41. いかないで
「何!? 今の雷!」
デュオンの放った雷は、エストの街にも雷鳴を轟かせていた。
今まさに出発しようとしていたサラ達四人は、突然の落雷に戸惑っていた。
「クドの方だったわ! ……まさか、デュオン様!?」
ルーラが青ざめる。クドの村で何かあったのだ。誰かがデュオンの怒りをかったのだと思った。そしてそれは、あの落雷の規模から見て一人や二人ではない。
「急ごう!?」
サラ達は街の出入り口まで馬を飛ばすと、門番に馬を預け、少し大きくなってもらったグリフォンに4人で乗り込んだ。
クドの村までは山道を越えなくてはならないため、徒歩で2日、馬でも数時間かかる予定だったが、グリフォンの翼では僅か10分ほどで到着することが出来た。
「お母さん!? どこ!?」
四人はグリフォンから飛び降りると、手分けして村の状況を調べた。
村は無人だった。
所々に大量の血液と、小さな骨が転がっていた。それが赤ん坊の骨だと気付き、ルーラは悲鳴を上げた。その肩をサラが抱きしめた。
「魔物の気配がする! 村が魔物に襲われたんだわ。さっきの雷は竜神様が魔物を倒してくれたのかも!」
「え!?」
ルーラは背筋がサアーッと冷たくなるのを感じた。母が魔物であることを、サラ達には話していなかったのだ。この村に居る魔物。それは、母に他ならなかった。
「お母さん! ……デュオン様!」
ルーラはサラの手を振り切ると、祠へ向けて走り出した。
ウラは上空から、デュオンが冒険者に倒されるのを待っていた。
しかし、冒険者とデュオンは何か話し込んでおり、全く戦う気配がない。目の前で60人以上の村人が殺されたというのに、だ。
まさか、自分が裏切っていたことがばれ、自分を殺す算段をしているのではないか、とウラは焦りだした。
自分が殺されれば、娘であるルーラも狩られてしまう、とウラは考えた。
ウラは、デュオンのルーラに対する想いを知らなかったのだ。
ウラは慌てて祠がある崖の近くに着地すると、人の姿に戻り、冒険者の元へ駆け寄った。
竜神の非道を訴え、討伐してもらうためだ。
何としても、竜神を殺したい。
それは復讐であり、娘のためでもあった。この男が居るかぎり、ルーラが自由になることはない。
「お助け下さい! あの男は私の娘を穢し、村人を殺したのです!」
ウラは弱々しい女を演じながら、若い男の胸に倒れ込んだ。男は両腕のないウラの肩を両手で受け止めた。はちきれんばかりの瑞々しい肉体が目の前にある。
(ああ! なんて美味しそうな人間! 食べたい。食べたい!)
ウラは魔物としての衝動に身を震わせた。男はウラの耳元で、低く囁いた。
「貴様。血の臭いがするな」
「!」
「人を、喰ったか。魔物よ」
ウラは一瞬で下半身を鳥に変えると、男達から距離をとった。
「……赤子を、喰ったのか?」
デュオンが少し寂しそうに、ウラを見ている。その表情に、ウラは激高した。たった今、大量殺人を犯したその口で何を言うのだ、と思った。
「何が悪い!」
ウラは開き直った。
「どうせ、お前が後で喰らう気だったのだろう!? 私の群れを喰ったように!」
村人達が祠へ向かう間、ウラは村に残されていた歩くことの出来ない幼子や赤子を喰って回った。柔らかくて、可愛くて。生まれて初めて味わう贅沢だった。
「沢山子供を育てると、言っていたのに」
「!?」
ウラは、雷に打たれた様な衝撃を受けた。それは、タオと語った夢物語だった。タオと同じ顔と声で、デュオンがウラに語り掛ける。
「あの村は、お前の群れだった。大人どもはお前やルーラの害になると思い始末したが……右も左も分からぬ赤子であれば、お前の望む群れに育てることも出来たろうに」
「何を……何を言ってるのよ! タオの身体で……今更……!!」
ウラは倒れそうになる体を、翼で支えた。目の前に、昔のままのタオが居る様な錯覚を覚えた。絶対に、この男の中身はウラの愛したタオではないというのに。
「契約不成立じゃな。バンパイアよ」
突然、老エルフが口を開いた。
「哀れなセイレーンよ。今からお主を討伐する」
ウラは、カッと目を見開き、エルフを睨みつけた。
「どうして!? 私は食事をしただけよ! その男は、私の群れを殺し、タオの身体を奪って、クドの村も滅ぼしたのよ!? 討伐されるのは、私じゃなくてそいつでしょう!?」
「悪いが、バンパイアは元々魔物ではない。大陸によっては、人間と共存できるバンパイアは、エルフやドワーフと同じ様に『人の種族』として認められているくらいだ。こやつは少し特殊じゃが、食欲も魔力もコントロール出来ておる。人を殺した件については、人として裁かれることになるじゃろう」
ウラの訴えに、エルフは淡々と答える。それは、到底ウラが受け入れられる内容ではなかった。仲間を殺され、食事をしただけの自分が討伐されるというのだ。自分から、全てを奪った男の目の前で。自分が魔物で、そいつが元人間だったという理由で。
「馬鹿言わないで!? 冗談じゃないわ!」
ウラは震えた。討伐される恐怖からではなく、純粋な怒りだった。ウラの形相が変わり始める。瞳孔は細くなり、歯は尖り、体は鋭い鱗に覆われ、自慢の金髪は棘の様に太く固く逆立っていく。もはや美しい人の姿を保ってはいなかった。
グランは杖を、シグレは刀を構えた。
「お母さん!?」
悲鳴に近い、ルーラの声が響いた。
グリフォンの背からルーラとサラが飛び降りる。
サラ達は、走り出したルーラを追って祠に向かう途中、高い段差を登れずに座り込んで泣いている、よちよち歩きの子供達を発見した。アマネとロイにその場を任せ、サラはグリフォンでルーラを回収してここまでやってきたのだ。
「お母さんなの!?」
初めて目にする母の魔物の姿に戸惑いながらも、ルーラはウラに駆け寄ろうとした。その体を、シグレが取り押さえた。娘とは言え、魔物に近づけるのは危険であったからだ。
「きゃあ! 放して!」
「ルーラを放せ!」
ルーラの悲鳴に、ウラの理性が飛んだ。ウラはシグレに飛び掛かった。
「聖矢」
グランは静かに聖なる矢を放った。
「待ってくれ!」
デュオンが転移し、ウラを横から攫う様に抱きかかえる。その背を、グランの放った矢が射抜いた。
「デュオン様あああああ!」
シグレに捕らえられたまま、ルーラが絶叫した。
デュオンはウラに覆いかぶさるように、地に倒れた。
「あ……はははは! 馬鹿な男!」
自ら矢を受けるとは、と、願いが成就することにウラは高笑いをする。
そのウラの耳に、愛しい男の声が届いた。
「ウラ」
心臓を撃ち抜かれるような衝撃に、ウラは目を見開いた。
「お前に、群れを作ってやりたかった。すまない」
口から血を吐き出しながら、デュオンがタオの声で囁く。
「私の身体がお前を覚えているのだ。私が愛するのはルーラだが、この身体が……タオがウラの幸せを願っている。もう……一緒に逝ってやるくらいしか、できんがな」
「何を……」
何を言っているのだ。私の群れを奪った張本人のくせに。その顔で。その声で。その笑みで。
「何を言っているのよおおおおお!!」
「聖矢」
「うわああああああ!」
再び放たれた矢を、今度はウラが受けた。ウラはタオの身体を翼で包み込んだ。
「何で、何で、何で皆、私を虐めるのよ! 私はっ、群れをっ……!」
「ウラ。もう、眠りなさい」
「タオっ」
ウラの首筋に、そっとデュオンが歯を立てた。タオの温もりが、ウラの心を包み込んだ。
「タオ……!」
無邪気な子供の様に、ウラはタオの髪に頬を埋めた。
「……いっぱい……いっぱい、探したのよ? もう、どこにも行かないで」
かつての恋人の身体に恍惚の表情を浮かべるウラ。その姿は、美しい女の姿に戻っていた。その頬に、タオは優しく指を這わせた。
「ああ。何処にも行かない。だから、おやすみ。ウラ」
「……タオ……」
バンプウィルスがウラの血中を巡る。朝日がウラの身体を焼き始めた。不思議と痛みは感じなかった。デュオンがそうさせてくれているのだろう。
薄れゆく意識の中で、ウラは故郷の島と、仲間達の笑顔を思い出していた。それはやがてタオの笑顔に代わり、ケアルの温もりに代わり、赤ん坊のルーラに代わった。
「お母さん! お母さん!」
太いシグレの腕を振り切り、ルーラは母にしがみついた。母の身体は文字通り、燃える様に熱かった。
「ルーラ」
「お母さん! だめ、だめ! すぐ回復魔法かけるから、待ってよ! いかないで!?」
「ごめんね」
愛してるわ、と呟き、ウラは静かに灰になった。最期の瞬間、その顔には柔らかな笑みが浮かんでいた。
「おかあ、さん……?」
灰となった母を握りしめ、ルーラは混乱していた。全く、訳が分からなかった。
「なんで……? 何があったの……?」
愕然と座り込むルーラの頬に、デュオンの指が触れた。
「デュオン様」
デュオンの肺には大きな穴が空いていた。ウラの血を吸って多少小さくなったとはいえ、ヒュー、ヒューと、嫌な音がする。
母とデュオンにどんな因縁があったのかは分からない。だが、二人は愛し合っている様に見えた。
なのに、母はエルフとデュオンに殺された。
焦げ臭い、周りの堆い死体の山もデュオンの仕業だろう。
(……よくも……!)
デュオンは自分をだまし、村を滅ぼしたのだ。初めから、母が狙いだったのだろうか。それとも、村人も母も殺す気だったのだろうか。何度も囁いた愛の言葉は、全て嘘だったに違いない。
村のために、母のために、デュオンのために、クラーケンの足を持って帰ろうと必死になった自分の道化ぶりに笑いが込み上げる。
「ふふ……! あはははは!」
「……ルー……」
「触らないで。ケダモノ」
パシン、と、ルーラはデュオンの手を叩き落とした。その小さな衝撃だけで、デュオンの身体は地面に叩きつけられた。
「うっ」
「!?」
デュオンの呻き声に、ルーラの心臓がドクン、と高鳴った。
「あ……ああ……!」
ルーラは両手で自分の頭に爪を立てた。
憎い。憎い男。母を殺し、村を滅ぼし、自分の心を弄んだ、酷い男。
(だけど……!)
「愛してる……デュオン!」
ルーラは倒れたデュオンの首に腕を回し、抱き起こした。
崖から飛び降りたあの日、救ってくれたのは彼だった。自分を騙すための甘言だったとしても、確かにルーラは救われたのだ。
「私を食べて」
熱い涙をこぼしながら、ルーラはデュオンに囁いた。図らずも、セイレーン特有の甘い音色であった。
ルーラの首はデュオンの口元にある。ルーラの血を飲めば、デュオンは回復するだろう。そしてルーラは死ぬ。もう、何も考えたくない。楽になりたかった。
「ルー………………ナ」
デュオンの口が僅かに開いた。
「させん!」
「待って!」
再び矢を放つグランにサラは飛びついた。矢はデュオンを逸れた。
「邪魔をするな! サラ!」
「違うの! よく見て!」
サラは二人を指さした。その目には、涙が溢れている。ウラとタオと、ルーラとデュオンの想いがサラの中に伝わってくるのだ。
「コーディネル……様?」
誰だ、それは、とルーラは自問する。ルーナと呼ばれた瞬間、ふと浮かんだ名前だった。
デュオンが最後の力をふり絞って口をつけたのは、ルーラの首ではなく唇だった。
「愛している。私の……花嫁……」
デュオンは……コーディネルは優しく微笑むと、泡の様に光となって消えた。
ルーラの手にはデュオンの瞳と同じ、紅い魔石と小さな指輪が残されていた。
「デュオン様……? え……?」
ルーラの中で、何かが音を立てて崩れていく。
母と、愛する人が目の前で殺された。
「どうして……?」
意味が、分からなかった。心が追い付かない。黒い何かが、沸々と湧き上がる。
「ルーラ! しっかりして! ソレに呑まれては駄目よ!」
サラが叫んだ。昔、同じものがロイから噴き出すところを見たことがあった。あれはいけないものだ、と心が警鐘を鳴らしている。
「ルーラ!」
「待つんじゃ! サラ!」
グランの制止を振り切って、サラはルーラに駆け寄ると、黒い何かに包まれる細い身体に抱き着いた。ルーラの心が悲鳴を上げている。
「ルーラ! だめ! 魔に支配されないで!」
「うわああああああああ! 何で!? 何で!? 何で!?」
混乱でルーラの瞳が漆黒に染まっていく。全身に鱗が生え、歯と爪が鋭く尖っていく。燃える様な赤い髪が棘の様に逆立っていく。それは、我を忘れた母の姿と酷似していた。
「ルーラ!!」
「離れてください! サラ様!」
シグレがルーラの身体を蹴り飛ばし、サラから引き剥がした。そのままサラを抱えてグランの近くまで下がる。
「ルーラ! しっかりして! ルーラァァ!」
村人達の無念と、母の魔力と、紅い魔石を取り込んで、ルーラは魔族となった。
更新が遅くなりました! 申し訳ありません!
104話の挿話、気が付いていただけてますでしょうか。どきどき。
ところで、台風は皆様大丈夫でしょうか?
私は九州なので暴風域からは外れていますが、それでも風が強いです。
どうか、ご無事で!