第二話
「そのスズランのネックレス素敵ね」
いつものように三人で帰宅していると、マリエルの胸元に白い花のモチーフが揺れているのが見えたので、話しかける。
すると、マリエルはなぜか怯えたような表情になって、
「あ、ありがとうございます」
と、ぎこちなく言った。
触れちゃいけなかったのかと不安に思っていると、アルシェが、
「伯母さんのおみやげだよ」
と、教えてくれる。
伯母さんとはアルシェのお母さんのお姉さんのことだ。
各地を旅しては、大量のおみやげをアルシェの家に置いていく。
私もそこからいくつかもらったことがあるので、マリエルがそれを受け取っていても特に気にならなかった。
「スズランが好きなの? そういえばマリエルはスズランに似てるわね」
キッチンでは髪をまとめているが、ほどいたときのマリエルの髪型はスズランの花に似ている。
そして、可愛らしいふわっとした雰囲気も、あの健気に咲く花と似通っていた。
縮こまっているマリエルに冗談めかして言うと、マリエルは上目遣いにアルシェを見る。
「アル先輩が似合うって言って選んでくれたんです」
「え? あぁ、うん」
マリエルに似合いますかと聞かれるままに、うん、と頷くアルシェが目に浮かんだ。
アルシェはいつもそんな感じだ。
伯母さんのおみやげが家の収納を圧迫しているので、そろそろまとめて処分しようという話も出ていたから、マリエルにも気に入った物があれば持っていってとでも言ったのだろう。
「ヴィオレットさんは」
急にマリエルが私の名前を口にした。
「スミレの花には似てませんね」
決めつけるように言われて、
「え? まぁそうね」
と、戸惑いながら返す。
スミレの花もどちらかといえば可憐なイメージがあるし、私は銀髪に緑の目のはっきりとした顔立ちをしているので、似ていないという自覚はある。
自分に合わない名前に嫌気が差すが、まわりはこの響きが好きみたいだし、花とは切り離して考えることにしていた。
⋯⋯が、それをわざわざ人に指摘されたくはない。
「お花というより、宝石⋯⋯、あ! 宝石をいっぱい着けた女王様みたいですね」
マリエルが言って無邪気に笑った。
全然褒められてる気はしないが、曖昧に笑っておく。
それと似たようなことを陰で言われるのには慣れていた。
さすがに面と向かって言われたのは初めてだけど⋯⋯。
そして、アルシェはアルシェで、
「ヴィオレットはしっかりしてるもんね」
と、一人で的外れな納得の仕方をしている。
私はうんざりした気持ちになって、二人に気付かれないように小さくため息をついた。
── ─
それからしばらく経ったある日、お店に行くとアルシェの右足首に包帯が巻かれていた。
「どうしたの? 大丈夫?」
駆け寄った私に答えようとするアルシェを、マリエルの声が遮る。
「すみません。私のせいなんです」
どうやら、高いところにあるものを取ろうとしたマリエルが足を踏み外して、支えようとしたアルシェが足を捻ったらしい。
「全然大したことないから、本当に気にしなくていいよ」
うなだれるマリエルをアルシェが慰める。
突然、彼女は何かを決意したようにバッと顔を上げた。
「明日から学校の行き帰りは、私が荷物持ちをします!」
「え、いや大丈夫だよ。マリエルは休学中だし、そこまでしてもらうほどの怪我じゃないよ」
「いえ、お願いします。申し訳ないので、どうかやらせてください」
引き下がらないマリエルにアルシェは苦笑して頷く。
「じゃあ、明日のカロリーヌ先生の実習の荷物、半分だけお願いしようかな」
「はい! あの実習の持ち物、めちゃくちゃ多いですもんね!」
私は二人のやり取りが終わると、「何か手伝えることがあったら言ってね」とアルシェに伝えた。
そして、その日の仕事終わり。
「アル先輩、今日は送っていただかなくて大丈夫です」
「いや、女の子二人じゃ危ないと思うから」
「大丈夫です。ヴィオレットさんがいますから」
マリエルが私に同意を求めてくる。
「⋯⋯そうね。人が多い道を通るから大丈夫よ」
アルシェは仕事に支障はなさそうだったが、歩くときにほんの少し右足を庇っているように見えた。
無理をすると悪化するかもしれない。
「じゃあ今日だけ。明日からはきちんと送るから」
アルシェと別れて、マリエルと二人で帰路につく。
「マリエルは怪我なかった?」
「先輩が庇ってくれたので大丈夫です」
なんとなく、アルシェと三人でいる時よりマリエルの声が低いような、そんな違和感を覚える。
もしかしたら緊張してるのかもしれない。
「マリエルはなんの実習でアルシェと一緒になったの?」
気を使って話しかけてみる。
確か、そこで知り合ったとアルシェが言っていたはずだ。
「アル先輩に聞いてないんですか?」
「え? そうね。詳しくは聞いてないけど」
「そうなんですね。言ってもわからないかもしれませんね」
一瞬、マリエルが嘲るように頬を上げた気がした。
いや、でも初めて二人きりになったし、ただ顔が強張っただけかもしれない。
けれど、私の質問に対する答えは待っていても返ってこなかった。
「えーっと、マリエルはもう仕事には慣れた?」
「はい」
あまりの素っ気なさにいたたまれない気持ちになってきたけど、それでも私が年上だし、どうにか会話を続けなければ。
「マリエルは春からはまた学校に」
「早く店を辞めてほしいんですか?」
私が言い終わる前に、マリエルが睨むような目つきでこちらを見てくる。
いつものおとなしいマリエルの姿からは想像もつかないきつい表情だ。
「⋯⋯え?」
「私のこと邪魔なんですよね」
「え? 何?」
「でも、アル先輩の邪魔をしてるのは、あなたの方じゃないんですか」
「ちょっと待ってマリエル、何言ってるの」
すると、マリエルがはっきりと見下すような顔に変わった。
「知らないんですか。本当はアル先輩、他にやりたいことがあるんですよ」
そう言い捨てると、マリエルは私を置いて走り出した。
しばらくその後ろ姿が遠ざかるのを唖然と見ていたが、ハッと我に返る。
でも結局、何が起こったのかはまったく理解できなかった。
今のはなんだったの⋯⋯。
怒るべきなのかもわからず、モヤモヤした気持ちのまま家に向かう。
マリエルの豹変ぶりはともかく、アルシェに他にやりたいことがあるってどういうことだろう。
学校のこと?
家のこと?
そして、私がそれを邪魔してる⋯⋯?
彼女の言ったことはどれも心当たりがなくて、ただ同じ問いが頭の中を巡る。
「ヴィオレット!」
そのまま力なく歩いていると、後ろから呼び止められた。
よく知る声に振り向くと、伯父さんと、私より三つ年下の従姉妹のアニエスが手を振って近付いてくる。
アニエスとは同じ学校に通っていて、昔から仲がいい。
「ってなんかヴィオレット顔色悪くない?」
「⋯⋯そうかな」
アニエスに覗き込まれて、どんな顔をしていいかわからないでいると、
「ヴィオレット、家まで送っていくよ」
と、伯父さんが言ってくれた。
アニエスが心配そうな顔で隣に並ぶ。
「大丈夫?」
「私も何が起きたのかまだよくわかってないんだけど⋯⋯」
私は、さっきの出来事をできるだけ淡々とアニエスに話した。
正直、まだ感想も思いついていない。
「その女、怖っ⋯⋯」
聞き終えたアニエスは口元に手を当てながら言った。
「アルシェさんと一緒のときはそんなことなかったんだよね?」
「うん。まぁ、今思えば微妙な発言はあったような気もするけど⋯⋯」
アニエスは、うーんと腕を組み、ぴっと人差し指を立てる。
「調理学校四年のマリエルね。友達いるからちょっと聞いてみるよ」
「無理しないで。私も明日またマリエル本人と話してみる。何か誤解があるのかもしれないし」
すると今度は伯父さんが、
「困ったらなんでも相談するんだよ」
と、言ってくれる。
伯父さんもアニエスもいつも私に優しい。
⋯⋯それにアルシェも。
とにかく明日お店が終わったらきちんと話をしよう。
でも、翌日の閉店後、なぜかアルシェに謝られた。
後ろに庇われるようにマリエルが立っている。
「ごめんね、ヴィオレット。俺もマリエルも気付かなくて」
「⋯⋯え? 何?」
アルシェまでもが、わけのわからないことを言い出した。
「マリエルが来て、疎外感があったんだよね」
疎外感⋯⋯?
思ってもみなかったことを言われて、絶句する。
「あの、昨日のことなら気にしてませんから」
「は?」
思わず強い声が出た。
マリエルがアルシェの服を掴んでビクッと震える。
「ヴィオレットさんが⋯⋯」
マリエルが今にも泣き出しそうになって言葉に詰まると、アルシェが続きを引き取った。
「マリエルに早く店を辞めてほしいようなことを言ったって」
「言ってないわよそんなこと!」
私が叫ぶように言えば、
「でも、春には学校に戻るのよねって言ってきて⋯⋯」
と、マリエルが消え入りそうな声にはっきりと非難の色を乗せる。
「それはただ聞いただけで、そういうつもりで言ったんじゃ」
「それにその後、私がアル先輩のことでヴィオレットさんの知らないことを言ったから、私一人で帰ったんです」
確かにマリエルは事実を述べているだけだ。
でも、実際の状況と、聞いた人が想像する状況がまったく別のものになっている。
「アルシェ、違うわよ。そもそもマリエルが」
「ヴィオレットさんごめんなさい。私が悪いんです。急にアル先輩との間に入ってきたから、嫌な気持ちにさせてしまったんですよね」
マリエルは、私に反論する隙を与えず、被せるように言った。
「ヴィオレット、いろいろ誤解があったんだよね」
アルシェも彼女の側について、そんなことを言ってくる。
「やめてよ。違うってば」
私が絞り出すような声を出しても、二人は悲しそうな目で私を見ていた。