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114. 砂上の王国

 女が一人、窓辺で微睡んでいる。

 柔らかなソファーに身を沈め、はち切れそうなほどに膨らんだ腹を大事そうに抱えて、窓枠に頭をつけて微笑む様に眠る姿は、春の女神のように美しい。

 窓の外では、女の夫と友人が新しい花壇を作っている。もうすぐ生まれてくる子供達のために、珍しい花を植えるのだという。


 ガイアードは、ソファーから落ちた毛布を拾い上げ、軽くはたいて女の肩にかけた。

「ん……ありがとう。ガイアード」

「起こしてしまったか。悪いな、ソフィア」

 ガイアードが謝ると、寝ぼけまなこで、ソフィアはふわっと笑った。


 ―――これは、17年前の記憶だ。


 魔族になってから眠ることのなくなったガイアードが夢を見ることはない。だが、時々、ふとした瞬間に過去の記憶が鮮明に蘇ることがあった。記憶は色と音と温もりさえも伴っている。

 17年前。ガイアードは、アルバトロスの王であった。

 歴代のアルバトロス王と同じく、ガイアードは他国へと侵攻し、領土を広げていた。ガイアードは常勝の王であった。領土が広がれば広がるほど、民は豊かになり、幸せになると信じていた。

 ガイアードは1年のほとんどを戦場で過ごし、たまに王都で妻子や友人と過ごすという日々を、即位前からずっと続けている。

 過酷な戦いも、孤独な日々も、全ては国のため。

 部下も、友も、家族も、王都の民も、ガイアードの大切な者達は、みな笑顔だった。


「いいの。眠るつもりはなかったから。……ヒューとレオナルドの楽しそうな姿を見ていたら、いい気分になっちゃったみたい」

 そう言って、ソフィアは自分の腹を優しく撫でた。まだ3か月はあるというのに、自分の妻の臨月の頃よりも大きい。

「ずいぶんと大きくなったものだ。双子は大変だな」

 思わず、ガイアードは独り言を呟いていた。その言葉に、ソフィアは「ふふ」と笑った。

「生まれたらもっと大変よ。ヒューは魔術師のくせに不器用だから、きっとオロオロするばかりで、おしめも替えられないんじゃないかしら」

 窓の外で土魔法を使うヒューは、酷く泥だらけだった。全く汚れていないレオナルドとは、ひどく対照的だ。

「はは! 確かにな。……だがこの間、トスカから抱っこの仕方や風呂の入れ方を教わっていたぞ」

 長年の友をフォローするように、ガイアードは言葉を添えた。ヒューは誰よりも優しく、善良な男だった。皆の憧れであったソフィアがヒューを選んだ時、恨めしく思う気持ちよりも『ヒューならば仕方ない』と思う気持ちが勝った。

「ふふ。やる気だけは、あるのよねえ」

 ソフィアも懸命に子をあやす夫を想像したのか、楽しそうに笑った。

「安心しろ。いざとなったら、俺がおしめを替えてやる」

「ガイアードが!? メイアのおしめも替えているの?」

 冗談半分、本気半分で言ったガイアードに、ソフィアは目を丸くした。一国の王であり、強面の戦場の神が赤子のおしめを替える姿など、想像できないのだろう。

「時々な。特に夜中は、いちいちレイチェを起こすのも可哀そうだし、第一、おしめを替えた後の笑顔が可愛い。これは特権だ」

「はあ。『ガキは好かん!』って、睨みを聞かせていたガイアードが、すっかり子煩悩になっちゃったわね。……レイチェもメイアも幸せね」

 ふぅ、と、ソフィアは大きなため息をついた。

 ソフィアが出産を前にナーバスになっていることに、ガイアードは気が付いていた。おそらくヒューとレオナルドも分かっている。花壇は子供のためではなく、彼女のためだろう。

「ソフィア」

 ガイアードは、ソフィアの細く柔らかい手に、ゴツゴツとした大きな手を重ねた。夫のいる女性に触れることに多少の抵抗はあったが、哀しそうに微笑む友を勇気づけたかった。

「大丈夫だ。きっと、無事に生まれてくる」

「……そう、ね……」

 ソフィアは、赤金色の瞳を震わせて俯いた。


 この世界において、出産時の母子死亡率は高い。

 裕福な家の者は治癒魔法の使える魔術師を出産に立ち会わせることが出来るが、それでも100%救命できるわけではなかった。その上、ソフィアが宿しているのは高い魔力容量を持つ双子だ。時に、極端に魔力容量の高い赤子が生まれた場合、周囲の魔力を急激に吸い込み、母親を死に至らしめることがある。エルフの出生率が悪い要因の一つに、出産が危険すぎるから、という理由が筆頭に上がるほどだ。しかも、今回の子供は魔力の質の違いから二卵性であることが分かっており、下手をすると母親だけでなく、赤子同士がお互いの魔力を奪い合う事態も予想されていた。

 そのため、周囲の魔力を遮断する特殊な結界の張られた部屋で、最低限の人数で出産に臨み、生まれてすぐに魔力を封じる処置を施す必要があった。だが、本来、赤子に魔術は禁忌とされており、封魔の術によって落命したり、障害を持つことがある。

 ソフィアの出産は、母子共に計り知れないリスクを抱えていたのだ。

 ソフィアはガイアード達の前では笑っているが、「ずっとこのままお腹にいてくれれば、

 守ってあげられるのに」と、毎日のように腹の子に話しかけていると、ガイアードはヒューから聞いていた。


「ソフィア。万全の体制を整える。ヒューも出産には立ち会う。なんせ、あいつはこの国一番の魔術師だからな!」

 ガイアードはわざと明るく笑った。その力強い笑い声に、ソフィアもくすっと笑みを見せて、ガイアードの手を両手で包んだ。

 ドキリ、とガイアードの胸が疼く。

 ソフィアは初めて会った頃から変わらない、美しい眼差しでガイアードを見つめた。


「ガイアード。この子達を、守ってあげてね?」

 それは、祈る様な声だった。

「ああ」

 頼まれずとも、そのつもりだった。

「お前も、お前の子供達も幸せにする……俺は、王だからな」

「ありがとう」

 ほっとしたように、ソフィアが笑った。


 窓の外では、ガイアードの姿に気が付いたらしい男達が笑顔で手を振っている。

 ガイアードも笑顔で手を振り返した。


 友が居て、愛する家族が居て、民が居て、みな笑っている。


 そんな日常が、永遠に続くと思っていた。


 その幸せが、この国と同じ、砂上の城のように危うく、脆いものだと知るのは、これから僅か3か月後のことだ。


 ガイアードは忘れていたのだ。

 虐げられた者達の存在を。多くの者を踏み台にして、その上に今の幸せがあることを。


 ガイアードが戦場で他国の者の命を奪っていた時、その知らせは入った。


 ―――レイチェ王妃、ならびにメイア王女、死去。


ブックマーク、ありがとうございます!

最近、ちょっと増えてて滅茶苦茶嬉しいです!てへへ。


今回は、ガイアードさんの過去でした。

次回も続きます。

ああ、ついにガイアード戦かあ、と感慨深いです。

だいぶ、第2章のゴールが見えてきました。がんばります!

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