112. 城2階の戦い ー忠義の魔法騎士 4ー
「させない」
艶のある美声が『星読みの間』に低く響いた。
デュオンの首めがけて剣を振り下ろしていたレオナルドは、背筋に冷たいものを感じて手を止めた。剣は、デュオンの首を僅かに切ったところで止まっている。
(……何だ……?)
レオナルドは、この時初めて部屋の中が異様に暗くなっていることに気が付いた。
ゾワッ、とデュオンに触れている剣先から妙な感覚が伝わり、レオナルドは剣を離して後ろに跳躍した。
「!?」
ズズ、と着地した足が何かに引っ張られ、レオナルドは体勢を崩した。足には、黒い闇がまとわりついていた。
「精霊か!」
はっ、と弾かれた様にレオナルドはロイに目を向けた。ずっと、己の結界の中で身を守っていただけだと思っていた青年が、闇のドレスを身に纏い、宙に浮いている。
「アグ・ロス」
「!!」
妖艶な笑みを浮かべ、ロイは服従の呪文を唱えた。
「ふんっ!」
先程と同じように魔力で跳ね返そうとしたレオナルドは、自分の魔力が酷く弱まっていることに気が付いた。
闇の精霊達が、魔力の隙間をこじ開ける様にレオナルドの心に入り込んでくる。
それは甘く、美しく、かぐわしい、魅力的な闇だった。
「……お……のれ……」
レオナルドは胸を押さえ、膝を突いた。
ロイはデュオンが時間を稼いでいる間、黒い魔石で少しずつレオナルドの魔力を奪いながら、逆に闇の精霊を周囲から呼び寄せていた。魔王の結界内は暗い。そこは魔族や魔物にとって最適な環境であると同時に、闇の精霊にとっても力を発揮しやすい場となっていた。
ロイはデュオンを助けたい気持ちを必死で抑え、充分に精霊が集まるまで耐えた。
闇の精霊を使う作戦は、初めから予定していたことだった。
デュオンが狂戦士化という奥の手を使ったのは予想外だったが、結果として、デュオンが時間を稼ぎ、ロイがレオナルドに服従の魔法を使う、という計画は実行された。
(デュオンさんは十分すぎるほど、頑張ってくれた。あとは、俺の仕事だ!)
「闇の精霊達よ、謡え。誘え。心の支配権を、奪え」
男の声でありながら、女の様に甘美な響きで、ロイが精霊に呼びかける。精霊達は美しい主の命に歓喜の声を上げながら、レオナルドの体内へと飛び込んでいく。
(やめろ……!)
レオナルドは混乱する頭の中で、必死に抵抗を続けていた。レオナルドの人格を形成しているありとあらゆるものが侵され、壊れていく。何とえげつない術だ、とレオナルドは顔を歪めた。かつて、何度も奴隷が服従の魔法をかけられるのを見てきた。だが、これ程、人の尊厳を傷つける術だとは思ってもみなかった。
自分が自分でなくなっていく感覚が、激しい恐怖を伴ってレオナルドに襲い掛かる。
(やめろ……!)
大概のものは、無くしても構わない。ソフィアや母を手にかけた時、大事なものの大半は捨てた。
レオナルドに残っているのは、ただ一つ。
『王への忠誠心』
それだけが、レオナルドの心を支えている。その柱さえも壊そうと、精霊達はあざ笑うかのように飛び回っている。
(やめろ……!)
「さあ、我に従え。高潔なる魔族よ」
ロイの声が甘く響く。
王への想いに、精霊達が触れた。
「それだけは、誰にも渡さん!」
レオナルドが吼えた。
体中の細胞から魔力を絞り出した。レオナルドの魔力が精霊達を焼き払う。
「ああっ!」
精霊達が焼かれる痛みに、ロイは悲鳴を上げた。
「我が王は一人だけだ! 他の誰にも屈さぬ!」
レオナルドの咆哮に、パリン! と、いくつかの魔石が割れた。
奪われた魔力が渦を巻いてレオナルドの元へ戻っていく。
「まだだ! アグ・ロス!」
再びロイが唱えた。
「やかましい!!」
レオナルドが特級の火炎魔法を放とうと腕を伸ばした。
その時。
ぐらり、と世界が揺れた。カイトの封印が解かれた瞬間だった。
「!?」
レオナルドは、愕然として手を止めた。
(何故……!?)
レオナルドは3階へと続く空間を封鎖していた。聖女達を食い止めるためだ。
なのに、結界に穴が開いた。
……まるで、勇者覚醒のタイミングを待っていたかのように、内側から弱められて。
「何故ですか……!?」
忠義の魔法騎士は、上に向かって叫んだ。
そして、理解した。
ガイアードは、レオナルドがソフィアを殺したことに気付いている、と。
そして、決して、レオナルドを許していないことを。
「ああ……!」
足元から、全てが瓦解する気がした。
急激にレオナルドの魔力がしぼんでいく。
ロイはレオナルドの急変に戸惑いを隠せないでいた。だが、「もう服従の魔法は必要ない」という感覚があった。
「私はもう、あなたにとって、価値のない者なのですね」
上を見上げたまま、ポツリ、とレオナルドが呟く。その顔は、捨てられた犬の様だった。
碌な部下がいないと嘆くガイアードが、唯一信頼を寄せる部下だと誇りがあった。
昔も今も変わらず、王に忠誠を誓う騎士でいられることに、誇りがあった。
王もそれを認めてくれていると、信じて疑わなかった。
「魔族になると、ボタンを掛け違えたように考え方が変わる」
常日頃、口にしていた自分の言葉が脳裏に浮かぶ。
(そうか、自分は間違えたのだ)
魔族になっても人の心を忘れなかった王とは、既に道を違えていたのだ。
王のためにと、ソフィアを手にかけたことが決定的だったのだろう。
「あなたに必要とされないのなら。あなたの邪魔になると言うのなら……」
がくっ、とレオナルドは膝から崩れ落ちた。
震える手で胸元から短剣を取り出すと、ありったけの魔力を込めた。
「我が王に、栄光あれ……!」
高らかに叫び、レオナルドは自らの首を切り落とした。
驚きに目を見張るロイの前で、レオナルドの身体が、首が、光の花びらになって消え散っていく。
(ああ。私の想いは、どこに消えていくのだろう)
崩れていく自分を眺めながら、ぼんやりとレオナルドは思った。
妹の、母の、友の笑顔が瞼に浮かぶ。
(全てを失くしたというのに。結局、私の人生には何も残らなかった)
「レオナルド。我が騎士よ……大儀であった」
不意に頭に声が響き、はっと、レオナルドは瞼を上げた。
それは、忠義の騎士にかけられた、王からの最期の言葉だった。
(最愛の娘を手にかけたと知ってなお、私を騎士と呼んでくれるのですか……!?)
雷に打たれたような衝撃が走った。その途端、ソフィアの姿が頭に浮かんだ。
おしめを代えた時の、小さな足。
ダンスを教えた時の、小さな手。
憧れの人によく似た、可愛らしい笑顔。
(……ああ、ソフィア。すまなかったね……)
レオナルドは、光になった。
ロイの作った闇の中で、レオナルドの光の花は儚く散っていった。
……忠義の魔王騎士、撃破。
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さて、次回は再びアルシノエの登場でぇす。
次回もお付き合いいただけると幸いです。