表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

第三章 営業部、水巻の策略

 学校が終わり、いつものように五十嵐の家に到着した小夜莉と杏子は、まるで客人を案内する主人のようなミケに続き、システムルームの障子を開いた。

「おー、おまえら遅かったな」

「おじいさんのお手伝いをするから剣道部を休んでるけど、たまには顔を出しておこうと思ってね。それより秋人たちは何してるの?」

 五十嵐の隣の席に座った秋人と拓哉は、モニターに羅列された文字を眺めながら、難しい表情でキーボードを叩いていた。

「おじいさんからプログラミングを教わってるんだ。少しでも手伝う事が出来れば、完成も早くなるかと思ってね」

 拓哉は画面を切り替えると、完成したばかりのシステムを表示させた。

「その人のレベルにあったプログラムを自動的に選択して、クエストを段階的に発生させていけるようにしたんだ。歩く事を主にした情報収集クエストや、走る事を主にしたモンスター狩猟クエストとかね、無理なく自然に物語が進められるよう制御して、うまく誘導してくれるシステムなんだ」

「うわー、すごいね。さすが拓哉くん! 秋人くんは何を作ってるの?」

 関心する小夜莉と杏子は、期待を込めて秋人のモニターを見つめたが、そこには期待はずれの映像が映し出されている。

「おう! 見てみろよあんこ! 俺が作った隠しボス、ウルティメットデストロイヤードラグーンだ! 結構やばそうだろ? ライフなんて五万もあるんだぜ!」

「な……なにそれ……」

 秋人のモニターには九つの尾と六本の足を生やした、炎と氷で出来た二つの頭を持つ巨大なドラゴンらしきモンスターが表示されていた。

 ステータスはゲージいっぱいまで引き上げられ、攻撃力や防御力はラスボスの三倍以上という、化物のような数値を持ったモンスターとなっている。

「そんなの実装したら大変だよ、まさしくバランスブレイカーだね」

「そうじゃ秋人、倒せないようなボスは作るんじゃない。あとでちゃんと消しておくんじゃぞ」

「ちぇっ、おもしろいと思ったのになぁ。まぁいいや、次はスキルでも作るか、俺専用の! イナズマシュート改とかどうだ!?」

 秋人は残念そうに画面を切り替えると、今度は作成途中のスキルを自慢げに見せつけた。

 そこには稲妻と炎が迸る、稲妻シュート改用のエフェクトが表示されていたが、もう誰も、モニターを見ようとするものはいなかった。

「もう! ちゃんとおじいさんの為に頑張ってよね。それより今日はインしないの?」

「もちろん行くに決まってんだろ! 今日はプレアデールの塔を攻略だぜ!」

 秋人は勢いよく椅子から立ち上がると、さっそくベットに横たわり、慣れた様子で目を瞑る。

「お前らも早く来いよー! さあ、ゲームの始まりだ!」


 駅前の喫茶店、やすらぎ。いつもの席に座った水巻は社長との電話を終えたところだった。

 五十嵐のシステムを求めて早一ヶ月。報告を聞いた岩城は、現状を憂い水巻を激しく叱責していた。

「なんてことだ……早く交渉を纏めないと、製作部に入るチャンスどころか、会社にもいられなくなってしまう!」

 岩城からの提示された猶予は残り三日。契約金増し増し作戦も、高級お土産持参作戦も上手く行かなかった水巻は、泣き落とし作戦や、慈善事業作戦も実行したが、ことごとく交渉は失敗の一途を辿っていた。

 水巻は震えた手でエスプレッソに大量の砂糖を入れると、スプーンをカップの中に突き刺し、そのまま一気に飲み干した。

「今日で……ケリをつけなければ!」

 カップを皿に置いた水巻は、急いで会計を済ませると、勇み足で自動ドアのセンサーを睨みつけ、颯爽とやすらぎを後にした。

「マスターぁ、この席だけ砂糖の減りが半端ないんですけど……」

 ウェイトレスの美紀は、溶けきっていない砂糖が入ったカップを下げると、マスターに目をやり不満そうにぼやいている。

「まあまあ美紀ちゃん、その人お得意さまだから――あ、いらっしゃいませー」

 マスターは少し困った様子で美紀を諭すと、新しく来店した客に笑顔を向ける。

「別に、店長が良いって言うのなら、私は構わないんですけど……」

 美紀は仕方なくシュガーポットに砂糖を補充すると、もう来るなとばかりに、空席に向けて顔をしかめて舌を出していた。

 五十嵐宅に到着した水巻は、さっそくペンと契約書を握り締め、鼻息を鳴らしながらインターフォンを押した。

「絶対に決めてやる、今までは大人しくしていたが、僕が本気を出せばどうなるか、思いしらせてやる!」

 水巻が何度もインターフォンを鳴らすので、秋人がうんざりした様子で空を見上げた。

『おーいじじい、ピンポン鳴ってるぞー。イベントは静かに見たいんだけどー』

 プレアデールの塔へと到着した一行は、妖精の力で扉の呪いを解くというイベントを迎えていた。

 風妖精エメラルダと花妖精エスメラルダの感動的な合成魔法の演出シーンも、空から聞こえる現実的な音により、台無しとなってしまっている。

「ワシもイベントがちゃんと進行してるか気になるんじゃ! まったく、こんな大事な時に誰じゃ!」

 五十嵐は画面から目を離すと、乱暴に障子を開き、足音を荒げながら玄関へと向かった。

「ニャー」

 システムルームと書かれた和紙が揺れ、ミケはその紙を眺めながら扉を招いて遊んでいる。

『ミケー、絶対にキーボードの上は歩くなよー』

『秋人、だめだよ、ミケフラグ立てちゃ』

 冗談交じりに拓哉が言うと、秋人は慌てて叫びなおした。

『ミケ! 今のはなんでもないんだ! スルーしてくれ! あとでかつおぶしやるから!』

「ニャーニャー」

 揺れる紙を見つめていたミケだったが、かつおぶしという言葉に反応すると、机の上に飛び乗り、秋人の言葉を回収しようとばかりに、力強くエンターキーを踏みつけた。

「ミケめ、やりやがったな……」

 その瞬間、プレアデールの塔が大きく揺れた。

 まるで巨大な隕石が落ちてきたかのように、めきめきと音を響かせ、塔の内部を騒然とさせる。

『うぅ、こわいよー!』

 杏子が怯えながら叫んだが、しばらく塔が揺れただけで、その後は何の反応も無く、すぐに静けさを取り戻していった。

『うん? なんだ、何も起こらないのか?』

 揺れに気を取られている間にイベントは終わってしまい、扉の呪いを解いた妖精たちは、いつのまにか去っていた。

 秋人は最後までイベントが見れずに残念そうにすると、今度は五十嵐が怒声を上げた。

「二度と来るなと言っておるがこのバカモンが! さっさと帰れ帰れ!」

『じじいは何怒ってるんだ?』

『さあ?』

 行きと同じように乱暴に足音を響かせながら戻った五十嵐は、不機嫌そうに席につき、イベント終了のテキストを眺めながら呟いた。

「まったく、あのバカモンのせいでイベントを見れんかったじゃないか」

『おじいさん、どうかしたんですか?』

「なぁに、ワシのシステムを欲しがるうずまき眉毛がしつこくてな。じゃがもう追い出したから、これでゆっくりと専念出来るぞ」

『なあじじい、さっきミケがキー踏んだんだけど。何か変化はないか? 塔がスッゲー揺れたんだ』

「塔が? ふむ……うっ、なんじゃコレは」

 五十嵐がゲームの様子を確認すると、秋人の作ったアルティメットデストロイヤードラグーンが、塔の頂上に鎮座していた。

「お前の作ったモンスターが塔の上に落ちておる。さっさと消せと言ったじゃろうが、まったく」

『げ、まじかよ! もしかして実装されたのか!?』

「安心しろ、A・Iを組んでおらんから、ただのオブジェクト扱いじゃ」

『ほっ……それなら安心だ。まあいいや、先に進もうぜ――って扉が開かねぇ』

 秋人は呪いの解かれた扉を引いたが、扉は僅かに動くだけで、人が一人入れるかどうかという状態に陥っていた。

「うーむ、重いものが落ちたせいで、扉が歪んでしまったようじゃな。隙間から入れるか?」

『なんとか……押し込めば……くっ、はいれ……たっ!』

 無理矢理体をねじ込んだ秋人は、体を起こしながら塔の内部を見上げた。

 螺旋に伸びる回廊の先には、橋のような細い通路がいくつも重なり、上空では浮遊系のモンスターの影が見え隠れする。

 規則正しく並んだ大理石の壁は立体的な造詣を生み、各所に点在する石碑には、謎を解く鍵となりそうなロジックが刻まれている。

『太古の昔、悪魔によって捕えられた天使がクリスタルに封印された。天使の加護を失った土地は、長い間闇に包まれ――』

 拓哉は町の者から得た情報を語ろうとしたが、後方から聴こえる杏子の叫び声に遮られてしまう。

『うわぁぁぁん、たすけてこよちゃぁん。胸が引っ掛かって動けないよぉぉ』

 杏子は扉の隙間に胸を挟まれ、身動きの取れないまま、涙を浮かべて、両手をばたばたとさせている。

『まったく、しょうがないわねぇ……』

 小夜莉は面倒そうにため息をつくと、杏子の両手を掴み、扉から抜こうと強く引っ張った。

『いやー、だめだよー、ちぎれちゃうよー!』

『まったく、にくたらしい胸ね! いっそのことちぎれてしまえ!』

 小夜莉は更に力を込めて杏子を引っ張ると、二人は勢いのまま地面に倒れてしまった。

『あううぅ……あれ? こよちゃん大丈夫?』

 杏子が顔を上げると、小夜莉は杏子の胸に押しつぶされ、苦しそうにもがいていた。

『もご、もごっ…………ぷはっ! 何するのよあんこ! 苦しいじゃない!』

『ご、ごめんねこよちゃん』

『ええい、あんこめ! 悪いのはこの胸か! この胸なのか! 私によこせー!』

『きゃはは、こよちゃんくすぐったいよぉ、揉んじゃやだぁ、これはあんずこのですぅ!』

 ごろごろと転がりながら戯れる二人を、秋人と拓哉は呆然と眺めていた。

『お前ら本当に仲いいなー。なあ拓哉、こういうのって何ていうんだっけ? 菊じゃなくて、梅じゃなくて……』

『確か……百合じゃない?』

『そうそう百合だ! なあ、お前ら百合ってやつなのか?』

 秋人は言葉の意味も分かっていない様子で、悪びれることもなく小夜莉に訊く。

『だぁぁぁぁれが百合じゃぁぁぁー!』

 そしてすぐに、小夜莉の頭上で警告灯が回り、小夜莉の連続攻撃が、あっという間に秋人のライフを奪ってしまった。

 小夜莉の手によって叩きのめされた秋人は、よろよろになって立ち上がると、拓哉の腕に捕まり、ゆっくりと顔を上げた。

『……うぶっ……な、なぁ拓哉……俺、ぢゃんど鼻どが口づいでるがな……ごほっ』

『ついてるよ。まあギリギリのラインだけどね』

『そ……そうか、今日ば……ぶほっ、扉の呪いも……解けだごとだじ……ごの辺にじどぐが』

 秋人は膨れ上がった顔をさすると、両目を瞑って現実世界にいる五十嵐に向かって言った。

『じじい、プレミアムのBゼッド、よろじぐ』

 五十嵐は天井のカメラを仰ぐと、呆れた様子で呟いた。

「なんじゃ、もうギブアップか」


 夕暮れ時、バス停のベンチに座った水巻は、携帯を握り締めたままうな垂れていた。

 現状を社長に報告する事も出来ず、家にも会社にも戻れない水巻は、ふつふつと沸いてくる怒りを堪えきれずに、歯をぎりぎりと鳴らして拳を握り締めた。

 どうして上手く行かないのだろう。こんなに憎しみが生まれたのはあの時以来だろうか。


 水巻は幼い頃から親の言いなりだった。弁護士の父と、大学講師の母との間に生まれた水巻は、両親の言葉が全てだった。

 通うべき学校は最初から決められており、食事や服なども選んだ事は無い。将来は父と同じ弁護士になるのが当たり前だと思っていた。それが普通なのだと思っていた。

 そんなある日、水巻は一本のゲームに出会うことになる。友人の家で遊んだそれは、一昔前に流行った、誰もが飽きてしまった携帯型のゲームだった。

 友人は楽しそうに遊ぶ水巻にゲームを貸すと、水巻はそれを持ち帰り、毎日のように遊んでいた。親には禁止されていたので、いつも引き出しの奥に隠しておき、時間を決めて寝る前に少し遊ぶようにしていた。

 これが原因で成績が下がる事はあってはならないと、勉学は疎かにせず、親の言いつけにもいつも以上に守るようにした。

 だが、ある日。水巻の隠していたゲームは見つかり。両親からひどく怒られてしまう。そしてゲームは壊され、友人とはもう、遊ばないようにと新しいルールが作られた。

 なぜやりたいことはさせてくれず、やりたくないことを強要するのか。水巻に一つの疑問が生まれ、それは次第に膨れ上がっていく。

 小中高と順調に進み、大学を卒業する頃。水巻は両親に対し、自分の思いをぶつけた。



「くそ! こうなったのも全部あのジジイのせいだ! 後二日しかないっていうのに…………いや、まてよ……交渉が無理だとしても、システムを手に入れることが出来れば或いは……そうだよ、欲しいのはシステムだけで、ジジイなんてどうでもいいんじゃないか! ヒヒヒ、なんだそうだよ、最初からそうすればよかった。ボクはなんて馬鹿なんだ」

 水巻は不気味な笑みを浮かべると、指を一本いっぽん折って数えながら考えを巡らせた。

「そうと決まればさっそく作業に移ろう。フフフ、全て根こそぎ奪ってやる。クソジジイめ、覚悟していろよ」


 その日の夜、自宅へと帰った秋人は、妹の葉月の頭を撫でながら、嬉しそうに声を上げた。

「うひょー、今日は唐揚げじゃん! へへ、いただきまーす」

「お兄ちゃん、ダメだよちゃんと手を洗わなきゃ」

「へいへい、洗ってきますよーだ」

 秋人は渋々伸ばした手を引っ込めると、母が頬を指差して聞いた。

「なんだいあんた、口にソースみたいなのがついてるよ。買い食いでもしたのかい?」

「ん、ああ、プレミアム食ってきた」

 母は冷蔵庫からサラダの入ったボウルを取り出しながら、呆れてため息をついた。

「最近晩御飯が進まないと思ったら、そんなの食べてたのかい。ついこの間小遣いやったのに、無駄遣いするんじゃないよ」

「いや、じじいん家で食べてるからタダなんだ」

「近所のおじいさんの家を手伝ってるとは聞いてたけど、あんまりご迷惑掛けちゃだめよ。それにご飯までご馳走になるだなんて……今度挨拶に行こうかしら?」

「いいっていいって、じじいもそれでいいって言ってんだからさ」

 秋人は早々と洗面所で手を洗うと、急いで席に着き、唐揚げをほおばり始めた。

「お兄ちゃん、ご飯食べてきたのによく食べれるね。おなかいっぱいにならない?」

 秋人は口いっぱいの唐揚げを飲み込むと、次の唐揚げに手をつけた。

「葉月、よーく覚えとけ。来來館のプレミアムセットと唐揚げは別腹なんだ。だからこの唐揚げも全部食える!」

「えー、葉月の分は食べちゃだめだよー」

 葉月が困ったように眉をひそめると、秋人は父の席に目をやった。

「あれ、父ちゃんまだ帰ってないの?」

「今日は遅くなるんだって。そういえば父さんが言ってたけど、もうすぐボーナスが出るから欲しい物があったら買ってあげるって言ってたわよ。でも、あんまり高い物はダメよ?」

「おー、ほしい物か……そうだなぁ……」

 秋人は箸を咥えたまま、欲しい物リストを頭の中で浮かべた。

 まず最初に浮かんだのは新しい自転車だった。

 今乗っている自転車はもうボロボロになり、変速機も壊れていたので新しい自転車が欲しいと考えた。

 しかしクラスの荒田が近々買い換えるそうで、使わなくなった物をくれると言ったのを思い出し、早々に自転車はリストから外すことにした。

 次に浮かんだのはお洒落な洋服だった。

 グラフィックプリントされた赤いパーカー、大きめボタンの半袖ニット。拓哉からまるまる聞いた言葉をそのまま思い出したが、親に色気づいたと思われるのも気恥ずかしいので、これもリストから外した。

「なんだい、欲しい物は無いのかい?」

 母の言葉も聞こえない様子で、秋人は他に何か無いかと考えを巡らせた。

 目立った新作ソフトの発売も無し。来來館十一枚綴りプレミアムお食事券も不要。ちょっとエッチなグラビアモデルの円盤と言える訳も無く、秋人は欲しい物が中々出てこなかった。

「うーん……うーん……あ、そうだ!」

 悩んでいた秋人だったが、ふと、ホームセンターでの出来事を思い出した。

「チェーンソー、うん。チェーンソーが欲しい!」

 チェーンソーさえあれば、攻撃力が格段に上がり、ゲーム攻略も容易になると考えたが、母と葉月は心底驚いた様子で秋人の顔を見つめていた。

「あんたまさか! この前見たホラー映画に影響されたんじゃないでしょうね! やっぱり子供に十二日の木曜日なんて見せるんじゃなかった!」

「うぇぇん、お兄ちゃんが変になっちゃったよー!」

「ちょ、違うって! 俺はただ、あれがあれば攻撃力が上がると思って――」

「攻撃だって!? そういえば昨日も台所で包丁を眺めてたし、あんた一体何考えてるの!」

「わぁぁぁん! お兄ちゃんがおかしくなっちゃったよぉぉ」

「違うって! 誤解だ!」

 その後、チェーンソーを欲しがる理由についてはかなりの時間を費やしたが、五十嵐宅で木々の伐採に使いたいという説明で、なんとか母を納得させることが出来た。

 勿論チェーンソーは却下されたが、棚から新品の軍手を出した母は「しっかり手伝ってきなさい」と言って、秋人に手渡した。

 結局欲しい物は見つからず、手に入ったのは軍手だけとなってしまったが、秋人はほっと胸を撫で下ろした。


 翌日の日曜日、休みだというのに朝から出かけようとしている兄を見つけた葉月は、どこか不安そうに声を掛けた。

「お兄ちゃん……朝からどこいくの?」

「ん? 葉月か、ちょっとじじいのトコ行ってくるわ」

 葉月は少し長い上着の袖を握りながら、心配そうに近付いた。

「葉月も……行ってもいい?」

「えっ、いや……それはちょっと、無理かな」

「どうして? 葉月もお兄ちゃんと一緒にお手伝いするよ?」

「ごめんな葉月、子供にはちょっと大変な作業なんだ、だから家で大人しく――」

「やだ! 葉月もするっ!」

 兄に詰め寄った葉月は、どんぐりを口いっぱいに詰めたリスのように頬を膨らませ、大きな瞳をぱちぱちさせながら訴えかけた。

「困ったな……マジでついてくる気か? うーん、仕方ないな……」

「本当お兄たん!? 葉月お出かけの準備してくる!」

「たんって……嬉しすぎて噛んじゃってるじゃん。まぁいいや、早く準備しろよー」

 まるで遠足に行くかのように喜んだ葉月は、急いで部屋に戻ると色々な物をリュックに詰め込んだ。

 兄と出かけるは久しぶりの事だった。


 秋人は葉月がUFOの世界に入っても大丈夫なように、装備を探しにビッグアミーゴへ訪れていた。

 すると売り場の片隅では、難しい表情を浮かべてショーケースの中を覗き込む小夜莉がいた。 

「あれ、小夜莉じゃん、お前も買い出しか?」

「あ、秋人と――葉月ちゃん?」

「こんにちはこよりお姉ちゃん」

「こんにちは。葉月ちゃん」

 葉月は秋人と手を繋いだまま、片手を振って笑顔を浮かべていた。小夜莉と葉月も幼い頃から知る親しい仲だった。

「葉月がどうしてもついてくるって言ってさ、仕方ないからアミーゴで装備でも買ってこうと思ったんだよ」

「装備って……まさか一緒にインするつもり?」

「まぁなー、ただ座ってるだけもつまらないだろうし、プレイヤーが増えてじじいも喜ぶんじゃね?」

「うーん、でも私たちレベル十五だよ? 今日は塔攻略だし、大丈夫かなぁ?」

「大丈夫大丈夫、俺が守るから安心しろって。それより小夜莉は何してるんだ?」

 秋人がショーケースに視線を移すと、そこには鋭く鍛錬された日本刀がいくつも並んでいた。

「うおっ、お前まさか買うの? って百万!? たっけ!」

「ばーか。買えるわけ無いでしょ、たまたま見つけて眺めてただけよ」

「日本刀かぁ、確かにこれは最強クラスの武器だろうなー。でもお前ん家にも日本刀あるよな。師匠は師範なんだし」

「私も時々、練習で扱うよ。来年は試験も受けるつもりだしね」

「へー、すげぇな。お前ならあっというまに師匠クラスになりそうだ。頑張れよ!」

 まるで人事のように言う秋人に、小夜莉は悲しそうな表情を浮かべた。

「秋人だってずっと剣術やってたじゃない。どうして……急に道場に来なくなっちゃったの? 理由も教えてくれないしさ……」

 小夜莉はずっと気になっていたことを思わず口にしてしまった。

 小さい頃からずっと一緒に習っていた剣術。二人は幼いながらも腕を競い合い、良きライバルとして、日々その腕を磨いていた。

 だがある日、突然秋人は剣術を辞め、道場から去ってしまった。

 小夜莉が理由を聞いてもはぐらかすばかりで、道場に戻るように言っても秋人は小夜莉から距離を置くだけだった。

 それ以来、小夜莉が追い、秋人が逃げるという習慣がつき、何かと理由を付けては、秋人を追い回すような日が続いていた。

「剣術……嫌いになっちゃったの?」

 小夜莉は視線を落とし、暗い表情を浮かべていた。秋人が剣術を辞めた理由は未だに判らず、何が原因なのか、小夜莉には検討もつかなかった。

 最初はサボっているだけだと怒っていた小夜莉だったが、秋人が二度と道場に戻ってこないのが分かると、敢えて明るく振舞い秋人と接するようにしていた。月日が経ち、中学生となった二人は、学校以外では顔を合わせる事も少ない。

 あれこれ理由をつけて秋人を追う小夜莉だったが、今では杏子という友人も出来、ひょんなことから一緒にゲームへ誘われるようにもなっていた。

 秋人はいつも明るく楽しそうで、小夜莉に対してもそれが変わることは無かった。だからこそ、どんな理由があるのか、ずっと胸の奥で引っ掛かっていた。

「いや……なんていうか……その」

「理由があるなら……教えて欲しい。私、今でも秋人と一緒に剣術をしたいって思ってるよ」

 小夜莉は不安を頂きながらも顔を上げ、しっかりとした表情で秋人を見つめた。

「あーもう、分かった言うよ! 言えばいいんだろ! なんていうかその……前にさ、師匠から言われたんだ。俺とお前は腕もいいし見込みもある、ライバルとして技術を磨くのもいいが、いずれはどちらかが跡を継がなければならないって……」

「そっか……時々思うことはあるんだ。跡継ぎは二人もいらない。強い方が御月流を受け継ぐのは当然だよね……」

 秋人は小夜莉から視線を逸らすと、なぜか少し恥ずかしそうに言葉を繋げた。

「それで師匠は……俺がお前を嫁に迎えてくれれば、そんな心配はしなくてもいいって……」

「そうだよね……私がお嫁に行けば何の問題も――ええっ!? ヨメってあのヨメ!? 読め! 夜目? よめっ!!」

「どのヨメだよ……」

 秋人が指で頬を掻くと、小夜莉は目を泳がせて顔を赤くした。

「お父さんってばそんな事言ったの!? まだそんな年でも無いのに、けけけけ結婚だなんて!」

「だ、だから俺も行き辛くなっちまったんだよ、御月流を継ぐはお前の夢だったし、俺が継ぐとか、嫁を貰うとか……お前もそういうの嫌だろうしさ」

「べ、別に嫌とか、そういう訳じゃ……秋人がいたって私は立派に御月流を継ぐし、そんなの普通だし、ヨメの件はそのうち考え――って、な、なんでもないわよっ!」

 小夜莉が首をひねってそっぽを向くと、葉月が不安そうに秋人に訊いた。

「二人ともけんかしてるの? だめだよけんかしちゃ」

 葉月は潤んだ瞳を互いに向けると、小夜莉の手をぎゅっと握った。

「違うんだ葉月、別に喧嘩とかそんなんじゃなくて……」

「じゃあなんで二人とも顔を見て話さないの? ねえ、こよりお姉ちゃん。お兄ちゃんのこと、キライなの……?」

「あ、あのね葉月ちゃん。べ、別にそういうことじゃなくて、なんていうかその――」

「お兄ちゃん、こよりお姉ちゃんのことキライ?」

「え……そ、それは、その……」

「キライなんだ……?」

「あーったく、わかったよ! もちろん好きだ。お兄ちゃんは葉月の事が大好きなように、小夜莉の事も好きだよ!」

 小夜莉は思わずびくりと肩を跳ねさせ、それを聞いた葉月は花が咲いたように笑った。

「えへへ、よかった」

 秋人が穏やかな表情で葉月を見つめると、小夜莉も葉月に向けて優しく微笑みかけた。

 秋人と小夜莉の様子を見た葉月は、満足したように笑みを浮かべると、二人の手を握り締め、仲良くおもちゃ売り場へと向かっていった。

 葉月はお年玉の残りで『マジカルアラモード・キューティーささみん』の変身セットを購入すると、秋人と小夜莉は新しい仲間を引き連れて、五十嵐の家へと向かっていった。


 駅前の喫茶店、やすらぎ。

 もう午後になろうというのに、朝の七時からずっと居座る水巻は、細い眉毛をうずまき状に丸めながら、本日七杯目のエスプレッソを注文した。

「ダブルで。あ、砂糖がもう無いんだ、一緒に持ってきてくれる? お姉さん。ヒヒヒ」

 目に隈を浮かべて不気味に笑った水巻は、店の迷惑も顧みず、延長コードで繋いだ三台のノートパソコンを並べて作業をしていた。

「ヒヒ、これは僕の最高傑作になるぞ。早く完成させて社長の元へシステムを届けなきゃ。クフフフ、楽しみだ。ああ、本当に楽しみだ」

 カウンター越しにオーダーを通した美紀は、水巻きを注視しながら心配そうに訊いた。

「マスター、いいんですか? あの人、朝からずっとお店にいますよ」

「うーん、あの人ここ最近ずっと来てくれるしなぁ……朝から注文はしてくれてるし。もう少しそのままにしておこうか」

「絶対変な人ですって、またシュガーポット空ですよ? 思い切って入店拒否にした方がいいと思うんですけど……」

「まあまあ美紀ちゃん。ここは穏便に、ねっ」

 やすらぎのマスターは、エスプレッソを注いだカップを美紀に渡すと、両手を合わせて頼み込んだ。

「まあ……マスターがいいって言うなら、私は別にいいんですけど……」

 渋々頷いた美紀は、新しいシュガーポットをトレーに乗せ、営業用のスマイルを浮かべながら水巻の席へエスプレッソを運んだ。

「お待たせ致しましたお客様、エスプレッソでござ――」

「フヒヒ、ありがとうお姉さん。今ボクの脳は絶好調なんだ。だからブドウ糖をたくさん補給しないといけないんだ。ヒヒヒ」

 さっそくシュガーポットの蓋を開いた水巻は、砂糖を鷲づかみにすると、これでもかとばかりにカップの中へ放り込んだ。

「ひぃぃぃぃぃ!」

 あまりの勢いに驚いた美紀は、背筋を凍らせながらトレーを盾のようにに構えると、高速の後退りでその場から逃げ出した。

「フフフ、もう少し……もう少しだ……あとはオリジナルのOSを組み込めば……これで!」

 水巻は完成したデータを見つめて恍惚の表情を浮かべると、エスプレッソを一気に飲み干し、カップの底に溜まった砂糖を舐めて、美紀に向かって不気味な笑みを浮かべた。

「ベリィデリシャス」

「マスタぁぁぁぁ。なんかコッチ見てるんですけどぉぉ!」

「見てるねぇ……うーん、やっぱり変な人かもしれない……」



 屋敷に到着した秋人たちは、五十嵐が用意した日曜日限定のプレミアムセット(ゼット)を食べると。さっそく葉月をUFOの世界へ案内した。

 プレアデールの塔での目的は、封印された天使を開放し、再びこの土地に加護を与えるという内容だった。

 塔は十階層からなる巨大な建造物で、いくつもの仕掛けを解除し上層へと向かわなければならなかった。

 塔には天使を封印した悪魔が住み着き、魔気に集まった魔物の巣窟と化している。攻略推奨レベルは十七。現在の秋人たちにとっても、レベル的には丁度良い攻略マップとなっていた。

「よっしゃ、行くぜ!」

 秋人たちはそれぞれ武器を握り締めると、さっそく一つ目のフロアへ足を踏み入れた。

「葉月ちゃんの装備かわいいね。あんずこも着てみたいなぁ」

 杏子は未だにボンテージスーツを着ていたものの、上から宣教師のローブを羽織り、しっかりと前を留めていたので、すっかり僧侶の姿として収まっていた。

「あんずこお姉ちゃんにも、今度貸してあげるね」

 葉月はピンク色に生地にたっぷりとしたフリルの付いた衣裳を見に纏い、背中にはアニマルのアップリケがデザインされたリュックサックを背負っていた。

 手には魔法少女が使う赤色に輝く魔法のステッキが握られ、頭にはマスコットキャラであるウサ吉が変身した、ウサギ吉帽子をかぶっていた。

「なんだ小夜莉、今日はタイガー着てないのか」

「だってあれパジャマだもん。秋人もアルミシールドはやめたの?」

「お前がぺちゃんこにしたせいで、ゲーム内での耐久力がゼロになっちまったんだよ……」

 小夜莉は七分袖のシャツに、カボチャ型のショートパンツを履いた動きやすい格好で木刀を握っていた。秋人も盾を装備するのを諦め、竹刀の鉄パイプを外して速度を重視したスタイルに変えていた。

「秋人くん、こよちゃん。当たらなければ、どうということはないわ」

 杏子は三本の指を顔に当てると、声色を変えて伝説戦機ボージャムに登場する西大佐の台詞を口にした。

「あんこ、お前もだいぶ厨二入ってんな」

「中二じゃないから恥ずかしくなーいモン!」

 杏子は、そのまま二本の指を目元に置くと、片目を瞑ってウインクをした。

 全員が揃ったのを見計らった五十嵐は、さっそくウインドウを開くと、それぞれに新たしいスキルを表示させた。

『塔攻略は思った以上に大変なマップじゃ。お前たちには新しいスキルを用意した。昨日夜鍋して作っておいたから確認してくれ』

「おーマジか! どれどれ……俺の必殺技は――」

 秋人がスキルウインドウを確認すると、スキル欄には、稲垣斬り(縦)、稲垣斬り(横)の二つと、味方一人をかばう、防衛一方(ブレイブガード)という三つのスキルを取得していた。

「ブレイブガードはいいとして、なんだよ稲垣斬りって……しかも縦と横って手抜きだろ!」

『名前は後で適当に変えてくれ。スキルエフェクトと効果をつける作業で手一杯だったんじゃ』

「ったく仕方ねぇなぁ……みんなはどんなスキルを覚えたんだ?」

 拓哉と小夜莉がスキル欄を確認すると、それぞれ攻撃スキルと補助スキルを、一つずつ取得していた。

 四人の中で一番スキルを覚えていたのは杏子で、状態異常を回復させる殺菌消毒(キュアレイション)やライフを回復させる応急処置(リトルヒール)、祈りの力で運を上昇させる参拝祈願(グッドラック)など、十個もの魔法を覚えていた。

「あんこすごーい、こんなに増えたんだ!」

『医療プログラムに応用出来そうな魔法の案はあったからな、僧侶はイメージも沸きやすくて、ついつい多く実装させてしまったわい』

「なんだよ、僧侶ばっかずるいじゃん! 俺のイナズマシュート改も早く実装させてくれよな」

『そのうちな』

「はーあ、レベル十五なのに、スキル四個だけかぁ、先行きは厳しいぜ」

「まあまあ、今は塔の攻略を頑張ろうよ」

「そうだな――っと、さっそくモンスターの登場だ。行くぞみんな!」

 目の前に出現したのは、空中を浮遊する蝙蝠の怪物、バットさんと、地を這う大蛇、くにょりーなの二匹だった。

「よし、拓哉は蝙蝠を引き付けてくれ! その間に俺と小夜莉で蛇を叩く! あんこと葉月は後方でサポートだ!」

「了解勇者さま! なーんてね」

 拓哉は棒の長さを調整すると、大袈裟に振るってバットさんを牽制した。

 小夜莉が床を蹴って飛び出すと、杏子は速度上昇魔法、疾風迅雷(スピードアップ)を発動させ小夜莉の速度を上昇させた。

「てぃやぁぁぁ!」

 しなる大蛇の尾を華麗にかわした小夜莉は、着地と同時に一閃し、腹部に攻撃を行った。

 渾身の一撃だったが大蛇の腹は思ったよりも弾力があり、予想を下回るダメージしか与えることが出来なかった。

「秋人、ダメージが通らないわ!」

「まかせとけ、うぉぉぉぉぉぉぉッ! 必殺稲垣斬り(イナズマブレイド)(縦)!」

 秋人はスキルを発動させて竹刀に電気を帯電をさせると、上空から一気に振り下ろし、大蛇の頭を叩いた。

「シュローーッ!」

 くにょりーなの体に電撃が迸り、スタン効果によってモンスターの動きが止まる。

「あんこ!」

虚弱体質(ダウンディフェンス)!」

 杏子が防御力低下の魔法を唱えると、秋人はくにょりーなに向けて竹刀を突き出した。

「突ーッ!」

 防御力低下により、クリティカルダメージを与えられたくにょりーなは、土埃を上げながら倒れ、虹の光と共に消失した。

 一匹目を倒した秋人と小夜莉は、喜びを見せること無く踵を返すと、空を飛ぶバットさんに目標を定めた。

「小夜莉!」

 秋人は竹刀を投げ捨て両手を組むと、小夜莉の方へ向き直り腰を落とした。合図を確認した小夜莉は秋人の腕に片足を乗せると、一気に空中へと飛び上がる。

「たぁぁぁぁっ!」

 バットさんと同じ高さに上がった小夜莉は、大きく木刀を振った。慌てて攻撃を避けたバットさんだったが、逃れた先には拓哉が待ち構えている。

「後ろはちゃんとみないとね。ハッ!」

 拓哉の一撃によって、杏子の目前に叩き落されたバットさんは、羽をもがきながら、必死に体勢を整えようとした。

「トドメだ、葉月!」

 秋人が叫ぶと、杏子の影から飛び出した葉月は、魔法のステッキを大きく構え、力を込めてボタンを押した。

『太陽の輝きを胸に! 星の瞬きより華麗に! キューティーささみんに愛の力を! ミラクルーリリックーファイアールビーアロー!』

 ステッキから流れる音声を最後まで確認した葉月は、掲げたステッキを勢いよく振り降ろした。

「えいっ」

 べちゃりという情けない音と共に、瀕死のバットさんは葉月の手によって討伐された。

『いい連携じゃ、これならスキルを作った甲斐もあるな。がははは!』

 リザルト画面にはノーダメージボーナスの表示も浮かび、秋人たちはすっかり戦闘にも慣れた様子で手を合わせた。


 UFOにインして一時間ほど、塔の仕掛けも順調に攻略し、上層まで進んだ一行であったが、突然杏子がその場にへたり込んだ。

「はあ……あたし、疲れちゃった……ちょっと、休んでもいい?」

 ずっと回復魔法を使い続けてきたせいで、杏子のスタミナ値は一桁にまで減っていた。

「そうだな、少し休憩するか」

「ごめんね、あんこちゃん。ずっと魔法使い続けだったのに気が付かなくて」

「ううん、ちょっとスタミナ減って疲れただけだから……少し休めば大丈夫だよ」

 秋人がウインドウを開いて全員のステータスを確認すると、ずっと歩き続けたせいもあり、他の者たちもSPを消費させていた。

「普通ならダンジョンに入る時はアイテムたんまり買い込んでいくからな。スタミナ回復なんてじじい作ってないし、薬草すらもないから結構きついな」

「確かに装備だけでは厳しくなってきたね。スキルを覚えたって言っても、僕らが覚えてるのは、序盤の初歩的スキルみたいだし」

「ったく、未完成にもほどがあるな……」

 腕を枕にして石畳みに寝転がった秋人は、何気なく塔の天井を眺めた。

 塔に仕掛けられた九個のトラップを解除し、壊れた螺旋階段を繋げて上層に辿り着く事には成功したが、そこには何も無く、先へ進むことの出来ない無い殺風景なフロアとなっていた。

「しかしこの先はどうやって進むんだ? 怪しいとこはもう無さそうだぜ?」

「ほんとね。でも妖精さんの話だと、この塔って十階まであるって言ってたよ。ここで行き止まりってことはないと思うけど――」

 小夜莉もフロアを見渡したが、やはり進めそうな道や仕掛けなどは見当たらなかった。

「何かやりのこした事でもあるのか?」

 秋人がふと天使の事を思い出し考え込むと、突然頭の中で声が響いた。


<勇敢なる者達よ、よくぞここまで来てくれた。我は悪魔に封印されしヴァルハラの民、エシュモイウス。どうか我の封印を解き、共に大地の祝福を願って欲しい>


「うお! なんだイベントか!?」

「秋人見て! あの天井、何か揺れてる……!」

「はっ……もしかして」

 異変に気がついた拓哉は、棒を伸ばすと天井に向けて一撃を放った。

 すると拓哉の攻撃は天井にダメージを与え、ノイズが走ったかと思うと、あっという間に消えて無くなった。

「結界か!?」

 突如上空の映像が消え巨大な空間が広がった。天井からは何本もの鎖が垂れ下がり、天使のクリスタル像を絡め吊るしている。

 悪魔によって封印された天使だったが、クリスタルは神々しい光りを発していた。村から得た情報によると、人々の祈りが力に変わり、天使の封印を解くことができるとされている。

「これが封印された天使……まさか、ここが塔の最上階だったのか」

 あまりにも美しいクリスタルの光。秋人たちはその美しさに圧倒され、天使像を見上げたまま祈りを込めようとした。

 しかし、村人たちはこうも言っていた。祈りの力が増すほど、力を察知した悪魔がそれを防ぎにやってくる。一度手中に収めた天使を、悪魔が黙って手放すことはしない。

「秋人……何か来る!」

 どこからともなく羽音が聴こえ、天使像が発する光を遮るように、大きな影が旋回した。

 影は秋人たちを覆い、塔中に不気味な咆哮が響き渡たった。そしてクリスタルの光が薄らいだ瞬間、巨大な翼竜が地面に降り立った。

「マジか……でけぇぞ!」

 ティンパニの音が静かに震え、甲高いトランペットの音が秋人たちに僅かな恐怖を頂かせた。

 翼竜族、ランフォリンクス・アバンセ。丸く細い尾を振り回し、尖ったくちばしを大きく開いたランフォリンクスは、炎を噴き漏らし、鋭い目で秋人たちをにらみつけた。

「葉月! 後ろに下がれ!」

 今まで出会った中で最強の敵と判断した秋人は、急いで葉月を下がらせた。それに呼応するように、小夜莉と拓哉も急ぎ補助魔法を唱え始める。

「あんこ! スタミナは回復してるか!? ダメージ無しで戦える相手じゃないぞ!」

「まだ全然だめ――二回の回復魔法が限界かも!」

 急ぎ足で塔の攻略を進めた為、秋人たちに余裕は無かった。

 杏子が常に回復魔法を使っていたおかげで体力は減っていなかったが、杏子のスタミナは消耗したままで、回復には至っていない。

 道具は無く、頼りの回復魔法も残り二回。レベルの低い葉月を守りながら、果たして塔に巣くう翼竜を倒す事が出来るのか。

 それぞれが考えを巡らせながら、秋人が真っ先に動いた。

「俺が行く!」

 とにかく先手を取ろうと、秋人はランフォリンクスに向かった。

「稲垣斬り(イナズマブレイド)!」

 秋人の一撃はランフォリンクスにダメージを与えたが、その体力の多さに、ゲージは僅かに減少するだけだった。

「補助有りでこれかよ!」

虚弱体質(ダウンディフェンス)! もひとつダウンディフェンス!」

 それを見た拓哉は、防御力低下の魔法を重ね掛けにすると、今度は小夜莉がランフォリンクスに向かって斬り掛かった。

「連続斬り(マルチカット)!」

 五段に一閃されたエフェクトが煌き、連なる斬撃がランフォリンクスの右翼を襲ったが、思ったほどのダメージは与えることがなかった。

 二度の攻撃を受けたランフォリンクスは、翼を大きく開いて宙へと舞い上がった。

 天使像を囲うように旋回し、今度はランフォリンクスが攻撃を開始する。

「全員、防御姿勢!」

 拓哉が叫ぶと同時に、ランフォリンクスが炎を噴いた。

「ぐぅっ!」

 激しい熱波が三人を襲い、十段にも及ぶ持続的な多段ダメージがじわじわと続いた。

 炎の攻撃が止んだかと思うと、ランフォリンクスは地上へ降り、長い首をもたげて再び鋭い視線を向けた。

「秋人、今度は僕が行く! こよちゃん、サポートを!」

 拓哉はランフォリンクスの側面に回りこむと、範囲攻撃、回転式(カイテン)を打ち込んだ。

 拓哉が勢いよく棒を振るうと、自身を中心とした周囲に白い軌跡を描き、広範囲に及ぶ打撃を生み出した。

 すると、ランフォリンクスの足と体に二重のダメージ表示が浮かび、一度の攻撃で多くのダメージを与える事に成功した。

「拓哉君、下がって!」

 ダメージ表示が浮かぶ中、小夜莉は拓哉を退かせると、拓哉が狙った箇所へ攻撃を行った。

 続けて浮かぶダメージ表示にはボーナス効果が追加され、通常攻撃にも関わらず、ランフォリンクスに大きなダメージを与えた。

「おじいさんが言ってたの、同じ所を続けて攻撃すれば、集中攻撃のボーナスダメージが与えられるって!」

「そうか! それを連続して成功させれば――」

 秋人がそう言った瞬間、ランフォリンクスは宙へと舞い上がり、炎を噴き散らした。

「まさか……地上にいるときは反撃してこないと思ったら、二度攻撃を受けると空に飛ぶってパターンか!?」

 ランフォリンクスの炎の攻撃は、再び前衛の三人にダメージを与えた。

「秋人くん! 今回復を!」

「待てあんこ! あと一回なら耐えられる、ぎりぎりまで回復魔法は控えるんだ!」

 三人の中で一番体力の低い秋人は苦しい状態を迎えていたが、残りの回復魔法の回数を考えると、そうせざるを得なかった。

「くっそ……このパターンでいくと消耗戦でこっちが負けちまう……なんとか時間を稼ぐ方法は……そうすれば、あんこのスタミナ回復を見計らって……」

 秋人は地上に降りたランフォリンクスに攻撃しなければ、しばらくは動かないと考えたが、その思惑とは裏腹に、一定の時間に達すると、ランフォリンクスは宙へと飛び、炎の攻撃を行った。

「セオリー通り動きやがって! チクショー! あんこ、ヒールしてくれ!」

 持続攻撃の合間を縫って、体力がぎりぎりの場面で回復を行った杏子は、自身のスタミナ値を確認した。

 唱えられる回復魔法は残り一回。どう粘っても、スタミナ回復による魔法使用は到底間に合わない。

 それでも攻撃の機会は逃さず、少しでもダメージを与えようと三人は同時に攻撃を仕掛けた。それでもランフォリンクスの体力ゲージが半分を切ることは無かった。

「秋人くん! 今度はこよちゃんが危ないよ!」

「大丈夫だ、今回は俺のスキルで小夜莉を守る――ブレイブガード!」

 秋人は味方一人を守ることの出来る補助魔法を唱えると、炎の攻撃を一身に受け止め小夜莉を守り抜いた。

「秋人、無理しないで!」

「俺は無事だ! だけどヤツの体力、まだゲージの半分もいってないぜ……」

 次の攻撃で拓哉の体力は厳しい状態になり、必ず回復魔法を使わなければならない。そして、その次には、秋人か小夜莉のどちらかが危機を迎える。

 三人は攻撃を行う事も出来ず、ランフォリンクスを前にして動けなくなってしまった。

 絶望的な状況に、秋人たちは攻略への希望を失った。ただレベルが足りなかったのか、攻略法を間違えたのか、所詮自分たちの持ち寄った装備では歯が立たないのか。

 スキルや魔法が足りないのは解っていた、頼れる道具など何一つ無いのも知っていた。それでも、仲間と協力すれば前に進むことが出来ると思っていた。だが、それだけでは足りなかったのだ。

「ここまでなのか……」

 困難な状態であろうとも、パーティが協力すれば、未完成の世界でも攻略することが出来ると思っていた。ここで敗北を喫しても、もう一度最初から塔を攻略すればいいだけのこと。レベルを上げれば、体力やスタミナにも余裕が出来るだろう。防御力が上がる装備を用意すれば、炎の攻撃に対処する事も出来るだろう。五十嵐に頼めば、新しいスキルや魔法の実装も容易かもしれない――しかし、負けることがこれほど辛いものだとは思いもしなかった。

 最初は暇が潰せる程度の物でしか考えていなかったが、今ではゲームの攻略にも大きな目的が生まれている。五十嵐の夢を叶える為、凛に世界を見せる為、秋人たちはこの未完成の世界を、必ず完成させなければならない。

「本当に……ここまでなのか!」

「――お兄ちゃん!」

 その時、葉月が叫んだ。

「これ、使って!」

 葉月がリュックサックから取り出したのは、携帯用の虫除けスプレーだった。

 出掛けるときに用意した子供七つ道具の一つだが、秋人はなぜそれを出したのか意味が分からなかった。

 そんな秋人の呆然とした様子も気にせず、葉月は虫除けスプレーを秋人に向かって放り投げた。

「は、葉月……こんなのどうしろっていうんだ……?」

 秋人は、戸惑いながらも虫除けスプレーの缶を握りしめた。理解出来ないまま缶に目をやると、そこに【火気と高温に注意】の文字を発見した。

「そうか……これを使えば!」

 待機時間を終えたランフォリンクスが宙へ舞い、大きく口を開いた。

 秋人は腕を大きく振りかぶり、ランフォリンクスの口を目掛けて、思いっきり虫除けスプレーを投げ放った。

 虫除けスプレーは目標に向かって飛んでいったが、残念なことに秋人のコントロールは悪く、僅か数センチ横に逸れて、ランフォリンクスの牙に当たって弾かれてしまった。

「なにやってんのよ秋人! チャンスだったのにぃ!」

「惜しい! 逆転ならず……か」

「チクショー外しちまった! なんで俺、野球部じゃなくてサッカー部なんだよぉぉぉぉぉ」

 ランフォリンクスの口内に炎の渦が生まれた。誰もが諦めようとしたその時、前に出たのは杏子だった。

「お願い! 参拝祈願(グッドラック)!」

 杏子が唱えたのは運気を向上させる魔法だった。

 スタミナ消費は僅か一、スキルの説明欄にも「何が起こるかわからない」と記された、まさに神頼みな魔法。

 運気上昇が掛けられた虫除けスプレーの缶は、ランフォリンクスの頭上でパカリとフタが開き、突然スプレーが噴射された。缶はスプレーの勢いで激しく回転し、そのままラフォリンクスの口の中にすっぽりと入ってしまった。

 口内で渦巻く炎、その瞬間、高温で熱せられ缶は暴発し、不発に終わった炎が更なる爆発を生む。

「伏せろーっ!」

 激しい轟音が鳴り響き、ランフォリンクスはそのまま地面に落下していった。

 ランフォリンクスの体力ゲージは赤いラインを超え、苦しそうに四肢を広げてその巨体を支ていた。最後のチャンスを逃すことは出来ない。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! 行っけぇぇぇぇぇぇぇ!!」 

 秋人が叫ぶと、立ち込める煙の中から三つの影が飛び出した。秋人たちは各々の武器を握り締め、三人が同時にスキルを発動させた。。

「回転式連続稲垣斬(トリプル盛り)ぃぃぃぃぃぃぃ!」

 最後の一撃は見事ランフォリンクを打ち滅ぼし、ボス討伐のファンファーレと共に、輝く虹の光の中でリザルト画面が表示された。

「うおおおお! 倒したぞ! ピンチ盛りのオンパレードだったけど、俺たちやったぞ!」

「やったぁぁ! あんこナイスアシスト!」

「確かに! よくあそこで使ったことの無い魔法使用したね!」

「どうせなら、運頼りもいいかなぁって思っちゃった。ふふ、でも葉月ちゃんのおかげだよ! よくあんなアイディア思いついたね。わたしびっくりしちゃった!」

 三人が杏子の勇士を称えると、杏子は恥ずかしそうに照れ笑いをし、葉月に抱きついた。

「てへへ。虫除けスプレーの中に含まれる、高圧ガスを過熱出来れば、あのトカゲさんを倒せるかなって思ったの。お兄ちゃんのコントロールが悪かったから危なかったけど、偶然アクチュエーターからの急激な噴出が起きてよかったね。でもエアゾール製品の高熱による引火は危険だから真似しちゃだめって遠藤先生が言ってたよ。それと近年、使用済みスプレーの廃棄による際の副次事故が多発していて、缶をそのまま捨てるか、穴を開けて捨てるかで、各自治体によって缶の処分方法の問題もあるみたいなの」

「えっ、は、葉月ちゃん、な……何言ってるの……?」

 笑顔で淡々と説明する葉月に同様する杏子だったが、秋人が葉月の頭を撫でながら言った。

「あんこは知らなかったっけか、葉月はIQが百五十を超えてるんだ。俺と違って天才なんだよ、こいつ」

「ふええっ、そ、そうなんだ……葉月ちゃんすごいね! 魔法使いみたい!」

「わたし魔法使い? ささみんみたいな、かっこいい魔法使いになれるかな!」 

「あはは、葉月ちゃんのそういうところかわいいなぁ。葉月ちゃんなら、きっと素敵な魔法使いになれそうだね!」

 無事にボスを討伐を成功させた一行は、手を取り合って喜びを分かち合った。

 表示されたリザルト画面には、最低ランクの討伐評価Dとなっていたが、クリア出来たことを心から喜び、最後は笑顔で天使像を見上げていた。

『中々苦戦したようじゃが、よく頑張ったな。最後の攻撃はワシも驚いたが、これもチームワークで成し得た結果じゃ。まあ大人として一応言っておくが、良い子は真似しちゃダメじゃぞ』

 その後、悪魔の力から解放された天使は復活し、村への加護を取り戻すイベントを迎えた一行は、こうして無事に塔の攻略を完了させた。

 秋人たちの平均レベルは二十を超え、UFOの世界にも馴染んだベテラン冒険者となっていた。

 次の目的地は、海を渡りアルミ大陸へと向かうイベントが待ち構えていたが、外の世界では、D&Gシステムの営業、水巻が不穏な動きを見せたいた。

「ヒヒヒッ! ようやく出来たぞ! サーバー内にウイルスを送り込み、データの破壊と収集を同時に行う水巻システムの完成だ! これを使えば、あの憎たらしい五十嵐のシステムを全て奪える! ハハハ! ハーハッハッハハッハ――あ、お姉さん、エスプレッソのおかわりもらえますか。砂糖も追加で、あとチョコレートケーキも欲しいな。お祝い用にキャンドルも付けてくれると更に嬉しいかも、なんてね。フヒヒ」

 水巻の様子に背筋を凍らせた美紀は、一目散でカウンターの裏側へと逃げ込んだ。

「マスターぁ! 私もうやだぁ! あの人目が怖いよぉー!」

「まぁまぁ……お客様は神様だよ……」

 困った表情を浮かべていたマスターと美紀だったが、水巻はいつまでも不気味に笑っていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ