49. バンパイアナイト 2
今回は少し残酷な描写があります。
「コルネ。僕は土から生まれたんだ。だから泳げないんだよ。ごめんね」
コルネが12歳の頃だったか。夏の暑い日に、川で泳ごうとルカを誘ってみたことがあった。ルカはとても困った顔をして、コルネに謝った。長く水に浸かると、泥になって消えてしまうのだそうだ。
(どうして、そんなことを思い出したんだろう)
コルネはふと、そんなことを思った。
(体が熱い。皮膚がヒリヒリする。頭が重い。……ここはどこ? ルカは!?)
ぼんやりとした頭が、突然クリアになった。
コルネは、急激な肌が焼ける痛みと、それから逃れるためにルカに抱きしめられて湖に飛び込んだことを思い出した。
「ルカ!? ルカはどこ!?」
「落ち着いてください! 誰か! お客様が目覚めたと、旦那様に!」
中年の女が、布団ごとコルネの身体を抑えた。コルネはその重みに耐えきれず、ベッドに仰向けに倒れた。一瞬、火傷のことが頭をよぎったが、幸い、悲鳴を上げるほどの痛みは感じなかった。
「お客様。3日も眠ったままだったんですよ? 急に起き上がってはいけません」
「3日? ここはどこですか? 連れがいたはずです。どこにいますか?」
コルネに布団をかけ直す女に、コルネは尋ねた。胸が早鐘を打っている。ルカが心配だった。ルカは、泥になって消えてしまったのではないだろうか。
「貴女は一人でしたよ」
突然、足元で若い男の声がした。コルネは僅かに顔を動かして、男を見た。
「そんなはずはありません。私は、彼と湖に飛び込んだんです。彼は、生きてますよね?」
「……お嬢さん。私が通りかかった時、貴女は一人で湖畔に倒れていました。もし、連れがいたというのなら、貴女を置いて逃げたか……」
「そんなはずありません! あの人は、誰よりも優しいヒトです!」
コルネは女の腕を振り切って身を起こし、男に抗議した。
「そうですか。だとしたら、その方は湖の底に沈んだか、魔物に食われたのでしょう」
「……!」
男に言われるまでも無く、本当は分かっていた。ルカが生きているならば、コルネの傍にいるはずだ。いないのなら、それはきっと、泥になって溶けてしまったのだろう。
コルネは呆然と一点を見つめたまま、考えるのを止めた。心配して声を掛けてくる男や女を無視して、そのまま再び眠りについた。
男は、この国の第三王子であり、名をゾルターンといった。
ここはサフラン大陸の中央に位置する、ハミルトンという小国の王都である。
数カ月前、北の隣国キリリアに魔族が誕生した。
魔族はあっという間に周辺の魔物を従え、キリリアを制圧した。そして現在、魔族はキリリア兵を使い、このハミルトン王国へと侵攻している。
魔族の魔術により、空は黒い雲に覆われ、薄暗い街には昼間から魔物が出現する様になっていた。人々は固く家の門を閉ざし、ハミルトン王国はすっかり希望を失っていた。
王子でありながら騎士団長でもあるゾルターンは、兵を連れて王都の見回りをするのが日課であった。
3日前、王都の外れにある湖を通りかかった際、ずぶ濡れの少女を見付け保護した。少女はあちこち火傷の跡があり、この国では見ることのない彫りの深い顔は青白く、今にも事切れてしまいそうな様子であった。キリリアからの難民だと察したゾルターンは、王宮内の医務室へ少女を運んだ。不思議なことに、火傷の跡は翌日には消えていたが、更に不思議なことに、少女が陽の光で火傷をすることが分かった。初めて見る症状だったが、皮膚の病を患った少女を不憫に思い、ゾルターンは城の地下室を病室へと造り替えた。そこに運び込んでからというもの、ゾルターンは激務の合間を縫って様子を見に来るようになった。
コルネが目を覚ました時も、ちょうど部屋の前に差し掛かったころだったのだ。
ゾルターンは再び眠りについた少女を前に、深く反省していた。
慰めるつもりが、少女が起き抜けに男の名を呼び、ゾルターンに礼を言うことなく心配し続ける様子に腹が立ち、冷たいことを言ってしまったのだ。
翌日、目覚めた少女にゾルターンは謝罪した。少女は驚いていたが、哀しそうな顔で許してくれた。少女の名はコルネというらしい。可愛らしい名だと、ゾルターンは思った。
コルネは酷く憔悴していた。
初めのうちは、飲まず食わずで寝ていたせいだと思われていた。
しかし、目覚めてからも、重湯も、すりおろした果物も、水すら受け付けないまま、コルネは生き続けた。猛烈な空腹感がコルネを襲う。だが、何を食べても戻してしまう。
ある日、魔物との戦闘で怪我を負ったゾルターンがコルネの元を訪れた。怪我と言っても、頬に軽い切り傷が出来た程度だ。しかし、僅かに香る血の匂いが、コルネの嗅覚を一気に覚醒させた。
コルネはゾルターンの首に腕を回すと、頬に唇をあてた。
それから後のことは、コルネははっきり覚えていない。
気が付くと、両手足を縛られ、暗い石畳の牢に転がされていた。
飢えも恐怖も感じなかった。むしろ、腹を満たした幸福感にコルネはうっとりと微睡んでいた。
固く冷たい地面の感触を楽しみながら、コルネは自分が人ではない別の物に生まれ変わった感覚を味わっていた。牢を見に来た誰かが、コルネを指さし「魔物」と言った。コルネは嬉しかった。
「ふふ。私、ルカと同じになったのね。ふふふ。ふふふふ……」
コルネは、狂ったように低く笑い続けた。
コルネの処分について、ハミルトン王国は揺れていた。
コルネはゾルターン王子を始め、地下や1階にいた20人近い人々を次々に襲い、血を吸って回ったのだ。一人一人の傷はそれほど深くはなかったが、噛まれた者のほとんどは息絶えていた。サフラン大陸には昔から、バンパイアの伝説が語り継がれている。もう200年以上も昔の文献にしか出てこない病であったが、人々がコルネがバンパイアだと気付くのに時間はかからなかった。
魔物であれば捕獲された時点で死刑であるが、病人であれば話は変わってくる。
しかも、コルネに噛まれ生き残った3人にも、それぞれ特殊な症状が現れたのだ。
一人は騎士だった。狂ったように暴れ出し、見境なく人を襲い始めたため、別の騎士によって討伐された。
二人目は侍女だった。裁縫しか取り柄のない大人しい女だった。コルネに噛まれ、しばらく苦しんだ後、手当てにあたっていた男の首に噛みつき、ゆっくりと、ゆっくりと血を飲んだ。目撃者の話によると、男はうっとりとした表情で身じろぎしなかったという。男の血を吸い尽くすまで飲むと、女は上品に口元を拭い、自ら騎士に捕まった。
三人目はゾルターンだ。ゾルターンはコルネに首を噛まれた後、全身の血液が沸騰するような激しい痛みで気を失った。数分後に目が覚めると、全身に力がみなぎり、身体が軽く、頭が冴え、五感が研ぎ澄まされているのが分かった。何処かから聞こえてくる悲鳴に体が反応し、風の様な速さで現場に辿り着くと、暴れまわる騎士の首を一撃で切り落とした。
国は揺れていた。
本来であれば、バンプウィルスに感染した者は隔離し、感染拡大を防ぐために伝統に則り処分したであろう。
しかし、今この国は隣国の魔族からの侵略を受けている。
騎士や魔術師が力を尽くしてはいるが、国が亡ぶのは時間の問題であった。
そこに、ゾルターン王子のような屈強な戦士が現れたのだ。
ゾルターンはコルネの命を救うよう、王に嘆願した。
コルネはハミルトン王国を魔族から救う救世主だと主張し、それを証明するため、たった一人で夜の街へ繰り出し、片っ端から魔物を狩って帰ってきた。
闇の中では、ゾルターンは無敵だった。
更に、魔族のせいで暗雲がかかるこの国では、昼間でもローブなどで身を隠せば活動することが出来た。
コルネ自体は凄まじい回復力があるものの、大した力を持たない。
が、コルネに感染させられた者の中に、ゾルターンの様な力を持つ者が生まれることが分かり、対魔族の騎士を生む道具としてコルネは生かされることとなった。
ゾルターンはコルネのために戦い続けなければならず、城を空ける様になった。
いかにゾルターンが強くとも、魔物は常に生まれ続けるため一人では限界があった。
国は人体実験を始めた。
コルネと生き残った侍女から血を抜くと、まずは奴隷に摂取した。
コルネの血を摂取した100人の奴隷の内、生き残ったのは11人。
侍女の血を摂取した100人では、僅か1人だった。
生き残った者に男女差や年齢差はなかったが、魔力容量の高い者ほど生き残る確率が高いという傾向を掴むと、次に下級の魔術師10名を対象に実験を行った。
5名にコルネの血を。5名に侍女の血を摂取した。
結果、コルネの血では3名。侍女の血でも1名が生き残った。
また、侍女の家族6人にもコルネの血が摂取され、父と祖母、妹が生き残り、母と2人の弟が死んだ。
国は「生存者の血液にも感染力はあるが、始祖の血液の方が感染力が高く、魔力の高い者ほど生存率が高い。また、生存者の家族も生存する可能性が高い」と結論づけた。
しかし、魔術師は貴重である。
より確実な方法を模索し、国は実験を続けた。
摂取する血液の量を増やしてはどうだろう。
血液ではなく、他の体液ではどうだろう。
肉ではどうだろう。
臓器ならどうだろう。
……子にも遺伝するのだろうか。
非道な実験は続けられ、コルネは完全に正気を失っていった。
1年が経ち、3年が経ち、5年が経ち……8年が経った頃、ついにゾルターンとゾルターンの率いるバンパイア騎士団は魔族を打ち破った。
魔族が作り出していた王都の暗雲は、そのまま魔術師達により維持された。
薄暗い王都は歓喜に満ちていた。
もう、魔族に怯える心配はないのだ。我らには、頼もしいバンパイア騎士団が付いているのだから。
国中で、ゾルターン達は歓声と共に迎えられた。
しかし、ゾルターンは城に戻って初めて国が行った実験の詳細を知り、愕然となる。
部下の制止する声を無視し、コルネが居るという牢獄へと走った。
そこで見たのは、鎖に繋がれ、目隠しをされ、口を塞がれ、血まみれの服で横たわる少女のままのコルネの姿だった。
ゾルターンは憤慨した。
ゾルターンはコルネを解放すると、その足で国王の元へ向かい、王と二人の兄、実験に加担した者達を殺害した。
「どうして私を助けてくれたの?」
ゾルターンの腕の中で、コルネは尋ねた。バンパイアであるゾルターンの胸は冷たかったが、暖かい、とコルネは思った。少し困った様な顔で、ゾルターンは微笑んだ。
「貴女の笑顔は、美しいだろうなと、思ったので」
口数少なく答える王に、コルネは8年ぶりの笑顔で応えた。
こうしてハミルトン王国にバンパイア王と王妃が誕生した。
サラ達一行がハミルトン王国の門をくぐったのは、それから300年後のことである。
ブックマーク、評価、感想、誤字報告等、いつもありがとうございます!
ちょっと風邪をひいて、全然筆が進まずに更新が遅くなりました。
申し訳ありません!
今回は人体実験をやってたので不快に思われた方もいるかと存じます。
でも、実際に未知の生物がいたら、人間はもっと酷いことを平気でやっちゃうと思います。
医学の進歩のため、人類のため、とか言って。
ひいぃ、怖いです!
だけどそういう犠牲の上に今の私達の生活がある訳で、ちょっと複雑な気分です。
次回はサラ達の出番なので、明るくなると思います!
どうぞよろしくお願いします。