第十二話
伯父さんに、ジルさんとイリスさんに謝罪したいと相談して、二人の家にそのための時間をもらえないかと手紙を出した。
婚約者のいる人に言い寄ったのだから、もはや個人の問題ではない。
二人のご両親にも謝るつもりだったが、ジルさんもイリスさんも、そこまで大袈裟にしなくていいと言ってくれて、三人で会う時間を作ってもらえることになった。
イリスさんのご自宅のお庭をお借りして、二人に謝罪する。
「今日はお時間をいただきありがとうございます。本当に申し訳ありませんでした」
二人を前に、下げられるだけ頭を下げた。
「イリスさんにひどいことを言って、ジルさんにつきまとい不快なことを言いました。先日、ジルさんが研究所に閉じ込められた件も私に原因があります。お二人に許していただけるとは思っておりませんが、せめて反省していることだけでもお伝えすることができればと思い参りました」
私の精一杯の謝罪は二人に受け入れてもらうことができて、イリスさんが、「せっかくだからお茶を一緒に飲みましょう」と誘ってくれる。
さすがに遠慮しようと思っていたら、あっという間にティーセットの準備がされて、イリスさん自ら紅茶をいれ始めた。
お詫びの意味を込めて持ってきたお菓子を渡すと、イリスさんの目が輝きを増す。
「このお菓子ずっと食べたいと思っていたんです。自分で買うには少し高いので躊躇していたんですが。ありがとうございます」
本当に嬉しいようで、花が咲くような笑顔でそう言われて、いたたまれない気持ちと同時に胸の奥が温かくなる。
側にいるとホッとする女性だ。
席について、イリスさんがいれてくれた真っ赤な色の紅茶を飲む。
甘酸っぱくてとても美味しい。
イリスさんは私が卒業した学校に通っているのでその話をしたり、好きなお菓子の話をしたり、謝罪に来たのにこんなに和やかに過ごしてしまっていいのだろうか。
「あの、どうしてそんなに優しく私と話してくださるんですか」
私が尋ねるとイリスさんは、
「その、確かに研究所でお会いしたときは、どうしてそんなことをおっしゃるんだろうって思いましたけど、そこまで傷つけられたとかそんなことはないんです。もちろん少しは気にしましたよ。全然響かなかったとかではないです」
と、言うとにっこりと笑った。
「でも、お友達に話を聞いてもらったりしてすぐに気持ちが晴れたので、ずっと怒ってたりとかはしていません」
「はい」
よかったですと言うのもおかしいので、小さく返事をする。
「それに今日ヴィオレットさんがいらっしゃって、あのときとは雰囲気が変わっていて。きちんと謝ってもらえましたし、お菓子も美味しいですし、楽しいお茶会になったらいいなと思ったんです」
ふんわりした空気をまとっているのに、すごく芯がしっかりした女性だ。
一緒にいて安心する。
ずっと隣にいたくなる。
運命とか運命じゃないとかそんなのは関係ないと思えるくらい。
その上で運命の人だったら本当に幸せだと思う。
イリスさんにとっても運命の人だってことは、大切な宝物みたいな物のはずだ。
「ありがとうございます。運命の花のこともごめんなさい。スミレの花、大事な花なのに変なことを言ってしまって」
私が言うと、沈黙と共に微妙な空気が流れる。
え? とイリスさんを見ると、一瞬その目がジルさんの方を向いた。
つられてジルさんを見ると、眉間にしわを寄せて渋い顔をしている。
ジルさんがこんな顔をするのはいつものことだけど、若干羞恥を含んでいるような気配もあり、目は遠くの方を見ているようだ。
再びイリスさんに視線を向けると、指先が触れて小さな花が揺れるように、ふふっと笑う。
そして、内緒話をするように顔を近づけて、
「私も勘違いしてたんですが、あれは運命の花じゃなかったみたいなんです」
と、教えてくれた。
「そうなんですか」
私も真似するみたいに小声で返して、本当はなんの花だったのか聞いてもいいかと尋ねる。
「アヤメの花を咲かせたんです。教えてもらったのは本当についこの前なんですけど」
「じゃあ、やっぱり運命の人だったんですね」
言ってから、また流れる不思議な空気に気が付いた。
イリスさんはにこにこ笑っているのに、ジルさんはさらに難しい顔になっている。
「あの、イリスさん、この感じはなんなんでしょうか」
耐えきれずに聞くと、イリスさんがもう一度顔を近付けてきて、
「もう少し仲良くなったら話しますね」
と、楽しそうに言った。
── ─
お休みの日に、伯父さんの許可をもらって、アニエスに会いにいくことにした。
アニエスはしばらく学校に行くことも禁止されて、家でできる奉仕活動をしている。
部屋を訪ねると、寄付するハンカチに刺繍をしているところだった。
「アニエス、ごめんね。私がしっかりしてなかったからアニエスに心配かけて、あんなことさせて」
「そんなことない! ヴィオレットが悪いんじゃないよ!」
アニエスはそれでもまだ私を庇ってくれる。
優しい従姉妹を力いっぱい抱きしめた。
「ありがとうアニエス。ずっと味方でいてくれて」
やり方はいろいろと問題があったが、いつでも私に寄り添ってくれていた。
「もう大丈夫。反省したし、浮上した」
私が言うと、本当に? と心配そうに顔を覗き込んでくる。
コツンとおでこを当てて、
「本当よ。ありがとう」
と、言うと、
「⋯⋯私もちょっとやり過ぎたとは思ってる⋯⋯そこは反省する⋯⋯」
と、小さな声が返ってきた。
「でも、お父さんとマリエルへの怒りはまだ冷めない」
「伯父さんのことはもう許してあげて。あのときああしてればなんて言っても意味がないんだし、たぶん伯父さんが頑張ってくれてても、そういう未来はなかったのよ」
「⋯⋯ヴィオレット、本当に吹っ切れてる」
アニエスがちょっと驚いたように言う。
「じゃあ、あとはマリエルか」
再び醸し出される剣呑な雰囲気に、私は待ったをかけた。
「それももういいのよ。最初から、私が向き合うべきはマリエルじゃなかったのよ」
私が逃げずにちゃんと話し合うべきだったのはアルシェやお客さんだ。
アニエスは私の急激な変化に戸惑っていたが、
「なんかいろいろ急展開でまだちょっとついていけてないんだけど、ヴィオレットが元気になってよかった」
と、笑ってくれた。
── ─
「ヴィオレット」
いつものようにレターボックスに書類を投げ込んで部屋に戻ろうとしたところを、セオに呼び止められる。
ずっと協力させてしまっていたセオにも、後で謝りに行くつもりだったが、
「あれさ、違うから」
私が口を開く前にセオがぶっきらぼうに言った。
「俺、ヴィオレットのためにやったんじゃないから」
一瞬私を気遣ったセリフかと思ったけど、彼の顔を見るとそうじゃないことがわかる。
そういう優しげな色が一切ない表情だった。
ちょっと恐怖すら感じる。
「アニエスに泣きそうな顔で頼まれたんだよ。ヴィオレットを助けてほしいって」
「アニエスが⋯⋯」
私が従姉妹の思いやりを感じていると、さらに彼から、どう受け止めていいかわからない発言が落とされた。
「俺さ、アニエスが泣かないためなら、他の何が犠牲になってもいいと思ってるから」
「⋯⋯え、うん」
それしか返せない。
すると、セオはいつもの軽い調子で、
「じゃ、ヴィオレットもアニエスのこと泣かせないでね」
と、言って去っていった。
⋯⋯今のは一体。
泣かせないでと言ったことにはもちろん異論はないが、ちょっと、いや、かなりセオを見る目が変わってしまった気がした。




