プロローグ① 地獄の兵士
戦場というのは地獄だ、なんて比喩がある。そんな風にうそぶく奴は何も分かっちゃいない。確かに銃弾と砲撃、血と肉が飛び散るあそこはこの世の地獄のように見えるだろう。無慈悲な死神が鎌を片手に兵士背後に忍び寄る光景はおなじみだ。気を抜かなくたって死神は微笑んで鎌を振るう。
だが、あそこにはすべてが詰まっている。
生と死――。これこそが生命の始まりと終わりであり、その過程を目まぐるしい勢いで見せつけられる場所。それが戦場だ。
裏切りや諍い、麻薬、無茶な命令、あり得ない作戦、戦友や尊敬する上司。この世のすべてが戦場では煮詰まっている。ざぶりと煮え湯につかれば魂共々死ぬ。
そこで鼻歌交じりに戦場を闊歩できるようになればたちまち狂気にとりつかれた屈強な兵士のいっちょできあがり。無表情で敵の眉間へ銃弾をたたき込めるようになればたちまち殺戮機械へと換装。
そう、戦場というのは人間を別の生命へと進化させる『通過儀礼』。それに脱落した者は命か精神を犯されて散る。心が弱ければ発狂、肉体が弱ければ死、生き残る知性がなければ挽肉、運がなければ骸、救出する戦友がいなければ生け贄。
人間の、いや生命の強さっていうのをそこでふるいにかけられる。
俺はそんな中で生きてきた。
突撃銃片手に、砲弾が飛び交い悲鳴がうなる戦場で、敵をぶっ殺してきた。一つずつ着実に温かったり、過激だったりする『通過儀礼』を越えて生き残っていくウチに体も頭もそれに慣れ、ただひたすら敵を殺す殺戮機械へと変貌していった。
ゲリラの拠点だとされる山村を襲撃して、年端もいかない少年少女の脳みそを破裂させるのを表情一つ変えないでしている自分を見て、笑えるぐらいにはちょうどよく狂ってきた。
これも『通過儀礼』。俺の中の歯車がカチカチと鳴りながら引き金を引く。鋼と火薬が詰まった肉の機械だ。
「軍曹、生まれ変わったら何になりたいですか?」
ゲリラの村を一掃した後、帰還するトラックの中で隣の新米が震える手で聖書を握りながら俺にそう尋ねた。敬虔なプロテスタントと言っていた彼には手の中の紙切れが精神をこの世界につなぎ止める一つのものなのだろう。ただ、キリスト教は仏教のように輪廻転生をうたってはいない。彼らは死後、神の世界、天国に行くのだ。運が良ければの話だが。
「生まれ変わりも何も、死んだらそこで終わりだ」
そのカチカチと顎を鳴らしている新米にそう答えると、彼は取り繕うように笑った。こいつが向かう先は、おそらく麻薬かカウンセラー、あと一番の安らぎは死でしかない。
「もしもの話ですよ」
壊れた笑み。目の前の新米は、自分が死ねば地獄に行くと思っているのがわかった。だから生まれ変わりなのだ。もはや死ぬことですら安心できないプロテスタントほど悲しいものはない。死ねば終わり、そう考える方が楽だというのに彼は自分をわざわざ地獄にたたき落とすようなことをしている。
慈悲、というわけではないが、俺の中で彼の話に付き合ってやろうという心が芽生えた。トラックが到着するたった二時間ばかり。その中で話しを合わせてやってもいい。俺がカウンセラーのまねごととは驚くが、貴重な戦力が壊れないようにするのも俺の軍曹としての役目だ。
俺は考える。幸せな来世って奴をだ。どこかの農場で、可愛い嫁さんと子供と一緒にカウボーイのまねごとをするのもいい。あるいは、金融街で高級スーツに身を固めて契約書という弾丸で敵を打ち倒すのもありだ。
だが――。
「きっと俺は生まれ変われもせずに地獄の番人でもしているな」
俺の口から出たのはそんな言葉だった。
『通過儀礼』を済ませてしまった俺はもはや人間ではない。人並みの幸福など夢に見る方が間違っている。どこまで行っても俺は人殺し、いや人食いの悪魔だ。そんな奴が生まれ変わってすべての罪が許されるはずもない。地獄の釜で永遠に煮詰められる罪人か、それを殺し続ける地獄の番人がいいところだろう。
戦場を地獄だと温い言葉で終わらせるような奴らの真似をするのも酌だが、俺はきっと死んだとしても地獄をかけずり回っている。地獄の兵士、それぐらいしか俺のちっぽけな脳みそでは答えがでない。むしろ、それが俺を癒やすたった一つの手段なのだろう。死を振りまき、人を喰らい続け、罪悪を他人に押しつける兵士。自分の命が散るその瞬間まで喰らい続けなければ俺は地獄に押し潰される。軍の上層部の『通過儀礼』によって作り替えられた殺戮機械。それが俺だ。
俺の言葉に新米はクシャリと顔を歪ませる。求めていた回答、もっと夢があって現実を逃避させるような答えではなく、心底俺が冷め切った人間だと彼も気がついたのだろう。救われずに迷う子羊みたいな泣き顔で彼は続ける。
「軍曹、僕は―――」
その瞬間、彼の泣き顔が爆ぜた。真っ赤な血と灰色の脳みそをぶちまけてあっけなく死んだ。そして、さらにトラックが銃撃を受ける。怒号のような悲鳴が上がり、戦友達が銃を片手にするがそれも銃弾の嵐によって爆ぜる。
奇襲を受けたのだ。俺は新米が言おうとした何かを永遠に失って、トラックの床に這いつくばった。締め付けるシートがうっとうしくて外し、手に持っていた銃を引き寄せる。
怒号は運転席からも聞こえる。
が、銃弾の連射でそれも止み、トラックが大きく横転する。制御を失ったトラックが道を踏み外し轍に落ちたのだ。村を虐殺するという作戦の隠密上、民間トラックに偽装したのがあだとなった。紙切れのような装甲は銃弾を易々と通し、巨大な棺桶のようになって俺たちを閉じ込める。横転した弾みに何人かが頭を打って気を失い、多くが血を流す阿鼻叫喚。俺は奇跡的に何とか軽傷ですみ、銃を片手にトラックの後ろから外の様子を見ると―――。
RPG弾が地獄の番犬のように火を噴いて俺に向かっていた。
ガシャンと手に持っていた銃が落ちた。
俺は自然と目をつむり祈っていた。
新米が言った幸福な生まれ変わりを願うためではない。それは俺のお似合いの願い。
この世は地獄だ。死も生も等しく神から与えられ、その間を踊り狂う地獄。
ならもっと地獄をよこせ。
俺が一人残らず殺し尽くしてやる。俺をここまで変えた奴らも、俺と一緒に死んでいった奴らも、俺が殺した奴らも、俺自身でさえ。
すべてもう一度地獄で殺してやる。
だからもう一度俺に地獄を寄越せ。
俺はそんなクソみたいな願いを笑顔で祈り、爆ぜ―――。
「汝の願い、確かに聞いた」
と、自分の体が吹き飛んだ後に声が聞こえた。