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白詰草の首冠  作者: 輪回道
3/6

白詰草の中庭

頭が痛い。何も見えない。

記憶が浮かんでは消えて、忘れていたことが思い出せそうな感覚と痛みがじわりじわりと強くなる。

今までの記憶が流れるように浮かんでいく。その中の黒いシミのようになって思い出せなかった部分が薄れていくような錯覚。

祖父と、私と、あと一人、あと、一人は。ああ、あと、そうか―――


 

『――キロ、起キろエンジュ』

 

 

  誰かの呼び声を聞き、私は目を見開く。

視界の端に白詰草が咲き乱れ、さっきの顔が薄いオレンジ色の光を背に私を覗き込んでいた。

頭痛の波が引いていくのを感じながら、おぼろげな意識で呟く。

 

「……しら、つ、め………?」

 

彼が、シラツメが私の首筋に顔を埋めた。微かに感じていた心地よい甘い匂いが漂い鼻孔をくすぐる。

 

『……長カった、やっ卜、ヤっとダ、もウ、ヒトリじゃナくなる…』

 

私はシラツメの頭をゆるく撫でながら上半身を起こして見渡す。一面に生える白詰草に、端にがっしりと根付く金木犀きんもくせいの木。四方の茶色のダークブラウンのレンガ造りの壁には白詰草が這っている。カーテンのかかった大きなガラスの窓は中庭の風景を反射していた。

見間違えるはずがない、ここは祖父の住んでいた洋館の中庭だった。

「シラツメ、ちょっと離れて」

シラツメの頭をぽんと叩き、離れるように促す。近くに落ちていた松葉杖を手繰たぐり寄せて立ち上がろうとすると、シラツメが蔓を絡めて助け起こしてくれた。

お礼を言おうとシラツメを見ると、シラツメは俯いていた。

「あ…シラツメ、どうしたの?」

問いかけると、彼は静かに話し始めた。

『……足。足、なくナッタノか』

「ああ、足のこと?うん、ちょっとあってね…」

私は右足の太ももをさすった。その様子を見ていたシラツメはするすると窓に近づくと、大窓を開けて室内にあった椅子を持ってきた。私はお礼を行って椅子に積もっていた埃を払って座る。


 二人の間に沈黙が流れる。二年間以上忘れていた親しい相手に何事もなかったように話せるほど心は強くない。一人気まずさを感じでうつむき、指をからめて手遊びをする。


最初に沈黙を破ったのは彼だった。


『エンジュ』


「…なに?」

 

呼びかけに顔を上げる。


『……イきナリ、さらっテ悪かった…ヤット見つケて…イテもタッテもイラレなかッタ…』

「…………」

『クビ、痛かったダロウ。シルシ、付けたカラ……』

「?……印?」

『シルシ』

「どこに」

『クビに』

「首、に?」

『ソウ、クビに』

「えっとそれはどう言う……」

唐突に告げたれた不穏な言葉に私はじわりと湧き上がるような、変な予感を感じた。携帯を取り出し、電源を入れてカメラを開き、自撮りモードに切り替え、首を写す。すると、そこに映し出された私の首には白詰草が絡まったようなアザがくっきりと浮かび上がっていた。変な汗が吹き出る。

「………何、これ」

『?シルシ』

目を見開いて私をシラツメは不思議そうに見ている。どうやら何故困っているのか解らないらしい。こんな奇妙なアザを見られたら家は呪いだなんだと大騒ぎになるに違いないというのに。しかしシラツメのことだ、単純に問い詰めてまくし立てても理解してもらえないのは分かっている。冷静にならねば…。

 一つ、深呼吸する。

「…ねえ、シラツメ」

『何ダ?』

「この印ってさ、どういうものなの」

私の焦りを抑えた声での問いにシラツメは数秒の沈黙のあと、喋りはじめた。

『……そのシルシは一種の従属契約とイウよウなものダ。この契約ヲしておケバワタシを使役できルシ、お互イにドコにイルか、健康状態トカ色々分カるようにナル』

「へ、へえ便利…でもこのアザはちょっと…母さんとかに見られたら大騒ぎだし…」

『安心シロ、アル程度の霊力のある者にシか視えナイ』

シラツメは平然と即答する。

「はあ、そうなんだ…でも私の同意無しに付けるのは良くないと思うんだよね……」

そう何気なくたしなめると、シラツメは少し黙った。

『……ソウカ、エンジュなら良いと思っテ付ケタんだガ……ダメだったカ…………イヤと言ウことはワタシノことガキライなのカ…?』

私はシラツメの突飛な結論に頭を抱える。何故そうなるのだ。シラツメの予想外の発言は今に始まったことではないが、何と言うか、親や好きな人に嫌われたくない一心で質問攻めにしてくるような、突飛な思考回路持っている子どものような感じなのだ、彼は。

「はぁ……そんなわけ無いでしょ」

だけど、嫌ではない。自惚れでなければこういう質問をする時は私のことを好きでいてくれていると言うことにもなるのだから。そう考えると少々照れくさいところもあるが…。

『!……ソウカ、良かっタ』

私の言葉にシラツメはぱっと明るくなったように声のトーンを上げ、蔓をぱたぱたと動かす。

『トモシゲがイナクなッてからずっと一人ダッタが部屋の掃除も、手入れもズッとシテたんダ。チャンと水やリも、全部してタ』

そう言うとシラツメは私をドール人形のように蔓を絡めて抱え上げて大窓から入って家の中へ連れていき、今までしていたことを喋りながら部屋から部屋へと練り歩いていく。私は突然のことにうおっと変な声を漏らす。落ちないようにシラツメの首に両手を回してしがみつくしかなかった。

真っ白なレースのカーテンが引かれ、手入れされたアンティークのテーブルと椅子が置かれたリビング。鉄のフライパンや調理器具などが綺麗に磨かれた清潔なキッチン。大きな長テーブルに等間隔に置かれた椅子の並ぶ食堂。ほこり一つ無い廊下に照明ランプ。ベッドメイキングをされた客室。黒カビの生えていない綺麗なお風呂場。煤のついていない大きな暖炉にふかふかの紅茶色のソファ、本が敷き詰められた本棚とダマスク柄のカーペットとたくさんのクッションが置かれ、上着や帽子をかけるためのフックと衣装ダンスが置かれた談話室。様々な草花が縄で吊るされ、試験官やビーカー、ビンの置かれた小さな傷の入った大きな机と天井まである大きな薬棚の置かれた作業部屋。いろいろなものを収納している薄暗い地下室。そして、祖父の自室であり書斎である角部屋。何一つ祖父が亡くなったあの時から時間が止まったように色褪せることなく在り続ける姿に、私はいつの間にか頬を濡らして泣いていた。最後の祖父の自室に付いた時、シラツメが祖父の整頓されたベッドに静かに降ろしてくれた。

『エンジュ…泣いテいるノカ』

うつむいた私にシラツメが心配そうに顔を覗きこむ。

「何か、急に涙、出てきちゃって…ホントにごめん………」

溢れでる涙をシャツの袖で拭うが涙が止まらなかった。嗚咽を必死に抑える。そうしている間シラツメはずっと私の名前をぽつりぽつりと呼びながら私の頭を器用に撫でていた。その優しさと頭を撫でる感触に押され、堰を切ったように大粒の涙が溢れる。嗚咽がか細く食いしばった歯の間から漏れる。

 

 


 袖が濡れ、黒いズボンの布に大きな涙の染みを作る。窓辺からオレンジ色の光が部屋を照らす頃、私は落ち着きを取り戻した。目は腫れぼったく、泣き疲れたのか、頭が重い。

 

『落ち着いタカ』

 

シラツメの言葉に、私はぼんやりとした頭でこくりと頷く。頭がうまく回らない。太ももの染みを見つめる。

 

『エンジュ』

 

シラツメの呼びかけに顔を上げる。

 

『ココに住メ。ココでワタシと』

 

私の湿った手に白詰草がゆるく絡まる。

右手の中指にはめた指輪がキラリと光ったような気がした。

 

『エンジュはイツもトモシゲの仕事を手伝イタいと言っテイた、だカら、ココに住めバいイ』

 

「………ここに?」

 

思ったよりも掠れた声が漏れた。

そういえばそうだった。幼い頃に私は祖父の前でいつも目を輝かせ、声を弾ませてそう言っていた。その姿に祖父はいつも困ったような嬉しいような笑みを浮かべて頬を掻いていたっけ。

 

 白詰草の絡まった手を見る。


 今の私にはやりたいことも、仕事もない。いつの間にか周りに流されるように生きていた。友達とくだらないことで笑いあって楽しく過ごしても将来のことはなにも分からなかった。何がしたいのかも、何が向いているのかも。父の勧めで自衛隊に入っても、体育会系の世界では家族には話さなかったが正直苦痛ばかりだった。学生になった頃から将来のことは何ひとつ、自分では決めなかった。幼い頃以外は。


 なら、幼い頃に決めたことをしても良いのではないだろうか。昔自分で決めていたこと。それは逃げかもしれない。祖父と幼い私と、シラツメを言い訳にした、現実からの逃避かもしれない。大好きな祖父の足跡を追いたいだけかも知れない。シラツメの感情につけ込んでいるだけかも知れない。でも。

 

『エンジュ…?』

 

白い花が咲いた蔓が私の頬を撫でる。


「シラツメ……」

 

蔓を指の腹でなぞる。

シラツメとならその中で見つけられるかも知れない。少なくとも、今の何もない私を変えられるような何かを。

 

「一緒に、住んでくれる?」

 

窓の向こうから、カラスの鳴く声が聴こえた。

 

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