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105. アマネとシグレ ーシグレー

 アマネが消えた。


 音もなく、匂いもなく、魔力さえ感じない。

 初めから存在していなかったのだと言われれば、そんな気がしてくるほどに、アマネの存在は完全に消えていた。


「アマネ」


 立ち上がり、周囲を見渡しながらシグレが名を呼ぶ。

 すぐ足元では、男が一人、魔族の一部を抱いて何かを話している。

 だが、核を失った魔族など、もうどうでもいい。


 シグレはゆっくりと息を吐き、意識を額へと集中させた。

 かつて、同じように居なくなったアマネを探した時のように。


 それは今から15年程前のことだった。

 当時、若いながらも優秀な『鬼』として大陸中で任務を遂行していたシグレは、ある日テスの命令で故郷へと呼び戻された。

 新たに与えられた任務は、「孫娘の教育係」だった。

 愕然とした。

 なぜ自分が、とテスに詰め寄った。しかし、テスは「頼んだ」とだけ言い残し、その場を去った。

 まだシグレも若かった。厄介ごとを押し付けられたと憤慨し、いっそ、孫娘様とやらに嫌われてクビにしてもらおうと考えた。

 テスから命を受けた翌日、シグレはアマネの住む屋敷へと向かった。

 が、肝心の少女が屋敷のどこにもいない。

 シグレは、アマネが屋敷からほとんど出たことがないと聞いていた。なのに、屋敷どころか村にもいない。

 シグレは嫌な予感を覚え、捜索範囲を『鬼』一族が管理するギリギリの範囲まで広げた。

 人気(ひとけ)のない山中の寺で座禅を組み、ゆっくりと息を吐き、目を閉じて意識を集中させる。

 屋敷に残っていたアマネの魔力を思い出しながら、円を描くように魔力の捜査網を広げアマネの痕跡を探す。すると、アマネの魔力は屋敷から遠く離れたとある地域で見つかった。そこは、若い『鬼』達が修行で訪れるオーガが住まう山だった。

 転移の出来ない6歳の少女が一人で行ける場所ではない。

 誰かに連れ去られたのだと判断し、シグレは即座に転移した。


 だが、アマネは既に消えていた。


 オーガ達も突然消えた少女に戸惑っている様子だった。

 シグレは音もなくオーガ達を全滅させると、再び意識を集中させた。

 アマネが命の危険を感じたことで、突然、転移が出来るようになった可能性もある。しかし、子供の魔力量と初めて使う魔術で遠くに行けるとは思えなかった。それにもかかわらず、アマネの魔力は完全に消えていた。まるで、消滅したかのように。


 滅多に動揺しないシグレであったが、かつて経験したことのない奇妙な現象が起こっているのだと気付き、背筋が冷たくなる感覚に襲われた。


 正直なところ、「これで面倒事が消えた」と思わなくもなかった。


 だが、6歳の少女、ということが気にかかった。


 シグレが『鬼』として独り立ちして家を空ける様になった時、妹のシズはまだ6歳だった。早くに両親を亡くしたシズにとって、6歳年上のシグレだけが頼りだったはずだ。シグレが家を出る度、シズは走って追いかけてきた。何度も転び、小さな身体を傷付けながら、わんわんと泣いて、それでも縋ってくる幼い妹。

 その姿が脳裏をよぎった。

(せめて、見つけてやらねば)

 シグレは呼吸を整え、再び意識を集中させた。

(魔力を使って逃げたことは明らかだ。まだそれほど時間は経っていない。だとしたら、空間の何処かに綻びがあるはず)

 シグレは強靭な精神力でアマネを探し続けた。泣いている妹を思い出しながら。


 ふと、チリッ、と眉間の上の方に電流が走った。

 かつて鬼の多くが角を生やしていたと言われている部位だ。

(ここか……!)

 シグレは額に感じる感覚に身を任せ、何もないはずの空間に右手を伸ばした。


 ふわっと、何かに触れた感じがした。


 シグレは腕を引き抜いた……つもりだった。

 空中から少女が一人、現れた。出てきたのは、それだけだった。


 シグレの右腕は消滅していた。


 気を失った少女をこっそり屋敷に戻した後、シグレは誰もいない自宅に転移し、声を押し殺して痛みに耐えた。時間が経つほど、痛みが現実のものとなって容赦なくシグレを襲う。


 少女が居た先は、少女自身が作り出した空間魔法の中だった。

 空間魔法の中で、他の生き物は存在できない。

 空間魔法は、いわば術者の「魔力の胃袋」みたいなものだ。術者自身が丸ごと入った例など聞いたことは無いが、本人が腕を突っ込んでも全く問題にはならない。だが、他の生き物がその中に入った場合、魔力の質がそれぞれ異なるために、必ず拒絶される。全く同じ質の持ち主など存在しない。そして、魔力が強い者ほど拒絶される度合いも強い。


 それ故、生まれた時から『鬼』の後継者候補に名が挙がるほどの魔力持ちであるシグレが、他人の作った異空間に腕を突っ込むなど狂気の沙汰だった。


 アマネの命と引き換えに、シグレは右腕を失った。


 シグレは気を失いそうになる痛みと嫌悪感、喪失感、そして、剣士として利き腕を失ったという恐怖に耐え、たった一人で、オーガから奪った右腕を繋ぎ、幾重にも魔術を施し、腕を偽装した。


 シグレが腕を失ったことを知るのはテスのみだ。

 テスの後継者候補として、他の候補者や鬼姫達に隻腕であることを隠す必要があったからだ。

 アマネの教育係は、利き腕を失ったことで今までの様な苛烈な仕事が出来なくなったシグレにとって、よいカモフラージュになった。


 しかし、今思い返しても地獄の様な日々だった。


 腕を失ってまで助けた少女は、一向にシグレに懐こうとしない。

 おまけに怠惰で、意気地もない。

 アマネなりに頑張っているのだろうが、すぐに逃げてしまう。アマネが逃げれば逃げるほど、若いシグレの苛立ちは募り、修行は厳しさを増していく。


(俺はいったい、何のために腕を失ったのだ……!?)

 アマネが悪いのではない。しかし、やり場のない怒りが常にシグレの心にくすぶっていた。


 それでも、『鬼姫』としてアマネが生きていけるようにと、シグレは心を殺し、アマネを鍛え続けた。ほとんど、ヤケになっていたのかもしれない。


 アマネにとっても地獄の様な……いや、地獄そのものの日々であっただろう。


 アマネの相手をする傍ら、シグレは血を吐く様な厳しい修行を積み、いつしか借り物の右腕を自在に操れるようになっていった。


 そうして再び任務に戻れるまでになったころ、アマネは王都に住まうゴルドの奥方の侍女見習いとして、シズの元へ預けられることとなった。


 お互い、ほっとしたことは言うまでもない。


(……今思えば、よく、あの環境で腐らなかったものだ)


 自分も。アマネも。


 怠惰でサボリ魔、というアマネのキャラクターは、他の『鬼姫』から身を守るための彼女なりの戦術だったのかもしれない。実際『鬼姫』達は、せっかくシグレから直々に教えを乞えるというのにサボってばかりでちっとも上達しないアマネのことを、相手にしなくなった。


 シグレには、アマネの考えが分からない。

 5年も顔を付き合わせていたというのに、アマネの事を何も知らない。


(悪いことをした)


 幼い頃、オーガに襲われたアマネにとって、オーガと似たような体躯のシグレは居るだけで脅威だったろう。


(アマネ。何処にいる)


 シグレは心の中で呼びかける。


 サラの仲間になるため訪れたゴルドの屋敷で、久しぶりにアマネと再会した。

 大人になったというのに、相変わらずアマネはシグレから逃げた。

 成長していないな、と残念に思う反面、アマネの表情が昔よりも格段に豊かになっていたことに、シグレは驚きを隠せなかった。


(お前は、笑えたのだな)

 

 サラやロイの前で、屈託なく笑うアマネ。シグレが一度も与えてやれなかった表情だった。

 シグレの前では、アマネはいつも怯えていた。


(アマネ。シズが死んだとき、泣いてくれたそうだな)


 アマネにとって、シズはどういう存在だったのだろう。

(俺が死んでも、アマネは泣いてくれるだろうか)

 ……それほどの関係性を築けていたとは到底思えない。


(俺はお前を何も知らない。きっと、お前も俺を知らない。戻ったら、話をしよう。今更だが、師匠と弟子として、一から向き合おう)


 ――—かつて、『鬼切りレンセイ』は『鬼姫ツバキ』が何処へ逃げようとも、その気配を探し出したという。


(だから)


 額にチリッと痛みが走り、シグレは迷わず左手を伸ばした。


「戻ってこい……アマネ!!」


ブックマーク、評価、感想等、いつもありがとうございます。


今回は、シグレ兄様の昔話でした。

グレ兄様、主人の前では「私」ですが、普段は「俺」のようです。

いつもクールで何処か人間離れしているグレ兄様ですが、ポーカーフェイスの下は結構人間臭かったみたいです。残念なような、嬉しいような……ちょっと複雑です!(笑)


さて、次回はアマネの回です。

アマネちゃん、戻っておいで~!


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