悪魔の契約
少年は英雄になりたかった。
ただひたすらに冒険譚に出てくる英雄のような武勲を上げるために一心不乱になって修行に励んだ。そしてその修行は着実に彼を磨き上げていった。
だが、その夢は潰えようとしていた。
月明かりが照らし出す村の広場。風に乗って血の生臭い匂いが立ちこめていた。
そこに七人の野盗達が得物を手に憤怒の形相で少年を威嚇している。彼らは十人の徒党を組んで村に押し寄せたが少年の手によって三人減らされている。一回りも年齢差がある相手にここまでの大立ち回りをする少年の技量もうかがい知れよう。
本来ならその時点で蜘蛛の子を散らしたように逃げ出すのだが、少年の呼吸は荒く、剣を握る手にも余裕はない。剣は先ほどの乱戦で折れて、使い慣れない野盗の剣を握っている。
そしてなによりも右肩と背中には矢が突き刺さっていた。
野盗や野獣といった輩は、手負いの者を相手するときに威勢が良い。少年が険しい表情で痛みと流れる血を止めようとしているのを囲いながらジリジリと近づき、一気にたたみかける挙動をうかがっている。
少年のは旅装束。動きやすいハードレザーの鎧に外套、革のブーツ、篭手には丸盾と依頼で村に訪れた駆け出しの冒険者といった格好をしている。
反対に、野盗達は襲撃を予定したために鎖帷子の上から革鎧を着込み、槍や剣、斧、矢を握りしめている。おそらく昔冒険者だった者たちが、犯罪をしたために都市から追い出された手合いだ。歴戦とまではいかないが、戦い方を知り武器を持つ手にも訓練の冴えが光っていた。多勢に無勢、唯一少年が幸運だったことは彼らの中に魔術師がいなかったことだろう。魔術師がいれば既に決着は付いている。
少年の額から嫌な汗が噴き出る。
彼にはもう後がない。背を向けて逃げれば矢が飛び、たとえ逃げ延びたとしても村が襲われる。自分のような駆け出しの冒険者を村人全員が歓迎してくれたあの顔を思い出すと、彼は決して退かないと心に決める。
一瞬目をつむり、かっと見開くと吠えた。
「はぁああああああ!」
迎え撃つ。彼は吠えて駆け出すと真正面にいた野盗に斬りかかる。
剣戟が月を反射して冴え冴えと光った。そしてパッと火花を散らす。
打ち合いは少年が勝った。握り込んだ剣が相手の剣を押し返すと、鋭く剣を閃かせて突く。だが野盗の反り返った剣では突きが甘い。
背後の気配を感じ取り、少年は突いた反動で駒のように回転しようとするが―――。
肩の痛みによって一瞬遅れる。その遅れに乗じて槍の穂先が脇腹を浅く切る。激痛に唇を噛みしめ、そのまま背後の敵の槍をたたき折り、バックラーを突き立てて槍の敵の喉へと突進。
「ゴホォ」
という肺から呼吸が漏れる音と一緒に喉を潰す。
だが、もはや遅かった。背後からは剣を振り上げた男、真横からは斧を振りかぶる男。体勢が崩れて手負いの少年には対処不可能な状況。
(悔しい)
少年の心にわき上がる感情。
(僕にもっと力があれば。もっと力があれば守れたのに)
―――ならば契約をしろ。
えっ? と少年は緩慢に動く自分の死を見ながら不意に訪れた声に驚いた。
それは声だけではなく黒い稲光のように何かが少年と野盗達の間に入り込み、硬質な音を立てて剣と斧を防ぎきった。
少年とは背中合わせ。そして少年よりも頭二つ分ほど巨大な生き物が、素手で剣と斧を防いでいた。
その生き物を見て野盗達は恐怖の顔に染まる。
そしてニヤリと笑い。
「人間、お前の望みを叶えてやる。代償として命を差し出せ。断ればお前ごとすべてを殺し尽くす」
悪魔が囁いた。
(ああ、もはや僕は神にも見放されたか)
少年はその悪魔の囁きを聞き心の中で絶望した。
(しかし、この命を捧げれば村が助かるというなら―――)
少年の心は決まっていた。
たとえその身が地獄に行こうとも、自らの命で村が救えるならと。
「この命好きに使ってくれ。だけど力を貸してほしい」
「承知した」
その言葉とともに地獄の使者が颶風となって戦場を駆けた。
物語的に言えば女冒険者のほうが良かったのではないかと後悔にさいなまれています。