真夜中のカラス
眩しい日差しを右手でさえぎり、日に照らされた洋館を見上げる。
私ははやる思いに突き動かされて松葉杖を必死に動かし、石造りの階段をのぼりきる。軽く息を整えつつポケットから真鍮の鍵が連なった束を取り出して、玄関の鍵を鍵口に差し込もうとすると、内側からカチャリと鍵が開いたような音がした。
一瞬たじろいだが、すぐに一人思い当たる人物を思い浮かべて胸を撫で下ろした。
観音開きの木製のドアを片手でゆっくりと押し開く。
ふわりと白詰草の匂いが鼻をかすめる。玄関は開いたままにフロアへ入ると私は一直線に祖父の私室、これから私の私室になる場所へ向かった。鍵を差し込んで開け、外の見える窓を開くと、涼しい風が部屋を満たす。
「エンジュ」
聴きなれた声に振り向くと、シラツメが私を見下ろしていた。ゆるやかな風を受けて彼の体に咲く花がかすかに揺れている。その姿は洋画のワンシーンを思わせるように涼しげだった。
「待った?」
気取るように言うと、彼は私の頬を蔦で緩くなぞった。
「アア、随分ト待った」
柔らかな声。私に合わせているのか素なのかわからない台詞がおかしくてくすりと笑ってしまう。
ふとかすかな目のかゆみに目を瞬くと、そこは森だった。夜の青い木々が私を取り囲んで沈黙している。ゆっくりと見渡すと木々の奥にオレンジ色の光が見えた。それはゆらゆらと揺れて私から見て右の方へと流れていく。
何の光だろう。私は当然のようにそれを追いかけようとした。
がちゃり
遠くで聞こえた音に目を開く。
・・・・なんだ、夢か。
天蓋の奇妙な装飾をぼうっと眺める。おかしな夢を見た。最初はここに住む初日の時の記憶で、次は森の中の夢。
ぼうっとしている私を見下ろすシラツメに挨拶をして起き上がる。
あの日から数日経って、私は洋館に移り住んだ。
手続きを済ませて、洋館をシラツメと二人がかりで数日かけて掃除した。それが終われば庭の薬草の手入れをして、祖父の遺した荷物を少しずつ整頓していく。本、服、小物・・・どれも祖父の存在の残り香を匂わせるものを整理するのが特に時間がかかった。
薬草の手入れを終えて、右腕に付けた腕時計で時間を確認すれば針は真上をさしていた。
「はあ〜・・・流石に暑くなってきたなぁ」
リビングに繋がる裏口から入り、帽子を壁のフックにかける。
中庭へ続く窓の、はしに寄せた白いレースのカーテンが風に揺れている。いつの間にか置かれている水の入ったコップに口を付けつつささやかな中庭を眺める。
「お前が、望んだことなんだな」
父と母に宿のことを打ち明けた時、父に言われた言葉が頭をよぎる。
あの日、どうにも座りが悪く、テーブルの下に隠した手を遊ばせながら話を進めた。
母の詰問に辟易し、喉に詰まって仕方がない思いを必死に吐き出した。
そんな様子に父が母の言葉を手で遮り、静かに言ったあの言葉。
私は俯き始めていた頭を上げて目を見開いた。
どこか諦めたような、こうなることが分かっていたような、そんな含みがあることに気がついてしまった。
あの言葉が、今でも私の心に留まっている。
視界の端を緑色が通り抜け、意識を引き戻される。シラツメが青いホースを器用に握って、網戸を開けている。
完全に開ききったところで、さも当然のように私にホースの端を差し出した。
私はそれを受け取って低い窓のへりに乗り、ホースの端を中庭へと向ける。するとちょうど良いタイミングでホースから水が吹き出した。ホースの口を軽く摘まんで遠くまで行き渡るように水を拡散させる。手を当てるとひんやりとした水が心地よい。
水はきらきらと日の光を反射しながら庭に生える白詰草に降り注いだ。
右から左へ、左から右へ・・・ゆっくりとホースを揺らしていると、庭の真ん中からするりと、隣にいたはずのシラツメが地面から編まれるように現れ、ホースの水を追いかけては正面から浴び始めた。この時間はいつも、彼が満足するまで水を撒き続けるだけの時間。
私はこの時間が一番好きだ。
気持ち良さそうにきらきらと輝く彼を眺める。
ホースの水が止まる。どうやら満足したようだ。
それが終われば、シラツメがキッチンからサンドウィッチを運んでテーブルの上に置いた。
「・・・・ねえ」
「何ダ」
「・・・シラツメは私をダメにする気なのかな?」
私の質問に、彼は首をかしげた。
ここに住んでからというもの、朝から晩まで世話を焼かれてばかりだ。
助かるのだが・・・こう、シラツメがいないと生活できなくなりそうな不安がよぎってしかたがない。
いまいちピンと来ていないようなシラツメに、思わずため息がこぼれる。
私はおとなしく手を洗い、テーブルについた。
耳のついたパンとパンの間に、瑞々しいレタスとスライスチーズ、ハムが挟まっていて、咀嚼するとしゃきしゃきと小気味良い音をたてた。
もう開業する準備もできたし、祖父がやってた薬関係はまだ出来ないけどいつまでも収入の手段を得ずに暮らしているわけにはいかない。
「いよいよ明日か・・・」
そう、明日からいよいよ開業する。
正直なところ不安じゃないと言えば嘘になる。
私は不安になる気持ちを消すようにサンドウィッチを頬張った。
軽食を食べ終われば汗を流すために風呂に入り、リビングでシラツメに勧められた魔法に関する簡単な本を読み耽る。
最初はシラツメに教えてもらおうかと思ったが、彼の教えは感覚的すぎて正直よく分からなかった。彼いわく、シラツメたちは人間の魔法使いや魔術使いのように術式などを覚えずとも感覚でできてしまうらしい。少し羨ましい。
外から聞こえる蝉の声と、生ぬるい風に揺れて囁く木の葉の音をBGMに本のページをめくり続けた。
いつの間にかどっぷりと日が落ち、私は目を擦りつつ本を閉じた。
シラツメの用意した夕食に舌づつみをうち食後のホットミルクを飲んでいた。
暖かい牛乳に蜂蜜の甘い風味が心を満たしてくれる。
「懐かしい味、よく覚えてるよね私が好きだって」
リビングの、テーブルの向かいに座る彼に笑いかける。
「エンジュのコトは全て覚えテいる」
「え、ああ、うん・・・」
さらりと問題発言を言うな・・・。
私はコップをテーブルに置く。
「・・・ねえ、これで良かったと思う?」
「マダ、不安なのカ」
「・・・ごめん」
彼の少し苛立った言い方に何度目かの謝罪をする。
リンゴーン・・・
その時、玄関のベルがなった。
リビングの壁にかけた時計を見ると、もう針は十一時をさし示そうとしていた。
こんな時間に来客なんて珍しい。
私は立てかけた杖を取って玄関へ向かう。
「・・・ねえシラツメ、着いてきてくれる?」
そう言うと、彼は頷いてくれた。
その事に胸をなでおろし、少し軽くなった足取りで玄関へ向かう。
よかった、嫌な想像に揺れてしまって一人で行くに億劫すぎる。
静かな廊下に私の靴音がかすかに反響する。
その時、ふと気がついた。
木々の葉が揺れる音に混じって、なにかの鳴き声がする。
歩きながら耳を澄ませる。
遠くにひびきそうな、しゃがれたような声・・・。
ぶわりと毛穴が開くような感覚がして肌が泡立つ。
これは、カラスの声だ。
しかもひとつじゃない。
夜中にカラスの鳴き声なんてするはずがない。私の知る限り鳥は夜目が効かないはずだし、夜中に鳴いているなんてフクロウくらいだ。どうして今まで気が付かなかったの?
リンゴーン・・・
「!!」
二度目のチャイムに心臓が跳ね上がる。
とたんに足が重くなる。
正直開けたくない。でも開けないと玄関も向こうにいる誰かも去ってくれない・・・と思う。
夜の洋館に外からのカラスの鳴き声なんていくらなんでも気味が悪すぎる。
顔を引き攣らせつつ足を動かしていると、とうとう玄関についてしまった。
リンゴーン・・・
三度目のチャイム。
心臓がどくどくと脈打つ。
何度も深呼吸をして、玄関のノブに手をかける。
大丈夫、大丈夫、大丈夫・・・・。
根拠のない呪文を自分にかけて、ドアノブをゆっくりとひねる。
震える手に力を込めて、玄関を押して外をのぞき込もうとしたその時。
「え」
扉がグイッと開かれた。
扉の向こうに光が漏れ、闇が目に飛び込んでくる。
それだけならまだ良かった。
その闇の中に、黒い誰かが光を浴びて佇んでいた。
「もっと早く出るべきなんじゃないのか?」
黒い影が、カラスのような声でそう言った。
久しぶりの更新です。
かなり詰まってます、次も未定です。