38. セイレーンの囁き
「ウラ。暖かくなったら、二人で群れを作ろう」
「タオ。素敵ね。私、いっぱい卵を産むわ。貴方にそっくりの、綺麗な子供をいっぱい育てるの」
「ウラみたいに綺麗な声で歌う子供をいっぱい育てよう」
「楽しみね」
「楽しみだね」
大海原に浮かぶ小さな島で、若いセイレーン達が愛を誓い合っている。
ウラと呼ばれた女は、色素の薄い金髪に薄墨色の瞳が美しく、魚のような下半身をしている。
タオと呼ばれた男は、短い銀髪に緋色の瞳が印象的であり、鳥の様な下半身をしている。
二人は同じ群れで育った幼馴染だ。
セイレーンは美しい姿と歌声で船乗りを惑わし、海に引き込んで食料にする恐ろしい魔物である。この世界のセイレーンは、上半身は人間、下半身は魚か鳥の姿をしており、人に化けることも可能であった。セイレーン達は、好きな時に、好きな姿で過ごしている。二人の住む群れには30体ほどのセイレーンが所属し、小さな島を人間の骨で埋め尽くしては別の島へ移動する、という生活を先祖代々続けていた。
セイレーンの中には年頃になると、相性の良い者と番になり群れを離れ独立する者がいる。ウラとタオもそうするつもりだった。
タオがウラの髪に赤い花を飾った。自分の瞳と同じ色の花だ。嬉しそうにタオの胸に飛び込み、甘えるウラの頭に顔を埋め、タオは歌った。頭をくすぐる感触が面白くて、ウラも笑いながら歌を合わせた。そんな若い二人の様子を、群れの仲間達も暖かく見守っている。いつしか歌は群れに広がり、大合唱となった。
ウラは仲間の声が心地よくて、歌いながら眠りについた。この温かい幸せな日々が、いつまでも続くと信じて疑わなかった。
目が覚めた時、ウラは一人だった。
数日前にタオと偶然見つけた秘密の島の小さな洞窟で、一人で横になっていた。冷たく固い石の感触が気持ち悪い。
「タオ? どこ? どこなの!?」
セイレーンは群れで生きる魔物だ。ウラは強烈な心細さに襲われ、半ばパニックになりながら人型になって洞窟を飛び出した。
「タオ!? タオ!?」
叫んでも、返事がない。気配も、ない。
ウラは不安に駆られ、海に飛び込んだ。
(嫌な予感がする……! 皆のところに、帰らないと……!)
暗い海を魚の足で必死に泳ぎ、ウラは仲間の住む島に戻った。
(何? この臭い?)
ウラは顔をしかめた。島に近づくにつれ、嫌な臭いが鼻をついた。それが、仲間の血の臭いだと気が付いたのは、島を埋め尽くす、仲間の死骸を目にした後だった。
「ひぃっ!」
ウラは海岸から上陸しようとしたが、何か得体のしれない巨大な魔力を感じ、動きを止めた。
何かが、居る。
それは、きっと仲間を殺した者だ。ウラの敵う相手ではあり得ない。
ウラは逃げた。
暗い海を、秘密の島まで逃げ帰った。洞窟の中で震えながら膝を抱えた。
(意味が分からない。タオ。タオ。助けて。タオ……!)
混乱の中、ウラは意識を失った。
翌日、ウラは目を覚ますと勇気を振り絞り島へ戻った。
仲間達の姿はなく、小さな魔石だけがあちこちに転がっていた。あの禍々しい気配も消えている。
(タオ! タオ!)
ウラは小さな島を片っ端から歩き回った。拾った魔石は28個。それぞれに僅かに違いがあり、ウラにはそれが誰のものであるのか判別することが出来た。
(タオが、居ない……!)
ウラはその日から、何日も、何日もタオを待ち続けた。口にするのは僅かな水と、小さな貝だけだった。ウラは何度も、仲間と過ごした島と秘密の島を行き来した。しかし、タオが戻ってくることはなかった。
ウラは痩せ細り、力尽きた。
ウラは海上をプカプカと浮かんでいるところを、一隻の船に拾われた。ボロボロの、小さな船だった。
船に居たのは赤い髪をした屈強そうな男が一人だけだった。もう一人いたらしいが、嵐に会い、海に転落して行方が分からなくなったらしい。男はウラの姿を見て、一目で魔物であることを見抜いていた。それでも助けたのは、ウラの痩せ細った身体があまりにも不憫だったからだ。男の名前はケアヌという。ケアヌは、ウラの看病をしながら様々なことを話してくれた。
群れを無くし、冷たく凍ったセイレーンの心は、次第にケアヌの優しさで温もりを取り戻していった。
ケアヌに「俺の村に来るか?」と聞かれた時、ウラは泣いた。体の構造上、涙は流せなかったが、これが「泣く」ということだと、ウラは思った。そして、タオはもう居ないのだ、と分かってしまった。
「絶対に、人を喰うなよ? 一緒にいれなくなるからな」
「分かった。私、食べない。だから、一緒にいる」
ウラは人の姿に化け、ケアヌの妻として人間の群れで生きるようになった。
翌年には娘も生まれた。幸い、娘は人の性質が強く、魚や鳥の姿になることはなかった。
ウラはカタコトだった人間の言葉もすぐに覚え、人間の暮らしに戸惑いながらも、貧しいがそれなりに幸せな日々を送っていた。
そんなある日のこと。
ケアヌが留守の間に、美しいウラに懸想し、ウラを襲った者がいた。
ウラは我を忘れ、気が付いた時にはその男を食い殺していた。久しぶりに味わう人間の味に、ウラは自分が魔物であることを思い出してしまった。
また食べたい。と、思ってしまったのだ。
その日から、ウラは常に自分の欲求と戦ってきた。時に欲求に負け、村を訪れた冒険者を美しい顔と声で誘っては、崖の近くに呼び出し食った。食った後は、骨を崖から落とすだけで良かった。あの時のように。
そうやってウラは、何食わぬ顔で村に溶け込んでいた。
魔物であることを気付かれてはいけない。
夫と娘のいるこの場所が、ウラの大事な群れなのだから。
そんな時、ケアヌが死んだ。
クラーケンに襲われ、あっけなく死んだらしい。
隣人たちが、未亡人となったウラの身体を求めてきた時、彼女の中の魔性が疼いた。
ウラは焦った。
ケアヌを失った哀しみと人肉を求める欲望がせめぎ合い、コントロールが出来なくなっていた。ウラは何とか娘を追い払って、何人か物色した後、一番若くて旨そうな男を喰らった。
(ああ……! 美味しい!)
ウラの身体は歓喜の声を上げた。
全員食い殺そうと思ったが、不意に、夫との約束と娘の笑顔が浮かび、体が硬直した。
怯んだ隙をつかれ、両腕を切り落とされた。
そしてウラは木に吊るされ、娘共々石を投げつけられた。自分の腰にしがみつき、痛みに耐える娘が不憫だった。あのまま、逃げてくれたら良かったのに、とウラは思った。
(私の、仲間をよくも……!)
どうせ死ぬなら、娘を逃がす時間を稼ごう。片っ端から食ってやろう、と覚悟を決めたその時、ウラにとって信じられないことが起こった。
(タオ……!?)
死んだはずの恋人の顔をした竜神を名乗る男が、目の前に現れたのだ。
タオと同じ姿で、同じ声で、娘を穢し、村人達と契約を交わす上位の魔物。
ウラは、この男が仲間を殺しタオの身体を奪った犯人だと理解した。
ウラは、静かに復讐を誓う。
娘以外の全てを、殺してやる、と。
好機は突然訪れた。
クラーケンを倒した者が居るという。
ウラは即座に動いた。デュオンの元を訪れ、生贄の代わりにクラーケンの足で免じてもらえるよう交渉し、買い付けを娘に託した。村には僅かな現金しかない。この金でクラーケンが買えないことは分かっていた。恐らく娘は、町で治癒魔法などを使って金を稼ぎ、クラーケンを手に入れるだろう。いや、手に入れなくても問題はない。娘がしばらく留守にする時間が稼げればよいのだ。
その間にウラは村人をそそのかす。
「今、エストの町にはクラーケンを倒せるほどの冒険者が居るそうです。竜神を倒してしまえば、今後生贄を差し出す必要はなくなりますわ。なぁに、竜神からの恵みは手に入らなくなりますが、船は手に入ったのです。少し前の生活に戻るだけですわ。取り戻しましょう。私達の村を。ね? 皆さん」
歌う様に、囁くように、魔力を込めた甘い音色で。
サラ達が港に着いたその日、冒険者ギルドに「竜神討伐依頼」が出された。
竜神とその花嫁は、何も知らない……。
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今回は、ルーラさんのお母様の話でした。
タヒチの言葉で、タオは「槍」、ウラは「炎」、ケアヌは「山に吹く涼しい風」という意味だそうです。
復讐のウラ、ですね。
「竜神の花嫁」編(←勝手に名付けましたが)は暗い話なので好き嫌いが分かれそうでドキドキしています!
見捨てずに最後までお付き合いいただけると幸いです。