119. ソフィア
ソフィアはガイアードの腕の中で目を覚ました。
(お父様……? なぜ?)
ぼんやりとする頭で、記憶を辿る。
キトと朝食を食べた後、いつものように西の塔を抜け出して、トスカの元へ遊びに行った。
最近はトスカやトスカの娘や孫達と一緒に、生まれてくる赤ん坊のために産着を縫うのが日課になっていた。トスカはガイアードの乳母であり、ソフィアの両親とも親交があったことから、ソフィアを実の孫のように可愛がってくれた。ソフィアとカイトの事情を知り、外の国へ駆け落ちするようにと進言してくれたのもトスカだ。
「ガイアードやレオナルドにばれたら、トスカが怒られちゃうわ」と心配する二人に、トスカは笑って「大丈夫です。ガイアード様も、息子も、優しい子ですから」と答えてくれた。
トスカにしてみれば、たとえ魔族になっても「息子は息子」なのだそうだ。
「トスカ。駆け落ちしたら、しばらく会えなくなっちゃうけど……ぜったい、ぜったい赤ちゃんを見せに来るから!」
「ふふふ。ソフィア様は気が早うございますね。でも、楽しみにしていますよ」
「うん! トスカ、大好き! ……痛っ!」
トスカ達とのおしゃべりに気を取られて、ソフィアは指に針を刺してしまった。白い産着に赤い染みができる。「あら、どうしましょう!」とソフィアが血の滲む指をくわえた時、母屋の方から悲鳴が聞こえてきた。
トスカの住む屋敷は広く、魔族ではない者の住処としては破格の待遇を受けていた。屋敷には母屋といくつかの離れがあり、時々ふらりとガイアードやレオナルドが現れることがあると聞いたソフィアは、必ず離れを利用している。
その母屋の方から、慌ただしい物音と、使用人達の悲鳴が聞こえてくる。
トスカは青い顔で立ち上がり、ソフィアに「転移で戻るように」と言い残して、部屋を出た。
盗賊でも出たのだろうか、とソフィアは思った。
私も戦う、とソフィアは孫達と部屋を出て―――それから後の、記憶がない。
目が覚めると、ガイアードに抱かれたまま横たわっていた。
父の胸は逞しくて、温かい。
……だが、魔力が感じられない。ほんの、少しも。
「おとう、さま?」
父の胸に手を当てて、呼びかける。……反応がない。
「お父様?」
身を起こして、体を揺する。……父は薄く目を開けたまま、天井を見つめている。
ソフィアは全身に鳥肌が立つのを感じた。
「お父様!? お父様!? どうしたの? 返事をして! お父様っ!!」
父の脇に右手を入れて、体を持ち上げた。頭を胸に抱いて、耳元で必死で呼びかけるが、ガイアードは抜け殻にでもなったかの様に、反応を示さない。
「……おとう……さま……?」
呆然と、ソフィアはガイアードの顔を見つめる。そこに、怖い顔だが優しい目をした、威厳のある父の面影はなかった。
「……いや……いやあ! どうして!? 誰か、誰か!」
ソフィアは現状が理解できずに、きょろきょろと辺りを見回した。
「!?」
ふと、サラと目が合った。サラは哀しそうな顔で、ソフィアを見つめている。
「……サーラちゃん? どうしてここに……? 隣の方は、誰?」
ここは、魔王の国だ。聖女が入れる場所ではない。
ぞわっ、と、嫌な感覚がソフィアの胸によぎった。
「ソフィア。あなたは一度死んだの。魔王が覚醒して、私達はここに来た。ガイアードはあなたを助けようとしたの」
サラは、淡々とソフィアに事実を告げた。サラ自身も、目の前で起こったことに理解が追い付いていなかった。魔王よりも強く、極悪非道なキャラとして描かれていたガイアードが、実子でもない双子のために命を投げ出すなど、予想外だったのだ。
「何を……言っているの……?」
わなわなと、ソフィアの口が震えている。
その震えは指先へと伝わり、ガイアードの抜け殻を揺らす。
「私が死んで、お兄様が覚醒したですって? サーラちゃんは、お兄様を殺しに来たの? お父様を殺したのは、サーラちゃん?」
「! 違うっ」
「じゃあ、隣の方!? 魔物が、魔王に刃向かうの!?」
かっ、とソフィアの目の色が琥珀から赤みを帯びた金へと変化する。それに呼応するように、ソフィアの身体から黒い魔力が溢れ出した。
(その魔力は、だめ!)
とっさに、サラは転移し、ガイアード越しにソフィアを抱きしめた。
「ソフィア! それも違う! ガイアードは自分からヒューに取り込まれように見えたわ! あなたを生き返らせるためよ! ソフィア、ガイアードはあなたを守ったの! だから、魔族になっちゃ駄目!」
サラの力強さと温もりが、魔に取り込まれそうになるソフィアの意識をかろうじて繋ぎとめる。ソフィアは父を抱く腕に力を込め、サラの肩に顔を埋めた。
「自分から……? 生き返らせる? 私、死んだの? 死んで、生き返ったの?」
「ソフィアとヒューは繋がっているでしょう? ヒューの魔力がソフィアに流れているのが見えたわ。多分、ヒューの力だけじゃ足りなかったの。だからガイアードは……」
「……ああ!」
ドクン、とソフィアの胸が高鳴った。
サラに言われた通り、意識を集中させると体内に兄と父の魔力を感じることが出来た。
同時に、兄と父の記憶が右腕を通して流れ込んでくる。
記憶の中の自分は、確かに死んでいた。
兄と父の悲痛な叫びが胸を抉る。
兄の中の、扉が開いたのが分かった。
父が、レオナルドと決別したのが分かった。
全ては、自分のため。
「ああ! ごめんなさい! ごめんなさい! お父様、お兄様!」
思わず、謝罪の言葉がソフィアの口を突いて出た。
「私、赤ちゃんができたの! 黙っていてごめんなさい! 皆に内緒で、ここを出て行くつもりだったの。お父様もお兄様も、こんなに私を大事にしてくれていたのに……! 身勝手でごめんなさい!」
赤ちゃんができた、と聞いて、サラも自然にソフィアを抱く腕に力が入った。
「お父様。目を開けて? ねえ、この子に……」
名前をつけて、と言いかけて、ソフィアが口をつぐんだ。
「ソフィア……?」
急に黙り込んだソフィアに不安を感じ、サラは身を離して顔を覗き込んだ。
「!?」
ソフィアは目を見開き、愕然としたまま、息をするのも忘れている。
「ソフィ……」
サラがソフィアの顔に手を伸ばしたその時。
「カイト、参上!!」
勢いよく扉が開き、カイトが現れた。
カイトはソフィアの顔を見つけると、崩れ落ちそうなほど破顔した。
「ソフィアアアアアア!」
ゾルターンは元より、サラすら眼中に入らないのか、カイトは真っ直ぐにソフィアに向かって駆け寄った。
「来ないで!!」
パンッ! と音がして、ソフィアの結界がカイトを拒む。
「きゃあ!」
「聖女殿!」
結界に押し出される形で、サラも後ろに跳ね飛ばされた。ゾルターンが受け止めなければ壁に激突していただろう。
「ソフィア、どうしたの?」
カイトは目を丸くして、ソフィアの結界に手を伸ばした。指先が触れると、ビリッと痛みが走る。
「……ないの」
「え?」
「赤ちゃんの魔力がないの! 朝はあったのよ!? お腹の中に、ちゃんとあったの!」
「ソフィア、落ち着いて!? 結界を解いて? 僕にも、確かめさせて!」
「嘘! 嘘! 嘘! 嘘! なんで消えたの!? どこに行ったの!? 私の赤ちゃん! 赤ちゃん! 赤ちゃん!」
「ソフィア! 僕の声を聞いて!」
「いやあああああああああああああ!!」
ソフィアの絶叫がこだまする。
ソフィアは混乱していた。ガイアードの遺体を右腕に抱えたまま、自分の腹を左手で掴んで、必死に治癒魔法をかけている。
「お願い! お願い! 戻ってきて!? 赤ちゃん! お父様! 赤ちゃん! お父様!」
「ソフィア! 僕を見て! 君を抱きしめたいんだ、ソフィア!」
ビリッ! と激しい痛みがカイトを襲う。だが、カイトは結界に指をねじ込んだ。
「!? カイト!?」
結界に侵入された振動に、ソフィアは顔を上げた。ようやくカイトと視線が絡み合う。ソフィアは一瞬泣きそうな笑顔になったが、すぐに笑顔は絶望に変わった。
「……ごめんなさい。カイト……」
「ソフィア、大丈夫だから」
「ううん。大丈夫じゃ、ないの。何も、大丈夫じゃ、ないの」
激痛に堪えながら、カイトがゆっくりと結界に身体をねじ込ませていく。サラはゾルターンに支えられながら、その様子を見守ることしか出来ない。
「ごめんなさい。カイト。私、あなたの赤ちゃん、守れなかった……」
ぽろり、と大粒の涙がソフィアの瞳から零れ落ちた。
「大丈夫だ! 君が無事なら、それでいい! 子供はまた作れば……」
「『また』とか言わないで!!」
「うがあっ!」
ソフィアの結界が強まった。カイトの身体が、結界の外に無理やり押し出される。その衝撃で、指先は散り散りにはじけ飛んでいた。
「この子は、この子だけよ!? 『また』なんかないわ! 私の、大事な……家族よ!」
ソフィアの瞳が、赤く変わる。
全身から、黒い魔力が噴き出した……!
「私は、家族を守る! お父様にもこの子にも……お兄様にも、指一本触れさせない!」
「「ソフィア!!」」
勇者と聖女の目の前で。
父と子を同時に失った可憐なエルフは……魔族になった。
「お兄様!!」
ソフィアはガイアードを抱きしめると、最上階にいる兄の元へと転移した。
「ソフィアアアアアア!!」
愛しい少女の消えた部屋で、カイトの絶叫だけが響いていた。
ブックマーク、感想、評価等、ありがとうございます!
ソフィアちゃん、復活しましたが……OMGです!
次回は、魔王戦……の前に、1~2話挟みます。
放置プレイしている方々がいらっしゃるので。某ドラゴンとか。
では!