第十三話 グリディオン・フォン・ド・エルベルグの襲撃
三日後。林はだいぶ前に通り過ぎ、今では見渡すかぎりの平原だ。今いる地点が高いせいか、はるか東の向かっている先にはすでに海が見えている。このまま魔法を利用しつつ走り続ければ、船が出る日どりには間に合うだろう。
学園を逃げ出したとはいえ、あの挫折感とは全く違う今の状況だ。自分の専門である盗賊としての能力不足、こんなに悔しいことはない。おやじや兄達はともかく、余程のお都内相手でもそう遅れを取ることはないと思っていたのに。あのふざけた名前の王に対して自分ははるかに弱かった。フィルにとって、こんな状況はただの悔しさの塊だ。強者によってただ生かされている……それでも、その提案に乗って、もうひとつの大陸に渡り自分の能力を磨くしかない。
「まぁ、フィルが悪いんじゃないよ。うん、フィルは上々だもの。相手が悪かっただけだよ。なんてったって、前大戦の勇者の一人だったんだよ? 勝てなくても仕方ないんじゃないかな」
走っている横で時折現れては、フィルを落ち着かせてくれるオルシナの存在がありがたい。確かに彼女のお陰で、今こうして怒りに身を任せずにいられるのも確かだし、ティップは、幸運の妖精と言っていただろうか? おそらく、その通りなのだろう。けれど……、
「追手だよ」
何度目か忘れたが、オルシナが言った。
「一騎だね。僕が見る限り、魔法の使い手じゃない」
フィルはオルシナの口を抑えた。幸い、今朝から魔法は使っていない。道の中央で立ち止まり振り返ると、わずかに土埃を上げながら、騎士が一騎駆けてくる。白銀の鎧、今にまたがっていても、その巨体は圧倒的だ。
「グリディオン……ナントカ」
フィルからほど近い場所で、グリーは馬を降りた。
「グリーで構わんよ、フィルウィルド殿」
落ち着いた態度だ。フィルは最初に会った時、彼の表情に一瞬表れた怒りの表情を思い出す。取り繕い、本人はバレていないと思っているかもしれない。が、フィルは気がついた。その彼が今ここでフィルに追いついた。良い予感はしない。
「王から伝言を預かっていきた。何、構える必要はないぞ」
「へぇ。俺にとって得になる伝言か?」
「国の宝を奪おうとした重罪人、国外逃亡の危険あり。処刑で構わん。以上だ」
グリーが剣を抜いた。両手で扱う、かなり長い剣だ。
「あの王がそんな伝言をするとは思えないね」
「盗人風情が、クソみたいな口を聞くなよ」
「……ああ、なるほどね。貴族に執着するかわいそうなボンボンか。あるいは、先王の関係者か?」
「クソガキがっ!」
「図星かぁ?」
「ああ、その通りさ。確かに俺は前領主の息子さ。だがそれだけさ。あの外からやってきた王が現れるまでは俺が地位を継承することに反対するものなどいなかったさ」
ダンっとそこでグリーは足を前に出す。
「だが、俺だってここのやり方は心得ているし、そんなことは問題じゃない。だが王は、国を宣言し、この大陸をまとめてみせた。圧倒的な手腕だったさ」
「嫉妬か」
「そうさっ。その王がお前を気に入っている。なんか、壊してやりたくなるよな」
イヒヒヒヒと笑う。壊れた人形のようだ。相手にするしかないか? フィルは身構えた。
「クソが。重罪人を俺が処刑する。そうすれば、俺の株も上がるってもんさ!」
長剣を振り上げる。その動作が見て取れるほど、遅い。それでも、一撃喰らえば、フィルでは致命傷になるだろう。二歩、バックステップ。今あるのは、ダガーが六本。装甲の高そうなあの白銀の鎧を貫くことはできそうもない。
フィルが使える魔法は十一種類。「魔力感知」「魔法分析」「蜃気楼」「枝葉のささやき」「遠眼力」「瞬間接着」「精神集中」「韋駄天」「浮揚」「魔力弾」「魔刀刃」。どれも基本的な魔法ばかりだし、フィルの魔力では効果もちょっとしたものにしかならない。それでも、これらを上手く使って、切り抜けるしかない。剣が上から振り下ろされるのを、右に、左にと避けながら、後ろへと下がっていく。
倒す必要はない。
「・・・ア・ジェイル」
「ちょこまかとクソがっ」
グリーの剣が横から薙ぎ払われる。その懐にフィルは入り込み、腕をいなして下を抜けた。
「・・・マジカルシュート!」
魔力弾の魔法をフィルは地面に叩きつける。瞬間的に土煙が広がる。そのままグリーの背後に回りこんだ。
「悪いけど、おっさんじゃ俺を倒せないゼ」
「こんクソがっ」
振り返るグリーに合わせて、その背後に再度回る。
「まぁ、俺もおっさんを倒せないけどな」
フィルはダガーを取り出すと、その柄部分に魔法を掛ける。
「・・・エスピー・ゲル」
瞬間接着の魔法だ。再び剣を振り回しながらグリーが正面を向いたタイミングで、その開いた目の部分にダガーをくっつける。土煙と合わさって、視界の妨げになるハズだ。
「ごのっ」
「けど、オッサン相手になら勝つことは出来る」
両目を塞がれた状態にかかわらず、グリーは長剣を振り回す。いや、見えていないから闇雲に、だ。
その時にはフィルはすでにかなり距離を取っていた。グリーの相手を最後までする必要はない。それに、あんな目くらましは一時的なものだし、長引けば、フィルに勝ち目はない。最後のセリフは、相手を冷静にさせないための一言。フィルからすれば、つまり、逃げるが勝ち、だ。
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フィルはイーストゲートに入る前に、オルシナを呼び出した。こちらからの召喚に応じてくれるか分からなかったが、なんだい、と鹿の姿のまま現れ、彼女が返事をする。
「オルシナはこっちの大陸で待っていてくれないか?」
「ええ、どうして? 僕はフィーを見守りたいんだけど」
「ティップが、オルシナは幸運の妖精だって言っていた。実際、それで助かってる面もたくさんある。けれど、それじゃあ、俺は強くなれない気がするんだ」
「かぁー、相変わらず真面目だねぇ」
「俺はあっちの大陸で、必ず腕を上げて帰ってくる。そしたらまた一緒に旅をしよう」
「必ず、帰ってくる、ね。いい言葉だ。僕としては殊勝な言葉をフィーに送るよ」
鹿がくっと頭を上げて、フィルの頬に近づく。
「約束だ。妖精との約束をできるなんて、稀有な体験だよ」
「面白いこと言うな。分かった。約束する。必ず帰ってくる」
鹿の口が頬に当たった瞬間、オルシナは人型になり、姿を消した。毛むくじゃらの感覚しかなかったが、それも、きっと稀有な経験だろう。
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その後、フィルウィルド・グランス・アッシュフォードはイーストゲートから出ている船に密航した。彼がラ・ソール大陸のエーナ港に着く頃には、年も明けているだろう。三ヶ月を越える長旅である。これは、挫折の物語。彼の挫折はその一つに過ぎない。
カイナック歴1863年、ラ・ソール大陸において、アルマナクは大きく動く。けれど、それはまた別の物語。フィルウィルド・グランス・アッシュフォードと、彼の運命を操るソーサレス・クルティオの物語はここで一度終わろうと思う。またいつか、彼がこの大陸に戻って来た時に、この続きは語りたいと思う。合わせて、これでこの章も終了だ。次の章からはまた、今度は彼女の、挫折の物語を伝えるとしよう。ここに、ヒストリアの一端を記して、書を閉じる。




