃で気を失っていたらしい。
「んん!? 顔、近っ!」
「こら! 頭を派手に打ったのだ。急に動くでない!」
「ううう。すみません」
ゾルターンが支えてくれているため痛みは少ないが、サラは頭から血を流していた。生暖かい感触がこめかみから頬を伝って顎から落ちていく。
「治癒魔法を……」
「待ってくれ、聖女殿」
治癒魔法をかけようと、サラが自分の頭に近づけた左手をゾルターンが握って阻止した。
「血を、もらうぞ」
「……え?」
不意に、ゾルターンの唇がサラの顎に触れた。
「ひゃい!?」
「動くでない」
柔らかな唇と、ざらざらとした舌の感触がゆっくりとサラの顎から頬、こめかみへと伝わっていく。不快ではないのだが、慣れない感触にサラの心臓は爆発寸前だ。
「ひいいいいい」
「我慢しろ」
傷口に触れないように丁寧に血を舐めとると、ゾルターンは少年の様な笑顔を見せた。
サラはリンゴよりも赤い顔で、涙目である。
「さすが聖女。そなたの血は美味いな。回復したぞ」
「ななな何でこんなことっ」
「……」
サラの質問には答えず、ゾルターンは困ったような顔で微笑みを返した。
「聖女殿。早く傷を癒されよ。余は、すべきことがある。……後のことは、任せた」
「え?」
ゾルターンはそっとサラの額に口付けしてから手を離すと、サラに背を向け、ヒラリと駆け出した。その背を目で追って、初めてサラは気付く。
目の前に、高さ30メートルほどの巨大な両開きの扉が出現していることに。
扉は向こう側から押し出されるように僅かに開き始めており、指先ほどの隙間から小さな蟲のような『何か』が漏れ出てきている。
その中央に立ち、ゾルターンが扉に手をかけるのが見えた。
「王様!」
思わず、サラは悲鳴のような声を上げた。ゾルターンは扉がこれ以上開かぬように押さえるつもりなのだ。しかし、聖女の血を飲んだバンパイアといえど、人ひとりの力で押さえきれるはずはない。このままではゾルターンの身が裂けてしまう。
(なんとかしなきゃ……!)
サラは手荒く治癒魔法をかけ、ふらつく身体に喝を入れて立ちあがった。
「!?」
立ち上がって初めて、上空に手を握り合って浮遊するヒューとソフィアの姿が見えた。二人から止めどなく放たれる黒い『魔』の塊を、カイトの光の剣が鮮やかに切り裂いている。だが、二人の魔力は凄まじく、カイトは距離を縮められずに苦戦していた。
魔王が二人いるようなものなのだ。
(休んでる場合じゃない!)
サラは身体に魔力をため、一気に飛翔した。
ブックマーク、評価、感想等、ありがとうございます。
更新の励みになっております。
今回は、忘れた方も多いであろう、青龍のマール君を登場させました。
つよいぞ、すごいぞ、まーるくん。
かなり第2章もラストに近づいてまいりました。
すでに第3章の最後だけは書いているんですが、果たしてたどり着くのやら(笑)
これからもよろしくお願いします。