第六話 近づく危険な存在
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いつものミサが終わると、エレネ・リューンは奥の部屋へと退いた。疲れた体を癒やすように、彼女は部屋に備え付けられている椅子に腰掛ける。途端に漏れるため息。
ここのところ休まる暇がない。やなかければいけないことが多いのではない。精神が何かに脅されているからだ。
「封印が弱まっているのかしら……」
そうではないとエレネは知っている。確かに封印は弱まっているが、それは分かっていたこと。それよりも、もっと直接的な原因がある。強い悪意の魔力を持った存在が近くにいる。それがエレネが出した結論だ。関わりたくない、けれども関わらざるを得ない。
それからエレネは1人の青年を思い出す。彼は自分がカイナック出身であると話してくれた。エスァケル・ドゥイネイン。強い力を持った器。おそらく彼は、後継者にふさわしい能力を持っているだろう。だからこそ、エレネは彼に、探しているものが聖騎士の塔にあると教えた。聖騎士の塔は、その能力がないものが登ろうとすると頑なに拒否をすると聞く。彼は塔を登ることが出来たのだろうか? いや、彼ならば大丈夫だと思ったからこそ、その場所を教えた。そう自分に言い聞かせる。時間的に考えても、充分すぎるほど過ぎている。いつ戻って来てもおかしくない。けれど……
帰ってこないエサカ。
魔力を持った存在。
弱まる封印。
多くのことがエレネを悩ませている。
「エレネちゃん、エレネちゃん」
不意にエレネを呼ぶ声が聞こえ、目を開けると二、三人の子どもたちに囲まれている。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。エネネは子どもたちに微笑んだ。彼らは様々な理由で親がいなくなってしまった孤児だ。戦争の犠牲になった子どももいれば、モンスターの襲来に親が犠牲になった子どももいる。あるいは、教会の前にバスケットに入れられて置かれていた赤子も。エレネはそんな子どもたちを集めて、教会で彼らを預かっている。
「お昼寝しちゃって、私たちみたい」
屈託なく子どもたちが笑う。こんな子どもたちの未来を奪いたくない。
「ご飯の時間だよ」
「みんな待ってるんだから」
「お腹すいて、倒れちゃうよ」
代わる代わる説明する。エレネは立ち上がると、子どもたちと部屋を出て行った。
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フィルに成功報酬と、ちょっと色を付けて金を渡すと、ドン・パロト・アッハーニは上機嫌にチェックアウトした。さらに幸いなことに、宿を出るとすぐに客が見つかった。ちょうど道を挟んで反対側の、セイラーの村では最高級の宿から出てきた三人組だ。きちんとした身なりをしており、おそらくはどこかの国の役人であろう。
「この馬車はリスカンタ行きですが、よろしいですか?」
昨日とは打って変わって、丁寧な口調で彼らに言った。だが、よく考えるとおかしなことだ。サバラート国の役人でないことは胸につけている紋章を見れば分かる。考えられるのは他の大陸の国家だろう。だがアッハーニが住んでいる大陸の他に国としてまとまっているところがあるだろうか? 少なくとも十年前にはなかった……いや、それはエーナにしてもサバラートにしても同じことか。
「我々はエーナ国の首都を目指しているのですが、その町から首都は離れているか?」
「リスカンタはエーナ国の港町ですよ。そこから北に向かえば首都のカイラーです。その間でしたら馬車が何本も走っていますから」
「ならばリスカンタまでお願いしよう」
彼らは乗合馬車に乗り込んだ。どういう理由があってカイラーを目指しているのか。エーナ国の首都、という表現も気になるところだ。だが、アッハーニから色々と話題を振ってみるが、奥からは何の返事も返ってこない。
しかたがないので、アッハーニは別のことを考え始める。リスカンタには彼の兄が住んでいる。といっても、ほとんど家から離れているのだが。けれど、行きに寄った時に彼の妻が、あと二日ぐらいしたら兄が帰ってくる予定だと言っていた。予定通りなら、今はもう家にいるはずだ。兄にも、ついに見つけたことを早く伝えておきたい。弱まっている封印に不安はあるが、アッハーニはすでに少し安心している。
それから十年前のことを思い出す。今でもあの瞬間のことは覚えている。懐かしいという感情はない。思い出している今でも、恐ろしさで身がすくんでしまう。封印がなくなれば再びあれが外に出てくる可能性がある。そんなことになれば、今の世界は容易く滅びてしまうだろう。自分たちが対峙しても勝てないと感じた相手だ。今の彼らではもちろん勝てない。けれど彼らならば、という期待がある。
視線をあげると、前方にはエペス砦がある。エーナ国の前哨基地だ。そこを西に抜ければ、やがて南側に海が広がる。日が沈む頃にはリスカンタに着くだろう。荷台に乗っている三人は、ほとんど微動することなく座っている。
「少しペースをあげますよ」
アッハーニは後ろに聞こえるように大きな声を出した。
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「……神は、自らの姿を真似して、自ら創り上げた生物を、自ら浄化せんとした。彼らは、無知にして英知と偽り、天へと届く塔を作ろうとした。雷を持ちて、幾度となくその塔を崩そうとも、彼らの高き指向性を止めることはできなかった」
エレネは落ち着いた様子で、朗々と聖亜・英伝を吟じる。
「その進化は著しく、当時それを創り上げた神でさえ驚くほどであった。神は、その生物によってもたらされた混沌を許すまじと思い、ゆえに神の兵であるヴァルキュリアを現世世界に遣わした。彼らは、その圧倒的な力を目の当たりにするも、それに対抗すべき巨人を生み出した。その巨人と神の使いとの戦いは、今でもラグナロク、すなわち神々の運命として、連綿と伝えられている。
「だが、自らの無知に気づいていなかった彼らの敗北は目に見えたものであった。神の兵の偉大なる力が大地を揺り動かし、「大洪水」をこの世界に引き起こした。その世紀の大浄化は百と十日と続き、ついには大陸すべてを覆い尽くすほどであった。いかなる生物であれ、その大浄化を免れることはなかった。その傷跡は、今もなおシノバウォー大陸に垣間見ることができる。かの大陸は、そのときの水によって出来上がった、永遠の氷の大陸である」
エレネは本を閉じると、再びミサに集まった人々に語り始める。
「私たちは、自らの無知を自覚しなければなりません。何かを知ろうとする探求の心は決して罪にはなりません。ですが、その心を失い、もう知らないものはないとい考えることが、傲慢を生むのです。神はいつも私たちのそばにあり、私たちを見てくれています。いついかなるときも、何かに努める気持ちを忘れてはいけません」
そう言葉を閉めると、エレネは奥にある扉からそっと出て行った。すぐに息をつく。やはり疲れている。疲れを癒やすために、一刻も早く自分の部屋に急いだ。
不意に悪寒が走る。原因は分からないが、エレネに警戒するよう訴えているように。
「この魔力は……」
最近たびたび感じる魔力だ。それが近づいてきているのか。エレネ脳に響く警報に立ち止まる。
「エレネちゃん」
突然呼びかけられた。子どもたちだ。表情を和らげると、子どもたちに、どうしたの、と返事をする。
「お客さんが来ているよ」
一人の子どもがそう言うと、別の子どもがエレネの手を握る。そのまま表の客用の部屋へとエレネを連れて行く。その間、エレネの頭の中には何度も同じ警句が繰り返される。
危険、危険、危険、危険。
魔力を持った存在……
エレネは意を決すると、その扉を開けた。




