73. ビトレール家の幸福
「ええ!? シャルロットが婚約?」
「そうなんだよ」
驚くロイに、エドワードは満面の笑みで応えた。
1年ぶりの再会を喜んだ後、ロイとエドワードはベッドに腰かけ、互いの近況を語り合っていた。「どうして王都に?」と尋ねたロイに、「実はね……」と嬉しそうにエドワードはシャルロットに縁談の申し込みがあったことを伝えたのだ。
シャルロットは幼い頃に祖父が決めた許婚がいたが、祖父が処刑されたことで破談していた。
この6年間、エドワードは妻や子供達のため、汚名を返上すべく寝る間も惜しんで働いた。エドワードの人柄や才能、努力の甲斐もあり、領地には見違えるほど秩序が蘇り、誰もが公平で、安全な暮らしやすい土地へと変貌を遂げていた。もちろん、ロイやグランの力も大きく貢献した。
しかし、たった6年で過去の悪評が消える訳もなく、もうすぐ16歳のシャルロットは、この国では適齢期の可愛らしい少女であったが、違法奴隷を集め虐待していた変態貴族の孫に縁談を申し込む家はどこもなかった。
ところが、当の本人ですら諦めかけていた時に、思いも寄らない所から良縁が舞い込んだのだという。この数日、シャルロットもエドワードも浮足立って落ち着かないのだそうだ。
「思いも寄らない所……? 良縁?」
ロイは首を捻った。面食いのシャルロットはまだしも、娘を溺愛している父が喜ぶほどの相手となると、ロイには全く想像がつかない。
「ロイも、良く知っている方だよ。王都には、そちらの家にご挨拶に行くために来たんだ。もちろん、ロイ達が帰ってくるって噂もあったしね」
「俺の知っている人? シャルロットの同級生とか?」
「はは。もっと大人の方だよ。レダコートで一番人気のある独身貴族、って言われていてね。正直、シャルロットのことはほとんどご存じではないそうだ。だけど、『ビトレール子爵家から娶りたい。エドワード卿のご息女なら、優しくて気立てが良く、勤勉で賢いお嬢様に違いない』と直々に私のところに来られてね。あの方からそんな風に言われたら、反対しようがないじゃないか」
『満面の笑み』の博覧会があれば、間違いなく展示されているだろう、と思えるほどエドワードは破顔している。20代のほとんどをロイのために費やし、暗く波乱万丈な人生を送って来た父の、こんな笑顔を見られたことがロイには何より嬉しかった。本来なら、剣や権力よりも、本や音楽を愛する穏やかな人なのだ。やっと、この高潔で優しい人に相応しい人生が訪れようとしている。ロイはこの幸せを壊したくない、と切に願った。
「父上の生き様が評価されたのですね。良かった……本当に、俺も嬉しい」
「ロイ……! ありがとう。君のおかげでもあるんだよ」
「え? 俺の?」
「そうだよ。シャルロットのお相手は…………ふふ」
「? もったいぶらないで、早く教えてください!」
「ははは。いや、絶対ロイが驚くと思って、楽しくて」
「もう!」
「う! 息子が可愛い! ……あ、こほん。シャルロットの縁談のお相手は」
と、再びエドワードは言葉を切った。気持ちを落ち着かせているようだった。
「……アイザック・シェード様だ」
「…………………………………………えええええええええええ!?」
一瞬、理解が追い付かなかった。深夜にも関わらず、ロイは驚愕のあまり大声を上げてしまった。慌てたエドワードに口を塞がれた。エドワードの目は笑っている。
「しっ!」
「わあっ、ごめんなさい! でも、え? アイザックさん? あの? サラの、お兄さんの?」
「そうなんだよ! 公爵家や王家から娶っても不思議じゃない方なのに、わざわざ子爵家から選んでくれたんだよ? 6年前の騒動のこともあるし、サラ様の旅の仲間であるロイについて調べているうちに、我が家に興味を持ってくださったそうだ。だからね、ロイ。シャルロットの幸せは、君が運んでくれたんだよ」
そうか、とロイは胸が熱くなるのを感じた。アイザックとは数回顔を合わせただけであり、ほとんど会話をした記憶はない。だが、サラやシグレから度々話を聞く機会があり、人柄は良く知っていた。モテすぎて、山のように恋人が居ることを除けば……大層な問題ではあるのだが……家柄、人柄、将来性、どこをとっても文句のつけようのない相手だった。20代後半になり、ようやく腰を落ち着ける気になったのだろう。その相手に選んだのが、シャルロットだった。おそらくは、サラに好意的な貴族の中から選んだのだろう。だが、アイザックのことだ。エドワードの娘だから選んだ、というのも本意であろう。
「本当に、本当に、良かったですね。父上」
思わず、涙が溢れた。今まで、家族を不幸にしてきたという自覚があっただけに、父やシャルロットの幸福のきっかけになれたことは、ロイにとってこの上ない喜びであった。それだけに、胸が疼く。エドワードに相談したいことがあった。だが、それは重く辛い内容だった。家族の幸せを邪魔したくない。今日はこのまま帰ろう、とロイは心に決めた。
「ああ、本当に良かったよ、ロイ。私は、とても幸せだ」
そう言って、エドワードは腕を伸ばし、ロイの頭を撫でた。暖かい手で、何度も慈しむように。
「シャルロットの幸福が、とても嬉しい。でもね、ロイ。ロイが何かに耐えている姿を見るのは、とても悲しい」
「!」
「私に、何か言いたいことがあって戻って来たのだろう? ごめんね、ロイ。先に聞いてあげるべきだったのに、つい嬉しくて、喋り過ぎてしまった。ほら、言ってごらん? 父に、お前の悩みを教えておくれ」
「……!」
先程とは、違う涙が込み上げてきた。自分のちょっとした表情や言動だけで、この人は気持ちを分かってくれる。……大好きだ。サラとは違う、大好きな人。
「ロイ。私達に気を遣って、黙って帰るつもりだったろう? ロイが優しい子に育ってくれて、私は誇らしい。……大事な相談があるんだね? 大丈夫だよ。何があっても、私はロイの味方だ。ロイのためなら、女神にだって立ち向かう。だから、安心して話してごらん」
「父上……父上……!」
ああ、だめだ。我慢が出来ない、と、ロイは父に腕を伸ばした。
見た目は大人だが、ロイはまだ15年も生きていない。しかも幼少期の大部分を愛を知らずに育った。愛に不器用な少年は、父の肩に顔を埋め、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
もともと20年くらいしか生きられないと言われていたのに、寿命がぐっと減ってしまったこと。
寿命を延ばせる可能性が見付かったこと。
そして、それが「バンパイアになる」という、危険で、この国では禁じられた方法であること。
仲間にも、相談できないでいること。
エドワードはロイの頭や背中を撫でながら、黙って聞いてくれた。先程までの浮かれた雰囲気が嘘のようだった。全て話し終えてロイが顔を上げると、エドワードは泣いていた。くしゃくしゃの顔で、ロイが話し終えるまで嗚咽を堪えていたのだろう。ロイは胸が締め付けられるようだった。
「ごめんなさい、父上! 魔物になるなんて馬鹿げた話、忘れて! さすがに、魔物の家族にはアイザックさんもなってくれないよね。話を聞いてくれて、ありがとう。俺、誰かに話せただけで、すっきりしたから、もう大丈……夫……」
「ヴォイィ!」
「うわあっ! 父上!?」
がばり、と父に思い切り抱きしめられて、ロイは体勢を崩した。勢いで二人でベッドに倒れ込んだ。ガッチリと、父の胸に頭をホールドされて身動きがとれない。
「ロイ! 良かったねぇ!」
「え!? 父上?」
「長生きできるかもしれないんだろう!? サラ様の治癒魔法があれば、人を襲う危険もないんだろう? どうして迷うことがあるんだい!?」
「ええええ!? だって、魔物になるんだよ? 万が一、治癒魔法が効かなかったら、人を殺してしまうかもしれないんだよ? 父上や、シャルロットを襲うってしまうかも……!」
「それでも、ロイは生きたいだろう? 生きたいと願う息子に希望が見付かったのに、私が反対すると思ったのかい!? いざとなったら、ハミルトン王国で暮らせばいいじゃないか! その時は、エイベルに爵位を譲って私もハミルトンに行くよ。ハミルトンではバンパイアは人として暮らしているんだろう? ああ、何なら、私もバンパイアになるよ! うん、それがいい、そうしよう!」
「うわああああ! 駄目! 駄目だよ、父上! 落ち着いて!?」
興奮して、まくしたてるエドワードの背中をバンバンと叩きながら、ロイは混乱していた。思ってもいなかった反応だった。父の回答が意外過ぎて、思わず笑いが込み上げてきた。
「父上! エイベルはまだ5歳になったばかりだよ? 爵位を譲るのは無理だよ」
「大丈夫! アイザック様やゴルド様が後見人になってくださる!」
「いやいや、駄目だよ! 全然、大丈夫じゃないよ!」
わははは、とロイは笑った。魔法でも使ったのかと思えるほど、胸が一気に軽くなった。闇の中に、光がさあっと差し込んだようだった。
「ロイ」
ふと、ロイの頭を抱きしめていたエドワードの腕が緩んだ。ロイは父の腕を抜け、身を起こした。エドワードも起き上がったが、まだ泣いている。
「私より、先に居なくなってしまうと思っていたお前が、生きて、幸せになってくれるなら、これ程嬉しいことはない。私達のことは、心配しなくていいんだよ。第一、あのシェード家がそれくらいの事で婚約破棄はしないだろう。そもそも、サラ様があってこその治療なのだから」
「……う、確かに……」
「だからね、ロイ。心配しないで、仲間にもちゃんと相談しなさい。ひょっとしたら、もっといい方法が見つかるかもしれないだろう? 君は一人じゃないんだから、ちゃんと周りを頼ってあげなさい」
「頼って……あげる?」
「そうだよ。大事な人に頼ってもらえないのは、とても寂しいことだ。ロイとサラ様は良く似ている。なんでも、一人で抱え込もうとする。もっと、仲間を頼ってごらん。一緒に考えて、って、言ってごらん。きっと、皆喜んで助けてくれるよ」
「……はい……!」
ぱあ、っと顔を輝かせて、ロイは頷いた。半年以上悩んでいたことが、ものの数分で解決してしまった。やはり、父は偉大だ。
「父上! 父上も、俺が頼ったら喜んでくれますか?」
「……もぉちぃろぉんだよお!」
『弾ける笑顔』のコンテストがあれば優勝間違いなし、というほどの笑顔で、エドワードは応えた。あははは、とロイも笑った。
「じゃあ、今日は一緒に寝てもいいですか? 昔みたいに」
「!? もちろんだ! 絵的にまずいとか、そんなことは無視だ! さあ、おいで!」
「?」
子供の頃と違って、二人で寝るにはベッドは少し小さかったが、久しぶりに感じる父の匂いと温もりは、ロイに安心感を与えてくれた。
……翌日、目が覚めた時には既に10時を過ぎており、ロイが蒼白な顔でサラの元へ転移したことは、そっとしておこう。
いつもお読みくださり、ありがとうございます!
今回は、久しぶりのエドワードとロイの父子の回でした。
まさかのアイザックお兄様……シャルロット嬢は浮かれすぎて大変なことになっているでしょう。
ところで、皆様、
お気に入りのキャラクターはいますか?
そろそろ150話になりそうなので
せっかくなので、番外編を書こうかな、と思いまして。
ご意見、ご感想お待ちしております!
ではでは、次回は王都に帰還です。
今後ともよろしくお願いします。