第三話
散策デートは多少のビターがサンドされたものの楽しい一日となりました。
ただ、その日以降ジルの仕事がさらに忙しくなってしまったため会えない日が続きました。そんな中ひさしぶりにジルからデートのお誘いです。
外国に留学中のジルのお友達が一時帰国されるそうで、その彼の婚約者と四人でお茶会をしましょうということです。
婚約者の方はこの国の最大手商会のご令嬢で、彼女のお屋敷にお招きいただけるそうで緊張してしまいます。
当日はジルが迎えに来てくれる予定だったのですが、朝早くに研究所から呼び出されてしまったそうで、代わりになんと商会からお迎えの馬車が来てくださいました。
大変立派な馬車に揺られ着いた先は、私の家がいくつ分かと考えるのもおこがましいほどの大豪邸でした。案内された庭には色とりどりの花が咲いています。
本当はジルが道すがらお二人のことを教えてくれる予定だったのですが、何も知らないまま来てしまいました。どんな方かと少し不安に思っていましたが、お二人は満面の笑みで私を迎えてくださいました。
「初めまして。ジルの友人のノエルです。彼女は僕の婚約者のノエリア。ジルも仕事サクッと終わらせてすっ飛んでくると思うから先に始めてようか。無理そうなら飛ばしてくると思うし」
⋯⋯飛ばしてくる? 何をでしょうか。
キョトンとした私の手をノエリアさんが取ります。
「今日はお会いできて本当にうれしいわ」
「ジルの婚約者のイリスです。ノエルさん、ノエリアさん、本日はお招きいただきありがとうございます」
「いいのいいの適当にして。同い年だし僕のことはノエルと呼んでよ」
「私のことはぜひリアと呼んでね。どうぞ座って」
お二人はニコニコ笑いながらグイグイと迫ってきます。
「え、ええ。私のこともイリスと」
私は圧されて勧められた椅子に落ちるように座ります。
「リアの勢いでイリスが怯えてるよ」
「ルーの威圧感のせいでしょう」
「リアは慎みがないから」
「ルーは遠慮がないから」
お二人はポンポンと言い合っています。
「お二人はとても仲がいいんですね」
私がポツリとつぶやくと二人がこちらを見ました。ノエルがニコニコした顔のまま口を開きます。
「イリスとジルもなかなかラブラブだって聞いてるよ」
「ラブラブ⋯⋯ですか」
私が言われた言葉に困っていると、リアが立ち上がって手ずから紅茶をいれてくれました。
「ノエルが留学してる国で流行ってる紅茶なの」
「ありがとうございます」
初めて見る真っ赤な色をした紅茶です。カップを持ち上げてゆっくりと飲みます。
「甘酸っぱくて美味しいです」
「ね、私大好きなの。あそこにクリーム色の花が咲いてるじゃない。あの花から作るのよ。あれはノエルの卒業花だからこんな時期外れに咲いてるけど」
リアは言って庭に咲く花を指差しました。卒業花、運命の花です。リアに関係する花なのでしょうか。
「僕、卒業花を咲かせるのすっかり忘れてて。リアがこの紅茶を気に入ってたからちょうどいいと思って。そういえばイリスはジルの卒業花は知ってる?」
突然話を振られて驚いてしまいましたが、カップを置いてうなずきます。
「ええ、もらいました」
「もらったの? それって最近?」
「いえ、初めて会ったときに」
それを聞いたノエルが少し意外そうな顔をしました。
「あいつあげたんだ。やたら渋ってたけど」
一瞬、本当に一瞬だけ冷たいような苦しいような痛いような感覚が胸の奥を襲いました。
ジルはあのとき本当は私にあの花を渡さないつもりだったのでしょうか。でもそうだとしてもそれは一年も前のことです。
いろいろと考えていたのが顔に出てしまっていたようで二人が心配そうに私を見ました。
「イリスどうしたの? あ、来た」
ノエルの視線が上を向きます。
ジルが到着したのかと思いましたが違うようです。ノエルの視線の先にはキラキラと光をまとった半透明の蝶が飛んでいました。
「ジルからの救助要請だ。僕空気読めないボンボンの振りして連れ帰ってくるよ」
「振りじゃなくてもいけるわよ」
ノエルはリアの言葉に笑いながら手を振ってどこかに向かいました。
「イリス大丈夫? 具合悪い? ノエルが気に障ること言った?」
リアが私の顔をのぞき込みます。
「あ、違うんです。ちょっと卒業花に気を取られてしまって」
「なになに?」
「あ、でも大したことではなくて」
「いやいやいやいや、まあ言ってみなさいよ」
リアの迫力に負けて、ジルの卒業花を巡る考えを説明しているうちに、先日の秘書さんとのやり取りについても洗いざらい話すことになりました。
「嫌な女に絡まれちゃったわね。でもイリスはおっとりして見えるのに芯がしっかりしてる。私イリスの考え方好きよ」
「ありがとうございます」
リアの言葉に心がふっと軽くなりました。
「実際ノエルは空気が読めないボンボンではないからさっきのはそういう意味で言ったんじゃないと思うけど。そもそも卒業花って⋯⋯あ、これはジルさんから聞く方がいいわね。とにかく甘いもの食べて食べて」
リアはお皿に載ったショコラを勧めてくれます。私が一つ口に運んだのを見てから、リアは話し始めました。
「私の話になっちゃうんだけど⋯⋯。ノエルの家のことって聞いてる?」
リアに尋ねられて私は首を振ります。
「ノエルのお父様はこの国の中枢のかなり有力な方なんだけど」
リアがノエルのお父様の名前を教えてくれると、私は驚いてまだ溶けきらないショコラを飲み込んでしまいました。ノエルのお父様は国のトップの側近と言われ、私でもお名前を存じ上げているくらい高名な方でした。
「私とノエルの婚約ってお互いの家にメリットがあるからって政略的な意味で結ばれたものなのね」
「そうだったんですね」
「年も私の方が5つも上で」
リアは言うと紅茶を一口飲みました。
「それでそういうことをわざわざ突っついてくるお嬢さんたちがいるのね。曰く、ノエルは家の事情で無理矢理あんな年増と婚約させられたけど、本当に好きな人は別にいるって」
私はあまりの言葉に眉をひそめます。リアの顔は少しうつむいていて目は伏せられています。
「まあ、確かに私がこの家に生まれてなかったらノエルの婚約者にはならなかったし、そもそも年も離れてるから出会うことすらなかったと思う。私自身の魅力とか努力とかで手に入れた立場ではないわ。でもそんなことって考えても仕方がないのよね」
リアはカップを置いて顔を上げました。
「惚気になっちゃいそうだけど、ノエルとはいい関係を築いてると思うの。だから私もイリスと同じ考えで、ノエルが言ってもいないことで悩む必要はないし、築き上げた関係性を信じればいいと思ってる」
リアの瞳は強い光をたたえています。私たちはしっかりと手を握り合いました。
「私たちとっても仲よくなれそうね」
「はい!」