48. バンパイアナイト 1
これは遠い昔の物語。
17世紀初頭、ヨーロッパの小国で、辺境の村の貧しい農家にその少女は生まれた。名をコルネという。
彼女の村の近くには、廃墟となった古城がある。
この古城には、一匹の魔物が住んでいると噂されており、コルネは祖母からおとぎ話を聞いて育った。
おとぎ話の要約は以下の通りだ。
昔、魔物と村人が仲良く暮らす小さな村があった。
しかし、その村にある伝染病が広まってしまう。
その伝染病は、陽の光で皮膚が焼け、音や匂いに敏感になり、だんだん体中が炭の様に黒く、硬くなり、最後には灰の様に砕けて死ぬ、というもので、治療法の見付かっていない、恐ろしい病だった。
魔物は村人を救うため、来る日も来る日も病気の血を吸い続け、ついに自分が病気になってしまう。
その村はもう地図からも消えてしまったが、魔物は今でも古城の地下で眠り続けているのだという。
「おばあちゃん。魔物さんは起きてこないの?」
幼いコルネは、この話を聞くたびに祖母に尋ねた。
可哀そうな魔物のことが、コルネには心配だったのだ。
祖母から聞く魔物さんの話と、両親や村の大人達が話す魔物の話は似ているけれど違っていた。
大人達は「血を吸って人を殺す、恐ろしい化け物が住んでいるから近づいちゃ駄目だ」、と言うけれど、祖母だけはいつも優しい目をしながらお城を眺めていた。
「魔物さんは、月のない夜に、こっそり起きてくるのよ? 内緒だけどね」
と、祖母は声を潜めて教えてくれた。それが本当なのか、冗談なのか分からなかったけど、コルネは祖母と秘密を共有しているのが楽しくて、毎回聞いてしまうのだ。
そんな祖母が亡くなったのは、コルネが8歳の時だ。
死ぬ間際、祖母はコルネをこっそり呼んで、耳元で囁いた。
「ルカを……よろしくね」
それが、祖母の最期の言葉だった。
コルネは大好きな祖母を失った悲しみで、その言葉をすっかり記憶の奥底に沈めてしまった。
それから2年が過ぎた。
10歳になったコルネは気立てが良いが、お転婆で好奇心旺盛な少女へと育っていた。
ある日、祖母の遺品を眺めていたコルネは、唐突に祖母の最期の言葉を思い出した。そして、「ルカ」という名の持ち主があの古城の魔物ではないかと思い当たった。
一度気になると、確かめずにはいられないのがコルネの性分だ。
コルネはこっそり村を抜け出し、古城へと忍び込んだ。
祖母から聞いていた通りの手順で城の中を進むと、小さな部屋に辿り着いた。そこには棺が置かれていた。真っ暗な地下室で、小さな松明の灯りだけを頼りに、コルネは棺に手をかけた。
「う……わあ!」
そこには、村の大人達とは全然違う、見たこともないほど繊細で美しい青年が眠っていた。
「ルカ……?」
コルネが呼びかけると、うっすらと青年の目が開いた。
青年はコルネを見ると、優しく微笑んだ。
「久しぶりだね。ソリン」
うっとりとするほど綺麗な声で、青年は祖母の名を呼んだ。
「ソリンは、おばあちゃんよ。私は、コルネリア。皆、コルネって呼ぶわ」
「初めまして、コルネ。ソリンはいないの?」
「おばあちゃんは、2年前に死んだわ。私、おばあちゃんから『ルカをよろしく』って頼まれたの。……2年も忘れててごめんなさい」
「……そう。ソリンも、死んじゃったんだ。あんなに小さかったのに」
その言葉で、コルネは祖母の話が「おとぎ話」ではなく「昔話」であり、祖母が青年の村の生き残りだったのだと気が付いた。
だとしたら、このヒトは独りぼっちでここに眠っているのだ、と唐突にコルネの小さな胸が締め付けられた。
「何で泣いてるの?」
「だって……ルカが可哀そうなんだもん」
コルネは顔をクシャクシャにして泣いていた。ルカは困ったような顔をしながら、ゆっくりと起き上がってコルネの頭を撫でた。
「僕は、可哀そうじゃないよ? 生き残った村の皆が守ってくれたし、ソリンが最後の一人だったけど、こうして君を連れてきてくれた。コルネ。時々、僕に会いに来てくれる?」
「うん! 約束する! ルカを独りぼっちにしない!」
幼い少女の誓いに、ルカは嬉しそうに微笑んだ。
その日から、コルネは大人達の目を盗んでは古城に通った。
ルカはお腹が空かないらしく、パンや果物を持って行っても口にしなかった。それでも、お礼といっては、コルネに勉強や歌やダンスを教えてくれた。
ルカは直ぐに疲れて眠ってしまうけど、コルネはルカに会うのが楽しくて仕方が無かった。
そうして幸せな月日が流れ、コルネは18歳になっていた。
「コルネリア・ゲオルゲ。お前を魔女として処刑する」
突然の宣告だった。
当時、ヨーロッパでは魔女狩りと称した私刑が盛んに行われており、コルネは魔物と通じたとして、魔女に認定されてしまう。
コルネを通報したのは隣人だった。
コルネは問答無用で捕らえられ、処刑場まで連行された。形だけの裁判が行われ、コルネは当日の内に火炙りになることが決定された。
泣く暇も与えられぬまま、コルネは焦げ臭い処刑場で死の恐怖と戦っていた。松明が灯る処刑場には、他にも何人かの女性がいた。皆、自分と同じように適当な罪を着せられて、弁明することも出来ぬまま、連れてこられたのだろう。
死を目前に、コルネの胸を支配したのはルカへの恋慕と罪悪感だった。
「ごめんね、ルカ。独りぼっちにさせちゃうね……ごめんね……ごめんね……!」
油の様な物が撒かれ、火が放たれた瞬間、奇跡が起きた。
火という火が一斉に消え、一人、また一人と処刑人が死んでいったのだ。
暗闇に響く、短い悲鳴。
人々は何が起こったのか理解できぬまま、暗闇を逃げ惑った。
「コルネ!」
「ルカ!」
身動きが取れずに立ち尽くしていたコルネの手を、ルカが掴んだ。
ダンスの時とは違う、激しく力強い手の感触に、コルネはルカが何をしたのかを悟ってしまった。
コルネがルカの胸にしがみつくと、二人はそのまま空を飛び、遠く離れた湖の畔に降り立った。
星明りの綺麗な夜だった。
コルネは泣いていた。助かった安堵からではない。助けてもらった嬉しさからでもない。
ルカに、人を殺させてしまったことが、ただ、ただ、哀しかった。
「ルカ……! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「コルネ。泣かないで。君が泣いたら、僕は哀しい」
ルカも泣いていた。自分と関わったせいで、コルネは魔女にされてしまった。コルネはもう、村へは帰れない。なのに、自分はこれ以上コルネを守ることができない。
「コルネ。今までありがとう。僕は、戒めを破って人を殺してしまった。僕は、これ以上生きていけない。本当の、さようなら、だね」
それはいつもとは違う「さようなら」だった。
ルカの身体は少しずつ崩れ始めていた。
ルカは自分に呪いをかけていたのだ。
「馬鹿ねルカ。貴方を独りぼっちにしないって、約束したでしょ?」
コルネはルカの手を胸に当てた。ルカの爪は人を殺した時のまま、長く鋭く尖っていた。
少し微笑んで、コルネは勢いよく、その爪に自分の喉を突き刺した。
「コルネ!?」
ルカは考えるよりも早く、コルネの傷に噛みついた。コルネが窒息しないように血を吸い上げながら、ルカは祈った。死なないで欲しかった。今まで、誰も救えなかった。これ以上、目の前で大切な人を失うのは耐えられない……!
「死なないで! 死なないで!」
ルカは必死に祈りながら、コルネの血を吸い続ける。その行為が、どういう結果を引き起こすのかも知らずに。
「ルカ」
夜が明け始めた頃、コルネが意識を取り戻した。不思議なことに、傷口は塞がっていた。
「!? コルネ! ああ。気が付いたんだね? 良かった」
「こんなに……泣いて……! ごめんなさい! ルカ!」
「ううん。無事で良かった。コルネ……コルネ?」
「ルカ……? え? これ、何?」
ゆっくりと、朝の光が二人を包んでいく。
「何で……? 何でコルネまで!?」
ルカと同じように、かつて病にかかった村人達と同じように、コルネの皮膚が焼け始めていた。
「熱い! ルカ! 体が焼けるわ! 痛い! 痛い!」
「コルネ!」
ルカはコルネを陽から庇う様に抱いた。全身を焼く痛みに気が狂いそうになりながら、ルカはコルネごと湖に飛び込んだ。もがき苦しむコルネを、抱きしめることしか出来なかった。
ああ、結局誰も守れなかった。
それが、遠のく意識の中でルカが最後に思った言葉だった。
ブックマーク、感想、評価、誤字報告等、ありがとうございます!
あれ? サラが出てこない(汗)
すみません。また嘘つきました。
次回もサラは出てきません!多分。
昔話の部分は昔個人サイトにアップしてたものを引用しているので
「あれ?なんか見たことある」と思われた方がいるかもしれません。
今後ともよろしくお願いいたします。